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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第八十九話・急転直下

 「いや何してんねんジブン」

 三日後の夜、本能寺の堂宇の上に乗り、一人空を見上げていると、茶々麿から話しかけられた。


 「えーと、星が綺麗だなーって」

 「可愛いことすなや。女子か」

 「じゃあ、町の光が綺麗だなーって」

 「じゃあってなんやねん」


 京都の町は日が落ちても家々に火が灯り、なお明るく見える。きっと遠くから京を目指してやって来る旅人達にも分かり易いことだろう。俺達が話し合った室町小路の方角にも光がちらほらと見える。公方御構や内裏がある辺りにも明かりがあるという事は、今頃やんごとなきお方も何か話をしているのだろうか。


 「こんなところで会うなんて偶然だね」

 「どう考えても偶然ちゃうやんけ。何で俺がたまたま本能寺の屋根に登んねん」

 「危ないよ、ここは法華宗の大本山だよ。浄土真宗本願寺派の法主になる人がいたら薙刀もって追い掛け回される」

「京都の町でそんなこと言うてたら寺社関係の人間外歩かれへんわ。煮物に出来るほど寺あんねんぞ。ちゃんと身分明かして、たいとうのこと訪ねて来とるわ」

 「こんばんわー、たいとう君いますかー、って?」

 「ダチか!」

 「違うの?」


 訊くと、茶々麿が黙り、違わんけどと答えた。くつくつと笑う。


 「毒気抜かれるわ」

 言いながら、茶々麿が俺の隣に座った。彼に毒気なんてものは元々ないように思うけれど。


 「下間頼廉殿は?」

 「了悟やったら一足先に本願寺に向かった。オヤジに、俺が又勝手なことしたって言いにな。ここには宗巴達と来た」


 首を伸ばし、下を見ると、堂宇の下にある明かりが一つ増えていた。夜は冷える。誰かしら彼らに温かいお茶でも出してあげているだろうか。そんなことを思うのならばそもそも寒い夜に外に出るなという話なのだけれど。


 「あのお人も苦労人だね」

 「苦労人やな。いっつも法主とその倅が持ってくる面倒ごとを処理しとる」

 「茶々麿と顕如上人じゃないか」

 「しゃあなしやろ。どの世界でも第二位は一位の我儘に振り回されるもんや」


 お前らは織田家か。と言いたくなった。まあ、織田家の場合第一位の人間に振り回されているのは二位ではなく、二位以下全員だけれど。


 「大変だね、引っ越し」

 「大変やな。けど大坂の周りには寺内町が仰山ある。まずそこに身内が住んでる連中から移動させる。それから山科や。山科本願寺が焼かれてから随分経つからな。石山本願寺から出るって事なら、あそこにもう一度浄土真宗の門徒が集まるようになるかもしれへん」


 ふむふむと頷き、それで全員収まるのかと問うた。


 「まあ無理やろな。でもやれるだけの事はやって、それからや。石山には職人連中もおるし、喧嘩が強い連中もおる。織田家に雇って貰えれば案外何とかなるんちゃうかとも思とんねん」

 「ああ、ウチの父親はそういう事良くするよ。下間頼廉殿なんかいきなり重臣に取り立てられるんじゃないかな」


 引く手あまただと思う。仮に俺のところに家臣に来てくれるというのなら、俺だって大喜びで迎え入れる。


 「何やそうやって言われると、ほんとにたいとうってあの織田弾正忠の息子なんやなって思うわ」

 「由緒正しくなき庶子の出だからね」


 言うと、何やねんそれと笑われた。暫くへらへらと笑い合う。こういう軽口を叩ける相手が最近減っていたのでとても嬉しい。


 「人が余るなら、うちにも少し人を入れると良い。万単位じゃあ無理だけど、千人単位なら可能だから」

 「うち? 伊賀か?」

 「いや、長島にね」


 言うと、ギョッとした表情を作られた。本気か? と問われる。言い方としては正気か? と問われている気分だ。


 「武装して籠れって言っている訳じゃないよ。家が無いなら宿を貸すって言ってるんだ。今あの島は俺と、滝川殿という家臣に任されているから、多少俺が融通を付けられる。他に招いている人達ももういる」


