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第5節


 街に入って十分程歩いた先にある広場で、デリックは足を止めた。


「ここが現場だな」


 到着した広場は閑散としていて、周囲を歩く数人の人々は立ち止まることなく通り過ぎていく。

 風が葉を揺らし、木々が声を上げている。デリックたちを歓迎していないのは住民だけではないらしい。

 ランドルがデリックたちより前に歩み出て、広場を見渡している。彼の行動を見守りながら、デリックは口火を切った。


「それで? どんな事件なんだ?」

「誘拐だ。ここで子どもが誘拐されたらしい」

「警察のことはよく分からないけど、誘拐ってランドルの担当なのか?」

「俺に担当はない」

「つまりなんでも屋? 呼ばれればどの現場でも行きますって?」

「優秀なんだ」

「エリアルが、だろ」


 揶揄するとランドルの手が問答無用でデリックの服を掴んだ。襟を掴む力が強すぎて息が苦しい。


「じょ、冗談だって!」

「俺も、優秀だ」

「分かった分かった!」


 地面と別れそうになった足は、別れる前になんとか復縁した。ランドルの手から解放されたデリックは、急激に吸い込んでしまった酸素に噎せる。彼をからかうのは命がけだ。


 デリックは肩で息をしながら、誘拐現場である広場を眺めた。これといって争った形跡はない。いつも通り古びたベンチが隅に置いてあるだけの、何の変哲もない広場だ。少し前にここで事件が起こったとは思えない。

 そして、周囲の反応がその違和感を助長させた。不思議なことに、住民が騒いでいる様子はない。誘拐が起こったことを知らないだけか、あるいは――。


「誘拐されたのは女の子? 男の子? 何歳?」


 矢継ぎ早にランドルを問い詰める。妙な胸騒ぎで、デリックは動揺し始めていた。


「両方だ」

「は?」


 ランドルは周囲を見渡して、デリックに視線を向けた。


「攫われたのは一人じゃない。ここにいた大勢の子どもたちだ」




 ランドルが受けた電話の情報では、広場で大道芸が披露されていたらしい。そこに集まっていた子どもたち――年齢も性別もばらばらだ――が全員、いつの間にか忽然と姿を消していた。およそ十数人が蒸発したのだ。


「その情報源、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? 目撃情報とかも必要だろ」


 事件を解決する糸口だ。


「……お前はここの住人だと言ったな、デリック」

「ああ」


 心底嫌いな食べ物を租借したときのような複雑な顔で、ランドルがこちらを見る。その目に宿る猜疑心をデリックは正確に読み取った。


「オレが住人だから話せないか」

「――そうだ」


 一瞬の躊躇を見せ、しかし、ランドルはすぐに頷いた。下手な隠し立てをしない実直さに、少し笑う。

 かっこいいじゃないか。そんな感想を抱いた直後、ライラがランドルの臀部に蹴りを入れた。


「うわっ」

「ぐっ」


 見ているこちらが痛い。体勢を崩したランドルに、ライラが追い打ちをかける。


「バッカだな~! Dはいいやつなんだから大丈夫だって! それに私も知りたい」

「ライラ、キミに惚れそう」

「ん? 好きになるもならないも、あなたの自由だよ。私は止めないけど?」


 堂々と断言するライラの勇ましさに感動した。宣言通り惚れてしまいそうだ。


「ライラ、Dって?」


 感動のあまりデリックが聞き流していた呼び名に、なぜか当人ではなくエリアルが反応した。指摘を受けてライラは嬉しそうに笑い、エリアルを見返す。


「デリックの愛称!」

「Dか。なんかコードネームみたいだな」


 男なら誰しも隠し持っている少年心を擽られる。呟いたデリックに、呆れた顔を見せたのはランドルだけだ。


「デリックも気に入ってくれたみたい」

「ああ、気に入った!」


 ライラがつけた愛称だから尚更、気に入った。


「彼は友だちだから、話しても大丈夫だ」

「お前の大丈夫は全く信用できないんだけどな」


 エリアルの助け舟にランドルは溜息混じりに応えた。それでも、声に先刻までの剣呑さは感じない。譲歩してくれるらしい。

 デリックは疑問に対する回答を期待して逸る心を落ち着かせながら、ランドルを見る。


「それで? 情報源は?」


 ランドルは視線を外して、懐から手帳を取り出した。白いページにペンを走らせる。その様子を黙って見守っていると、何かを書き終えたランドルが手帳を前に出して全員に見るように促す。地面と平行に広げられた手帳を覗きこんだ。

