表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信長の庶子  作者: 壬生一郎
帯刀編
9/190

第九話・小牧山の庭で

 時刻はまだ正午にもなっていなかった。普段だったら台所にでも忍び込んで何か食べるところなのだけれど、小牧山城ではそれも出来ない。折角山城にやってきたのだから高いところに登ろうと思い、背の高い松の木に登ることとした。


 「お、中々に壮観だね」


 小牧山という山は大して大きな山じゃない。小さな山、寧ろ大きめの丘、その程度だ。それでもその丘の上に城を建てているのだから、古渡城の壁に登るよりも格段に遠くが見える。南には那古野城がある。距離としては、小牧山城から歩いて三時間くらいだ。斉天大聖であればひょいひょいと走って一時間くらいで到着してしまうだろう。位置的にはほぼ真っすぐ北から小牧山城、那古野城、古渡城という線が出来上がっている。


 「ああ、いたいた」


 ひとしきり遠くの景色を眺めた俺は、普段あまり会えない連中と遊ぼうと思い、その姿を探した。幸いにも探し人はすぐに見つかり、俺はひょいと木を飛び降り、気付かれないように近づく。


 「この寒い中せいが出るな」


 思わず俺が感心してしまった相手は、織田家嫡男奇妙丸。つまり俺の弟だ。木刀を持ってエイエイと声を張り上げながら稽古をしている。稽古をつけている男は父上よりも年上と思える渋みのある男。その周囲にはいくつか見知った顔があった。


 「相変わらず、茶筅丸は馬鹿そうだな」

 真面目な嫡男の横で、面倒くさそうにあくびをしている弟茶筅丸を見て、そんな感想が漏れた。二人とも吉乃様が産んだ子供であるのになぜこうも差があるのだろうか。


 さて、どうもどうもお久しぶりでございます。と言いながら近づいてゆくのも芸がないなと思いつつ稽古の様子を見ていると、やる気のない茶筅丸が振り上げた木刀が木陰まで、つまり俺の足元まで飛んできた。俺はそれを拾い上げ、片手で軽く振った。フォン、と、小さな風切り音が鳴る。


「おい童、頭が高いぞ」

木刀を拾おうと近づいてきた若武者が俺にそう言った。背が高く、なかなかの男前だ。

「これは申し訳ございません。しかし、私は今可愛い弟妹を待ってございます。頭を下げていてはどこに弟妹がいるか分かりませんもので」

俺が言うと若武者が怪訝な顔をした。今の俺の格好はどう見ても侍身分の子供のそれではない。汚れてもいいようにと動きやすく、既に汚れが染みて落ちそうもないぼろを身に纏っている。そんな子供がいっぱしの口を利くものだから戸惑っているのだろう。


「そ、そうか。しかしこれなるは尾張守織田上総之介様がご長男である。頭が高かろう」

「はて、上総之介様のご長男とは面妖な」

御嫡男だったら正しかったけれども、ご長男と言われてしまうと一体俺は何者でしょうか? となってしまう。


このまま、この若武者をからかってやろうかと悪戯心を出していると、若武者の向こう側から兄上! という声が聞こえ、同時に年かさの従者達が俺の顔を見てあっ、と声を上げた。

「兄上、こんなところで如何した!?」


奇妙丸が俺に近づいて来るのと入れ替わりに、若武者が従者達から首根っこを引っ張られるように下げられた。その若武者を一瞥しちょっと悪いことしたなと思いつつ、俺は近づいてきた少年の前に膝を付き、頭を下げる。

「お久しゅうございます奇妙丸様、お元気そうで安心致しました。このような格好であることをお許し下さい」

最初の一言はきっちりと、俺の方が身分が低いのだと知らしめておく。笑顔だった弟奇妙丸は俺の言葉を聞いてうんと表情を引き締め、大義であると言った。


対面の挨拶を終え、俺が立ち上がると、奇妙丸の顔が近づいた。生まれた時に顔が奇妙だったからという理由で奇妙丸と付けられた可哀想な弟だけれど、むしろ整った顔立ちをしている。生まれたばかりの子供なんか皆変な顔をしているのだ。奇妙なのはそんな名を付けた父親の方だろう。


