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93話 素敵なあなたの

 僕の部屋を出てから12分、二人でもう一度僕の部屋へ戻って来た。

「先に入ってください」と譲らない美園を、風呂上りにする事が多いのだからと宥め先に風呂に入らせた後、その間に米でも研いでおこうかとも思ったがやめた。美園の部屋と違い脱衣所の無い僕の部屋のキッチンで作業をしていると、風呂場はすりガラス1枚を隔てたすぐなので、覗いているような気分になってそれどころではなかった。


 着替えはもちろんだが、風呂上がりのボディークリームなども玄関――普段はあまりしないチェーンロックまでしているが――入ってすぐの場所でしてもらわなければならない。正直彼女を泊める環境に無いと思う。


「成さんトコはどうしてるんだろ」


 今まさに隣の隣で恋人を泊めている先輩の事を思い出すが、流石に「彼女泊める時どんな感じですか?」とは聞けない。向こうの事情を知ってしまう事とこちらの事情がバレてしまうという二重の意味で。



「あれ、化粧? 落とすの面倒じゃないか?」

「これは落とさなくても大丈夫なものだそうです」


 僕が風呂から上がると、美園の顔にうっすらと化粧の形跡が見えた。ファンデーションだけでも塗っているのかと思ったが、「お姉ちゃんに教えてもらいました」との事で別物らしい。


「髪乾かすからちょっと待ってて」

「はい」


 そう言ってドライヤーをかけ始め美園の方を見てみるが、デスクに座ったままの彼女は、もうすべき事が終わったのか僕の方を見ている。その目にはかすかに心配の色が見て取れる気がする。

 正直なところまだ自分でもどうしたらいいかわからない。お互いの風呂の時間の間に考えをまとめようとしてみたが、上手くまとまらなかった。現実問題として今直面している訳ではないせいだろうが、それで心配をかけてしまって申し訳なく思う。


「お待たせ」

「全然待っていませんよ」


 髪を乾かし終わり、ドライヤーを片付けてベッドに腰掛けると、左隣に座った美園がニコリと微笑んだ。


「正直なところ、自分でもよくわかってないんだ」

「はい」

「そんな事で心配かけてごめんなんだけど――」

「それは違いますよ」


 膝の上に置いた手に、美園の手がそっと重ねられる。


「そんな事なんかじゃないです。きっとそれは智貴さんにとって大切な事なんだと思います」

「そうか……ありがとう」

「だから聞かせてください」

「じゃあ、考えが全然まとまってないから、取り留めの無い話になるかもしれないけど。聞いてほしい」

「はい」


 優しく微笑んで頷く彼女に、僕は自分の考えがまとまらないままで口を開いた。


「最近進路についてちょっと考えててさ、院に進むか就職するかで。どうするかは全然決まってないんだけど、院試の方が遅いからどっちにも対応できるようにまず就活はするつもりでいるんだ」

「そう、だったんですね。智貴さんは大学院に進むとばかり思っていました」

「うん。僕も正直そう思ってた」


 意外そうな美園だが、理系の大学院進学率は高いし、何より僕もそのつもりでいたのだからそう思うのは無理もない。


「でも結局それは何となくそう思ってただけだなって、いざ実際に考えてみると自分がどうしたいのか全くわからなくなった」


 美園は僕に体を向けたまま、真剣な顔で話を聞いてくれている。


「で、まあここまで話しておいてなんだけど、これ自体はそれ程悩んでた訳じゃないんだよ、多分」


 実際ある程度前向きには考えていたと思う。


「だけど今日、教科書買っただろ? その額を考えてたら学費の事とか色々考えちゃってさ。かけてもらった金額を考えたら、進路の選択が途端に重いものに思えた」

「少し耳の痛い話です」

「ごめん。そういうつもりじゃ……」


 気まずげに苦笑する美園に言葉がかけられない。


「大丈夫です。わかっていますから」


 そんな僕に彼女は優しく微笑んでくれる。


「うん。お金を出してもらう事に対してどうこうじゃないんだ……いや違うな。両親が僕の為にそれだけの額を出してくれたのは凄い事だと思う。面と向かっては言えないけど今は凄く感謝してる」

