第九十四話・文章博士妄言
「勝てる戦で降伏する者などおらぬ。御坊。戻ってそう伝えよ」
降伏の使者としてやってきた高野山の客僧木食応其にそう伝えると、応其は異なことを申されると言い返してきた。
「多聞山城・柏原城・長野城が既に陥落しておりまする。これよりは雨を期待することも出来ますまい。丸山城は孤立無援。このままではいずれ城を枕に全員討ち死にとなるは必定にございますぞ」
「まるで攻め落としたかのような言いぶりであるが、柏原城は陥落したのではない。我らが捨てたのだ。柏原城での戦いは我らが勝利し、その間に丸山の守りを固めた。丸山城は支城二つを含め今もって健在であり我らは一度として敗れてはおらぬ。全て我が予定通りに進んでおる」
五月の雨は丸山城防衛においての天恵となり、その後梅雨時を含め俺達は天然の要害と、大雨による地の利、そして地理に詳しく山中の移動天下一の伊賀忍達を運用し、既にひと月半の籠城戦をさしたる被害もなく潜り抜けていた。
「多聞山城、長野城はどうお思いになられます? 大和に伊勢、丸山城は東西より挟み撃ちにございますぞ」
「既に籠城して囲まれることを覚悟している者に対して『挟み撃ちですぞ』などという脅し文句は笑止千万。よいか。多聞山を捨てし筒井順慶殿はかつて松永弾正少弼殿と大和の覇を争った際にも大和を一時逃げ、その後見事に復権を果たしたお方。死んだわけではなく一時撤退である。実際、現在も山城より大和復権を狙い後方かく乱を目論んでいると聞く。長野城にしても同様。伊勢の本城大河内城が攻め落とせぬと見て、雨に乗じ北へ移動し奇襲して陥落させたに過ぎぬ。大河内城には北畠三介殿有り。北の神戸城には神戸三七郎殿有り。そして西の丸山城に某が有る。挟み撃ちはどちらがされているものか、分かったものではない」
「攻め方の兵は二万五千まで増えておるのですぞ」
「こちらは三千、会戦当時より殆ど減っておらぬ。そちらは我らの攻撃に二千は失っておろう。それを考えればもう二、三万は必要なのではないか?」
「織田家は既に足並みが乱れております。直に崩壊するは必定」
「……それは山崎の戦いについて言っておるのか?」
俺の返答に、応其が話の矛先を変える。俺は先程よりも声が低く鋭くなることを抑えられなかった。
「左様にございます。既に織田の畿内失陥は明らか。これ以上の抵抗は無駄かと」
頭に血が昇る。しかし、黙れと一喝するようなことがあれば相手の利を認めるようなものだ。俺は脇に置いていた茶を口に含み、ゆっくりと飲み下す。そして、大きく息を吐き、もう一度吸ってから声を出して笑って見せた。
「山崎において織田の先手が少々敗れたからと言って、それで足並みが乱れただの、畿内の失陥だのとは先程にもまして笑止千万。織田家は今もって京を抑え、そして家中一丸となって賊徒討伐を行っておる」
「しかし現に、山崎においては織田家に裏切り者が出ましたぞ」
「織田家ではない、雑賀衆が裏切ったのだ」
遡ること十日前、摂津山城の国境に当たる山崎にて織田・幕府軍と三好を中心とした連合軍が会戦に及んだ。戦いは膠着したが親織田の態度を取っていた雑賀衆の鈴木重秀とその一党が寝返り、織田軍は敗退。京へと撤退した。
「あれを織田家の足並みが揃わずと申すのであれば、そちらこそ足並みが揃っておらぬであろう。石山本願寺は今もって大坂に籠っておるぞ」
「本願寺が当方に味方せぬからといって、何故足並みが揃わぬと仰せです」
「天台宗・熊野三山・真言宗・粉河寺・根来衆・雑賀衆。今織田家に槍を向けるのは皆寺社勢力ではないか。三好を始めとしたおまけの連中は皆足利か織田に対して恨みを持つ者達ばかり。どいつもこいつも大義などない。ハッキリとさせておくがな、此度の戦は、天下を平らかにせんとする武家と、天下への野心を剥き出しにした仏教勢力の決戦だ」
