初めての聖夜の過ごし方
クリスマスイブ、約束通り美園の家で二人きりのクリスマスパーティーが行われた。
白と水色を基調とした彼女の部屋は、ダイニング部分だけ赤と緑のクリスマスカラーで飾り付けられており、テーブルの上ではミニチュアの可愛らしいクリスマスツリーが存在感を放っていた。
料理についても、前日の段階で買い出しと仕込みを少し手伝っていたので美園が何を作るかは何となくわかっていたが、わかっていてなお想像の遥か上を行く味には、「流石美園」としか言いようがなかった。
「良かったんですか?」
「うん。また今度頂くよ」
美園が用意してくれたワインを、僕は飲まなかった。飲む訳にはいかなかったのだが、平常を装いつつもほんの少しだけ残念そうな美園にやはり心は痛んだ。
「片付けの後でちょっとゆっくりしたら行きたい所があるんだ」
「楽しみです」
結局、美園にそんな思いをさせる時間を少しでも減らしたくて、サプライズのつもりだった予定をバラしてしまった。
美園はと言うと、一瞬驚いたような顔を見せたが、納得から期待、喜びへとその表情を変化させて、「すぐに片付けちゃいますね」と笑った。
そんな美園を手伝って片付けを終わらせてソファーで少しゆっくりしていると、あっという間に20時前になっていた。
僕の左肩に頭を預けた美園の髪を、彼女の左手と僕の右手の指を絡ませたまま空いた左手で撫で続けていたら、心地よさそうにしながら「智貴さん」と、たまに僕を呼ぶ美園の声に時間を忘れそうになっていた。
「さて、そろそろ出ようか」
「はい。どこへ行くんですか?」
「まだ内緒」
そう言ってコートハンガーから冬物の白いコートを取って、美園に袖を通させる。
膝丈のコートがスカートの裾も隠してしまうが、その下から覗く黒いタイツが魅力的だ。
「ありがとうございます。はい、智貴さんも」
今度は美園が同じ事をしてくれる。何度目かになるこの行いだが、靴を履いていない状態では、僕と美園の身長差は20cm。そのせいで、まだ不慣れな美園が一生懸命に着せてくれる姿が愛おしい。
「ありがとう」
「どういたしまして」
正面から軽く頭を撫でると、少し誇らしげに美園が笑う。
「スーツ姿の智貴さんにこうするのは初めてですけど、なんだか奥さんになった気分です」
「将来的にはなってもらうから」
「はい」
嬉しそうに目を細める美園の肩に手を置くと、彼女はそのまま目をつぶり、僅かに顔を上向かせる。
コートを着せてもらい、美園の発言を聞いた後なせいでどうしてもこのキスは意識する。結婚したらこんな風に送り出してもらえるのだろうかと。
甘い香りの中で唇を重ねると、美園の腕が僕の首へと回される。僕の方も肩に置いていた手を、彼女の頭と背中へと回し、そのまましばらくを過ごした。
「これはいってらっしゃいのちゅーに入るのかな?」
「出かけるので、そうだと思います」
唇を離し、握りこぶし一つの距離。照れ隠しに尋ねると、頬を少し朱に染めた美園がそう答え、そのままもう一度僕に軽く口付けた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「ああ……」
今日は特別なのだと思うが、結婚した後のいってらっしゃいのちゅーはもっとそっとした物にしてもらおうと決意した。今回はこの後も一緒だから問題無いが、これの後で美園と別れて仕事に向かうのはきっと辛すぎる。
そんな将来の展望を考えながら、マンションの外まで美園をエスコートした。
この地方では滅多に雪が降らないのでホワイトクリスマスとはならなかったが、この方が僕には――風情は別として――都合がいい。
「バス停までですか?」
「まだ内緒」
先程と同じく誤魔化すと、美園は「はいっ」と楽しそうに笑う。
そんな彼女の手を取って、マンション前を歩きながら美園に気付かれないように空いた右手をコートのポケットに突っ込んだ。
「きゃっ」
