111話 約束と握り拳
香が案内所に詰める時間になり、2ステのテントには僕と君岡三姉妹が残された。しかし心苦しい事に、余っているテントの椅子に部外者を座らせる事は出来ず、四人で立ったままだ。
そんな状況でも担当の仕事をしない訳にもいかないので、僕も美園もちょくちょくステージや客席の様子を窺う。騒音計の表示に問題はなく、演者の入れ替えにもまだ余裕があるので、そちらは卓上のタイマーに教えてもらう事にする。
「お父さんもお母さんもほんとは来たがってたんだよ」
2ヶ月半ぶりの姉が恋しいのだろう、乃々香さんは先程から見えないしっぽを全力で振っている。姉からしてもそんな妹が可愛くて仕方ないのだろう、美園は優しい微笑みを絶やす事なく楽しそうに会話に応じている。
「無理して予定空けようとしてたからそれも含めて私が止めたけどね。いくら美園に会いに来たって言っても牧村君だって対応しない訳にはいかないだろうしね。その点私達だけなら、最悪ほっとかれても楽しめるからね」
「花波さん達も放っとく訳にもいかないですけど、流石にご両親だとちょっと対応厳しかったかもですね」
交通費やワインの件もあるので、「じゃあ楽しんで行ってください」で終える訳にもいかないし、このテントで立たせっぱなしにする訳にもいかない。
こっそり教えてくれた花波さんにこちらもこっそり頭を下げる。
「来年なら、美園は今年より忙しいですけど、僕の手が基本空きますんでご案内できると思いますよ。美園本人との時間はあまり取れないかもしれませんけど」
「ナチュラルに来年も付き合ってる事前提だね」
苦笑した花波さんに「もちろん」と答えたのは僕ではなかった。
「私は来年も再来年もその先も、智貴さんと一緒にいるから」
「と言う事です」
「乃々香の教育に良くないわ」
自慢げに言い切った美園に乗っかると、花波さんは苦笑して息を吐いた。
「じゃあ乃々香、そろそろ行こうか」
「……うん」
そして時計を見た花波さんに促された乃々香さんは、不満の色こそ見えるがそれを口に出す事なく従った。大好きな姉と一緒にいたいが、長居して邪魔をする訳にもいかないといった葛藤が見て取れる。
「美園。次の予定、招待の人員割り振りまでに、お昼も兼ねて二人を少し案内して来るといいよ」
「でも……」
「こっちは大丈夫」
三姉妹に別れの挨拶をさせる前に割り込ませてもらった。別に恋人の姉妹相手にポイントを稼ごうという訳ではない。
「美園だから言ってるんじゃないよ。雄一相手だって同じことを言う」
「智貴さん……でも――」
口を開いた美園の頭にそっと手を置き、その先の言葉を押しとどめる。
「昨日と一昨日は失敗したから、今日は先輩として大好きな後輩にカッコつけさせてくれ」
「はい。ありがとうございます」
「うん」
微笑む美園に頷き、「そう言う事なので」と彼女の姉妹を振り返ると、赤い顔の乃々香さんと遠い目をした花波さんがこちらを見て呟いた。
「一応ありがとうなんだけど……」
「相変わらず二人の世界だ……」
◇
三姉妹を見送ってから30分程した頃、2ステのテントの当番として雄一がやって来た。その足取りは見るからに軽い。
「午後の時間で女の子と一緒に回る約束したっす」
「おー。おめでとう」
お祝いにと雄一に2000円渡して、模擬店で二人分の昼食を買って来てもらった。
「ゴチっす……なんかおかしくないっすかね?」
「細かい事気にするとモテないぞ」
「やっぱそうっすよね」
「ああ」
世間一般ではそうだとよく聞く。
「2ステの準備見て声かけてくれたみたいで。大変だったっすけど、やってよかったっすよ」
元々ムードメーカータイプで密かに人気はあったのだと思うが、見習いとはいえステージ建設の指揮を一部執った事で、意外な一面を見せられた結果だとしたらめでたい。
「良かったな。来年もその調子で頼むぞ」
「はいっす!」
力強く頷いた雄一と低めのハイタッチを交わし、買って来てくれた焼きそばとたこ焼きに手を付けていく。正直純粋な味なら半値でも買わないレベルだが、やはりこういう雰囲気の中で食べると味覚以外の部分が補正を効かせてくれるらしい。
「正直最初は続けようかどうか悩んだんすけどね」
「意外だな」
「俺、半分新歓荒らしだったんすよ」
「そっちは意外でもないな」
食事を終え、ペットボトルのお茶を呷った雄一はどこか気まずげに話を始めた。
別に気にする事でもないと思う。そういう奴は多いし、歓迎側だってある程度は織り込み済みだ。
「ボロが出ないようにテニスとかバドとかの、具体的な活動が決まってるとこ避けて飲みサー中心に参加してたんすけど、なんだかんだでここが一番居心地良かったっす。先輩達もいい人ばっかでしたし、1年もそうっすね」