「さにあらず! 我らは教えを守る為に」
「教えを守る為であるのならば本願寺に倣えば良いのだ。織田家と浄土真宗本願寺派は室町小路にて和解し、織田は太平の世を築く事を約した。本願寺はそれを信じ大坂退去を約した。これに倣って熊野大社や高野山を退去すれば織田家とてそれぞれの教えを蔑ろにすることは無い」
俺の言葉に応其が口を噤んだ。その一瞬を突き、俺は更に言葉を重ねる。
「畿内失陥という言葉も間違っておる。西と南が少々奪われはしたが、野田城の惟任日向殿はいまだ意気軒高。彼のお方は民を愛すること天下に並ぶ者なく、民が慕って続々と軍に加わっていると聞き及んでおる。摂津にての戦闘が終結しておらぬというのに畿内の失陥とは不可思議の極み。加えて申さば、畿内の中心とは、そして天下の中心とは京である。織田家は今もって京を抑えておる。公方様も二条御構にてご健在であられる。賊軍が京に攻め登ることが出来ずにいる理由は足並みが揃わぬからであろう。いつ後ろから石山本願寺が攻めて来るか不安であるからよ」
「文章博士様……」
応其が、辛そうに眉を顰めた。年が幾つであるのかは知らないが、その困り眉毛が見ていて面白い。数多くいる金剛峰寺の僧を差し置いてこの男が降伏の使者に出された理由が分かるような気がした。
「本気で勝てるとお思いですか?」
「思っておる。織田家は負けぬ」
「丸山城がです」
先程少し話に出た室町小路にて、俺と直接話をした僧応其が、俺に向けて同情的な視線を向けた。
「拙僧思うに、この戦反織田勢力に勝利はございませぬ」
「おい、いきなりだな」
先程までとうって変わった言い分、かつ小声になった応其。二度三度と周囲を見回しながら話を続ける。心配せずとも隣に控える伊賀忍達が一言一句を書き付けている。
「この戦を武家と宗教の争いなどと決めつけるは、誠文章博士様らしいやり方ですが、間違っております。此度の戦いは、織田家にこれ以上大きくなってもらっては困る者達が、弾正忠様が倒れられたことを引き金にして暴発したのみ」
「よく分かっているじゃないか。俺と同じ意見だ」
だが、俺は武と教の最終決戦だと周囲に言っているし、そのように決めつけた手紙もばら撒いた。織田家が負ければ天台座主が天下人だとも言った。
戦争の理由が一つであることなど殆どない。だが、天下を平らげんとする織田家と、同じく天下を得んとする寺社勢力が戦っていると、どんな馬鹿でも分かる理屈にしてしまった方が皆納得する。そして、その理屈に納得する者が多ければ多い程、『結局坊主は自分達の利益になることしかしないのだな』と天下万民は思うだろう。悪辣なやり口だとは自覚しているが、相手の心情を慮ってやれるような余裕など今の俺にはない。
やはり確信犯でありましたか、と応其が溜息を吐く。
「上杉も武田も毛利も本格的に織田と争うことをしなかった。武家対仏教という対立を煽るのに丁度良かったな」
上杉は北陸の浄土真宗を平らげる事よりも念願である関東制圧を優先させた。武田は、東美濃に思わぬ伏兵がいたことを知って攻め口を変えたのに過ぎない。上杉の関東攻めに乗じて駿河を攻め、これが成れば恐らく遠江から三河、そして尾張と美濃だ。毛利は国人衆の扇動こそしているようだが表向き幕臣としての立場を取っている。皆一筋縄ではいかない。一筋縄でいっているかのような誤解を招かせる妄言こそ『教武決戦論』だ。
