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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第九十五話・奮戦丸山城(地図有)

古来より、大軍に打ち勝ってきた寡兵の話は枚挙に暇なく存在する。遠く西、大秦国が存在する地域ではかつて三百の兵でもって百万の兵の進軍を止めた例があると聞いたことがある。唐国、三国志の時代においては魏の将張遼が呉軍十万を相手に八百の精兵を率いて奮戦したという言い伝えもある。さらに時代を下り、南北朝の動乱期においては、楠木正成公が五百名の寡兵で幕府方の大軍を迎え撃った赤坂城の戦いが名高い。太平記や各種資料によればこの時の幕府方の軍勢は二十万から三十万。ものによっては百万と言われることもある。仮に日ノ本の総石高が二千万石程度あったとして、一万石につき三百人集めても兵力合計は六十万である。百万はおろか、恐らく二十万という数字も誇張を重ねたものであろうことは想像に難くない。だが、仮に五百対二万だったとして、彼我の戦力差は四十倍。今、俺達が籠っている丸山城には三千の兵がいる。相手を多く見積もって六万だとしても二十倍だ。楠木公の半分の難易度である。


「……等と、無理やり好例を掘り出したところで、状況に変わりはなしと」


五万の兵が丸山を囲んだ。敵本陣は木津川を渡り、枡川の南側、丸山の西に存在する南北に長い平地に陣取った。その数二万。南側、ぐるりと長く一万の兵が陣を張り、東側は領主谷川を渡ることなくその東の方に五千余り。北側には丸山城本丸の北、丸山の稜線に沿って半円を描く枡川の外側三方に約五千ずつが布陣した。


迎え撃つ味方は、北方の一万五千に対しては支城前田蔵人城が枡川の対岸北西部、大宮大之丞城が同じく北東部、川と山との間を塞ぐようにして建てられており、それぞれ八百ずつの兵が籠っている。本丸の西にある百地丸、同じく南の古田丸には五百ずつ。残る四百は遊軍として、主に支城二つを助ける為に目を光らせている。


挿絵(By みてみん)


例に挙げた戦いだけに限らず、圧倒的少数の軍勢が大軍に勝利した戦いにおいて、共通して描かれるのが『指揮官の巧みな采配』だ。巧みな采配とは具体的にどういった采配であるのかを教えて欲しいのだが、大概の場合は打ち寄せる敵には引き、また引いてゆく敵を攻撃し、などと分かったようでわからないことがつらつらと書き付けられていることが多い。今実際に十倍以上もの敵兵を見ると、それだけで勝ち目などどこにもないのだろうなと思わされてしまう。


「だからと言って、ただで死んでやりはせんがな」

笑いながら呟く。最後まで抵抗してやると決めてから、気持ちは寧ろ楽になった。やるだけの事をやって死ぬ。俺は『やるだけのこと』を決めればいい。


寡兵が大軍を打ち破った戦いにおいての共通点として指揮官の巧みな采配を挙げたが、それは『大将の大活躍』だと言い換えることも出来る。思えば桶狭間もその例に漏れない。大軍を打ち破ってこその名将だと人は言うかもしれないが俺は違うと思う。大将が最初から最後まで活躍して周囲を鼓舞し続けなければ大逆転など起こり得ないのだ。それらの行動は勿論大将の討ち死にという結果と隣り合わせだ。だが味方の小勢を支える為、賭けに出続けなければならない。近江坂本にて、森心月斎殿が行った事だ。蛮勇ではなく、匹夫の勇でもない。


「そんな訳だ。突っ込むぞ」


大将である俺が敵陣中央に突っ込むことに異議を唱えた連中を、前記の理屈で封じ込めた俺は、七月五日、連合軍五万が丸山城を完全に包囲した後に行なわれた最初の戦闘において早くも先陣を切った。

最初の戦闘は丸山城本丸北、枡川が湾曲した内側の僅かな平地にて行われた。支城二つを包囲した一万五千を率いるのは林・斎藤・北畠ら織田家に対して遺恨が深い者達。独断専行し、西側前田蔵人城脇の川を渡った斎藤隊の先方千五百余りに、俺が率いる四百の本隊が突っ込んだ。


