3月のなんでもない1日の事
「去年私が来た時もそうでしたけど、たくさんいますね」
「後期の合格発表が昨日だったっけ?」
「確か、そうだったと思います」
久しぶりに二人並んで大学へ来た。
僕と美園の指導教員面談は、学年学部学科こそ違うが今日の同じ時間から行われる。二人とも同じ時間で第一希望を出しておいたら両方通った結果だった。
今僕達の視線の先にあるのは第一食堂。生協による学生アパートの案内が行われていて、新入学生とその親と思われる組み合わせが出入りしている。
この大学で一人暮らしをしようと思った場合、地域の不動産屋で探すか生協で探すかになるのだが、基本的には生協の方が一般的になる。大学周辺のアパートのオーナーは地域の土地持ちの方が多く、不動産屋よりも生協との方が結びつきは強い。昨年聞いた話では学生向けアパートの6割は生協で押さえているらしい。
不動産屋はそこから何社かに分れているので、生協で扱うアパートの数は不動産屋一件と比べると数倍という事になる。
部屋の斡旋は2月から始まっているので、条件のいい部屋は在校生、推薦合格者、前期試験合格者、後期試験合格者と段々減っていく。そのため後期合格発表の翌日は残った部屋の中でより良い所をと、一番混むと言う話を生協委員から聞いた事がある。
「僕も生協で借りたよ。美園は?」
「私のお部屋も生協で借りました。お隣の方が卒業ですので、あの中に未来の隣人がいるかもしれませんね」
「かもね。来年文実に入ってくれる子もいるといいなあ」
「そうですね。こういう景色を見ると自分が先輩になるんだなという自覚が芽生えます」
気合の表れか、握った美園の手に少し力が込められた。
「美園ならその辺は心配してないけどね」
「ありがとうございます。でも、そういう事を言われるとプレッシャーです」
「ごめんごめん」
少しむくれた美園の髪を繋いだ手を離さずに撫でる。最初はかなり不自然な体勢になっていたが、今ではこれも慣れたものだ。同じ事を感じるのか、美園も嬉しそうに僕へと視線を向けてくる。
幸せだなと美園に頷いて見せ、同じように頷いた彼女と一緒に止めていた足を動かした。
◇
あの後別れてから向かった面談だが、後期の成績を教えてもらって自分が希望する研究室を伝えて、5分で終わった。
就職用の研究室希望を伝えた時、指導教員の甲斐野先生が「個人的には残念だ」と言ってくれたのが少し嬉しかった。
僕の方がサクッと終わってしまったので、せっかくだしと思って美園を迎えに来たのだが、どこに向かったかを聞いていなかった。
人文学部は理学部よりも人数は多いが研究設備がある訳ではないので、建物はAからD棟までと理学部よりも一つ少ない四つ。しかしその内のどこにいるかはわからない。なので結局は中心となるA棟の前のベンチで美園を待つ事にした。
『人文A棟の前で待ってるよ』
美園とお揃いにするように買ったペンギンのスタンプを添えてそれだけ送り、苦笑した。まさか自分がこんな可愛いスタンプを使う日が来るとは思ってもみなかった。
別に美園が使ってほしいと言った訳でも、そんな素ぶりを見せた訳でもなく、ただ単に使ったら美園が喜んでくれるかなと、そう思ったらいつの間にか購入していた。
ちょっと気恥ずかしい面もあって必ず添える訳ではないが、使うたびにこうやって心底美園に惚れている自分を再認識し、苦笑している。
人文A棟を背にしたベンチからは、花をつけた桜が見える。理学部棟や共通棟付近には植えられていないので、大学内で咲いているのを見るのは初めてかもしれない。
そう言えば去年は文実のメンバーと一緒に花見をしたなと思い出すと、懐かしくなって桜の樹に近寄ってみたくなった。
近寄ってみると意外に枝が低い。場所によっては頭にあたりそうでこれ以上近寄らない方が良さそうだなと感じる。
元々、僕は景勝地などにそれ程興味がなかった。綺麗な物を綺麗だと思ってもそれだけで、テレビや雑誌などで紹介されていても行ってみたいと思う事はなかった。桜もそうだ。綺麗だと感じはするが、宴会の口実程度だと思っていた。
でも今は、綺麗だと感じた物は一緒に見たいと思う。自分自身の感じ方が変わった訳ではないのだろうが、不思議なものだ。
しばらくそうしていてからベンチに戻ろうと振り返ると、スマホを構えた美園がいた。
「逆なら絵になるんだろうけどね」
「そんな事ありませんよ。ほら、見てください。カッコいいですよ」
駆け寄ってきた美園が差し出したスマホを見ると、後姿で三枚、振り返ってから二枚の写真が収めてあった。
「あ。智貴さん。髪に花びらが付いていますよ」
「ん? とれた?」
全体的に髪を払ってみるが美園はふるふると首を振り、やわらかく微笑んだ。
「とりますね」
「お願い」
少しだけ背伸びをして腕を伸ばした美園が「とれました」と花びらを渡してくれたので、「ありがとう」と受け取って今度は美園の頭にそれを乗せた。
「あ」
「良く似合うよ」
スマホを取り出した僕を見て「もう」と苦笑した美園は、それでも控えめなポーズをとって笑顔を作ってくれた。
桜の樹の下で、白いブラウスに薄紅のフレアスカートという春色の美園の髪にはピンクの花びらが一枚。
「この写真は『春の妖精』ってタイトルで保存しとくよ」
「嫌です! そんな恥ずかしい名前」
顔を赤くして僕からスマホを取り上げようとする美園だが、身長差が20センチあってはぴょんぴょんしたところで届かない。しかし跳ねるせいで凄い事になっている部分を直視できず、先日教えてもらった情報の破壊力が増し、僕は降参する事にした。
「わかったよ。普通に保存するから」
「約束ですよ?」
「うん」
むくれた美園に頷き、髪の花びらをとってから小指を差し出す。
「誰に見せる訳でもないんだけどなあ」
「将来私達の子どもには見せますよ?」
小指を絡めながら呟くと、美園はきょとんと首をかしげた。
「照れるような事を言いましたか?」
「……うん」
照れ隠しで髪を撫でると、美園はくすぐったそうに笑い、「それじゃあ」と口を開いた。
「二人の写真も見てもらいましょうね」
「ああ」
そう言って体を寄せる美園の腰を抱き、桜をバックに二人で写真を撮った。
「桜、綺麗ですね」
「うん。一緒に見られて嬉しいよ」
「私もです。これから毎年、一緒に見ましょうね」
「ああ。ずっと一緒に見よう」