「或いは反織田家が織田家に勝ることはあり得るでしょうが、勝てば再び仏教徒同士で町を焼き合うこととなりまする。大将となり得る天台宗の事を、他宗派は煙たく思っておりますし、最も多くの信者を抱える浄土真宗の事は見下しております」
「何故、同じ目的を持つ者同士が、こうまで異なる教義を唱え、相争うのであろうな?」
昔から思っていた質問をしてみると、今はそれを話す時にはございませぬと、話を戻されてしまった。
「されど、この城は確実に落ちまする。丸山城さえ落ちれば大和から伊勢や近江に直接攻撃が出来ます。神戸城を落とせば尾張へ、或いは観音寺城まで大和の僧兵が直接向かえます。三好も天台僧も根来らの僧兵達も、京に攻め登って洛中を焼く事を恐れております。天下の悪党となることを嫌がっておるのです」
「何とも情けないことであるな」
その程度の腰の引けようであるから、どいつもこいつも尾張の田舎大名に負けるのだ。
「ですが、伊賀であれば、出来て間もない丸山城であれば一城皆殺しにすることも厭いませぬ。京から大津、東山道を使って観音寺から美濃へという道筋がならなくとも、大和から伊賀伊勢という道筋があるのです。間もなくここに三万、いや五万を超える兵が集結しますぞ」
「もう二、三万と言った俺の言葉を受け入れてくれたか、有難き事よ」
鼻で笑って答えると、溜息を吐かれた。そんな応其が少々哀れに思えたので話を進める。
「今降伏したところで、許されはするまい」
「拙僧、文章博士様の生殺与奪の権を頂戴してここに参りました。素直に降って頂けますれば、決して悪いようには致しませぬ」
「北畠・林・斎藤は承知したのか?」
訊くと、いいえと答えられた。自分に一任するようにと言い押し切ったのだそうだ。
「信用ならぬな。御坊がではなく、連中がだ。一旦降参させてしまえば毒殺だろうが何だろうが、俺を暗殺する機会は幾らでもある。戦って討ち死に、後に首を曝されるのであればまだ良いが、降伏したところを捕らえられ、市中引き回しの上斬首などという無様なことは御免こうむる」
御尤もにございます。と、応其が肩を落とした。その応其に対して気になっていた質問をぶつけてみた。
「御坊、貴僧は何故俺の命に拘る? 少々話したことがある程度の相手であろうが」
「文章博士様の仰せになった長島の計画を、面白きと思うたが故。あれほどの面白きを生み出すお方をこれ程の若さで失いたるは日ノ本の損失」
「……因みに貴僧は、今の真言宗についてどう思っている?」
「真言の教え、そして高野山という法や権力の外に置かれた土地は必要でございます。ですが、教えが金儲けや出世の道具となっている現状は一度覆さねばなりませぬ」
「またか」
溜息と共に答えると、応其が不思議そうな顔をした。延暦寺の時もそうだった。全て焼き尽くしてやると覚悟を決めたところに随風が現れた。此度もそうだ。真言宗相手にどこまでも立ち回ってやろうと思ったところに、このような心ある僧が現れた。そういう連中は大概『教えは必要だが現状は駄目だ』という結論に落ち着く。
「貴僧のような者がおらねばなぁ」
俺は心おきなく仏敵ともなり、悪魔ともなれるというのに。時折思い出したかのように尊敬すべき仏僧が現れるから、様々な心の葛藤にいつまでも苦しめられてしまう。
「俺の事を考えてくれた貴僧に、一つ、いや二つ教えて進ぜよう」
「是非に」
それまでも綺麗な正座をしていた応其が更に居住まいを正した。うむと答え、俺は言葉を発する。
「第一に、織田家は宗教の聖域などというものを認めておらぬ。比叡山が焼かれ、石山本願寺が織田に従った以上、残る聖域は紀伊南部の諸寺院、最大のものは言うまでもなく高野山だ。罪人や、公儀憚りの者を匿う等もっての他。一度命あらばその全てを暴き、従わなければ焼き払う。これは織田弾正忠個人の意思ではない。織田家全体の総意だ」
