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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第九十六話・地獄に魔王

数百、数千もの銃口から一斉に火が吹き、味方がバタバタと倒れた。倒れた兵は消え、やがて周囲に味方はいなくなった。俺は、暗く広い平野の上でただ一人残され、俺の首を獲ろうと雲霞の如く群がる者達に背を向け、逃げ出す。


前方に、父の姿が見えた。父はいつも通り雄々しく自信に満ち、俺を見て笑う。俺はその姿を見て安心し、駆け寄る。その身が、手が、顔が近づき、今正に辿り着く、というその時、父の頭が消えた。

首から下、父の身体が主を失った馬のように頼りなく数歩歩き、そして倒れる。唖然としながらそれを見ていた俺は周囲を見回し、先程の鉄砲部隊が俺の事を狙っているのを見つけた。



「止めろ!」



全身に激痛が走り、悶絶した。うぐぅ……と声にならない声で呻き、体を起こそうとしてそれも出来ず、身悶える。


「起きられましたか」


暫く呻いていると、近い場所から聞きなれた声が聞こえた。振り返る。そこには景連とともに支城へ出ていた弥介がいた。鎧を脱ぎ、肩口の血を拭っている。


「弥介、お前は、いや、俺は、戦い、父上が」

「落ち着いて下され。順を追って説明致します」


この時の俺は、今まで何をしていたのかも覚えておらず、ここが丸山城で今籠城戦をしているのだという事すら、思い出すのに少々の時を要した。やがて、父が銃撃を受けた事、丸山城で戦い、支城を助ける為に出陣し、そして撃たれた事を思い出した。


「俺は……?」

「強運ですな。撃たれる直前に身体を伏せ、結果銃弾をほぼほぼ馬が身代わりしてくれたようです。馬から落ちた時の打撲などはありますが命に大事ござらぬ。気を失った殿を彦五郎殿が担ぎ、撤退を成功させ申した」

「誠か」


支城を見捨てれば士気が下がる。せめて俺が先頭に立って救わんとする構えを見せねばならない。そう思っての行動でもあった。本気で救おうとはしていたが、だが、結果として支城が全滅という事もあり得ると予想していた。


「弥兵衛がいるという事は、無事合流出来たのだな」

「前田慶次郎殿討ち死に。同じく、大宮景連殿、御重篤」



安心しかけた俺に対して、弥介が淡々と迷いなく言った。ドクンと、心臓が跳ねた。



「前田慶次郎殿討ち死に。大宮景連殿、御重篤」


黙って、何も言えなくなった俺に対し弥介が繰り返した。心臓が鼓動する度、全身が痛んだ。しかしそれも気にならない。死んだ? 慶次郎が? この世で一番、殺しても死ななそうなあのお師匠様が?


「誰に、誰に討ち取られたのだ?」

「強いて言うのであれば土橋守重。彼の者が指揮する鉄砲隊に一人立ち向かい、全身に銃弾を浴び申した。そのお陰で部隊は無事撤退出来、前田蔵人様、奥村助右ヱ門殿は大した手傷もなく御無事でございます」

「か、景連は?」

「今もって意識が回復致しませぬ。こちらは敵将林通政隊の者にやられたとのことでございます。林秀貞の娘婿であり、槍の名手であるとか」


容態は? と訊くと、ゆっくりと首を横に振られた。立ち上がろうとして、全身の痛みに耐え兼ね、蹲った。


「今、嘉兵衛様が生き残った兵の数を数えておりまする。逃亡した兵や、生きてはおっても戦えぬ者などを考えれば恐らく戦力は千四百から五百。残るは本丸と、百地丸に古田丸にございます」