 「誰やねん、招いてる連中って」

 「神道家と基督教徒と、奈良仏教、平安仏教の門徒達」


 うええっ!? と茶々麿が声をあげた。両手を大きく動かして身振りでも驚きを表している。驚いて欲しいと思ったところでちゃんと驚いてくれるなこの子は。


 「あんな小さな島にそんだけの者集めて何がしたいねん。喧嘩させたいんか?」

 「まあ、そうかもね」

 「そうかもねて」


 勿論毎日武力衝突させたいという話じゃあない。かつて七島と呼ばれていたあの島々の、それぞれの島に異なる教えを信ずる者らを住まわせたら面白いんじゃあないかと思ったのだ。長島という地域を宗教のるつぼにし、織田家はそれを管理する。


 「喧嘩させたいというか、毎日を公開討論に、三日前の京都にしたいんだ」

 長島は港町だ。遠く近く、様々な情報や人が入って来る。宗教とは多分に学問的なものであるし、良い立地であるのではなかろうか。


 「勿論また籠られたら困るから、砦になり得る建物の建築は禁止する。島々には橋を立てて、実際に荒事になった際には織田家の法で罰する」


 楽観論が過ぎると言われてしまうかもしれないが、俺は案外危険性は低いのではないかと考えている。そこに住まうのが多くの宗教家であるのなら、彼らが一つに団結することは難しい。織田家がどれか特定の宗教や宗派を弾圧することは多分にあり得るが、全ての宗教を根絶する、などと言いださない限りどこかの宗教や宗派は織田家の味方をするだろう。島全体が一丸となれないのであれば、長島に限らず籠城など不可能だ。


 「どの道、これだけ浄土真宗の門徒が増えている日ノ本で信仰を完全になくさせることは不可能だから。まずお試しで少人数ずつ、父上にお伺いを立てておくよ。駄目だと言われたら御免」

 「何やまだ企画段階かい」

 「茶々麿だって、引っ越し企画段階だろう?」

 「せやな。俺もオヤジにお伺い中や」

 「上手く行くと良いなあ」

 「お互いにな。ウチのオヤジはあれで結構ビビりやから上手くいくとは思うけどな」


 そうなんだ、と訊くと、そうなんや、と返された。以前、本願寺が蜂起した際にも、本人は随分と渋っていたらしい。織田弾正忠が大軍を引き連れて京を離れた今を逃せば最早好機はないと言い募る急進派に押し切られる形で、蜂起がなされたのだそうだ。


 「長島行きが本決まりになったら案外オヤジが先頭切って長島に入るかもしれへんな。供養してやりたい言うてたんや」

 それから、茶々麿は父親の話を幾つかした。それは俺が今まで抱いていた本願寺顕如の印象とは大きく異なり、普通の、どこにでもいる子煩悩な父親像だった。


 「浄土真宗本願寺派ってのは、そんなもんや。可愛いもんやと思うで、基督教に比べりゃあな」

 暫く話をした後、茶々麿が急に眉を顰めた。


 「連中の技術力の高さは認めるで。仏教とは遠いけど、基督教の教えってもんもよう出来てると思う。けどやな、教えが、やのうて、技術が、やのうて、南蛮人は危険や。たいとうは、黒人いう人種を見たことあるか?」


 訊かれ、首を横に振った。話には聞いたことがある。


 「南蛮人並みに体がでっかくてな、肌の色は黒炭くらいに黒い。大袈裟やないで、ホンマにそれくらい黒いんや」


 俄かには信じがたかったけれど、茶々麿の表情には俺を騙そうとしている風はなかった。彼らは彼らなりの言葉を話し、そして彼らなりの文化や伝統を持って暮らしているらしい。


 「その黒人はな、南蛮人にとってみりゃあ家畜と変わらん」

 「家畜? 奴隷ではなく」


 訊くと、家畜やと、茶々麿が強調した。


 「基督教の教えによりゃあ人類は皆平等や。けど黒人を奴隷にして使うことは悪いことちゃう。南蛮人にとっちゃあ黒人は人ではなくて動物で、物やからな。財産として扱うのに何も悪いことは無いやろ。ってなもんや」

 「そりゃまた、随分と端的な」

 「ウチら日ノ本の人間も、動物と思われかけとるかもしれんで」


 何と言い返せばいいのか分からずにいると、茶々麿が畳みかけて来た。


 「もっかい言うけどな、ウチは基督教の教え自体は上手い事出来てると思うとる。けれどもその教えを広める人をちゃんと見たってくれ。日ノ本の仏教を堕落させたのは大乗仏教の経典やら、鎌倉新仏教の開祖たちが書いた書物やらとちゃうやろ。あくまで人や」


