第九十九話・次代への問いかけ
「皆、よく集まってくれた。叔父上方々も、兄上も、三介、三七郎も」
十月、近江安土、この地に織田家一門衆、織田家当主織田信長の弟達と、男子の内既に元服を済ませている者達、計八名が集まった。
織田勘九郎信忠
織田三十郎信包
織田平右衛門信照
織田源五郎長益
津田又三郎長利
北畠三介具豊
神戸三七郎信孝
村井帯刀重勝
「兄上はよくお眠りでございます。話が長引き、後々兄上にこの会合が知れてしまえば、あの寂しがりのお方がどれ程拗ねるか分かったものではありませぬ。直ちに本題に参りましょう」
最年長の信包叔父上が言うと、一同が笑った。確かに、このような身内の会合は今まで大概父が企画し、開催してきた。寝ている間に弟と倅達が全員集まって何か楽しげに話しをしていたと聞いたならば暫く恨み言を聞く羽目になろう。
「皆知っておろうが、熊野那智が降伏した。雑賀城も、鈴木重秀の逃亡と土橋守重の討ち死にで降伏者が相次ぎ戦わず開城となった。九鬼水軍により沿岸の攻撃も始まり、紀州は既に陥落寸前。織田家はこの戦役が始まる前以上の領土を得ている」
勘九郎が言う。一同が頷いた。抵抗するのは紀州の内陸にある熊野本宮、更に高野山と、根来寺・粉河寺の一部のみだ。最早どちらが勝つかではなく、どう決着を付けるかの問題でしかない。
「年内に三好討伐の戦が始まる。大将には三七郎を、副将には又三郎叔父上に付いて頂くことは近いうちに父上からご指示があることと存ずる」
勘九郎の言葉に、三七郎と叔父上から返事が返された。祖父信秀の末息子である又三郎長利叔父上は既に姓を津田と変え、この度三七郎の家老として就任した。他に、信行叔父上の遺児である信兼も三七郎の家臣となっている。
「これら一連の動きに伴って、父には内密に、これから後の話について話を進めたい。というのも、父は後三年、と仰せになられることが多くなられた」
一同が、思い思いの表情で頷く。後三年、目覚めた父が口癖のように言うようになった言葉だ。後三年で何が起こるのか、という話ではない。自分の命は後三年しかもたない、ということであるらしい。
「兄上の申されることです。さしもの魔王様も黄泉の国に旅立ちかけ、多少弱気になっておられるというだけでしょう」
父上の弟の中で、最もひょうきんな人物である源五郎長益叔父上が言った。何人かが頷く。父は今までに幾つもの鋭い読みで織田家の窮地を救い、織田家を大きくしてきたが、医者ではないのだ。ご自身では随分と確信をもって三年と仰せであるようだが、実際に永田徳本先生ら、名医から余命を宣告されたということではない。
「父上の気のせいであるということならば良い。だがそうでないというのであれば問題だ。実際に父上の御体調は回復したとは必ずしも言えず、体も随分とやせ細っておられる」
眠っている間、父は寝た状態で食事をしていたらしい。練り物に水を加えたような、ドロドロの栄養だけはある食べ物で、一日に五回ほど、小分けにしていたと聞いた。意識はあって見えたそうだ。本人はその時の記憶はないと言っている。
「父上はご自身の命が残り三年であると見定め、行動を急いでおられる。我らも又、この三年で天下を征し、その後の、天下統一後の織田家について方針を決めておかねばならない」
方針、と三介が呟いた。よく分かっていない感じが出ている。三七郎は頷いている。
「まずは、三十郎叔父上だが、三十郎叔父上には三郎五郎伯父上がなさっていた父上の名代を」
「御意」
信広義父上が戦死なされたことで、父の残る兄弟はこの場にいる四人にまで減った。その中で最も父上に年が近く、生母を同じくする信包叔父上は適任者だ。他に代わりとなれそうな人物はいない。
「平右衛門叔父上は三介の、源五郎叔父上は帯刀兄上の、又三郎叔父上は三七郎の、それぞれ家老となって頂く」
勘九郎の言葉に、三人が平伏して答えた。息子達の家に弟達が側近として使える。悪いことではないだろう。信包叔父上はいうなれば父の側近であるので、そのまま本家たる勘九郎の重臣になるのと同義だ。
