第4節
門を潜って中に入った一行は、身体検査を受けることになる。関所や税関のような場所だ。住人がいかに外の者を警戒しているのかが窺える。
身体検査でランドルの腰から拳銃が抜き取られた。ライラはアーミーナイフを奪われている。ランドルは警官という職業上、銃器を所持していることも理解できるが、ライラのナイフは一体どういうことだ。常にアーミーナイフを携帯しているのか。深く考えない方がいい。
デリックは頭を左右に振って、必死に疑問を拭い去る。エリアルは何もとられなかったようだ。所持していたのはマネークリップで留められた紙幣数枚のみ。携帯は持っていないらしい。
「携帯を携帯しないなんて……」
デリックは呆れて呟いた。ちなみにデリックの所持品は携帯と財布だけである。
「携帯は……どこに置いたっけな」
ないと分かっていながらもポケットを叩くエリアルに苦笑する。わざと持って来なかったわけではないらしい。
「ここだ」
「ん?」
「なんでエリアルの携帯をランドルが持ってるんだよ」
なぜかエリアルの携帯をランドルが持っていたらしいが、どういう事情でそうなるのか分からない。
エリアルの手の中に携帯を戻したランドルが、お前は絶対忘れると思ったから持っておいたと告げたことでようやく理解できた。まるでエリアルの保護者だ。妹がいるからか、ランドルは意外と面倒見がいいのかもしれない。
「まさかお前がここの住人だったとはな」
「住人なんだよ。だった、じゃなく」
デリックはランドルの言葉を訂正した。過去形ではない。残念ながら、現在進行形だ。
「今もここに住んでるんだ?」
「変かな、ライラ」
「変! だって、デリックは女の人から女の人へ蝶々みたいに飛び回ってるって聞いたんだけど。家があるならそんな必要ないんじゃ?」
「それは趣味。いや、オレの人生。家があってもなくても関係ない。今度ライラの家にも泊めてくれる?」
にっこりと笑みを浮かべて見つめると、ライラは瞠目した。しかし、次の瞬間には豪快に笑ってデリックの肩に強烈なパンチをくれる。
「いった!」
「パジャマパーティーなら喜んで。下心なら願い下げ。もっと面白く口説いてみれば?」
「面白くって……」
なかなか手厳しい。
のろのろ歩きながら、面白い口説き文句にデリックは頭を悩ませた。隣を歩くランドルから冷たい視線を浴びせられる。手を出すなという意味か、手を出せばライラに――物理的に――手を出されるから気をつけろという注意喚起か。判断はできない。
後ろを歩くライラとエリアルが楽しそうに会話している。まるでしりとりをするような気軽さで、言葉遊びに興じていた。ただし、それがどういうルールの言葉遊びなのかは分からなかった。
「そうだ、エリアル! 私を口説いてみて」
「……口説く?」
「そう!」
「専門外だよ。俺にはできない」
あっさり身を引くエリアルにデリックは肩透かしをくらった気分になる。どんな恥ずかしい口説き文句が彼の口から放たれるのか興味があったのに残念だ。
「つまんないな~。次! 『89』」
「『79』」
「え~と、『32』」
「『38』」
「――……なんだっけ。ちょっと待って! 考える!」
「さっきからそれ、何やってんだ?」
とうとう好奇心に負けて質問したデリックに、当人たちではなくランドルが教えてくれた。
「円周率ゲームらしい。ライラの最近のブームだ」
「円周率?」
「『3.』の続きを二桁ずつ交代で言い合うだけのゲームだ。俺には出来ないし、やりたくもない」
「なんつーゲームだよそれ。頭の良いヤツって怖い……」
デリックが身震いしてから二人を見返したところで、ライラが閃いた。
「分かった! 『46』!」
「正解。ライラはやっぱり物覚えが良いな。二、三日前はここまで続かなかっただろ? 努力を怠らない証拠だ」
「……聞いたデリック?」
二人の世界だったはずが急に名前を呼ばれたデリックは慌てて頭を横に振る。ぼんやり二人の会話を聞いてはいたが、真剣に耳を傾けてはいなかった。
デリックを振り返ったライラが、嬉しそうに笑う。