 そう、俺に伝えておきたかったことを伝えた後、茶々麿は帰って行った。こんな寒い日の夜に外出るなや、と言って震えていたので温かいお茶を御馳走し、見送った。

 



 「まずもって大義であったな」

 「お褒めに預かりまして、光栄至極」


 更に三日後、俺は父に呼び出され妙覚寺にて朝餉を共にしていた。


 「今朝早馬で密書が届いた。顕如からだ。多くの坊官は石山退去に賛成したそうだ。どうもあの子倅が今までは急進派の先鋒であったらしい。その、倅の教如が先に連れ出せるだけ連れ出し、まずは近場の大坂、次いで畿内に散る。それが成れば織田家の兵を入れることも出来よう」


 本願寺顕如は今、徹底抗戦を唱える過激派の説得に当たっているらしい。尤も、主力となる下間一族の多くが退去賛成に回ったそうであるので、そこまでの脅威には成り得ないとのことだ。


 「長島の事、危険だが面白い」


 怒られたらすぐに謝って取り下げようと思っていた長島移住だが、父は笑ってそう言ってくれた。スルスルと、湯漬けをかきこむ。俺も同じようにした。寒い日にはこうやって腹から温めるのが一番だ。


 「二万も三万も入れることは出来ぬが、人手不足でもあるらしいのでな、船着き場や橋作りに人足として入れるか。生活するための金を織田家が出している間はそうそう逆らえまい。隣近所に日蓮宗と基督教徒辺りを住まわせれば不満もそちらに逃げよう」


 言いながら自分で面白かったのか父がケッケッケと笑った。日蓮宗にはこれからも他宗派との争いの火種となり続けて貰いたい。統治する側としてはそちらの方が楽だ。


 「石山退去の方は上手くいきますでしょうか?」

 「最後まで出てゆかぬというものもおるかもしれんが、半分でも一割でも退去者が出れば良い。問答によって石山勢の士気が挫けたというだけで意味としては十分よ。残ってまだ戦わんとする者は望み通り殉教させてやる」


 父が父らしい事を言う。この辺りの果断さは流石というべきだ。


 「大坂城が手に入れば最早雑賀根来は恐るるに足らず。鈴木重秀は既に織田に恭順の意を示した。大坂左右之大将がおれば畿内の火種はすぐに消える。粉河寺だけで抵抗は出来まい。逃げる連中は全員高野山に追い込め」


 父が地図を広げ、箸で雑賀荘・根来寺・粉河寺をそれぞれ指し示し、それからつつっと、箸をズラして高野山をトントンと叩いた。


 「高野聖共に進退を決めさせる。高野山が匿えば俗世の事は無関係である。金剛峰寺は聖域であるなどと、全山焼き払われるまで言っていられるものなら言っておるがよい」

 黙って湯漬けを啜った。腹は暖かくなったが少々背筋が寒い。


 「紀伊までを制圧したら西国だ。既に山陰山陽から攻め入る手筈は付いている。手始めに丹波と丹後を征し、但馬や播磨の国人衆と尼子再興軍を前面に押し出し、毛利を攻める。同時に淡路にも上陸し、三好家を完全に滅ぼす」

 「毛利家は、完全に滅ぼすおつもりで?」


 漬け物を手で掴み、バリバリと噛む父に聞くと、出方次第だなと答えられた。俺は漬け物には手を付けず、持ってこられた茶を飲む。


 「どう転がるにせよ、石見銀山は奪い取る」

 本州において、石見よりも西にあるのは長門と周防だけだ。南が安芸。つまり毛利家が織田家に服する場合、残る領土は最大でも三国、果たして毛利家がそれを受け入れるかどうか。