 そこに書かれていたのは、僅か5文字の名称。


――潜入捜査官




 ノースストリートは、独自の法律に守られ管理されている。余所者を歓迎しないこの街に、潜入捜査官がいるという事実は少なからずデリックを驚かせた。部外者がこの街に馴染むためには、並々ならぬ努力が必要だろう。顔も知らない捜査官に、デリックは心の中で労いの言葉をかける。


「そいつ、大丈夫なのか?」

「心配はいらない。プロだからな」


 ランドルは潜入捜査官の実力を認め、信用しているようだ。


「現場に来れば何か分かるかと思ったが、どうやらコンタクトをとった方が良さそうだ」

「そいつに? どうやって? まさか電話する気じゃないよな?」


 誰が聞き耳を立てているか分からない。下手に電話でもして捜査官の周囲にもし住民の誰かがいたら、一貫の終わりだ。

 この街の法律でスパイはどのような罪に問われただろうか。デリックは思い出そうとして、しかし、すぐに諦めた。街の法を学ぶことより、いかにして外に出るかを考えて幼少期を過ごしたデリックにとって、法律は完全に自分の領域外だ。


 広場を自由に歩き回っていたエリアルが、不意に足を止めて古びたベンチの手摺に手を伸ばした。内側をそっと指で撫でて、ランドルを振り返る。


「ここに暗号がある」

「暗号?」

「連絡手段だ」


 いよいよスパイ映画のような展開になってきた。デリックは容易に高揚している自分に笑いながら、エリアルの示した暗号に近づく。地面に片膝をついて、ベンチの手摺を下から見上げた。

 そこには、何かで擦ったような跡がある。金属製の手摺に刻まれた記号――γと読める。

一見すると、ただの傷のようだ。意味を理解しているものにしか伝わらないようにしているのだろう。デリックは刻まれた記号を指で辿る。


「これってγ(ガンマ)か? ギリシャ文字?」

「そうだ」

「意味は?」

「『至急、会って話したい』だ。αからωまで全てにそれぞれの意味がある。仲間内だけで決めた緊急連絡用のコードだ」

「γは全体でいうとどれくらいの緊急度なんだよ?」

「αが一番まずい状況でωに近づくほど緊急性は低い」


 ランドルの返答に頭を回転させる。

 α、β、次がγだ。つまり、かなり危険な状況だと判断していい。


「すぐにでも会ったほうがよさそうだ」


 エリアルの提案にランドルが頷いた。わざわざこのような暗号を残していることから見ても、潜入捜査官からすれば万が一、己の正体が周囲に発覚したとしてもランドルたちと接触する必要があると伝えたいのだろう。

 ランドルが懐から取り出した鍵を瞬く間に彼の手から攫ったエリアルは、声を掛ける隙を与えずに手摺の内側に鍵をあて、何かを刻み始める。彼が刻んだ記号はΓ(ガンマ)だ。


「こっちの表記がイエスって意味で合ってる?」

「刻んでから聞くな。合ってるからいいけどな」


 呆れて言うランドルに、エリアルは不思議そうな顔をしている。

暗号の正式な返答方法を知らないまま刻んでいたらしい。あっさり正解してしまうことも恐ろしいが、ランドルに答えを聞く前に行動してしまうところがもっと恐ろしい。

 デリックは――意外に思われることも多いが――、考えてから行動するタイプである。エリアルは行動するより考えるタイプの人間に見えるが、考えながら行動する人間だ。彼という存在に思考が追いつかないのも無理はない。


「緊急時に落ち合う場所は最初に決めてある。そこで待つぞ」


 ランドルの誘導で広場を離れるために歩き出す。何の気なしに広場を振り返ったデリックは、太陽の光を反射してキラリと光るものを見つけた。

 手に取ってみると、それはブレスレットだった。シンプルでありながら華やかなデザインで、サイズから見ても子ども用のアクセサリーである。ここで行方不明となった子どもたちの一人が身につけていたものだろう。


「なぁ、見つかるよな」


 誰に問うわけでもなく呟いた。デリックの肩を優しく叩く手はライラだ。振り返ったエリアルが迷いのない瞳でデリックの視線を奪う。


「見つける。みんなで」


 彼の言う「みんな」の中にはデリックも含まれている。

 疑う余地のない確信だった。これまでの人生で、仲間と呼べる存在を必要だと思うことはなかった。一人で生きていく術を知っていたデリックにとって、利害関係だけではない結びつきほど信じられないものはない。


 それでも、躊躇なくデリックを仲間の一員にしているエリアルの言葉が、むず痒いと感じる。喜んでいるのだろうか。きっと違う。


 子どもたちを救うことに迷いのないこの連中を、頼もしいと思っただけだ。




第3章に続きます。

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