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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第九十三話・さても頼もしき者達(地図二枚)

挿絵(By みてみん)

「熊野の織田軍はどうなった?」

「滝川様が殿軍を率いておりまする。南北の牟婁郡を放棄し、大河内城に伊勢全軍を集めるとの由」

「三介は?」

「同じく大河内城へ」

「女房衆は無事か?」

「大木様が伊勢までは間違いなくお連れしておりまする。伊勢国内での争乱これなく、間違いなく尾張まで送ると北畠伊勢守様よりの確約も頂戴しております」


北畠伊勢守。三介のお墨付きと言われると却って少し不安になってしまうが、それでも弥介と五右衛門が自信ありげにしているのだから信用しておこう。


「大和の筒井軍は?」

「連合軍に大敗し壊滅状態。大和一国は敵方に落ちましてございます」

「して、筒井順慶殿のお命は?」

「行方も知れず、生殺定かならず」

「本願寺勢力はどう動いた。完全に敵に回ったのか?」


「いえ、坊官七里頼周(しちりよりちか)を中心とする門徒衆の一部が大坂を出て多宗派に合力したとのこと。本願寺顕如は『此度の戦い、浄土真宗の血を流すべからず』と、不戦を、そして難民となった門徒には大坂に来るようにと訴えかけております」

「随風の説得が成功したのか?」

「分かりませぬ。随風殿は消息を絶ち、顕如上人とお会いできたのかどうかすら定かではありませぬ」


腕を組んで唸った。織田家としてはその英断に拍手を送りたい本願寺顕如であるが、信者の間からは必ずしも評判は良くない。信徒二万を長島にて虐殺した織田家と手を組むなどと、自分達信者は捨て駒であったのかと憤る者も多いようだ。


「摂津においては池田摂津守様が家臣荒木村重の謀反により敗死。残る摂津守護の和田様、伊丹様も敗北し撤退」

「和田殿の配下には高山図書殿もおられたな。荒木の家臣には、確か古左の義兄がいた筈だ」


俺が言うと、五右衛門がハッと頷いた。高山図書殿、諱は友照。京都における宗教問答の前、刺客に襲われた際に首を切られ、それでも生き残った高山彦五郎重友の父親だ。古左の義兄の名は中川清秀と言う。彼は同時に、彦五郎の従兄弟でもある。伊賀と摂津、大和や河内が間に挟まっているとはいえ、この縁でもって調略の手は伸びて来るであろう。彦五郎は命拾いした後そのまま村井家の客将となり、二百程の兵を率いている。


「大和に摂津は切り取られたか。紀伊と淡路が敵であることは言わずとも知れたこと。これで河内と和泉も切り取られたな」

「ですが、摂津において惟任日向守様が手勢を率い野田城へと入城。緒戦において三好三人衆が一人岩成友通を討ち取ったとのことでございます」

「十兵衛殿が!?」


思わず膝を打った。朗報だ。今の情勢下において天元となる地は大坂城をおいて他になし。その僅か一里西にある野田城に、織田家の重臣であり、幕臣でもある惟任日向守十兵衛が入り、反織田勢力相手に徹底抗戦を行う。これが持つ意味はこれ以上なく大きい。


「公方様は幕臣を糾合し、更に織田家より京都所司代様、大隅守様、原田様らと協力し日向守様の救援に向かわれるとのこと」

「身内ばかりだな」


村井の親父殿、信広義父上、そして伯父の原田直政。彼らが摂津方面で活躍してくれれば京大坂方面での優位を取り戻せる。


「北近江は浅井領も併せて織田の味方か。美濃との道は琵琶湖を通じ今もって健在だな」


残るは美濃。武田家は信濃を通ってここに攻め寄せることが確実視されていた。絶体絶命のこの状況において織田家に牙を剥く甲斐の虎。だが、その虎に対し尾を逆立てて徹底抗戦の構えを見せた狐が一匹。


「岩村城の動きは」

「膠着状態というところでございます。城の包囲は解かれておらず、間もなく岐阜より柴田様の援軍が岩村城に」


父が凶弾に倒れたという報が入った二日後、尾張で二つの家が動いた。前田家と佐治家だ。又左殿を当主とする前田家と、主を無くし、犬姉さんが実権を握りつつある佐治家。彼らがそれぞれ六百の兵を引き連れ、岐阜城へと向かい、そしてほぼ岐阜城を素通りする形で岩村城へと向かった。