駐車場に止まっていた車のハザードランプが一瞬点滅し、美園が驚きの声を上げる。
「え。え?」
「さあ、どうぞ」
僕がそのシルバーの車の助手席のドアを開けると、当然事情がわからない美園が混乱しながら僕と車へと視線を交互に送る。
「ドライブ行こう。レンタカーだからちょっとカッコつかないけどね。さあ」
「え……はい」
笑いかけながら手を引くと、ようやく事情が飲み込めたのか、「しょうがないですね」と言わんばかりに笑って車へと乗り込んでくれた。
「閉めるよ」
「はい」
美園の周囲を確認し、助手席のドアを閉める。実は車を借りた後少し練習していた事は、美園には本当に内緒だ。
「特別行きたい所が無ければ、僕が選んだコースでいいかな?」
「はい。お願いしますね」
「了解」
笑顔の美園に頷き、エンジンをかけて車を発進させる。
「どこへ行くかはまだ内緒ですか?」
「うん」
「楽しみにしておきます」
ふふっと笑う美園に頷いて公道へ出ると、クリスマスイブかつ土曜なせいか大学付近ではほとんど車とすれ違わなかった。
大通りに出る頃には車の流れも増えてきたが、この分なら目的地まで快適に行けるなと考えていると、流石にそろそろ助手席からの視線が無視できなくなってきた。
「そんなに見られると、ちょっと恥ずかしい」
「いいじゃないですか。運転している智貴さんも、素敵ですよ」
そう言われると弱い。「運転中の」ではなく「運転中も」だ。
美園バイアスが多分にかかっているとはいえ、そんな事を言われて嬉しくないはずがない。
「美園乗せてる時に事故なんて起こす訳にはいかないから、程々に頼む」
「わかりました。程々に記憶に焼き付けます」
あまりわかっていなさそうだ。
しかし、前回ドライブの約束をふいにしたのは僕なので、恥ずかしくはあるがこれは受け入れるべきなのかもしれない。
「そろそろ山道入るから、気分悪くなったら言って」
「はい。でも大丈夫だと思います。車酔いはした事がありませんから」
「頼もしいよ」
美園に見つめられながら走る事10分程、段々と道の傾斜が増してカーブが多くなってくる。
流石の美園も前を向く事が増え、それに対してクスリと笑いが出た。
「ホワイトクリスマスだと雰囲気は良かったんだろうけど、流石に山道走りたくないから助かったよ」
「この辺りはほとんど降らないらしいですね」
「去年の冬は一回も降らなかったね。一度くらいはホワイトクリスマスも体験してみたいけど」
「大学にいる間は無理かもしれませんけど、その後でも何十回もクリスマスはありますよ」
「うん」
何十年も一緒にいる。そんな美園の宣言に、僕は前を向いたまま頷いた。
◇
「着いたよ」
山道を走る事15分程、山頂付近の駐車場の隅に車を止め、美園の視線を窓の外へと促す。
「わぁ……」
眼下に広がる市街地の夜景を眺め、美園が感嘆の声をあげる。
景観条例がある訳でもない地方都市では100万ドルの夜景など望めない。
それでも、愛しい恋人と見る地上の輝きを、僕はきっと忘れない。
「外に出てもいいですか?」
「もちろん。寒いから気を付けて」
「はいっ」
表示を見れば山の上の外気温は0度を下回っている。
僕は「ちょっと待ってて」と美園を待たせ、先に車外へと出て助手席のドアを開ける。
「もう」
「今日はこのくらいさせてほしい」
「……はい。お願いします」
美園は嬉しさ半分呆れ半分といった表情から、全てを嬉しさに変えた笑顔で応じ、差し出した僕の手を取った。
暖房の効いた車中から出た為か、冷たい外気がチクチクと皮膚を刺す。
「寒くない?」
「智貴さんの手が暖かいので大丈夫です」
吐息を白くしながらも、美園は穏やかに微笑む。
そんな彼女の暖かな手を握る力を少し増し、ゆっくりと駐車場の端まで歩く。
同じような考えのカップルが何組かいるが、お互い暗黙の了解か距離を取っているので、顔も見えなければ声も聞こえない。
僕達も今からその一組になる訳だ。
「綺麗……」
よし!
