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セーフティー・リスト 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 さて諸君。手元にテストの解答用紙は返ってきたかな。先生の把握している限りでは、返ってきていないメンバーが三人いる。

 一ノ瀬、春日井、そして、つぶらやだ。さあ、なぜ先生は三人に返そうとしないのでしょうか?

 はい、予想できましたね。名無しのごんべえ状態なのですなあ。こいつはゼロ点ものですぞ~ゼロ点。

 それにしても前二人はともかく、つぶらやが抜かるとは珍しいこともあるもんだ。おおかた夜更かしでもして、頭がぼーっとしていたか? まあ、お前の場合はコンスタントに点が取れるし、何より前衛的な字の形をしているから丸わかりだがな。

 ま、今回はつぶらやの出来に免じて、ゼロ点は勘弁してやろう。これからはしっかりテストが始まったら、まずは名前を書くんだぜ。

 他のみんなもそうだ。名前を書き忘れると、どえらい目に遭うこともあるからな。これからも十分気をつけるように。

 ――なんだ。テスト明けで返事するのもかったるいか?

 それじゃ気分転換に、先生の昔話でもしてやるかな。


 先生は小さい時から、名前をつい書き忘れる癖があった。

 親に強制されてな、幼稚園くらいから、自分の名前は漢字で書けるように教えられたんだ。だが、凝った名前を賜ったおかげか、画数がべらぼうに多いんだ。

 漢字に苦手意識があったことも大きいだろう。先生は自分の名前を書くことが嫌になり、ひらがなで記すことが多くなったよ。親にはだいぶ怒られた。


「名前は人が生まれて、最初に他人から受け取る、形なきものだ。手に取れなくても、自分だけのものなんだぞ。だから世界で一番、自分がうまく書けなくちゃだめだ」


 耳にタコができるくらい、聞かされた子供だよ。そうやって強要されると、子供心に正反対のことをやりたくなるもんさ。

 先生は名前を書くべき時に、あえて書かないようになっていた。他人の迷惑だとかは、一切考えていない。ただ、親に対して自分の気持ちを姿勢で示す。そのことこそ、自分にとっての関心事となりつつあったからねえ。

 学校に通うようになっても、私の気持ちは切り替わることなく、名前を書くことをしばしばさぼった。だが、それがまずかったと気づく事件があったんだ。


 一人で外を出歩くことも増えた、小学校五年生の時のこと。

 新しい教科書を手のする日がやってきた。二学年上がるごとに、教科書の体裁が大きく変わる傾向にあって、私たちも高学年としての教科書を手に入れる時が来たわけだね。

 今までのものと比べれば、丈も幅も短くなり、スリムになった教科書たちだが、私にとって気に入らない瞬間の訪れもまた、確実なものだ。


「は~い、みんな。ページに抜けとか汚れとかないか確認して~。問題ないようだったら、名前を書いてしまいなさい」


 これだよ。私が一番嫌いだったのは。

 自分が気にくわない、名前というものをたくさん書かされる機会だ。うすうす予想はできていたけれど、不快な表情は隠せない。


「名前シールとかは使わないで、ペンとかでしっかり書くんだぞ。そうでないと、君たちのためにならないから」


 そんな俺以外の人に当てはまるような言い方で、俺が言うことを聞くと思うなよ、と妙な反骨心を発揮する、当時の私。意地でも名前を書かなかった。

 それでも毎年、先生が机間巡視してきて、名前を書いていない人はチェックされて、強制的に指導されてきた。そこで咎められるまで、絶対に名前を書かない。私が私なりに決めたポリシーだったよ。


 ところが、今回の先生は机の間を回らず、教卓からゆったりと教室を見渡すだけ。手近な生徒で気づいた人には声を掛けるが、後ろの方の生徒には見向きもしていない。

 実際、私の隣の席である男の子も、名前を書くふりだけして、その実、まっさらな表紙の教科書のまま、ランドセルにしまっていく。

「みんな、名前は書いたか~?」と先生は相変わらず、黒板の前から一歩も近づいてこずに、私たちにしつこく声掛けをしてくるばかり。

 これなら、教科書に名前が書いていないのも、先生が仕事をさぼっていたからだぜ、と言えそうだ。そう、勝手に結論づけた私は、隣にならって自分の教科書に名前を書かずにしまい込んだんだ。

 その時は、先生の怠慢を喜んだものだが、やや気になることがちらほらと、目の前をちらつき出したのだよねえ。


 きっかけは、休みの日におもちゃを買おうと、家の近所にある某大型家電のチェーン店に向かった時だ。そこで使うポイントカードの作成作業は、まだまだ行動半径が限られている年齢の私にとって、名前を書くことに意義を見出せる機会のひとつだ。目に見える、明らかなメリットがあるからね。

