T君より30歳年上のお父さんは、来年にはT君のちょうど3倍の年齢になります
「智陽、今度は2組の小林さんだって?」
「……どこから聞いたんだよ」
「まあちょっとな」
教室に入ったところ、おはようの一言もなしにいきなり話しかけてきた友人に軽くため息を吐いてみせ、智陽は自席へと腰を下ろした。
「で、今回はなんで断ったんだよ?」
「黙秘」
呼ばれてもいないのに追加で来たもう一人の友人が肩に置いた手を払いながら、智陽は鞄から机に教科書を移していく。
「小林さん可愛いだろ」
「まあ、可愛かったな」
「だろ? まあお前は見慣れてるだろうけどさ」
「話するなら外出るか?」
周囲の目、というか耳を集めている状況に気付き、智陽は友人たちに尋ねる。相手がいる話な以上あまり不特定多数に聞かせたくもないし、この二人も普段はその辺りに気を遣っていたはずだ。
「ああ大丈夫。本人が『やっぱりフラれた~』って軽い感じで言ってたから」
「ネタばらしがはえーよ」
「なんだよそれ……」
昨日から持ち続けていた罪悪感が軽くなった気はするのだが、なんとなく釈然としない気持ちにもなってしまう。
思えば断りの言葉を口にした後、小林さんは大分あっさりしていたなと智陽は思い出す。
「まあでも、そのくらいの方がこっちも楽と言えば楽だな」
微妙なモヤモヤはあるものの、泣かれてしまうような事態よりはよっぽどマシである。
「流石、モテる奴は言う事が違うな」
「別に大してモテる訳じゃないだろ。告白される頻度だって月に均せば2回くらいだぞ」
「十分多いわボケ」
「そもそも一般人は告白に対して頻度とか言わないからな」
「そうなのか……」
「まあ智陽のとこは特殊だからなあ……」
「智陽の姉ちゃんたちもめっちゃモテるって話だもんな。美人だし」
智陽のところには姉を紹介してくれと言う連中がたくさん来ていたし、逆に姉のところにも智陽を紹介してくれという頼みが多かったらしい。勘違いはこの辺りが原因である。
そのまま適当な話をして過ごし、朝のHR5分前に友人二人は自分の机へと戻っていった。
彼らを見送った智陽がふうと軽く息を吐くと、隣の席の女子がちょいちょいと制服の肘の辺りをつついてきた。少しだけ顔を寄せた彼女は口元に手を添え、内緒話をするかのように口を開いた。しかしそれでいて音量は普通だった。
「ねえねえ。なんで小林さんの告白断っちゃったの?」
「今は勉強に集中したいから」
「テンプレ回答だー。じゃあ智陽君はどういう子が好みなの?」
「家庭的な子」
「それもテンプレだぁ」
彼女はくすりと笑うが、後半の質問に対しては本当にそう思っているし、聞かれたら正直に答えている。そのせいで調理実習の時に大変な目に遭った事は記憶に新しい。
「今日はどうしたの?」
「ん? 何がー?」
「普段こういう話しないからさ」
「んー。普段は話のネタにするの悪いなって思うけど、今回は小林さんが『智陽君にフラれたー』って言ってるみたいだからねー。あ、言っとくけど私が智陽君に興味あるとかそういうのはないよー」
「それは知ってるよ」
智陽が苦笑しながらそう返すと、彼女は「私は中身重視なのです」とちょっと失礼な事を言いながら胸を張った。
「だから智陽君が学年主席のイケメンでも私には効かないのですよ」
「助かるよ」
「否定しないんだよねー」
「事実だからね」
「そういうとこだぞー」
◇
「ただいま」
「おかえりなさい。智陽」
「ただいま。母さん」
家の玄関を開けるとちょうど母がいた。癖になっている「ただいま」だけでなく、きっちりと母に向けてその言葉を伝えると、母は優しく微笑んだ。それだけで今日一日の気疲れ――小林さんがオープンなせいでいつもより話しかけてくる者が多かった――が全て吹き飛ぶ。
「言っておいたけど、これからお父さんと出掛けてくるね。お姉ちゃんたちをよろしくね」
「うん。いってらっしゃい。母さん」
「ありがとう。智陽。いってきます」
そう言って玄関から出ていく母を見送り、智陽は深いため息をついた。
智陽が普段見る母の顔は先程のような優しい微笑みか、穏やかに淑やかに微笑んでいる姿のほとんどどちらかだ。しかし出がけの母は期待に胸を膨らます少女のような顔をしていた。
