番外編 妹の初デート
五月連休前のある平日、君岡家の晩の食卓は微妙な雰囲気に包まれていた。
原因は、県外の大学に出ている君岡家の次女、美園が連休中の帰省の予定を撤回した事にある。
両親(特に父)は一人暮らしをする娘が心配で顔を見たがっていたし、美園の妹の乃々香は、大学入学を機に大きくイメチェンをした美園から、大学生活の話を聞くのを楽しみにしていたのもあって、3人が3人とも大変残念がっている。
「ゆっくりしようと思ったら授業も休まないといけないし、一人暮らしにも慣れたいから」
美園は帰省を取りやめるもっともらしい理由を語ったが、事情を知っている姉の花波からしてみたらその言葉の嘘はバレバレだ。
連休まで一週間を切ったこの時期に予定を撤回する以上、美園の想い人である「牧村君」との間に、何らかの進展があったであろう事は想像に難くない。
残念がる他の3人とは対照的に、花波は妹からその話を聞くことを楽しみにしていた。
夕食を終えた花波が部屋に戻ると、スマホに1件のメッセージが届いていた。差出人は妹の美園。内容は――
『お願い助けて』
「どういう事?」
穏やかでない文面に首を傾げつつ、花波は妹の番号を呼び出し電話をかけた。
メッセージの受信時間はつい先程、美園は待ち構えていたのか2コールで電話に出た。
「どうし――」
『おねえちゃぁぁん』
某国民的猫型機械に泣きつく、同じく国民的眼鏡少年を彷彿とさせるトーンで、美園は花波に泣きついて来た。
牧村君との約束がポシャったのだろうかと、花波が慰めの言葉を探していると、美園からビデオ通話にしたいという要望があった。
了承してビデオ通話に切り替えた花波は、画面の向こうの妹を見て全てを察した。
「とりあえずメイク落としてきな」
◇
「それで?牧村君とのデートに備えてメイクの練習したらああなった、と」
『うん……』
フィクションなどでよくある「子どもがお母さんの化粧道具を勝手に使ったらお化けが生まれた」という程の惨状では無かったが、抜群の素材を損なうには十分だった。
「さっきのは絶対ダメだからね」
『もうしない』
「それで、デートはいつなの?連休中でしょ?」
『5月5日』
「諦めて普段通りで行きなさい」
『やだ』
高揚と落胆のせいなのか、精神年齢が幼くなっている妹に、花波は内心で嘆息しながら説得を続けた。
「今からじゃ無理だから」
『でも!牧村先輩に良く思われたい』
「じゃあ聞くけど。牧村君の好みのタイプわかる?」
『わかんない……』
「だったら変に頑張るよりも、いつも通りの方がいいからね」
嘘である。先程の美園のような明らかにダメなメイクは論外にしても、デートの時に雰囲気を変えた彼女に喜ばない男はいない、というのは花波の持論だ。初デートならなおさらだ。
たとえ普段通りの方が好みだとしても、自分の為に頑張ってくれた彼女に男は喜ぶのである。
だが今回は時間的猶予が無い。花波にも予定があるので、当日までにメイクを教える事は出来ない。
それならば、妹に醜態を晒させてしまうよりは、牧村君を少しがっかりさせてしまう事の方が遥かにマシなはずだ。
「あとヒールも、あんまり高いのダメだからね。どうせ慣れてないでしょ」
『……』
画面の向こうの妹は明らかに不満顔だ。
「慣れないヒール履いて足痛くなったらどうするの」
『我慢できるもん』
「美園が痛いの我慢してるのに気付かないの?牧村君鈍いの?」
『そんな事ないもん!牧村先輩なら絶対気付いてくれる……確かにちょっと鈍いけど』
鈍いのは鈍いのか。花波の意識が逸れそうになったが、欲しかった言葉は引き出した。
「じゃあ靴も普段通りね」
『わかった……』
「次のデートまでにメイクの練習すればいいから。あんまりこっちでゆっくり出来ないだろうけど、デート後の土日で1回帰っておいで」
『次のデート、してくれるかな?』
「その為の作戦を考えましょうか」
聞く限りの牧村君の印象からして、美園から誘えばまず間違いなく次のデートもある。花波は確信に近い思いがあったが、美園の緊張感を緩ませない為に敢えてそれは言わない。決して面白いからという理由ではない。
◇
「今のとこ食事の約束だけね。昼と夜どっちにするの?」
『どっちがいいかな?』
美園の言によれば、一緒に決めようと約束したのは昨日で、まだ詳細は全く決まっていないとの事だ。
「長くデートしたいよね?」
『うん!』
「じゃあお昼にした方がいいかな」
『そうする』
美園はもちろんだが、恐らく牧村君もデートには慣れていないと花波は見ている。そんな二人にディナー後の延長戦は荷が重い。かと言ってディナー前はと言えば、不慣れ同士では迫る時間を気にして十分に楽しめなくなってしまうだろう。
「お昼の後は何がしたいか考えてる?」
『ええと。映画、とか?』
「却下」
『どうして?』
「牧村君の見たい映画とか、好みとか知ってる?そもそも映画好きじゃ無かったらどうするの?大体、映画じゃその時間牧村君と全然話せないでしょ」
『うぅ』
ランチからの初デートであれば、夕方前には別れるくらいだろう。映画デートでその後に感想を言い合う場合とは違い、貴重な時間で映画を見ている暇はない。
「美園なら散歩デートがおすすめかな」
『お散歩?そんな事でいいの?』
「まず第一に、牧村君と話す時間が長くと――」
『お散歩にする』
即答である。他のメリットを説明するまでもないようだと、花波は苦笑する。
『お昼のお店はどうしたらいいかな?』
「そこは牧村君にお願いしたらいいんじゃない?」
『私から誘ったのに、いいの?』
正直なところ、美園に選ばせると気合が空回りして牧村君がドン引きする気がする。という理由は心の内に留め、花波はそれらしい理由を語る。
「牧村君も男だし、何から何まで美園が決めたら気まずいでしょ」
『言われてみたらそうだね。お店はお願いしてみるね』
◇
その後も諸々の細かな相談に乗った甲斐もあり、美園は大分満足度を高めてくれたようだ。
『ありがとうお姉ちゃん。頑張って来るね』
「空回りしないようにね。あとさっきも言ったけど、連休終わりの土日は帰って来なね」
『うん。それじゃあ、長々とごめんね。おやすみ』
「気にしなくていいよ。おやすみ」
長々と話はしたが、普段通りの美園が出せればデート自体が失敗することは無いと、花波は思う。可愛いだけでなく、素直で優しい自慢の妹だ。
帰省の約束も取り付けた事だし、少し遠い空の下で妹の初デートの成功を祈っておこうと思う。
それから、明日の朝には残念がっていた3人の家族に、美園の帰省を教えてあげよう。
「喜ぶだろうなあ」
美園がデートの事で口を滑らせたら、父は泣くかもしれないが。
そんな事を思って、花波はふふっと笑った。