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99話 秋冷えが連れて来る高揚

「ここなら誰も来ないから」

「でも、大学内でなんて……」


 4コマ終わりの16時30分。共通棟E棟4階の隅の教室で、隣に座る不安そうな顔の美園の髪を優しく撫でた。

 元々4コマまでで帰る学生が多い上、これ以降夜間部の授業以外で共通棟が使われる事は少ない。更に外階段が無く通り抜けが出来ないこの棟ならば、わざわざこんな教室の前を通る学生などいるはずがない。


「美園が真面目過ぎるだけだって。皆このくらいはしてるよ」

「でも、やっぱり恥ずかしいですよ」

「時間もあまり無いから。はい、目瞑って」


 埒が明かないと、少し強引に美園を抱き寄せ、「この体勢でいいか?」と耳元で囁くと、観念したのか顔を赤くした美園は「はい」と小さく言って、きゅっと目を閉じた。


「頭を、撫でてください」

「うん」


 彼女の髪をそっと撫でると、美園は安心したように僕の肩に頭を預けた。夕暮れの中をふわりと漂う少し甘い香りが心地良く、より優しい気持ちになれる。

 静かな教室でゆっくりとした美園の呼吸を感じながら、「おやすみ」と心中で呟いて、彼女の髪を優しく撫で続けた。


 きっかけはやはり昨日の全体会が長引いた事だろう。部会も大分巻きで行われたが、「遅いですから一人で帰ります」と渋る美園を家まで送り届けたのは、それでも日が変わって1時近くになってからだった。

 そして今日、いつも通りに朝7時30分に僕の家を訪れた美園には、やはりほんの少しだが疲れが見えた。彼女が授業中に能動的に眠る事などまず考えられないので、今日行われる第2回参加団体説明会の準備の前に、こうして少しでもと休ませている。


 いい友人にも恵まれている美園の心の方は大変な事があっても大丈夫だと思うし、何よりどんな事があっても僕が全力で支えるつもりでいる。だが体の方は無茶をすればガタが出る。それを止められるのは自惚れでなく僕だけだと思う。

 来年になれば美園も、準備期間を通した文化祭との付き合い方を学ぶのだろうが、今年に関しては真面目で力の抜き方が下手な彼女を、僕が精一杯甘やかしてやろうと思う。

 そして何より、こうして美園のサラサラの髪を撫でている時間が堪らなく幸せなのだから一挙両得だ。



 少しだけでも眠れた結果だろうか、あの後の美園は朝と比べれば調子がいいように見える。今日の説明会が終わり、参加団体に演目表に記載する名前の最終確認をしている彼女は、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。

 対応された男達が右手の指輪に気付き気落ちする姿も、もはや見慣れた光景になりつつある。志保が言うには美園に恋人が出来たという噂が多少広まってはいるようだが、それでももう少し時間がかかるのかもしれない。


「無事に終わって良かったっす」


 はーっと大きく息を吐いた雄一が、近付いて来た。香と美園がそれぞれ1団体ずつ対応しているのがラストだ。


「分かりやすい説明だったよ、お疲れ様」

「緊張したっすよ」


 今日壇上に上がった雄一は、当日のスケジュールの発表、注意事項一覧の中の特に重要な部分、最後の団体名確認の説明を、緊張の色こそ見えたもののしっかりとやり切った。

 スケジュールに関しても事前の調整が功を奏し、発表した物に異論は出なかった。


「あとは清書したのを確認してパンフ担当に渡せばいいんすよね?」

「そうだけど、雄一はもう一つ仕事がある」

「何すか?」

「委員会室に着いたら話すよ。香と美園に最初の確認と清書は任せて、その間に済ませるから時間は遅くならないから安心してくれ」

「それなら良かったす。また木曜の1コマヤバいかと」


 雄一が怪訝な顔から安堵した顔に変わったタイミングで、香と美園がこちらへ近づいて来た。


「終わったよ。マッキー何枚ある?」

「16枚」

「こっちと合わせて全部あるね。じゃあ委員会室戻ろうか」


 僕の分の用紙を受け取った香に先導されて共通B棟を後にする。現在は6コマ目――ほとんど無いが――の時間中である為、戸締りはこの後の巡回でしてくれる。


「少し冷えてきたね」

「ああ」


 香が言うように19時過ぎの屋外は少し冷える。美園は既に薄手のコートを羽織っている。春夏よりも少し落ち着いた色の秋物ワンピースの上に、ベージュのコートで少し大人びて見える。