更にその翌日、岩村城において女城主の地位にあった前城主・遠山景任の妻おつやの方が又左殿の手によって捉えられた。理由は武田家への内通。同時に、武田家に親しかったとされる家臣達も捉えられ、岩村城は親織田派の家臣により纏まった。これら全て、武田家が織田家に対して兵を挙げる前に行なわれた事である。


その後、秋山虎繁率いる武田軍が岩村城に攻め寄せるが、その時に既に岩村城は二千五百の陣容と十分な兵糧弾薬を持っていた。降伏をと勧告した秋山虎繁に対して送り届けられたのはおつやの方であった。『お通夜に金がかかるようならば鉛玉で支払う』という一文が添えられていたと聞く。


「流石ですなあ。直子様は、ひゃひゃひゃひゃ」

古左が心底楽しそうに笑った。俺は苦笑いが漏れるばかりだ。母の仕業と決まったわけではないと言うと、一座が笑い声に包まれた。


「父御殿、叔父御は大殿の命もなく勝手に兵を動かすような男であったかな?」

「決断すれば行動は早い。例えば恩人から後生の頼みだと言われれば断れまい」


表向き、母の名は一度として出てこないが、この場にいる人間は全員が岩村城を巡る一連の動きに母の姿を見て取っていた。動かされたのが又左殿と犬姉さんであるところが、又母の影を濃くしている。母に大きな借りがある又左殿と、母をこよなく慕っている犬姉さん。二匹の犬を使役して、武田家にも織田家にも先駆け自らの、というよりも御坊丸の安全を確保した。その動きには迷いが無く、そして間違いもなかった。確実な独断専行であるというのに織田家はこのほど筆頭家老権六殿を援軍として出した。決めたのは勘九郎だろう。多分だが、勘九郎にも権六殿にも母からの手紙が送られている筈だ。


「しかし、まるでこうなることが分かっていたかのような手際の良さですなあ」


母について詳しくない弥介が感心したように呟いた。同じく母をよく知らない百地丹波も同感だという表情をしている。母について詳しい連中は逆に『本当に未来予知でもしたのかもしれない』と半ば本心から思っているようであった。当然、未来を知っていたという訳ではない。知っているのであればそもそも父への狙撃を阻止できていた筈であるし、それが出来なかったとしても、予め岩村城から逃げておくくらいの事はしたはずだ。あくまでこれまでにあった事の知識と、それによって立てた予測の産物である。


母は元々武田家に対しての信頼などというものを毛程も持っていなかった。それは父も同じことで、御坊丸と藤を産む前後から特に親密であった母が武田家の脅威を父から繰り返し聞かされていたとしても何ら不思議はない。だからこそ、母は父が倒れたと同時に武田家の侵攻を確信し動いた。


おつやの方という人物については、俺は詳しく知らない。確か父の叔母か従姉妹かだったと思うが、それを追いだしたという事は恐らく本当に武田に通じていたのだろう。母は食事関係と、子供らの為の動きは躊躇いが無い。或いは父より果断であるかもしれない。


「母上の事はともかく、大体わかった」


伊賀はまだどうなるか分からない。繰り返し反抗的な国人衆を叩いたおかげで最早組織だった抵抗が出来る者がいない。南・西・北は敵に回った。だが、当面見るべきは南。丸山城には百地丹波率いる南伊賀勢を含めて三千が籠った。数を減らし、一万一千を超える程度になった包囲軍であれば十分に耐えられる。


「間もなく丸山城は囲まれる。外と連絡を取る術も一時無くなろう。その前に周囲の様子が見えてよかった」

見えたところで、俺がすべきことは一つしかない。攻め寄せる敵を叩く。城を明け渡さず耐える。これだけだ。


「当面の敵は、高野山の兵を中心とし、反織田の武将達が率いる者らか。斎藤に北畠そして林。全く、父親が嫌われ者であると、倅が苦労をするな」

「林のご家老は、殿が挙げた最初の手柄首ではないですか」


古左に言われ、一同が再び笑った。違う、あれは俺が首を取ったのではなくてここぞという時に父が林の爺さんを切ったのだ。でなければ小僧の頃の俺が筆頭家老を言い負かすことなど出来よう筈もない。


「敵軍はいずこかで、西の方木津川を渡りたいのでしょうが、或いは大和街道の北へと出でて枡川の北へと通過するか」

「いずれにせよ、川岸での戦闘となりますな。我らは渡河途中の敵兵を一方的に撃ち殺す。まずはそこからでござろう」


景連が言い、弥介が答えた。そんな戦は詰まらんなと、慶次郎がゴロリと寝転ぶ。皆、籠城戦に怖じている風はない。父が狙撃されて暫くは落ち込んだり無理に明るく振舞ったりを繰り返していた古左も、今は吹っ切れたのかいつも通りだ。