梅雨が明け、まだ日が経っていない河原はぬかるんでおり、素早い行軍は望めない。既にひと月半、雨に打たれて野宿を繰り返してきた敵兵の顔色ははっきりと悪かった。指揮官らしい男の一人を見つけ、駆け寄る。馬上にて弓を番えた。弩ではない。自分の腕で引き弦を引き絞り、放つ。まさか、こんなところに敵が、と、状況を整理できていない敵将の表情がはっきりと目に映る。束の間、世界から速度が奪われ周囲の動きが遅くなった。緩慢な世界の中で放たれ、ゆっくりと進んでゆく矢が、敵将の喉元に突き刺さった。弓をしまい、槍を抜く。近くにいた雑兵に槍を振るって殴り倒し、敵の中央に躍り込んだ。そこで、久しぶりに世界の速度が通常に戻った。


「ここにおるは織田家の長男ぞ! 首を獲れば恩賞は思いのままじゃあ! 誰ぞ我と戦わんとする者はおらんのか!?」

俺は、騎乗する馬の毛を赤く塗り、更に槍や鎧も朱に染め上げた。誰よりも目立つ様相で、旗印には織田でも村井でもなく、『文章博士』の旗を立てさせた。


「主のご加護を!」


俺の側近として付いて来てくれた彦五郎は、自分は一旦死んだ身であるからと言いながら、俺に並んで大立ち回りを見せた。四倍近い敵の中央に突っ込み、馬に跨っている身なり良さげな兵を見つけては槍を突き刺し、蹴落とした。


「後れを取るな! 殿に続け!」

いきなり俺が敵将の一人を討ち取ったことに気が付いた兵達の士気が上がる。皆死を恐れず何かに取りつかれたかのように敵にぶつかっていった。


「押せ! 押し出せ!」


立ち止まることなく、俺は千五百の敵中央を貫いた。貫いてから反転し、もう一度突っ込み、そうして敵を十分に痛めつけてから丸山へと帰還する。急がねば敵の本隊が来る。一時の勢いは一時であるからこそ通用するのだ。



「織田の子倅え!」



川を、敵後軍が渡りつつあった。前田蔵人城は今七千余りの敵兵が囲んでいた筈だが、その内の二千程が足並みを揃えず俺に近付いて来る。


「そこにおられるは斎藤の御曹司様ではござらぬか!? 某に何の用でござろうか!?」

元美濃国主、斎藤竜興。今の俺と同じ年齢の年に、父から美濃を奪い取られた御仁だ。


「その首に用がある! 弾正忠の首と共に、我が父の墓前に並べてくれるわ!」

「左様ですか! ですが某にとって貴殿の首には何の魅力もござらぬ故、此度はこれにて失礼致す」


言っている途中には既に馬首を返し、丸山城へと向かった。斎藤竜興は川を渡るとすぐに俺を追い、三千を超す軍が四百を追う形となった。後方に途轍もない重圧を感じながら、俺はそれこそ脱兎のごとくに駆け、丸山の裾野まで辿り着いた。駆け上り、味方のあらかたが辿り着いたのと同時に、今度は振り返って大きく槍を突き上げる。


「放てええええ!」


俺が叫んだのと同時に、山中の林に隠れていた伏兵四百が二部隊現れ、鉄砲の一斉射撃を加えた。指揮官はそれぞれ古左と百地丹波だ。俺が四百、支城に八百ずつであるので、これで二千八百余り。現在百地丸と古田丸は百ずつで守っており、本丸に至ってはもぬけの殻だ。敵の本陣が動いた場合すぐにのろしで知らせると、五右衛門が百地丸に入っている。勝利の鉄則は遊兵を作らぬこと。北一方だけを攻撃してくるというのであれば、こちらは全軍をもって当たらせてもらう。


「体制を立て直せ!」

率いる兵達に向けて声を放った。兵の目はどいつもこいつもギラギラと輝いている。そんな兵達の先頭に立ち、一斉射撃で歩みを止めた敵軍に突っ込んでゆく。


「俺に続け!」

それまではまだ、俺よりも早く敵にぶつかる味方が何人かいた。だがこの時俺は間違いなく真っ先に敵とぶつかり、そして打ち倒した。


「三方より包囲! 押し上げろ!」

「後方よりも攻撃! 取り囲め!」


古左も馬上より指揮を出し、百地丹波はいつの間に動かしていたのか敵後方に旗を挙げさせ、敵軍の周囲全体を囲んでいるかのように見せかけた。

再び白兵戦となった。敵兵と馬上でドカンとぶつかり、そのまま二人一緒に馬から転げ落ちる。強かに腰を打ち付け、悶絶していると白刃が目の前に現れた。


「御首頂戴!」


敵兵が俺の首元に刃を当てて来る。その刃を両手で掴み、止めた。力を込めて握り締める。掌が切れ、血が噴き出す。体ごと押し付けられるような状態で、上からのしかかられている俺は、右手だけを刃から離し、そのままぶん殴った。敵兵はもんどりをうち、一瞬動きが止まったところを、彦五郎に蹴り飛ばされて倒れた。