「て、き……から、の、攻撃、は?」

「どうやら支城に対しての攻撃は独断専行であった模様。敵軍は丸山城北方を接収し、包囲の輪を狭めた後待機しております」


痛みで働かない頭で考える。独断専行していたのは織田に恨みが強い者達。そうではない連中から、恐らく降伏勧告が、最後の降伏勧告が来るはず。


「今は休むが仕事にございます。幸いにして、一日の猶予が出来申した。お休みあるべし」

弥介の言葉に従い、俺は目を瞑り、そのまま深い眠りへと落ちて行った。




「あと十日はもつまい」

翌日の日の出前、俺は景連の枕元にいた。景連が目を覚まし、そして恐らくこれが最期であるからと言われたからだ。傍らには古左がいた。それ以外の者達は相手の攻撃に備え皆出払っている。


「この期に及んでまだ数日以上もたせるつもりである殿は、やはり天下の大器であられる」


身体を動かすこともなく、視線を動かすこともなく、ジッと真上を見据えて横たわっている景連は、生命力のない細い声で言い、僅かに口元で微笑んだ。


「百地丸にも、古田丸にも、撤退路は用意してある。支城から逃げるより被害も少なくなろう。外から攻めあがる敵に対しては九十九折の道を幾筋も作ってある。上から落とす丸太も岩石も準備万端よ。本丸のみの城となるまでに五日、本丸の兵全員討ち死にまでにもう五日、それくらい粘れればと思う」


景連に、死ぬなというつもりで俺はやって来た。だが、それを言う気力を失う程にハッキリと景連の顔には死相が出ていた。


「敵兵五万。向こうに回して二ヶ月。誠、痛快な程雄々しく戦いましたなあ」

景連は満足そうだった。北畠顕家公の如くに、最後の最後まで力を尽くして戦った。それが嬉しいのだろう。


「幕府や、北畠家に対して忠義を尽くさせてやりたかったがな。この帯刀、お主の忠義は生涯忘れぬ」


まあ、残り数日の生涯かもしれないがな。と冗談を言うと、古左がひゃひゃひゃと笑った。俺も笑う。景連も微笑んでいた。


「幕府も、北畠も、過去のもの。この景連は、我が生涯を、我が時代を、今を生きる者として、懸命に生き申した」

言ってから、初めて景連が痛そうな表情を作った。その表情を見るだけで辛い。


「ご無礼ながら、拙者は織田弾正忠家を見下しておりました。家格においてもですが、尾張の田舎者であると、風雅も解さぬ者達であると」

「知っている」


織田家と戦った者らで、そうやって織田家を馬鹿にしなかった者などいないのではなかろうか。皆一様に成り上がり者だと織田家をこき下ろした。


「主家が織田に負けただけであって、己は誰と戦おうが負けていない。腹の中でそう言い聞かせて己のちっぽけな自尊心を満たして参りました。殿の御誘いに応じた時も、家を守る為、我が身を売って織田の子倅に従うのだと、不遜なることを思っておりました」

「であろうな、俺が景連の立場でもそうであったと思う」


実際に、景連は纏う雰囲気が高貴でもあり雄々しくもあった。そんな人物が俺の下にいる事が、俺は面映ゆくもあり誇らしくもあったのだ。


「ですが、拙者は運が良い。そう思ってお仕えしたお方は、誠の大器、誠の英雄であられた」

「よっ、話の流れが変わりましたな」


古左が、幾分か景連の側に寄り、明るい声で囃し立てた。その通りだと景連が笑う。


「殿は、金ヶ崎戦役の折、友の死に傷つき、戦場に怯え、怯える自分を情けないと思い、そうして宇佐山に籠城してよりは覚悟を決め、未熟ながらも立派に将帥を務めなされた。屈辱的な講和を結んだ際も、我が事として大いに悔しがっておられた。かつて、己が負けたわけではないと言い訳していた拙者は、殿の態度を見て大いに感じ入り申した」

「景連程賢くなかっただけだ」


友達が死に、自分も死にかけて、言い訳を考える余裕もなかったのだ。別に、己が事として正面から向き合ったということではない。


「それからも、殿は事あるごとに悩み、落ち込み、優しさ故に傷つき、それを乗り越え、一歩一歩、己の道を歩んでこられた。殿が成長なさる姿を身近にしつつ、天下にその名が轟く様子を確認する。我が生涯において、これ程濃厚かつ芳醇なる日々があるとは思っておりませなんだ」