「もうじき雨が降りまする。長引きますぞ、殿」

どう戦うべきか思案していると、それまで黙っていた百地丹波が不意に口を開いた。間違いないかと訊くと、間違いございませぬとの言葉。


「で、あるのならば各々方、最初の戦いは某に指揮を執らせて頂きたい」


間違いないことを確認すると、力強く景連が言った。家中において、景連よりも明確に格上であるのは二人。嘉兵衛と蔵人だ。家臣になって日が浅いとはいえ、百地丹波にも頭を下げる景連。


「私は元々、軍を率いるのは不得手にござる故構いませぬ。蔵人殿は」

「殿が良いと仰せであれば異存ごさらぬ」


百地丹波も頷き、選択は俺にゆだねられた。皆景連の指示に従うことを屈辱とは思っていなさそうなので、初戦においては景連に全軍の指揮を執らせると認めた。


「で、ありましたら、敵が木津川沿岸に押し寄せた時、某の申す通りに布陣して頂きたい」


こうして丸山城防衛戦に向けて最初の軍議が纏まり、俺は『奇襲戦でやっぱり無茶をしたから一回休み』という家臣達の総意により、嘉兵衛、五右衛門、蘭丸、彦五郎らの目付を付けられたまま本城にて待つという事になった。




挿絵(By みてみん)




「やはり、天守閣というものはすごいですな。よく見える」

翌日、百地丹波の予報通り雨となった丸山城の西に、連合軍一万一千余りが現れた。


「雨は強まっているが、あれは渡れる程度の川なのか?」

「中州がございますれば」


俺が問うと、地元民である五右衛門が答えた。味方の姿はまだ見えてこない。だがすでに丸山城の兵の八割以上は西の麓辺りに移動している筈だ。


「見ているだけというのも緊張するな」

「普段の私の気持ちを少しでもご理解いただければありがたく思います」


天守から敵が見えるという事は、敵方からも、俺がこうして見下ろしている様子が見えているだろう。馬上、雨に打たれながらこちらを見ている老人の姿が見える。記憶も大分薄まっているが林の爺さんだ。何となく、こちらを見据えているような、睨み付けているような気がして背筋がうすら寒かった。


「嘉兵衛様、餅を持って参りました」

「ああ、ありがとう蘭丸」


現れた蘭丸の手には七輪と、鏡餅に使うような丸い餅。穴の直径が一尺(三十センチ)少々しかない小さな七輪は雨で冷え込む中暖を取りつつ、ゆっくりと餅などを焼くのに適している。蘭丸は俺の脇に七輪を置くと、木槌で餅を割り、砕けた餅を焼き始めた。


「皆の分の椅子は用意してくれたか?」

「はい」


嘉兵衛の言葉に頷いた蘭丸が、折り畳み式の椅子を全員に渡す。最初に俺が座らされ、続けて嘉兵衛と彦五郎が座った。五右衛門は遠慮し、遠慮したまま立っている五右衛門に頼んだ蘭丸は一度その肩に乗せて貰い、戦場を見渡してから降りた。


「渡るか?」

朝方にはもう姿を現していた敵軍は、昼前になって一塊となった。川の浅瀬を探す作業も終わったようで、そこから一気に突破する腹積もりのようだ。


「この雨であれば火縄銃は使えぬ。か?」

「一言一句違わずそう言っておりますな」


相手が言っていそうなことを俺が言うと、驚いた様子で五右衛門が俺を見た。俺からすれば、あんな遠くの人間の唇の動きを正確に見て取れるお前の方がよっぽど驚きだ。


「動きましたな」

敵の正面部隊が動いたのとほとんど同時に、西の森から味方の兵がどっと飛び出してきた。総勢二千六百。殆ど総動員だ。


村井勢の登場を見て、一瞬前進を止めた連合軍は、それでもまだまだ味方の数が多いことに勇気づけられ、再び前進する。味方の射撃が始まる。川を半分渡った辺りで味方の長槍部隊が前進し、槍衾を組み、その後ろから弩兵の攻撃が始まった。

