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10話 張り切った先輩とバスの思い出

 4月最後の平日、文実の全体会は無いが、2年生のみで部会が開かれている。普段と違い金曜開催ではない為、僕は都合が合わずバイトに出ており不参加だ。

 今日の部会の内容は、5月に行う出展企画部の1年生歓迎会の内容について。因みに去年は、ボーリングをして夕食、その後先輩の家に別れて飲み会という流れだった。先輩たちの話によれば一昨年も、その前の年もそうだというので、恐らく今年もそうなるだろう。


 バイトが終わり、普段ならさっさと着替えて帰るところなのだが、この日の僕は着替えもせずに更衣室の鏡の前で唸っていた。

 美園との食事の約束は5月5日に決まった。駅近くの日本料理屋の昼食を予約してある。昼食後は、美園の希望で駅から少し離れた城址公園まで足を延ばす事になっている。


 それはいい、僕も楽しみにしている。問題は当日の僕はどんな格好をしていけばいいかだ。

 言うまでもなく美園は可愛いので、デートでは無いにせよ二人で出かける以上は、横にいる僕が普段のままという訳にもいかない。ある程度見た目に気を遣わなければ、美園も軽く見られてしまうかもしれないし、何より僕が居たたまれない。


 鏡を見ながらどうしたものかと考える。髪型はほぼ(バイト)のままでいい、と思う。では服装はどうか。社交辞令で褒めてもらったとは言え、いくらなんでもこの制服で行く訳にもいかないし、ならばスーツかとも考えたがそれも流石に無い。

 こういう事に関して、僕の周囲で言うならサネに相談するのが一番なのだが、それもなんとなく言いづらい。サネの事だからしっかりとコーディネート自体はしてくれるだろうが、無詮索という訳にもいかないだろうし。


 そうやって散々悩んだ末に、まだ少し日があるので自分の持っている服で色んな組み合わせを試してみる、ということで自分の心を落ち着ける事にした。

 帰り際に「牧村君が鏡の前で変な顔してた」という話でからかわれたが、仕方の無い代価だと思う事にした。



 5月5日当日、待ち合わせ場所の大学正門前の次のバス停に着くと、いつも通りの美園が先に着いていた。そう、いつも通りだ。

 いつも通りの美園の時点でさえ、頑張って外見を整えた僕よりも見た目のレベルが高いので、文句など言えた筋合いは無いが、浮かれていた自分に気付いて大分へこんだ。そして、勝手に期待して勝手に落ち込んだ自身の身勝手さに腹が立つ。だというのに――


「牧村先輩。こんにちは。今日はよろしくお願いしますね」

「こんにちは、美園」


 僕を見つけて笑顔でお辞儀をしてくれる美園に、僕も挨拶を返す。

 たったこれだけで気分が晴れるのは何故だろう。


「あの……その、素敵です。今日の牧村先輩」

「あ、ありがとう……」


 もじもじとしながら頬を染めて「今日の」僕を褒めてくれる美園に、自分の顔が熱くなるのを感じながらも礼を言う。社交辞令だとしても、この格好をしてきてよかったと思う。我ながら現金なものだ。


「私、お約束してからずっと楽しみにしていました」

「そうだね。行った事は無いけど評判いい店みたいだから楽しみだね」

「いえ、あの……そうですね」


 学生の財布には多少優しくない値段だが、今から向かう店の評判はいい。美園も楽しみにしてくれていたようで何よりだ。その割には残念そうな視線を僕に向けているが。



「このバスに乗るのは、3回目なんです」


 大学と駅とを結ぶ路線バスの中、美園が嬉しそうにそんな事を言った。


「3回ともいい思い出しかないです」


 嬉しそう、というよりも幸せを噛みしめているように見えるその表情が眩しい。


「3回って言うと、今日と、受験の時? それから……去年の文化祭に来た時か」

「はい。駅方向に向かうバスは今日の分も含めて、全部素敵な思い出です」

「受験の時もか」


 文化祭の帰り、それから楽しみにしてくれている今日はわかるが、受験の帰りでもいい思い出という事は――


「良く出来たんだね。勉強頑張ったんだ?」

「はい。全部牧村先輩のおかげです」


 満面の笑みでお礼を言ってくれるが、美園の受験に僕の寄与があるのだろうか。


「僕の?」

「あ……ええと。私、文化祭に来たから受験勉強を頑張れたんです」


 尋ねてみると、美園は困ったような表情を一瞬見せたが、すぐに照れ隠しのような笑みを浮かべて理由を語り出した。


「来年ここに、実行委員に加わるんだって、そう思って勉強を頑張ったんです。だから牧村先輩のおかげなんです」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、買い被り過ぎだよ」

「そんな事ありませんよ。あの景色を見せてくれたのは牧村先輩なんです」


 照れ隠しの笑みは消え、真剣な眼差しが僕を射抜く。この可愛い後輩は何故僕をそこまで評価してくれるのか。理由はわからないが、少なくともこの眼差しに恥じない先輩であろうと、この子に見つめられるとそう思えてしまう。


「すみません。急にこんな事言われても困っちゃいますよね」


 美園は真剣な顔を崩し、へにゃっと笑った。


「いや。ありがとう、なんだけどあんまり評価されると潰れちゃうからほどほどに頼む」

「はい」


 今度は僕が照れ隠しで笑う番だ。そんな僕を見て、美園は目を細めた。



 僕は当然ながら女性をエスコートした事など無い。美園を含め、何人かの女子を家まで送った事はあるが、それをエスコートとは言わないだろう。

 なのでバスを降りてしまえば未知の領域に突入する。取りあえず歩幅を合わせる事だけは絶対に忘れないようにしよう。


「それじゃ行こうか」

「はい、お願いします」


 五月連休だけあって、駅前の人通りは平時よりも遥かに多い。人の波に飲まれるほどでは無いが、下手をすればはぐれてしまいかねない程度の人数はいる。


「はぐれても困るから――」

「はい!」


 恋愛物ならばここで颯爽と美園の手を取るシーンだが、僕たちはただの先輩後輩なのでそれは出来ない。

 というか仮に恋人だとしてもいきなり手をつなぐのは無理だ。身体接触面積の大きいハグの方がまだ気が楽だ。手つなぎとか最早キスの前哨戦みたいなものだと思う。


「ゆっくり行こうか」

「……はい」


 美園は一瞬僅かに体を震わせたように見えたが、はぐれないようにと僕との距離を半歩だけ詰めた。

 たったそれだけで、これ程緊張するのだから、世の中の恋人たちは日常的に中々凄い事をやっている。

 そんな雑念と緊張感の中で、僕は美園の歩幅に合わせて目的地へ向かった。

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