「これが面白く口説くってこと!」
「はぁ、え、今のが?」
「面白くというか、面白いことをしていたら褒められたって流れだろう。円周率ゲームが面白いのはお前ら二人だけだろうが……」
「そ、そうだよな!」
ランドルの助け舟に大きく頷いた。しかもエリアルにはライラを口説いた自覚がないだろう。口説こうと思って言ったわけでもない。ただ思ったままを口にしているようにしか見えなかった。
デリックよりも確実にエリアルとの付き合いは長いはずのライラが、その事実に気付いていないはずがない。しかし、彼女は随分と嬉しそうだ。
女性という生き物は、奥が深い。デリックはプレイボーイの名が若干傷ついたような気がした。
「エリアルにもらえる言葉は全部嬉しいからOK! 大好き、エリアル!」
サムズアップで嬉々として語るライラは可愛い。言っている内容はかなり贔屓だが。
ライラの堂々とした告白を受けたエリアルは、俺も好きだよ、と軽く返している。エリアルの返事は親に愛してると言われて自分もだよと返すときと同じテンションではないだろうか。ライラが嬉しそうだからデリックに文句はないが、いいのかそれで。
名探偵と探偵助手の奇妙な関係性に、口出しする勇気はまだない。
「どうする? そのうちころっと恋人になったりしたら」
横目でライラの兄を窺う。彼は眉間に深い皺を刻んでデリックを睨み返してきた。酷く煩わしそうだ。
「デリック。野次馬根性は嫌われるぞ」
「何言ってんだ。みんなオレを愛してるよ」
「お前のその自意識過剰なところ、いっそ清々しい」
「お、ありがとう」
「褒めてないが。まぁ、いいさ。それに、エリアルとライラが恋人になるところなんて想像できないしな」
真面目に不思議そうな顔をするランドルを見返してから、デリックは彼の視線の先にいる二人を見た。遠目から見ているだけなら、二人はお似合いのカップルだ。しかし、同時にまるで兄妹のようにも見える。
「ライラのエリアルに対するアレは、度を越した愛情だな。残念ながら恋慕とは程遠いが」
「そうなのか? 好意は外から見ても明らかだけど」
「好意は好意でも、アレは家族に対する感情の方が近いんだ」
ランドルの言葉に納得する。エリアルに対して真っ直ぐに向けられたライラの好意は、兄の言葉どおり恋慕の情にしては下心を感じさせないものがある。
「親がいないことも影響してるかもしれないな」
さらっと告げられた事実に、デリックは閉口した。ノースストリートの住人から突き刺さるような視線を浴びながら、ランドルとライラの家族構成を聞かされ――本来の目的を見失いそうになる。
デリックの目的はスコットだ。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、既にそれ以上のことに首を突っ込んでいるような気がする。
住人であるデリックが先導しているとはいえ、ランドルたちは余所者だ。余所者はすぐに見分けがつく。住人一人ひとりの顔を覚えているからではなく、纏う雰囲気が異なるからだ。言葉で表現するのは難しい。しかし、明らかに違う。警戒心の強い住人は、先程から遠巻きにデリックたちを窺っている。
街の外から来た者には驚かれることだが、ノースストリート街の道は整備され、道端に落ちているゴミも少ない。住人は部外者に警戒心を持っているが、それ以外はいたって普通の人間だ。
「もっと危ないところかと思ってたけど、誤解だったみたい」
ライラが含みのない表情で呟いた。
「ここの住人にとっては、外の世界の方が危ないんだよ」
「――デリックもそう思ってる?」
「オレは外に憧れるタイプだ。人一倍、冒険心が強いから危ないと思ったことはないな」
初めてノースストリートを出たとき、不安や恐怖よりも期待や興奮がデリックの心を支配していた。
新しい場所で自分を知らない人たちと出会う。かつて、デリックが心から欲していたことだ。
自分の知らない世界を知る――それは、幼い頃のデリックにとってひどく甘美な響きだった。
携帯かスマホか悩んで、携帯という表現にしました。