 ただ、それを持ち歩く財布の中では、奥まったところに入れておくのが常だった。何かの拍子に名前がのぞかれることを、当時の私は極端に恐れていたからねえ。丑三つ時のわら人形の話を聞いた時期から、名前を知られたくない、と強く思うようになったんだね。

 だが、その日に店頭で財布を開いたところ、一列しかないカード入れの一番手前に、ここで使うポイントカードが差さっていたんだ。

 たいていの人は取り出しやすくてラッキー、と思うかも知れないが、私にとっては一大事だった。

 誰かに名前を盗み見られたんじゃないか。そう思い、見つけようもない証拠を探して、店内をかけずり回ったっけ。

 声をかける勇気などなく、怪しい素振りをしている人がいないかを探すだけ。はたから見たら、私の方こそ不審人物だったろうね。


 それからだろうか。私は名前が書いてあるものを、見かける機会が格段に多くなった。

 家で使っている台所の道具たち。包丁やお玉に名前が書いてあるのはまだ分かるけど、頻繁に水洗いをするお椀の裏側にも、家族全員、各々の名前が彫ってある。ただ一人、私の分をのぞいて。

 外を出歩く時にも、私はちょくちょくペンで、スプレーで、もしくは想像するだけでけがをしてしまいそうなとがった刃物で、その表面を幾人もの名前で冒されているのが確認できた。あまり目立たないところにだ。

 道端に転がっている大きめの石にも、フルネームがびっしりと書かれる様には、ちょっと恐怖を覚えたよ。でも、怖いとなお目が離せなくなくのも、本能らしい。


 私はそのうち、誰の名前がどこに書いてあるか、つい時間を見つけて探すようになってしまった。知った名前、知らない名前もたくさんあって、どんな読みをするのか想像してみるのも面白かったが、やがてあることに気がついたんだ。

 私の名前がない。確かに珍しい名前ではあるが、キラキラネームというほどではないと自負している。たまたま見つからないだけかも知れないが、もう一点の気になる点が、私の隣に座っている子。彼の名前もないのだ。

 こちらはごくありふれた名前だったのに、ここまで見つからないのは不自然。

 誰かが、意図的に私たちだけを省いている。そう考えると、少し気分が悪くなってきたんだ。


「あんた最近、自分の名前を書いた?」


 夕飯にそう尋ねてきたのは母だった。父は仕事の飲み会で帰って来られず、二人きりの食事になった。

 息子が自分の名前を不精する性分であること、すでに母は十分に理解しているはず。なぜ今ここで、改めて問うてくるのだろう。


「いやねえ、夕方に買い物に行った時、たまたまあんたのクラスのお母さんの一人に会って、話をしたのよ。ほとんど他愛もない話だったけど、ちらりと怖い話を聞いてね。名前って口にするだけじゃなくて、定期的に書かないといけないんですって。あんまり放っておくと、それを盗んじゃう『もの』が現れるらしいのよ。その『もの』って、名前を書かないものに敏感でね。獲物にしたものの名前を、持ち物から確認するらしいわよ。身の回りで、ものの入れ方、並び方が変わっているのは、そいつの仕業かも知れないとか」


 どきりとした。財布の中のポイントカードの並び順が、思い出されたんだ。


「それで久しく使われていない、その名前をのぞいてね。色々なところに他の名前を書いていくの。お母さんも帰り際、自動販売機の裏側に自分の名前が書いてあるのを見て、少し寒気を感じちゃったわ。でね、そこに名前が書かれていない人は、近々、姿を消してしまうらしいのよ。名前さえ書いてあれば、自分のものでも大丈夫らしいのだけどね」


 夕飯のあと、私は自分の部屋に戻って、今まで名前を書いた道具たちを片っ端からひっくり返した。

 ない。漢字とひらがなを問わず、私が小さい時に書いた自由帳の裏の名前も、きれいに消えている。修正液の類ではなく、初めから何も手をつけられていないかのごとく、まっさらだったんだ。

 私は鳥肌が立つのを感じながらも、ペンを手に名前を改めて書き直したよ。フルネームですべてね。


 翌日。私の身には何ともなかった。

 ただ、隣の子が終始、うわの空という感じでね。特に自分の名前を呼ばれても、一度で返事することがなかったんだよ。何度も呼ばれて、ようやく認識するという形でね。

 数週間も経つと慣れたらしいんだが、給食の時、肉好きだったはずが、一切肉を食べなくなってしまってね。クラスのみんなで彼の分を巡って、じゃんけん合戦が絶えなかったよ。


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