雨という条件は、遠距離攻撃の効果を激減させる。火薬が湿気って使えなくなる火縄銃は勿論だが、通常の弓においても、雨で指が滑ってしまい、命中精度は著しく落ちる。


「弩兵についての情報が入っていないのか?」

相手が余りにも無防備に突っ込んでくるので逆に不安になった俺は嘉兵衛に問うた。


「弩兵が勝敗を左右した戦というものは今もって聞きませぬからな。知ってはいても甘く見ているのでしょう」

嘉兵衛の言葉に、そうなのかと頷き、少しだけ落ち込む。これまでの戦で、俺は随分と弩兵を活用してきて、活躍もしていたと思っていたのだが、今だに弩兵の有用性が日ノ本に浸透していない。


「焼けておりまする」


俺が戦場に見惚れている間に、蘭丸が餅を焼き、醤油を付け、海苔に巻いて皿に載せてくれていた。緊張していて余り腹は減っていなかったが、それでも作ってもらったものは食べなければ失礼だと言われて育った俺であるから、ハフハフと口を鳴らしながら食べた。


「嘉兵衛、戦場全体を見渡せるのは良いが、これでは少し呑気に過ぎないか?」

皆が命懸けで戦っている時に、俺だけ温かい七輪の横で餅を食って観戦しているなど、とても褒められた行動ではないだろう。


「景連殿や古参の者らが少々張り切っておりましてな。殿にはごゆるりとご観覧頂きたいとのことでした」


川を半分渡った敵兵が、突如バタバタと倒れ始めた。弩兵の矢が次々と突き刺さっている。慢性的に金が無い我が伊賀村井家は、一張作ってしまえば弾薬に金を使うことの無い弩を大量に生産しており、既にその数は千張を超えている。その弩を全て持ち出し、射手と、弓を張る人間と、二人一組になって次々に矢を放つ。目測だが、早い組であれば十五秒に一矢は計っているように見える。


「狙いが正確だな」

「木津川を渡るとすればあの辺りからだろうと予め予測を立てていたようです。ここからでは見えにくいですが、木の杭が立てられており、彼我の距離が何間あるかが分かるようになっております」


余りにも容易く倒れてゆく敵兵を見て俺が感想を漏らすと即座に説明がされた。銃で撃たれるよりも多くの兵がバタバタと倒れてゆき、敵陣に動揺が走るのが分かる。どうやら銃が使えないからと、竹束で防ぐことすらしていないらしい。


「北側を御注目下さい」

言われ、戦場よりもやや北側を見る。森の中から木津川の河岸に、慶次郎が率いる百余りの騎兵が現れた。


「ちょっとあれは、無茶が過ぎるのではないか?」


現れた騎兵はそのままざぶんと木津川に入ってゆき、そのまま敵陣へと突っ込んでゆく。慶次郎が傾奇者であることはよく知っているが、僅か百の騎兵で一万の敵の中に突入してゆく。それは傾くという事とは違う。自殺行為だ。


「んん?」


そう思った俺が慶次郎の移動を止めさせようと思った時、目を疑う光景が現れた。ざぶんと水に入った筈の騎兵隊が、通常の道を進むような速度でグングンと敵陣に近付いてゆくのだ。敵方の中軍は慶次郎率いる騎兵部隊からの突撃を食らい、すぐに四散した。慶次郎は一当たりしたのと同時に、そのまま来た道を引き返して帰って行った。


「百地丹波殿からご教示頂いた忍術です。予め石を水面下に敷いておき、見えない道を作っておくのだそうです」

「それでは、一度使ったら敵にも使われてしまわないか?」

「それが出来ぬよう、特殊な石積みをしていると聞き及びました。慶次郎殿が帰還したのと同時に、支柱となっている石を一つ引き抜くのだそうです。そうしておけば石は崩れ、明日になれば石積みも流され道は消えると」


ほほう。と思わず感嘆の声が漏れた。言われてみれば理屈は簡単だが、言うは易し、行うは難しの典型であるような気がする。


中軍で、誰か名のある武将でも討ち取られたのか、敵の動きに乱れがあった。その機を逃さず、景連が率いている全軍を前に出した。既に最前線の兵は脛近くまで水に濡れている。その強気の采配に恐れをなしたのか、一旦は川の中央まで兵を進めていた敵軍が引いてゆく。


「いかがでございましたか?」

一旦戦闘が終了し、俺は嘉兵衛からまじまじと質問を受けた。如何であったかなどと言われても、と思っていると嘉兵衛が付け加える。


「我らの強さをとくとご覧いただきたいと、出陣した諸将から言伝を預かっておりまする。殿、如何でしょうか。あれこそ、殿が御自ら手に入れられました、殿の為の強者(つわもの)にございまする」


結局、この日連合軍の渡河は失敗し、結局雨が上がる三日後まで連合軍が川を渡れることは無かった。


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