「景連」


涙がこぼれ落ちそうになってしまい、グッと耐えた。しんみりした空気を弾き飛ばすように、古左がひょひょひょと笑いながら話を引き取ってくれる。


「現在もそうでしょうなあ。何しろ三千対五万にございます。相手としては数日で落としてとっとと近江か伊勢へと向かい、それから尾張美濃へ。というところだったのでしょうが、今もって伊賀に釘付け。天下はきっと攻め方をあざ笑い、殿を褒め称えておられましょうぞ」

「誠、外の情報が入らぬことが惜しいな。今頃織田家の諸将は何をしているのか」

「殿に手柄を全て持っていかれぬよう、別の戦場にて武功を上げんとしているのでは?」


うひょひょひょひょ、と、古左が笑う。景連がそれに釣られるように笑おうとして、結局眉を顰めて終った。俺はもうその様子を見ていられなくなり、真上を見ながら歯を食いしばっていた。


「殿、御礼申し上げまする」

「お前から礼を言われるようなことをした覚えはない」

「拙者にはございます。弓などという時代遅れの武器を極めんとしてしまった不器用かつ時勢の読めない男に、活躍の場を与えて下さいました。どのようにすれば種子島に勝てるのか。弓の新しい可能性とは何か。それを考えながらの日々は誠、己が天下を動かしているかのような心持でありました。礼を言い尽くせない程の恩にございます。これより先の、殿が雄姿を見られぬが、返す返すも口惜しい」


景連の目がゆっくりと細まってゆく。閉じるなと、立ち上がれと、再び弓を取れと言いたかった。


「殿、最後に一度だけ進言させて頂きます」

「何だ?」

「天下を獲られませ」


馬鹿なことを、とは言えない。適当に誤魔化すことも出来ない。暫く考えた後、俺は頷いた。


「それが、誠に天下の為になると思った時には、迷わず天下を獲ろう」

「天下の為、とは、どういうことでございましょう?」

「日ノ本におる人々が、一人でも多くの民が、戦によって悲しい死を遂げぬようにするには、俺が天下を獲らねばならぬ。そう思えた時、俺は俺の天下を獲る。そうでないのであれば、俺は織田の天下の為、鬼にでも悪魔にでもなってみせよう」


言うと、ふふふふふ、と、小さな笑い声がそよ風のように室内に響いた。


「良いですなあ殿は。知恵者であり、激情家であり、しかしその実ただただお優しい。そのお言葉を、冥途の土産と致します」

「景連殿」


その時、景連の手が取られた。俺に、ではない。先程まで不自然な位にでかい声で笑っていた古左が、いつの間にか顔面を涙塗れ鼻水塗れにして号泣していた。


「頼む、死なないでくれ、景連殿」

「無茶を言うな」

「貴殿のような真面目な人間がおらなんだら、拙者が安心してひょうけておられぬではないか」

「安心せよ。貴殿のひょうけは皆の救いである。誰憚ることなく、古田左介はひょうげておれば良いのだ」

「そのような事を言わずに、頼む、景連殿」


それ以降は言葉にならず、古左は景連の手を握りながら何度も何度も『景連殿、景連殿』と言い続けた。その傍らで俺は泣き、やがて俺が泣き止み、古左の手が景連の手から離れた時、かつて俺の家臣の中で一番の弓の名手であった男は、物言わぬ躯となっていた。




その日の昼前に、降伏の使者がやって来た。降伏の条件は、俺の切腹と城の明け渡し。それ以外の将兵には一切手出しをしない。この降伏勧告に応じなかった場合は最早一人残らず根切とする。