キラキラと輝く人口の光をその瞳に映し、美園はうっとりとしながらそう呟いた。僕の聞きたかった言葉を。
「美園の方が綺麗だよ」
「!」
いつか言いたいと思っていた言葉を遂に言った。もちろん言いたかったからだけではなく、本心でそう思うからこそ出した言葉だ。
美園と同じ方向を向いて伝えた言葉だったが、発した瞬間彼女が息を飲むのがわかった。そしてそのままゆっくりと僕の方へと顔を向ける。
「本心だよ」
赤い顔と白い吐息のコントラストが綺麗だ、と言ったらどんな反応をするだろうか。
「もうっ。急にそういう事言うの、ずるいです」
「ごめんごめん。でもああいうのは急にじゃないと言えないだろ?」
「もうっ」
真っ赤な顔でぺちぺちと僕を叩く美園が可愛らしい。
そのままにしていてもいいかなと思ったが、美園の反応が可愛すぎた。
「美園」
彼女の両手を捕まえ、そのまま顔を近付けて唇を奪った。
「さあ、寒いからそろそろ車に戻ろうか」
「智貴さんのいじわる」
止めていた呼吸の分だけお互いに白い吐息を吐き出し、より顔を赤くした美園を車へとエスコートする。
拗ねながらもなんだかんだ僕の手を取ってくれる美園が愛おしい。
車を離れていたのは数分だったので、車内はまだ暖かさが残っており、エンジンをかけるとすぐに快適な温度になってくれる。
そして僕はパチッとボタンを押してルームランプを灯す。
「美園。ダッシュボード開けてくれる?」
「わかりました」
本来ならそこは諸々の書類が入っているだけ。だが今は違う。
「これ……」
美園が取り出したのは白い箱。
「開けてみて」
コクリと頷いた美園が蓋を開けると、中にあるのはシルバーのネックレス。しずくのモチーフの中央に、美園の誕生石であるサファイアをあしらった物だ。
「ずるいです」
「え?」
「ずるいです。今日の智貴さん、カッコイイ運転姿を見せてくれて、綺麗な夜景を見に連れて来てくれて。こんなに素敵なネックレスまで……」
「気に入ってくれて良かったよ」
「気に入らない訳がないじゃないですか。もうっ。ありがとうございます」
語調は僅かに強いが、美園の頬は緩々だった。
「着けてくれると嬉しいな」
「はいっ……」
笑顔でネックレスに手を伸ばした美園だが、その手が途中で止まる。
「やっぱり、お部屋に帰ってから智貴さんが着けてください」
「わかったよ。喜んで」
着けている美園を見たかったが、車中でコートを着た彼女にネックレスを着けるのは、僕では難しいかもしれない。部屋に帰った後の楽しみが増えたと考えると、帰り道の運転がより楽しくなる。
「私もプレゼントをバッグの中に入れておいて良かったです」
ベージュのバッグの中に白い箱をしまいながら、美園はふふっと笑って白い袋を取り出した。
「ありがとう。ネクタイか」
「それからネクタイピンも入っています」
袋から取り出してみると、濃い青を基調とした斜めにストライプの入ったネクタイと、シルバーの長方形でシンプルなネクタイピン。
どちらも僕の好みのデザインで、美園がそれを分かっていてくれる事が嬉しい。
「さっそく成人式で使わせてもらうよ」
「はい。是非」
「じゃあ、部屋に戻ったら、僕の方も美園にネクタイ締めてもらおうかな」
「経験はありませんけど、頑張ります」
「うん。よろしく」
帰った後の楽しみがまた増えた事で、大分テンションが上がってきている。
「帰りはそのまま帰ろうかと思ってたんだけど、山の向こうまで降りて海沿いをドライブしてもいいかな?」
「夜の海を見ながらのドライブって素敵だと思います」
「ありがとう。それじゃあ、行こうか」
「はいっ」
帰り道のドライブでは、星空の幽かな光に照らされて海が綺麗だった。「素敵ですね」と笑った美園に、もう一度あの言葉を言おうとしたところ、「智貴さんの方が素敵ですよ」と不意打ちを喰らったので、海岸線沿いの道でハザードを焚くハメになった。
そんな僕に、美園はしてやったりという笑みを浮かべながら「本心ですよ」と囁き、頬にキスをしてくれた。
恋人と過ごす初めてのクリスマスはこうやって過ぎて行った。
これでも構想時点で大分削ったのですが、不定期なおまけだと続き物が書きづらいので、イベント事を書こうと思うと長くなりますね。