「はい」

「だけどそれに対して今すぐどうこうっていうのは、今の僕には出来ない。いつか恩返しはしたいと思うけど、それはまだまだ先の話だと思う」

「はい」


 正直自分で考えがまとまらない。そんな僕の話を、美園は穏やかな笑みを浮かべて静かに聞いていてくれる。そして僕の話が切れたタイミングで、優しい声が聞こえた。


「智貴さん。去年私に言ってくれた言葉を覚えていますか?」

「文化祭の時の事?」

「はい」


 懐かしむような美園の笑顔をに見惚れる。あの日の事を本当に大事に思っていてくれている彼女に、胸が熱くなる。


「いい友人を持った私はちゃんとした人だって言ってくれましたよね? 私がそうでなかったらいい友人には恵まれないって」

「うん。言った、と思う」


 少し曖昧な僕に、美園は一瞬口を尖らせてからいたずらっぽく笑って「大事な思い出ですから、ちゃんと思い出してくださいね」と言い、コクリと頷いた僕に満足げな笑みを浮かべた。


「智貴さんは素敵な人ですから。あ、これは絶対ですからね。素敵な智貴さんのご両親もきっと素敵な方なはずです」

「……会った時ガッカリしないでくれよ」


「する訳ありません」と苦笑した美園は、穏やかな表情に戻って話を続ける。


「だから智貴さんのご両親は、智貴さんが決めた事を尊重してくれると思うんです」

「そう、かな」

「もし私が智貴さんの為だと言って私が本当にしたい事を我慢したとしたら、どう思いますか?」

「嫌だな。絶対に」

「はい。私も逆の立場なら嫌です。ちょっとだけ嬉しいかもしれないのは内緒ですけど」

「言っちゃってるじゃないか」

「そうですね」


 ふふっと笑う美園に対し、僕も同じように笑い返す。


「感謝はしなくてはいけないと思いますけど、重荷にしてしまってはダメだと思うんです」

「そう、だな……。すぐに切り替えられるかはわからないけど、考え方を変えてみて、自分なりの答えを出すよ。時間はかかるかもしれないけど」

「はい。必要でしたらいつでも私に話してください。大したことは言えないかもしれませんけど」

「ありがとう、今日話を聞いてもらえてよかった。よかったらまた相談させてほしい」


 頭を撫でると、美園は少しくすぐったそうに、そして僅かに自慢げに胸を反らした。


「任せてください。去年たくさん悩みましたから、経験豊富ですよ」

「強いな、美園は」

「智貴さんのおかげですよ。だから今度は私の番です」


 そう言って優しく微笑んだ彼女は、目を瞑って顔を僅かに上向かせた。



「でも良かったです」

「何が?」


 ベッドの上で向かい合って座りながら、お互いの手のひらをぺたぺたと合わせあっている。最初は美園が僕の手のひらに自分の手のひらを合わせていただけだったが、いつの間にかパントマイム合戦のような状態に移行した。これが何故か楽しい。美園以外とではやる気もしないが。


「最初は指輪の事をお友達に言ってしまった事で怒らせてしまったのか思いましたから」

「ちょっと恥ずかしかったけどあれくらいじゃ怒らないよ」

「本当ですか?」


 合わせた手の指を絡め、少し不安げな上目遣いで美園が尋ねて来る。

 言った通り確かに少し恥ずかしいが、美園が嬉しさから口を滑らせたのだから、こちらとしても彼氏冥利に尽きるというものだろう。


「じゃあおしおきでもしようか?」


 しかし上目遣いがあまりに可愛くて、何となく意地悪な事を言ってしまったのは仕方の無い事だと思う。


「おしおきですか?」


 すぐに「ごめん嘘だよ」と言って抱きしめるつもりだったが、美園の反応はどこか嬉しそうに見える。まさかのM疑惑。


「えっと、ごめん。嘘だよ」

「そうですか」


 何故かシュンとする美園。


「えい」

「きゃっ」


 指を絡めたままの彼女の手をそっと引き、抱き寄せながら後ろへと倒れる。


「これがおしおきでどうかな?」

「これじゃご褒美ですよ」


 小さく「もう」と呟いた彼女は、そのままそっと僕の唇に触れた。

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