「背が伸びましたね。俺も背が伸びたのに、殆ど差が変わっていない」

「俺は兄上よりも大きくなっているつもりだったのだが」

「なんのまだまだ抜かれはしませんよ」

言いながら、べしんと頭を潰すように叩いた。奇妙丸は無礼な、と笑いながら俺の手を跳ね除ける。一歳違いの弟奇妙丸は背格好が俺とあまり変わらない。


 「徳の姿が見えませんね、前は奇妙丸様にべったりだったのに」

 「母上がお元気になられたからだ。いつも一緒にいて甘えている」

 「それはそれは、奇妙丸様もお寂しいでしょう」


 徳姫は奇妙丸茶筅丸と同じ吉乃様が産んだ娘だ。この徳姫を産んでから、吉乃様は身体を壊し、臥せりがちになった。勿論それを徳姫のせいだなどという輩はどこにもいないのだけれど、その話をどこからか伝え聞いてしまった徳はどこかいつも申し訳なさそうにしている内気な子供になっていた。


 「たてわき!」


 二人で妹の話をしていると、後ろから馬鹿そうな子供が鼻水を垂らしつつ近づいてきた。

 「やあ、久しぶりじゃないですか茶釜」


 馬鹿を馬鹿にしてみると、茶筅だ! と大きな声で言われた。ケラケラと笑いながら鼻水を拭いてやる。綺麗に手で拭って、それから汚れた手を茶筅の服で拭いた。茶筅はそれを見てありがとうとか言っている。なんて馬鹿なんだ。可愛い。


 「麦茶、徳ともお話がしたい。済まないけれど連れて来てくれないかな?」

 「嫌だ! 俺は茶筅だ!」

 「茶筅という字は書けるようになったかな?」

 ムキになって言い返してきた茶筅丸に質問すると、茶筅丸がうっ、と息を呑んだ。


 「書けないのならば仕方がありません、今日一日書の手習いをして差し上げましょう」

 「と、徳を迎えに行ってきます!」

 チョロすぎる茶筅丸の背中を見送った後、今度はもう一人の弟の背を見た。これまでのやり取りが見えていなかったはずもないのに、黙々と木刀を振り、稽古をつけてくれている渋い男に質問などをしている。


 「勘八」


 言うと、木刀を振っていた少年の動きが止まり、そこで、初めて気が付いたようにこちらを振り向いた。

 「……お久しぶりです」

 「うん、お久しぶりです」


 年で言うと俺が十一歳。奇妙丸が十歳で、さっきの茶筅丸が七歳。徳姫が六歳で、この勘八は茶筅丸と同じ七歳だ。俺と同じで、母親が吉乃様ではない。

 「上達しましたね、驚きましたよ」


 言いながら頭を撫でてやると、小さくうんと頷かれた。そのまま頭を包み込むように抱きしめてやる。抱きしめ返されることはない。けれど、振り払われることもなかった。

 「今日は小牧山城へ泊ってゆきます。後で一緒に手習いをしましょうか?」


 聞くと、腕の中の勘八がコクリと頷いた。この勘八は茶筅丸と同い年で、生まれは僅かに勘八の方が早い。しかし、母親の身分が低いという理由から三男にされてしまったと言われている。届け出が遅かったからとか、本当は茶筅丸の方が生まれも早かったとか、色々言われてはいるけれど、徳姫の話然り、悪い噂程早く広まるものだ。結果、生まれのせいで差別されていると思い込んだ勘八は六歳にして根暗な子供になってしまった。ただ、この根暗少年にも救いが一つ。長男であるのに庶子だから家督を継げないという、自分以上に可哀想な存在が身近にいることだ。次男を三男に、とかではなくそもそも兄弟としていなかったことにされている俺があっけらかんと暮らしている様子を見て何か思うところがあるのか、割と懐かれている。


「兄上」


 兄弟三人で軽く木刀を振って稽古をしていると、可愛らしい声がかけられた。振り返ると、吉乃様の手を取って、引っ張るようにしながらこちらに近づいて来る可愛らしい姫の姿が見えた。その周りをうろちょろしている馬鹿はあまり見ないことにする。