「そうか。まあ僕も、ここにしか参加してないけど、なんだかんだで居心地良くて続いたんだよな。文化祭終わった後は達成感もあったし」
「彼女も出来たっすからね」
「凄く可愛い彼女な」
「あー、はい」
しみじみとした空気が得意ではないのか、雄一は茶化すような態度をとったが、結果は僕の勝ちである。
「まあでも、俺も今度からそっち側っすよ」
「上手くいくといいな。でも上手くいかなくても文実やめるなよ?」
「やめないっすよ!てか縁起でも無い事いわんでください」
「悪い悪い」
僕が謝ると雄一は「まったく」と腕を組んでステージへと視線を移した。
「まあそれにもしも彼女が出来なくても、先輩達から貰った物を後輩にあげるまではやめられませんよ」
その真剣な表情に、こいつに声をかけた女子は見る目があるなと改めて思う。
「そうだな」
「ああもう、なんかこういう恥ずかしい物言いは貰いたくなかったっす」
「大変だな」
「マッキーさんがそれ言うんすか!?」
◇
1時間程いた雄一が戦場に出かけてから15分後、真ん中以外の君岡姉妹が招待企画の為に演奏の止まった第2ステージへと戻って来た。美園は招待企画関連の配置に就いている時間なので、残念ながら第1ステージ付近から離れられない。
「招待企画見ないんですか?」
「最初だけ見たけど、後ろからじゃ見えなくてさ」
「私も、見えないしお姉ちゃんいないしで、もういいかなって」
今年呼んだのはお笑い芸人だったので、確かに視覚的要素が無くなれば楽しさは減ってしまうのかもしれない。乃々香さんの不満は別の理由も大きそうで、少しイライラしているようにも見える。
「観覧無料だからどうしても人が集まって後ろの方じゃ見づらくなるんですよ。バンドならまだ良かったのかもしれませんが」
招待企画の抱える問題の一つではあるが、観覧無料である以上どうしても解決できていない。過去には整理券を配った事もあるらしいが、転売の温床になって結局取りやめたとの事だ。
「私も乃々香もそれ程見たかったわけじゃないから別にいいよ。ところでこの子が何でイライラしてるか知りたい?」
「カナ姉!」
からかうように妹の頭にポンポンと触れる姉に、妹の方が顔を赤くして抗議しているが、姉の方はもはやお構いなしといった様子で楽しんでいる。
「美園が自分に向ける顔と牧村君に向ける顔が違うから怒ってるんだよ。せっかく会いに来たのにお姉ちゃん取られちゃったって。子どもでしょ?」
けらけら笑う花波さんから少し視線を落とすと、真っ赤な顔の中で潤んだ瞳が僕を真っ直ぐ射抜いていた。視線を逸らさないのはこの子の意地だろうか。
「ええと――」
「……上手くは言えないけど、前とは全然違いました」
「え?」
「お姉ちゃんの顔です」
美園の表情。以前よりも色んな顔を見せてくれるようになった。ほとんど無かった怒り顔――本気ではないが――も含めて、以前悔しく思っていた、まだ見せてもらっていない顔というのはかなり少なくなったと思う。
「前は『好き』とか『憧れ』って感じが強かったかなと思うんだけどね。今は何て言うかもう1段階上みたいな感じ?」
妹の頭を優しく撫で、花波さんがその言葉を引き継ぐ。
言われて気付くが、僕が美園に抱く思いもきっと以前よりも増えているのだと思う。
今はきっと『好き』や『愛おしい』だけでは無い。
「悔しいですけど、お姉ちゃんは私にあんな顔を見せてくれません」
「もちろん私にもね。だから――」
「だから。お姉ちゃんの事、よろしくお願いします」
「よろしくね」
そう言って、彼女の姉と妹が揃って腰を折る。同じ教育を受けているだけあってか、その仕草は美しい。
「任せてください」
僕はまだ学生の身、堂々とこんな事を言っても責任など取れはしない。
だがだからどうしたという話だ。こうまで言われて頷けない程情けない人間であってたまるか。責任が取れる人間になればいいだけの事だ。
確証は無くても、美園の顔を思い浮かべるだけで自信は湧く、何だって出来る気になる。
「約束ですよ!絶対ですからね!」
「泣かせたらグーで殴るからね」
赤い顔のまま身を乗り出して、真剣な表情でこちらを見る乃々香さんと、からかうように笑ってシャドーボクシングをする花波さんに、「はい」と頷こうとして告白した日と初めて唇を重ねた日の事を思い出した。
嬉し泣きとはいえ既に泣かせていた。
「「あ」」
何かを察したらしい美人姉妹は無言の無表情で拳を握る。
そんな二人を説得するのには少し時間がかかった。