少なくとも俺はそう思っている。俺の言葉を聞いた応其は鋭く目を細め、唇を噛んだ。
「もう一つ。既に俺は城を枕に討ち死にするまで戦いを続けると決意しておる。理由は俺が武家で、貴僧らが仇であるからだ」
先程俺は山崎の戦いにおいて先手が少々敗れたという表現をした。実際にどうであったのかと言えば壊滅的大敗であったと言わざるを得ない。摂津三守護の一人伊丹親興殿、幕臣三淵藤英殿が討ち死にし、織田家の中では信広義父上が雑賀衆の銃弾に撃ち抜かれ屍となった。原田家もほぼ壊滅状態となり、直政伯父上ら主だった者らがほぼ全員死んだ。京都留守居を任されていた心月斎殿が急遽森家や村井家の兵をかき集め、輿に乗って出陣。下鳥羽付近で敗兵を纏め迎撃。極めて危ういところで京都の失陥は免れた。
大和の筒井順慶殿が大和奪還を伺っているというのも無理筋な話である。筒井順慶殿は陽舜房順慶と号する熱心な仏教徒である。かつて奪われた大和を取り返すことが出来たのも、仏教勢力と父の後押しがあったればこそだ。そのどちらもない今、出来ることがどれだけあるのか分かったものではない。むしろ敵方に降ってしまうのではとすら思う程だ。
何でもない事のように話したが、長野城の失陥も極めて痛かった。あれで、伊勢の南北が分断されてしまった。三介は、以前紀伊攻めで大敗をしてから余計な指図をすることがなくなったと聞いている。それは間違いではない。自分に不得意なことを任せられる家臣がいれば極論城主など何もしなくて良い。三介が今回間違ってしまったのは、敗北を恐れ、長野城攻めの敵を追撃しなかったことだ。難しい判断ではあるが、それを三介にしろというわけではない。その判断が出来る彦右衛門殿が同じ城中にいたのだから、話を聞いて全て任せるだけの腹を決めておくべきだったのだ。思い切るという事だけであれば、三介は兄弟の中で誰よりも得意なはずである。
最早、石山本願寺が敵に回ったら、野田城が陥落したら、戦局は一気に傾くだろう。それほどまでに追い詰められている。誰が? 織田家がだ。
「武家にとって親の仇は勅命にすら勝る大義名分となる。この大義名分を無視した者は最早武家の世界で生きてゆくことは出来ぬ」
それまでは、本当に父は死んだのか、或いは生きているのか、自分に一軍の指揮が出来るのかどうか、などと考えていた俺であったが、却ってこの時の俺は落ち着いていた。死ぬまで戦えば良い。そう開き直ることが出来たからだ。宇佐山城に籠った時以来の気持ちだった。
最早是非もなし。俺がそう言うと、応其は深いため息を吐き、俺に頭を下げた。
「柏原城に敵の後詰一万余り。同じく多聞山城より一万二千。丸山城を目指し進軍中との事です」
降伏開城を拒否した翌日、伝令が入った。そして、その伝令を最後に、続報は途絶える。丸山城が十重二十重に敵方に取り囲まれ、完全に連絡の取りようがなくなったからだ。
「親の仇が大挙してわざわざ目の前に現れてくれた。気が利いておるな」
雲霞の如く濫立する旗印を見ながら俺は笑った。城を取り囲む兵は最終的に五万を超え、戦いはいよいよ絶望的な状況へと陥ってゆく。
嘉兵衛・蔵人・慶次郎・助右ヱ門・景連・百地丹波・五右衛門・古左・弥介・彦五郎・蘭丸。これより先、俺の家臣達はよく戦い、俺達は丸山城防衛に成功し、そして織田家は勝利する。村井家は名を上げ、家臣達も皆、生涯を通じて『あれが丸山の命知らず共よ』と称えられることになる。
だが、俺はこの戦で長則以来の、家臣の死を経験することとなる。




