右手に君を、左手に僕を
まだまだ暑さが続く九月の第一月曜、二人の荷物をステーションワゴンタイプの白いレンタカーに積み込み準備は完了。
美園のキャリーケースの方が僕の物より少し重く、彼女は他にもう一つ白い普段使いのバッグも持って行くので、やはりこういう時は女性の方が荷物は多くなるのだなとふと思った。
「載せてくれてありがとうございます」
「いいって、力仕事は僕の仕事だから。忘れ物とかは大丈夫?」
「大丈夫です」
微笑みながら頭を下げた美園が身に纏う薄い水色のワンピースはミドル丈。身長比でかなり高い位置の腰には同じ色のリボンベルトが巻かれていて、全体として非常に清楚な印象を受ける。
しかし足元だけがそれにそぐわないスニーカー。全体の雰囲気としてはバランスが悪い。
「じゃあ鍵。運転よろしく」
「はい。頑張ります」
緊張気味に両手で鍵を受け取った美園は、それを誤魔化すように胸元で両の拳を握った可愛らしいガッツポーズを取った。
そんな美園の頭に触れ、セットされた髪が乱れないように軽く撫でながら「大丈夫」と優しく笑いかける。
「僕がついてるから。途中で運転も代われるし、ナビも任せて」
今日から出かける一泊二日の内、初日は美園が運転する事になっている。元々は行き帰りともに僕がドライバーを務めるつもりでいたのだが、美園が行きの運転を申し出てくれた形だ。
長距離の運転になるので、最初は免許取得後約半年程度の美園の負担を考えて渋ったのだが、彼女の方は僕の負担を考えてくれた。その気持ちが嬉しかったので、もしも美園の具合が悪くなったり運転が大変だと思ったらすぐに申告する事を条件に、往路の運転を任せる事にした。
「ありがとうございます。でも、智貴さんは寝ていても大丈夫ですよ?」
僕の手のひらの下でくすぐったそうに目を細めた美園がふふっと笑い、少し冗談めかした様子を見せる。
「せっかく美園と一緒の時間なのに寝たらもったいないだろ。どうせ夜は一緒に寝るんだし、そこまで取っておくよ」
「もうっ」
いい具合に緊張がほぐれただろうかと冗談めかして――内容は本気である――返すと、頬を染めた美園がほんの一瞬唇を尖らせ、やわらかく微笑んだ。
その後初心運転者標識、所謂初心者マークを車の前後に貼り付け、美園は運転席へ、僕は助手席へと乗り込む。
車体は白いがそれでもこの季節はすぐに車中の温度が上昇してしまうので、荷物の積み込みの間もエンジンはかけたまま。ひんやりとした車内は居心地が良い。
「ええと。シートの位置と、ミラーの位置と……」
レンタカーを取りに行ったのは僕なので、現時点での運転席は僕仕様になっている。ある程度美園に合わせたものに変えておこうかとも思ったのだが、一からセッティングをする方が彼女のためだろうと思い直しそのままである。
美園は一つ一つ口に出しながら諸々の位置を自分に合うように調整し、操作ボタンの位置やウィンカーやブレーキの動作確認を行っていく。程好い緊張感を保った真剣な様子は、彼女が手間のかかる料理をする時に少し似ていて、目が離せない。もちろん心配で、という意味ではなくだ。
「全部確認出来たと思いますけど、どうでしょうか?」
「うん。完璧だよ」
確認過程よりも緊張の色を濃くした美園に、弛みかけた頬を僅かだけ引き締めて笑いかけると、彼女は「良かったぁ」と小さな安堵の声を漏らす。
「実家での練習でも完璧だったんだろ?」
「そうですけど。やっぱり智貴さんが隣にいる訳ですし」
僕が資格試験を受けている最中、美園は実家で運転の練習を少ししていたらしい。その練習に同乗した妹の乃々香さんから聞いたところでは、運転中の美園は平常に近かったという。僕の前で少し気負ったところがあったのだろうと分かり、そんな美園が愛おしい。
そっと髪を撫でると、眉尻を下げていた美園が嬉しそうに頬を少し緩めるので、しばらく運転が続くからと、この先の分も含めて少しの間彼女の髪を撫で続けた。
「名残惜しいですけど、そろそろ出発にしましょうか?」
「うん、行こうか。よろしくね」
「はいっ」
少し気合の入った返事の後で美園はシートベルトを締め、一度深呼吸をして集中力を高めたように見える。
一方、シートベルトを押し上げる存在のせいで僕には僅かばかりの邪念が生まれた。幸い集中している美園には気付かれなかったが、彼女の運転の妨げになるような事はしてはいけないと、美園から見えないように拳を握りこんだ。
「では、出発します」
そう言って美園は左右と後ろを確認してからゆっくりと車を発進させ、彼女のマンションの駐車場から公道へと出て行く。僕から見てではあるが、初心者という事を考慮するのであれば満点をあげたいほどにスムーズで、しっかりと安全確認も出来ていた。
本当はすぐに褒めて髪を撫でたいところではあったが、美園の気を散らさないようにと赤信号まで我慢するのが中々に辛い。
「美園凄く上手だよ。この調子」
「ありがとうございます。下手だと言われたらどうしようかと思っていましたので、ホッとしています」
力の入っていたハンドルを握る手が少し緩んだように見え、同時に美園は安心したように息を吐く。
「初心者なんだからそんな事言わないって」
「ダメですよ。良くないところはしっかりと指摘してくれないと」
前を向いたままではあるが美園は苦笑を浮かべていいて、真面目で彼女らしいなと思い笑みが零れた。
そして信号が青に変わり、美園がブレーキから足を離してアクセルをゆっくりと踏み込んでいく。
自分が運転するのであればあまり好きではない赤信号だが、今日はもう少し長くてもいいではないかと、中々都合のいい不満は心にしまっておく事にした。