第3節
ノースストリートはリディキュラスシティの北部に位置する街だ。
領土はニューヨークを一回り小さくした程の大きさで、ノースストリートと他の街との境には、自力で登ることは叶わない高さの壁が聳え立っている。さながら、ベルリンの壁のように。
四方を壁に囲われた閉鎖的な街で、唯一、開放されているのは隣接している湖だけである。しかしながら、その湖も厳しく監視されているため、外から船で街に入ることも容易ではない。
ランドルがエリアルを連れてノースストリートに向かう。その二人にくっつくようにして、デリックもノースストリートに向かった。部外者が容易く立ち入ることのできない特別な街。警察バッジを振りかざしても、結果は同じだ。
「どうやって中に入るつもりだ?」
「さぁな」
「わーお。まさか、さぁなって答えが返ってくるとは思わなかった。嘘だろ。ノープランかよ?」
「お前はついてこなくてもいいんだぞ?」
「いやいや、オレはスコットに用があるんだよ」
怪訝そうな顔でデリックを睨むランドルに肩を竦めて見せた。嘘はついていない。スコットに用がある。わざわざ危ない場所に同行したのは、また別の理由からだが。
街を囲うグレーの巨大なコンクリートが数メートル先に見えた。あれがノースストリートだ。中に入れば、まるで巨大な迷路か監獄のように感じるだろう。四方を壁で囲われた、独立した街。
「そもそも、なんでここで事件が起こったって分かったんだ?」
不意に浮かんだ疑問を口にする。ノースストリートは独立国家と表現しても間違いではない。独自の法と秩序がある。たとえ街中で何が起きようと、住人たちで解決する。それがノースストリートだ。わざわざ外の者に連絡を取るとは考え難い。
ランドルはデリックの疑問に不機嫌そうな顔を作った。あまり話題にして楽しい内容ではなかったらしい。
「たまたま誰かが通報してきたんだろ。誰でもうっかり警察に頼ることはあるさ」
「うっかり、ねぇ」
説得力のない回答に片眉を上げて見せるが、これ以上追及したところで真実を話してもらえるほどランドルたちと親しくない。溜息を吐いてデリックは疑問を追い払った。
「ノックでもしてみるか?」
話しているうちに眼前に迫ったコンクリートの外壁に拳を当てた。人が出入りできるように門は存在している。ただし、部外者が扉をノックしても門前払いが関の山だ。
「したければしろ」
「ランドルさんアンタ、オレに冷たくないか?」
からかうような調子でランドルを睨むが、彼はこちらの苦言をあっさり受け流して門の横に設置されているインターホンを鳴らした。まるでこの街そのものが一つの大きな家のようだ。
ビー、と監獄で響きそうな機械音が耳に届く。ノイズ混じりの声がインターホン越しに聞こえた。
《誰だ。用件を言え》
「リディキュラスポリスだ。この街で事件が起きたらしい。中に入れてくれ」
どうやら、ランドルは下手な嘘よりも真実を簡潔に述べることにしたようだ。
《何も問題はない。帰れ》
淡々とした声が断言して、一方的に通信を切った。沈黙が周囲を支配する。
デリックは念のため、ランドルから少し離れた。彼の背中が、怒りで満ちていくように見える。障らぬ神に祟りなしだ。
怒りからなのか、小刻みに双肩を震わせるランドルの横からエリアルが躊躇いなくインターホンを押した。空気の読めない男だ。
《お前らを入れる理由はない。帰れ》
「スコットが中にいるかもしれないから探したい」
《スコット? 誰だ?》
「俺の家族だ」
《ここの住人でなければここには入れない。家族なら本人に直接連絡して街から出てくるように言うんだな》
門を開けてくれる気は微塵もないということか。
「スコットに直接連絡が取れないから探しに行きたいんだ」
《そちらの事情に興味はない。携帯でも手紙でもなんでも使えばいいだろう。手紙は自由に行き来できる》
「そうしたいところだけど。スコットは字が読めない」
《電話しろ》
「スコットは言葉を話せない」
《どういう男なんだ……》
「スコットは犬だよ」
デリックが黙ってこのやり取りを見守っていられたのはここまでだった。
明日は筋肉痛になってしまうかもしれない。そんな心配をしてしまうほど、豪快に笑って腹部が痛くなる。全部エリアルの所為だ。間違いない。
真面目な顔と真面目な声で、平然と「犬だよ」などと口にする。インターホン越しの相手は、エリアルの犬発言から沈黙を貫いている。怒りを堪えているのか、デリックのように腹を抱えて笑っているのか。後者の可能性は限りなく低く、前者の可能性が高い。
実際に怒りを堪えていたはずのランドルは、エリアルの流れるような仕打ちに呆然としている。ライラは終始笑顔だ。堪えきれず笑い声を上げ続けるデリックは、笑いすぎて溜まった目尻の涙を指で拭う。
「あっははははは、はぁー、最悪だな。ありえない」
「何が?」
「何、相手を怒らせようと思って言ってたんじゃないのか?」
「だから、何が?」
「無自覚って罪だな」
「諦めろ。エリアルはこういう男だ」
ようやく復活したランドルが深い溜息と共に助言した。いらぬところでいらぬ怒りを買っていそうなエリアルの身辺が心配になってくる。彼と一緒に街を歩くのはやめておこう。
デリックは決意を新たに、困惑したままのエリアルを後ろに退かせた。
インターホンに顔を近づける。ここまでデリックが同行した理由はスコットともう一つ、この重い門を開けさせることだ。
「中に入れろ」
《いいかげんにしろ! 部外者は通さない!》
「部外者じゃない。オレはデリック・ユーイング。この街で生まれ育った」
背後で、息を呑む気配を感じる。
「住民登録を調べてみろ。ユーイングだ」
《確認する》
プツンと切れた通信に、デリックは息を吐いた。ようやく話が通じたようだ。振り返ると、三者三様の驚愕が視界に入る。どれも愉快な顔だ。
「とんだサプライズだな」
「オレは相手をドキドキさせるのが好きなんだよ」
呆れたようなランドルの言葉に笑って返す。
「なんか負けた気分」
悔しいと顔に書いてあるライラの負けん気の強さが好ましい。しかし、デリックが一番驚かせたかったエリアルは、何も言わない。驚きすぎて声が出ないのだろうか。
瞠目している様子から見ても、驚いているのは確かだ。彼の表情筋はどうかしているのかもしれない。
《確認がとれた。中に入れ》
インターホンから声が届いたと同時に、門が開き始めた。金属の軋む音が周囲に響く。
「私たちも入れるの?」
「意外に知られてないけど、住人が一緒なら、外の人間も中に入れるんだよ」
「へぇ!」
「ただし、身体検査は必須だけどな」
デリックは軽く双肩を竦めて説明する。
いよいよ、ノースストリートに踏み込む時が来た。
神出鬼没なスコットが本作で一番すごいかもしれません。