「春と比べてどちらが好みですか?」と尋ねられたが「どっちも」と即答したところ、美園は「それじゃ困ります」と嬉しそうにぷりぷりしていた。


「風邪ひかないようにね」

「はい」「っす」


 元気よく答えた後輩に笑顔を向け、「それじゃ行こうか」と香は少し浮かれ気味で歩き出した。

 11月半ば過ぎの文化祭付近の夜は当然もっと冷える。体調に気は遣わねばならないが、気温の低下は僕達実行委員――特に去年の経験がある2年生―ーに、ある種の高揚をもたらしてくれていた。



「で、仕事って何すか?」


 委員会室に戻ると既にいくつかの担当が戻ってきており、パソコンは順番待ち状態。織り込み済みだったので香と美園は集めた用紙の最終確認中だが、雄一と僕には先程言った通り別の仕事がある。


「サネと純が戻ってきてからの方が都合がいいんだけど、簡単に説明だけしとくか」

「サネさんと純さん……そこにマッキーさんてことはステージ関連すか?」


 サネは第1ステージ担当の男、樋口純(ひぐちじゅん)は第3ステージの担当長で男。僕は第2ステージ担当の男。雄一の察しの通りだ。


「正解」

「景品出ますか?」

「後でコーヒーくらいなら奢ってやる」

「よっしゃ」


 喜ぶ雄一に、鞄から取り出した去年のレジュメを渡す。


「これは去年のだけど11月最初の全体会で通すヤツな。何となく話くらいは聞いてるか?」

「ステージ建てるってヤツっすよね。大変だとは聞いてるっす」


 実際滅茶苦茶大変なのでその通りだ。文化祭の週の月曜から始め、広場にステージを建てていくのだが、半日授業の木曜以外は授業終わりの夕方以降にしか作業が出来ない為、そのほとんどが日越え作業になる。

 疲労と高揚で割とみんなハイテンションになるが、冷静に考えればブラック作業である。因みに雨でも降ろうものなら地獄と化す。


「見てもらえればわかるけどスケジュールは人員の都合から、1ステと2ステを並行して建て始めて、ある程度形になったらそっちから人員を割いて3ステを建て始める」

「マッキーさんが2ステの指揮執るんすよね?」

「そう。全体の指揮は代々3ステの男が執ってるけどな、1ステと2ステはそいつと共同で各担当の男が指示する。つまり来年の2ステは雄一だから、今年の内から一緒にやって覚えてもらう」

「割と責任重大っぽい感じっすか?」


 言葉は軽いが表情は真剣。そんな雄一にかける言葉は決まっている。


「ああ。だからこそモテるらしいぞ。2年になったらステージ上で指揮を執る訳だが、その姿は評価が高いらしい。去年の三人は全員彼女持ちだ」

「頑張るっす!」


 その三人はステージ上で指揮を執る前から彼女がいた訳だが、気合の入った雄一にそれは黙っておく。実際にカッコイイという評価を女性陣から得ていたのも事実だし。



「ステージを建てるというお話でしたけど、やっぱり大変ですか?」

「うん。作業自体も大変なんだけど、時間が限られてるせいで夜遅くなるからね。余計に大変さが増すよ」

「無理しないでくださいね」


 繋いだ手にぎゅっと力を込めた美園が、不安そうな上目遣いで僕を見る。


「大丈夫。後期は教室移動の距離が少なくて休み時間に寝られるから」

「体調もそうですけど、怪我だったり……」

「それも、絶対とは言い切れないけど大丈夫。一番気を付けるところだから。事故が起こったら文化祭そのものにも悪影響が出るしね」


 体を少し捩って不安そうな美園の頭を撫でると、「はい」と小さな声が聞こえた。


「絶対怪我をしないでくださいね? 智貴さんが怪我をしたら泣いちゃいますよ?」

「それは怪我するより嫌だな。約束するよ、怪我したりなんかしない」

「はい」


 そう言って美園は繋いでいない左手の小指を、真剣な顔で差し出した。


「やっぱりやりづらいな」


 そう苦笑しつつ、僕も空いている右の小指を差し出し、彼女の小指と絡めた。


「それから、モテちゃうと困りますけど、智貴さんのカッコイイ姿を楽しみにしていますね」

「あー、うん。頑張るよ」


 真っ直ぐな瞳でそう言われ、照れ隠しで曖昧な答えをしてしまった。

 それでも、ふふっと笑った美園は気付いただろう。僕にあの時の雄一よりも気合が入った事に。

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