「殿!」

「大事ない!」


両手を握り締め、再び開いた。皮膚は裂けている、肉も切れている。だが握れるし、開ける。指が飛ばされたわけでもない。再び馬に乗り、拳を振り上げた。敵方後方、城より斎藤勢に対しての射撃が始まったのを機に、斎藤勢は枡川の内側を放棄し撤退。この日の直接戦闘は勝利に終わった。


「味方の被害を数えておけ。今後このような戦いが続くぞ」

日没後、俺は両手に包帯を巻かれながら言った。本隊の被害は五十二名。千四百人中の五十二名だ、決して少なくはない。


翌日より、敵方は南方の森からじりじりと攻めのぼって来た。指揮を執るのは、浄土真宗本願寺派から離脱し対織田の急先鋒となった七里頼周。古田丸を中心に南方を守る俺達は伊賀忍達が入れ代わり立ち代わり小規模な奇襲を繰り返すことで徐々に敵の戦力と士気を削ぎ、十日程、土地を奪われては奪い返し、取られては撤退しを繰り返し、やがて古田丸を取り囲まれるに至った。そうして、両軍が共に神経をすり減らしながら戦いを続けた七月十七日の未明、丸山城南方の森全域が山火事に包まれる。動いたのは当然伊賀忍で、指示を出したのは俺である。


「奇襲を仕掛けるぞ」


南の森が燃え上がったのと同時に、俺は本城に残った兵のうち一千余りを纏め、西側百地丸へと移動、密かに山を南下しこれまで戦いに参加していなかった二万に対し、正面からの強襲を行った。


「坊主の首を狙え! 敵大将の首を獲れば戦は終わるぞ!」


やはり先頭で叫び声をあげながら俺は突撃し、敵の前衛と衝突。三段程敵陣を破った後、撤退した。

この突撃による被害自体は両軍共にそこまで多くはなかったが、敵軍の首脳部を慌てさせることは出来た。本隊の二万が丸山の手前から街道の辺り、木津川の手前まで後退し、大将が率いる五千は木津川を渡った後方まで引いた。敵の攻撃力が一割減ったと考えることも出来るが、大将首にどう頑張っても届かなくなったと取ることも出来る。良いことであるのか悪いことであるのか、俺には判断が付かなかった。兵の前では、弱腰坊主共が逃げてゆくと嘯き、大笑いして見せた。


「敵全軍が一気に攻めかかってこないことが救いでありますな」

「元々反織田という一点でのみ終結した者達だからな。主導権争いをしているのだろう」


その日、俺は新しく出来た脇腹の傷を手当てしながら嘉兵衛と話していた。俺は連日、必ずどこかの戦場に現れては先陣を切った。そして必ず何かしら手傷を負った。銃弾に兜を弾かれた事もあり、この日は槍で脇腹を突かれた。僅かに逸れて皮を削られる程度で済んだが、もう少し内側であれば鎧ごと内臓を貫かれていただろう。


「薄氷を踏むが如き戦いが続きますな」


頷いた。敵で士気が高いのは支城二つを攻める一万五千のみだ。雑賀衆は精兵の二千を連れて来ているが、彼らに一番手柄を持っていかれるのを恐れているのか、戦闘開始当初から城の東側にて陣取り身動きを取っていない。信広義父上の仇、鈴木重秀は来ていないが、それと並ぶ大物、土橋氏の棟梁土橋守重(つちばしもりしげ)の姿は確認出来ている。


七月も半ばを回り、二十日を過ぎると外の気温はぐんと上がった。攻め方には暑さで倒れる者が現れ、守る俺達も、日々確実に士気を落とした。加えて、この頃になると攻め方が毎夜三度歓声を挙げ、鳴り物を鳴らすという行為を繰り返すようになった。実際に夜襲を仕掛けてくることは一度もなかったが、これは確実に守備兵達から気力と体力を奪った。