「久しぶりですね、徳。相変わらず可愛らしくて兄は安心しましたよ」


なるべく優しい声でそう伝えてやると、まだ数えで六歳の徳姫がはにかむように笑った。可愛い。これで、探していた弟妹が全員そろった。上から順に真面目、馬鹿、根暗、内気。親父から順に並べると虚け、狐の子、真面目、馬鹿、根暗、内気となる。碌な一族ではないな。


 「吉乃様も、お元気そうで何よりです」

 「ええ、これがありますからね」


 年が明けて、寧ろ少し若返ったように見える吉乃様は朗らかに笑いながら腰元をさすった。そこには俺が渡した骨盤矯正腰巻きが巻かれていた。

 「また壊れたらいつでも直しに参ります」

 「大丈夫ですよ。もう壊れません。ねえ?」


 吉乃様が、控えていた侍女に言うと、言われた方の女性が申し訳なさげに首をすくめた。彼女の名前は知らないが、顔は覚えている。以前骨盤矯正腰巻きを渡した時に最も強烈に俺の事を睨んでいた人だ。多分、腰巻きを壊した人なのだろう。証拠はないが確信はある。

 「壊れていないのなら良いのです。大切に扱っていても、思わぬところで壊してしまう事もあります。その際にはご遠慮なく」


 後から知ったことだけれどこの侍女、もとはと言えば奇妙丸の乳母をやっていたそうだ。それが縁で今は父の側室の一人となった。そうであるのならば俺の事など疑って当然だろうと思う。今はもう俺に対しての敵意もなさそうだし、水に流そう。


 「帯刀殿、子供達と遊んで差し上げて。勘八も帯刀兄上に会いたいと言っていたのですよ。ねえ?」

 吉乃様が、あえて自分の子でない勘八の名を挙げた。それまで黙っていた勘八がそんなことないとモゴモゴ言い始めた。

 「そうですか。折角ですから木登りや駆けっこでもしようと思っていたのですが、稽古中ですので邪魔は出来ませんね」

 「構いませんよね、彦右衛門殿?」


 この渋いおじさんにも予定や指導計画があるだろうと遠慮していると、例の骨盤矯正腰巻き壊し女が横やりを入れた。随分と気安い物言いだった。

 「ええ、拙者も、木登りは得手であります。皆様のお相手致しましょう」

 声も低く、渋い人だった。彦右衛門。多分通称だろう。名を聞いてみた。

 「滝川一益と申します。帯刀様。どうぞ彦右衛門とお呼び下さい」

 すらりと背も高く、どんな格好でも似合いそうな彦右衛門殿は慇懃に頭を下げ、片膝を突く。そんな様子も実にサマになっている。


 「じゃあ、どうやって遊びますか。前回は皆で私を追いましたが」

 子供の一歳差というのは能力値が全然違う。前回は斉天大聖直伝の木登り術を駆使した俺が弟妹全員をぶっちぎって逃げ切るという遊びをした。

「ほう。それは面白い。それでいきましょう」

「私が逃げ役ですか?」

「いえ、拙者が逃げまする。拙者一人を、皆様で追いかけて捕まえられるかどうか。如何でしょう?」

「五対一ですよ?」


まあ、徳が戦力になるとは思っていないから実質四対一だけれど。

「確かに、それでは勝負にならないかもしれませんな」

「そうでしょう?」

「でしたら、拙者は片足しか使わず、地面には決して降りずに逃げ回ります。それならば多少は遊びにもなりましょう」

「……ほう、自信がおありか?」

「まあ、自信というよりは、まだまだ皆さまお子様でござる故」


カチンときた。この野郎。滅茶苦茶捕まえてやろうじゃねえか。

「では、拙者は逃げますので、十数えたら追って来られませ」

言うが早いか、彦右衛門殿はシャッ、とその場から跳躍し、太い木の枝に登った。そうして十数えるまでの間に完全に姿をくらませ、俺たち兄弟を困惑させた。


「徳も探します!」


徳が元気な声を出し、トテトテと駆け出し、追いかけっこが始まった。そしてこの日、俺は一度として滝川彦右衛門一益を捕まえることが出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 信長一家がただただ可愛い…!
[一言] 一益「忍者って言うな」
[一言] 滝川一益って甲賀出身でしたっけ?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