 「毛利も三好も最早恐るるに足らずよ。真に決着を付けねばならぬは、公方義昭」

 この時ばかりはさしもの父も少々声音を落とした。父の口からはっきりと決着を付けるとの言葉が出て来たのは初めてだ。


 「畿内と近畿が完全に安定してしまえば最早実質的な大将と名目上の大将が並立し続けるのには無理がある」

 「父上は勘九郎を公方様の猶子とし、若公様を征夷大将軍とすべく動いております。天下の民の大半は、父上が足利中興の為動いていると思っておりますが」


 今回、俺もそれを前提として動いた。足利の忠臣であるという立場は最後まで崩さずに話したつもりだ。


 「貴様もそう思うておるのか」

 「全く思うておらなんだから聞いておりまする」


 言い切ると、ケッケッケ、という笑い声と共に肩を叩かれた。それから獰猛な笑みと共に任せておけと言われる。どうやら手立てがあるとのことだ。


 「貴様も昇格させるぞ、従四位下だ」

 「それでは弟達と官位が逆転してしまいますが」

 「此度の大功を思えばそれも致し方なしよ。母方の身分も原田家と格が上がったのだ、そろそろ良かろう。元々、貴様を殿上人として直接話をしたいと申す者も多かったのだ」

 「それであるのなら五位で十分、蔵人であれば六位でも清涼殿に登れますぞ」


 公家の位階のなかでも、特に五位以上の人間は天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇ることを許され、殿上人と呼ばれる。雲上人(くものうえびと)などと呼ばれることもあり、文字通り一般の人間からすれば遥か雲の上の人間という事になる。


 「貴様は公家衆からの評判が良いからな。そのうち三位くらいにしてやろう」

 「三位では殿上人どころか公卿ではないですか」


 公卿とは、公家の中でも太政官の最高幹部として国政を担う職位だ。即ち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議らの事を呼ぶ。ここまでの地位に登った武家は数えるほどしかいない。鎌倉幕府の創設者源頼朝公と、三代将軍実朝公。室町幕府においても、代々将軍職を務めた御方のみがそこまで登る。俺には余りに過ぎた身分だ。


 「何だ、昇格することがそんなに不満か?」

 「不満はありませんが、恐れ多きことです。まず父上が参議以上になって頂かなければ」


 公卿と呼ばれるやんごとなき方々の尊称は『卿』であり、大臣職であれば『公』だ。せめて周りがそれくらいの立場になってから俺も、という事でなければ、いきなり卿だの公だのは重たすぎる。


 「任せておけ。貴様の従四位下に付く従も下も、すぐに取り払ってやる」

 「それならば職を変えては頂けませぬか? 文章博士などという職はいつまで経っても慣れず、己如きがと恥ずかしい思いがぬぐえませぬ」


 大笑いされた。恐らく堂宇の外まで怪鳥の鳴き声が響いていることだろう。


 「三七郎には紀州攻めと四国攻めを担当させる。そこで手柄を挙げさせ、神戸家よりも格上の家に養子に出す。空いた伊勢一国は三介に与え、三七郎は西国で一国か二国だな」


 頷いた。三七郎であれば、軍事的にも内政的にも手落ちはないだろう。養子に出すとすれば土佐一条家が最も格上だ。土佐に加えて伊予を与えれば、中国の毛利や九州諸大名に対しての睨みも効く。


 「貴様は吉兵衛の後を継いで五畿内の統治だ。直轄地とはせんが、その内京都所司代ではなく、畿内所司代、いや、天下所司代にでもしてやろう」

 「大袈裟な名で飾り立てるのはやめて下さい」


 正直なところ、天下の大勢さえ決してしまえば俺は長島の領主で構わない。家臣達は出世させてやりたいが、景連は三介に頼んで重臣にして貰えばいい。嘉兵衛は羽柴殿と旧知である。前田家の者らはそろそろ又左殿との気まずさも薄まったであろうし、いざとなればその上役の柴田殿らに面倒を見て貰える。その他の家臣達も、頑張れば何とか再雇用先を見つけてやれるはずだ。古左辺りはまあ、適当に。


 その日は結局、一日かけて父上に京都の町を連れ回された。苦労をかけたので慰安だと言っていたが寧ろ疲れた。美味いものは食わせてもらったが一刻おきに豪勢な食い物がでてくるから腹がはち切れそうだった。最後は遊郭に連れて行かれ、一晩過ごしてから翌朝村井邸へ。帰ってすぐに、近づいてきたハルに匂いを嗅がれた。いやらしい。と一言叱責をされ、言い訳すら許してもらえなかった。俺が悪いのか?


 それから、ハルの機嫌取りに二日間を要した俺は三日後に伊賀へと帰国。伊賀統治二年目を本格的に開始することとなる。伊賀国人衆に対しては金払いを良くしたことと産業の発展に注力したことで、懸念していたような反抗は起こらなかった。畿内各地との取引や街道整備なども概ね予定通りに進み、そうして五月に入り、

 





 織田信長討ち死にの報が日ノ本を駆け巡る。


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