「今すぐにとはいきませぬ故、三日ほど家臣達と話し合う時間が欲しいのだが」

「そうはいきませんぞ村井殿。三日の間に英気を養い、最後の抵抗をする力を得られてはたまりませぬ」

「はは、お見通しでしたか。流石ですな。林殿は」


やってきた使者は、かつての織田家筆頭家老、林秀貞だった。林秀貞が使者としてやって来たと知った時は、罵りあいにでもなるのかと思っていたが、そのようなこともなく俺達はただただ、淡々と降伏の条件につき話し合い、淡々と交渉を決裂させた。帯刀仮名についての話も、織田家に対しての話も、およそ因縁と言えるような話は一言半句すらせず、半刻程で話し合いは終わった。


「村井殿」


去り際、粛々と歩いていた林秀貞が不意に立ち止まり、俺を見て言った。何でしょうか、と答える。俺が考えていたよりもずっと小さく、思慮深そうな目をした老人は、一言『難儀なことでござるな』と言った。


「お互いに」


それまでに、下手にお互いがこれまでの十年について語りでもしていたらお前が言うななどと言い返していたかもしれない。だが、俺達は必要な話以外何も話さなかった。表情や立ち居振る舞いを見て想像する林秀貞の十年は、それなりに敬意を表すべきものに思えてしまったのだ。


これが、俺が林秀貞と交わした最後の会話となった。次、俺がこの老人の顔を見た時、彼の首は胴から離れていた。


翌日、敵の総攻撃が再開した。まず一日で、西側百地丸が陥落。更に二日耐えた後、古田丸からも全員撤退した。撤退の際、用意していた全ての罠を使い切り、そして両砦共に炎に包まれて焼け落ちた。味方の死者も多く、残るは千余りにまで減ったが、相手方の損耗はそれよりも更に多かったのではないだろうか。


「落城後は、手筈通りに」


俺は五右衛門と蘭丸に、丸山城陥落後の行動について伝えた。蘭丸は飯炊きやら雑用の為に使われていた子供という事にすれば殺されはするまい。五右衛門は己一人であれば逃げ出すことも出来るだろう。そう考えての事だった。


本丸とその周辺のみになった丸山城は、最早頑強に抵抗、ということも出来なくなりつつあった。食料には余裕があったが、矢弾が先に尽きてしまい、残るは本丸周辺に布陣した状態での白兵戦だ。百地丹波には伊賀衆の為に逃げ延びるようにと頼み、古左と弥介には、本丸で俺が腹を切ったら降伏するようにと命じた。嘉兵衛や前田兵は全員俺と運命を共にすると言ってきかなかった。


どう足掻いてもあと三日、恐らく今日中には落城だろう。いよいよその時が近づいてきたと、そう考えていた。



「殿! 敵が引いてゆきますぞ!」



その日は、今日もうだるような暑さになるだろうと予想が付く快晴の朝だった。硝煙と血の匂いが染みついた城の中で寝起きするのも最後かもしれないと立ち上がったところに嘉兵衛が駆け込んできた。


「もしやこの期に及んで降伏を求めるわけでもあるまいな」

城を遠巻きに囲み、ゆっくりと離れてゆく敵軍を見ながら、俺は安心よりも訝しむ気持ちを抱いた。引いてゆく。潮が引くように。



「殿! 北の方より軍勢有!」

「北? 一体誰だ?」

「定かなりませぬ! 面妖なる旗を掲げておりまする」


それから僅か一刻後にもたらされた報を聞き、俺は天守閣へと駆け上がった。謎の軍勢、もしや基督教が武器を取ったか、或いは伊賀北部の国人衆か。そう予想を付けながら登った天守閣で見た軍勢を、その旗を見た時、俺は思わず、膝から崩れ落ちた。



「何が定かならぬだ」



手すりに縋るようにして、前のめりに蹲る。戦いが終わった。少なくとも丸山城の戦いが終わった。


「あのような旗を誇らしげに掲げるような人間が、天下に二人といてたまるか」




『第六天魔王』




そう大書された旗指物が、風に揺れていた。




織田信長、死せず。


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― 新着の感想 ―
マジかーーー!!!!
[一言] 『第六天魔王』の文字に思わず涙を流してしまった。
[良い点] 何回読んでも足りないくらい。 良すぎるんだ。 心が滾り、涙が出る。
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