元々俺達は取り囲まれてより、周囲との情報を遮断されている。味方は助けに来てくれるのか、それともすでに敗北してしまったのか、と、不安にさいなまれ、震えている兵は多い。籠城戦であるので、当然食事なども新鮮な刺身や野菜などは望めない。若い男達が女の姿を見ることも出来ないというのも懊悩の原因となる。あらゆる不自由が既にある中で、毎夜三度の歓声は睡眠の自由すらも奪われる行為だった。俺も含め、城兵の顔からは笑顔が消え、会話が消えた。


力攻めよりもこちらが音をあげるのを待つことにしたのか、攻め方は散発的な攻撃を毎日繰り返すようになった。毎日確実に城兵は減ってゆき、俺はあいつは生きているかあいつの姿はあるかと目で追うようになった。だが、全体の二割以上の姿が見えなくなった頃、数えることも出来なくなった。


そうして、永遠のように長かった七月が過ぎ、八月の二日。


「前田蔵人城、大宮大之丞城に敵兵が攻めかかっております。その数二万」

遂に本格的な侵攻が再開した。守る兵は合わせて千六百、その内今何人が生きているのか分かったものではない。


「……狼煙をあげよ。降伏するようにと」

見捨てられない。だが、南と西からも兵が攻め寄せてきていた。そこから回せる兵はいない。すぐさま狼煙があげられ、そうして二つの支城は、降伏することなく、徹底抗戦の構えを見せた。


「どういうことだ!?」

孤立無援の中で戦い続ける支城を見て、俺は声を荒らげたが答えは分かり切っていた。


「殿は、家臣の心をよく掴まれましたな」

「馬鹿どもが……!!」


そうして、蔵人も景連も、この日の敵の攻撃を耐え切った。二人以外に、支城には慶次郎、助右ヱ門、弥介の三人がいたが、何れの将も討ち取られたという報告は入って来なかった。


「見捨てることは出来ん、救いに行くぞ」

翌日早朝、俺は兵百人を絞り出し、救出の為の部隊を編成し、出陣した。城内城外の兵が呼応し、合流して丸山城まで撤退する。城内に何人の兵がいるか分からないが、たとえ生き残りが一人となったとしても、それを助けに行くか行かないかでは大きな違いがある。


「まともに戦おうなどとは思うなよ。とにかく、走りに走ってここまで戻って来るのだ」


既に枡川は両岸敵軍に抑えられている。俺は、丸山城側に布陣する敵を攻撃し、陣を乱す。陣が乱れたのを見計らい、蔵人と景連には打って出て来てもらう。打ち合わせなど出来はしないが、それ以外、生き残れる可能性はない。


日の出とほぼ同時に、俺は攻撃を仕掛けた。まず仕掛けたのは東側、大宮大之丞城側だ。奇襲を警戒していなかったのか、攻め方は簡単に崩れた。崩れた敵を打ち破ることなく大きく方向を変え、前田蔵人城へ向かおうとした時、両城の城門が開き、中から兵が飛び出して来る様子が見えた。


「撤退だ!」


西側まで駆け抜けた時、驚くことに百の味方は殆ど減っていなかった。そのまま丸山城本丸の西側へと向かい、駆けあがる。景連も蔵人も兵をかなり減らしている様子だが、それでも全滅ではない。合流し、本城のみの防衛であればもう少しの間戦うことが出来る筈だ。


そうして秋になり、そして冬になって雪が降れば。そんなことを一瞬考えた時、焦げ臭い香りがした。何かを意識したわけでなく、無意識的に顔の向きを変え、見る。そこに、俺に向けて銃口を向ける火縄銃約三十丁が見えた。指揮するのは、表情もなく、泰然とした様子で俺を見るひとりの男。会ったこともなく、容姿について聞いたこともなかったが、それが土橋守重であると何故だか確信した。


「しまっ」

た、までを俺に言わせず、腕が振り下ろされ、銃口が火を噴いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 申し訳ありません。以前お伺いした 「大秦国が存在する地域ではかつて三百の兵でもって百万の兵の進軍を止めた例」 ですが、 地中海300対100万でググったら出てきました。 筆者様の知見の広さ…
[良い点] 「無自覚な」歴史改変を楽しんでいます。 [一言] 「大秦国が存在する地域ではかつて三百の兵でもって百万の兵の進軍を止めた例」はどんな出来事を指しているのでしょうか?
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