「今まで話したことはこの勘九郎の考えである。既に父上にはお話を通した。ここからの話は皆も知っていることだが改めて理解をして貰いたい。まず、三介には三七郎が抜けた後の北伊勢を加え、九鬼水軍衆も家臣とした上で伊勢志摩二ヶ国を、三七郎には三好討伐後の四国を任せる」
「お任せください」
三七郎が深々と頷いた。統治よりも何よりも戦で活躍することにやりがいを感じているようだ。まだ大っぴらに一条家を乗っ取るという話はしていないが、ここにいる者達の中では四国の中で土佐を除いた三ヶ国は三七郎にあてがうという計画は既に既定路線だ。何事においても弱点なく、それでいて気が強い信孝であればその後の中国や九州での戦いにも大いに期待が持てる。
「それとこれはまだ内々の話であるが、浅井家についても話が進められている」
浅井家。対等同盟ではあるが既に織田家との力の差は開きすぎている。織田家が四国を征したならば、最早三介や三七郎単独で浅井家の石高を上回る。だが、当主浅井備前守長政様の正室が市姉さんであることは天下に知られた事実であり、家臣化することは必ずしも不可能ではない。
「四国までを今年のうちに征し、来年雪が溶けたら北陸の二ヶ国、加賀能登を征する。その折、浅井家には先鋒を任せ、北陸二ヶ国を得た暁には近江小谷と、越前敦賀郡を織田に譲らせ、その代わりに能登加賀を与える」
おお、と、一同にどよめきがあがる。浅井家が持つ近江の所領は近江全体の四分の一程、それに越前敦賀郡となると、二十五万石程度はあるだろうか。加賀能登は併せればその倍以上ある。越前の大半を征していることも併せ、その所領は百万石にもなるだろう。
「ご納得は頂けていますので?」
又三郎叔父上が問うた。三十郎叔父上はその話を既に聞いているのか微動だにしていない。
「浅井家の跡継ぎを嫡男輝政とすることを父上が認め、今後市叔母上が男子を産んでもその序列を変えぬという約束をした。その約束と引き換えに、浅井備前守殿は条件を飲んだ」
この度市姉さんが三人目の浅井備前守様の御子を産んだ。残念ながら此度も娘で、浅井家の当主に織田の血を、ということにはならなさそうである。
「とはいえまだ織田家は北陸に一歩も足を踏み入れておらぬ。直ちに四国を平定し、北陸までを抑えて初めて表沙汰に出来ることだ」
頷いた。確かに、まず北陸を手に入れてから今の話を進めなければ。順序が逆になり『織田家は獲得してもいない領地を与えると言い、実際には同盟国を滅ぼすつもりだ』などと言われてしまっては堪らない。領地が増えるとはいえ、小谷は浅井三代とその家臣達が命懸けで守り続けて来た領地だ。おまけに北陸は一向宗の力が強い。真横には軍神がおり、京都からも離れることとなる。嫌がる家臣も多いだろう。それを呑ませるということは、浅井家が正式に織田の家臣となることを肯んじるということに他ならない。
「北陸攻めは、加賀能登五十万石以上の価値があるということにござる」
纏めるように、信包叔父上が言った。紀伊攻めは大和南部なども加えて五十万石、四国攻めは淡路も含め百万石、そして北陸攻めは浅井家を家臣に引き込めるかどうかの一戦であると考えれば、浅井領を併せて都合百三十万石を超す価値がある。その先にいるのは軍神上杉謙信だ。
「徳川殿は、如何なさるので?」
三七郎が聞いた。勘九郎が頷く。徳川家も立場上対等な同盟者ではあるが石高は今の浅井家よりも少ない。当主三河守様の御嫡男竹千代殿の妻は徳、つまり父の娘だ。
「関東辺りまで攻め上がれば、自然と膝下に降ろう」
勘九郎の、その何気ない言い方が気になった。関東辺りまで攻める。それはどの道を通るのか。徳川領を通り駿河から伊豆や相模に向かうのか、それとも中山道を通るのか。中山道を通るのであれば当然、信濃や甲斐を通る。同盟を結んだばかりの武田領だ。正室松姫の実家武田家を攻め滅ぼす意思を、既に固めているのだろうか。
ふと、視線を感じて顔を向けた。三介が俺の事を見ていた。俺はその三介から視線を外し、それから小さく、頷いた。
「後は、四人いる弟達の処遇だが、権六に子が無い故、於次丸を養子に。今甲斐にいる御坊丸は」
「話が飛んで分からないんだけどさ、奇妙兄上」