智陽や姉たちの前で母がああいう顔を見せる事はほとんどない。つまり、それだけ今からの事が楽しみなのだろうとわかる。
吹き飛んだはずの疲れを再認識しながら二階の自室に戻って着替えを済ませ、リビングまで降りてくると今度は姉がいた。
「おかえり。智陽。お母さんはもう出掛けたから」
「ただいま。その出がけに会ったよ」
智陽はぶっきらぼうにそれだけ言い、そのまま長姉の美智の向かいのソファーにドカっと腰を下ろした。その様子を見て美智が苦笑するので、智陽としては少し気まずくて顔を背けてしまう。
「夕ご飯は私が作るけどそれでいい? お母さんは何かとってもいいってお金置いていってくれたけど」
「姉さんが手間じゃないなら。手伝おうか」
「ありがとう。でも、全部一人で作るの久しぶりだからむしろ楽しみかな」
「わかった。俺も楽しみにしてるよ」
「うん」
優しい姉の笑みは母のそれによく似ている。智陽本人も姉二人も父ではなく母に似たのだが、その中でも美智は表情まで含めて母に一番そっくりだ。料理の方も母から習っているだけあって抜群の腕前を誇る、自慢の姉だ。
伯母が言うには昔の母に性格も似ているらしい。ちなみに次姉は性格面で何故かそんな伯母に似た。あまり自慢ではない方の姉だ。
「あれ、智陽も帰ってたんだ」
「ああ。ただいま、姉ちゃん」
考えていたせいか、自慢でない方も現れてしまった。
「美花。智陽も私のご飯でいいって言ってくれたから私が作るね」
「わかった。ありがとう、お姉ちゃん」
そう言いながら美花は美智の隣に座り、そっと姉の髪を撫でた。これはいつもの彼女の癖なのだが、くすぐったそうに目を細める長姉を見ると、智陽としては面白くない。
そんな智陽を見て次姉はニヤリと笑う。
「それにしてもあんな嬉しそうなお母さん久しぶりに見たかな。『どっちが似合う?』なんて初めて聞かれたよ」
「美花」
隣の長姉が僅かに咎めるような声音で次姉をつつくが、美花としてはどこ吹く風だ。
「ほんとマザコンなんだから」
「うるせー」
大体あんたも重度のファザコンだろうがと、智陽は心の中で毒づく。先程の長姉の髪を撫でる癖だって、美花が父にしてもらっている事が元なくらいだ。
ただし智陽との違いは、美花は『母と一緒にいる時の父』の方をどちらかと言うと好いている点だ。その大きな違いを以てして、彼女は智陽に両親の仲睦まじさを伝えて面白がるのだ。
この辺りの違いは多分育った環境の差だと智陽は分析している。
姉二人はまだ両親が共働きだった頃に産まれた子どもで、二人の手がかかって育っている。しかし智陽だけは両親が母の地元に引っ越しをしてきてから出来た子どもで、仕事を辞めた母が主体となって育児をしてくれたらしい。
因みにこの分析を話したところ、長姉は「そういう面もあるかもしれないね。智陽は凄いね」と頭を撫でてくれたが、次姉は「へー」としか言わなかった。
「美花。その辺りにしておこうね」
「はーい。ごめんね、智陽」
姉に窘められた美花が素直に智陽に頭を下げると、美智はそんな妹に母譲りの優しい笑みを向け、そっと彼女の髪を撫でた。父にされる時とは違い多少気恥ずかしいような様子こそ見せたものの、次姉はやはり嬉しそうにされるがままになっている。
「智陽も。今日は二人を心からお祝いしてあげようね。ここのところお父さんずっと忙しかったから、お母さん本当に嬉しそうだったよ」
「……うん」
頷いた智陽を見て、長姉は目を細める。
今日は両親の結婚記念日。三姉弟でプレゼントもちゃんと用意してある。智陽もちゃんと祝う気持ち自体はあったのだ。姉二人はそれをちゃんとわかっているからこその態度だった。180度違ったが。
「うん。いい子だね。智陽もこっちにおいで」
「俺はいいよ」
「ダメ」
美智は有無を言わさぬようにニコリと微笑み、空いている方の手で智陽を手招きする。空いていない方に撫でられ続けている次姉は「諦めなさい」と唇だけを動かした。
智陽がのちに聞いた話では、こういう意外と強情なところも母譲りなのだという。
前回の話で智貴2年生までの話は終了です。
今後は全部が全部ではありませんが、話の順番が時系列順ではなくなるかもしれません。