脚を崩し、ダラリと伸ばした状態の三介が、勘九郎の言葉を遮る。勘九郎は腕を組み、三介の言葉を待つ。
「兄上達の話は良いのか?」
「兄上達? 俺の話か?」
言いながら、勘九郎が俺を見た。三介が兄上達というのであれば、達の中に入る人物は世に二人しかいない。
「今回の戦で、一番役に立たなかったのはまあ、俺かな。彦右衛門の言葉に従わず大河内城に籠っていたら長野城を奪われて、そのせいで帯刀に援軍を出す事が出来なくなった。帯刀が頑張ってくれたから伊賀は保ったけど、そうじゃなかったら押し切られていたかもしれない。帯刀のところの家臣が死んだのは大体俺のせいだ」
三介の言葉。今回の戦いにおいて、三介は意外と頑張った、くらいの評価は得ていた。しかしながらそれはかつての大敗があったからで、及第点とは思われていない。失策はありつつも、北畠氏旧臣や地元の門徒衆らと戦わなければならない中で伊勢を保てたのだからあの三介にしては、という言われようだ。
「三七郎は頑張って俺の尻拭いしてくれたけどな、拭いきれなかった感じだな」
「……まあ、そうです」
話を振られた三七郎が、苦笑しながら答えた。三七郎は長野城奪還の軍を発しこれを囲んだ。終始優勢であったが結局押し切れず、戦いの趨勢は父の登場によって決定した。
「帯刀の活躍は、皆が凄いと認めるところだろう」
その言葉に、皆が頷いた。勘九郎も頷いているし、三七郎は嬉しそうにしている。昔から根暗な、それでいて根に持つところがある弟だが、内心で俺の事を強く尊敬してくれているのは知っている。
「奇妙兄上、その時あんたは何してた?」
笑いながらの質問、質問してすぐ、三介は何でもない事のようにズルズルと茶を啜った。俺は言葉を発しない。この会合が始まってから、俺はまだ一言も発していないのだ。
「父上が起きるまで、ずっと岐阜城に引き籠ってた奇妙兄上には、武功らしい武功は一つもないよな。父上が起き上がってからは、そりゃあ何かしていたみたいだけど」
三介の言葉に、一座が静まり返った。誰も何も言わない。三介を窘める者も、勘九郎を擁護する者もない。
「……何が言いたい?」
やがて、沈黙を破って勘九郎が言った。三介は、勘九郎の言葉を聞いてからへっへへと笑い、一同を見回す。
「皆思ってることだし、誰かに言われてからじゃあ可哀想だから今言っておくけどさあ、奇妙兄上、そろそろ、織田の跡目を帯刀に譲った方が良くないか?」
周囲の視線が、俺に集中した。それでも俺は黙っている。三介を見た。三介はニッと笑い、続ける。
「もし今回、帯刀が死んでたら、俺はちゃんと奇妙兄上に従ってたよ。逆に、何かの間違いで奇妙兄上が死んでたら、俺は帯刀に従った。帯刀を押しのけて俺が織田家の当主にはなれない。なあ?」
なあ? という質問は三七郎に向けてのものだった。問われた三七郎は迷いなく頷いた。
「それじゃあ今、俺はどっちに従えば良いのかな? 俺と同じで、母親の身分が高いけど大した戦功を残してない次男と、母親の身分も上がって、大戦功をあげた長男と」
そろそろはっきりさせとこうぜ。そう言った三介の表情はまるで父上のように雄々しかった。
黙りながら、人の才とは不思議なものだなと、俺は感心していた。
今、三介を勘九郎にたきつけているのは俺だ。父の体調のことと、織田家の今後についてを考え、今のうちに認識を共有しておきたい。そのように言われて、まずもって父に近しい身内の前で決着を付けておきたいと思ったのだ。だが、こんな言い方をしろとは言っていない。勘九郎の考えを引き出したい、その為に協力して欲しいと伝えただけだ。結果、今この場は完全に三介が支配している。ついでのように、勘九郎がいなければ織田家の次代は俺だという話まで既成事実にしてしまった。
「勘九郎様の、ご存念をお聞きしたく」
そこで、話を受け取ったのは三七郎だった。この中で最年少だが、体が分厚く面構えも良い。戦場にて一部隊を率いる将としてであれば恐らくこの場の誰よりも優れているだろう。
勘九郎が俺を見た。それを俺は見返す。ジッと正面から。某は織田家を奪うつもりなど毛頭ございません。等とは言わない。勘九郎の言葉を誰よりも聞きたいのは俺だ。
本心として、今もって俺には天下への野心はない。仮に今が泰平の世であれば、三介の家臣として天下を差配してやるというのも面白そうであるし、ましてやそれが勘九郎であれば不満などあろうはずもない。だが、それは勘九郎に意志がある場合だ。俺は景連と約束した。誠に天下の為になるというのであれば、その時には迷わず天下を手に入れると。
此度の勘九郎の動きが悪かったのかどうかなど、実のところどうでも良い。大将が本国にいて指示を出すなど、当然の事であるのだ。父上であっても、大概の戦において先陣を切ることなどしない。その例外が桶狭間であり、あれはそうしなければ織田家が滅びる一か八かの時であった。金ヶ崎の戦いの際でも父は後方にあって安全な位置で見学をしていただけであるし、本願寺の蜂起を受けた時には真っ先に逃げた。最も安全な場所に大将が居座り続けるということは、兵の常道であって落ち度とは成り得ない。
では此度の戦は桶狭間程の危機ではなかったのか。もし帯刀様が、惟任様が敗れていたら織田家は滅んでいたのではないのか。それを避けるために自ら伊賀や摂津に出向くことが出来なかった勘九郎様は優柔不断であり当主たる資格なし。そんな言い方をする者が出てきた時、俺はそれに対しての反駁が出来る。武田侵攻を理由としても良いだろうし、結果として勝利したことを論拠に『自分は西が勝てることを読み切っていたのだ』と言い張っても良い。更に何か言われることもあり得るだろうが、そこに対して再反論することも簡単だ。だが、俺は勘九郎の為にそれをしない。兄にそうやって弁護してもらい、その後ろでそうだそうだと頷くような弱い意志の者が当主であるのならば、俺が織田家を継ぎ、三年で天下を征する。
西国の雄毛利家について思うことがある。元就公が臨終の際、天下を望むなと遺言したということについてだ。元就公は後を継ぐ輝元殿の器量では天下統一は無理であるからそう言ったのだと伝わる。これは巷で言われている俗説であり、どの程度正しいのかは分からない。だが、実際に毛利家は元就公亡き後それまでのような積極的な軍事行動は控え、内を固める傾向を強めたように思える。これは、毛利家という家を滅ぼさぬ為、一つの策であったのだろう。だが、毛利家全体を見回して、天下を獲るだけの器量がある者は一人もいなかったのだろうか。
元就公の御嫡男隆元殿は既に亡くなられていた。だが次男吉川元春殿は、元就公をして戦では元春に敵わないと言わしめた人物だ。三男の小早川隆景殿は、元就公の知略を最も色濃く受け継いだ人物で、此度の戦役についても、証拠はないものの毛利からの謀略はほぼ全てこの人物が絵図を描いていると言われている。四男の穂井田元清殿は兄二人からの信頼も厚く、瀬戸内海最強の海賊衆村上水軍の一族から妻を娶っている。元就公が仰せになった『三本矢』は一本を挿げ替えつつも今もって成立しているのだ。
例えば、吉川元春殿が陣代として毛利を継ぎ、小早川隆景殿が軍配を取り、穂井田元清殿が戦陣にて大将を務めるような形で戦っていれば、今頃摂津辺りまで毛利家の領地であったのではなかろうかと思わずにはいられない。今も尚、器量が疑われている毛利輝元殿を皆で支えるというのは、一見聞こえが良い忠義の物語であるが、輝元殿としても周囲の者達としても、最も強きが大将として家を率い、家を大きくする方が良いのではないだろうか。
俺は俺の器に絶対の自信などない。父を超えられるとは思えないし、羽柴殿に限らずこいつには敵わないと、多くの織田家家臣を見て日々打ちのめされている。だが、それでも泰平の世をという大志は抱いている。戦う覚悟も持っている。それが勘九郎にはあるのか?
頼むと言われたら、託されたものを受け取る。
自信が無い、と言うのであれば寄越せと言う。
皆が決めてくれ、などと嘯くのであれば蹴り飛ばして奪う。
自分が当主であり、天下を統一する、という意思を見せた時だけ、俺は勘九郎に従う。
“勘九郎”
口の中で、その名を呼んだ。束の間、俺達は視線を交錯させた。




