第八十六話・解脱論のススメ
教如の隣には平べったい顔で眼が離れた、魚のような顔をした男が一人。そして、更にその隣にはその男によく似た青年が一人。本願寺の支柱にして、その恐ろしさを体現した男下間頼廉だ。隣にいるのは息子の下間頼亮だろう。かつては宗巴と名乗っており、同じ釜の飯を食った。
「流石、来て欲しいと周囲が思われる頃に来られますなあ。見せ場を知っているというのは親譲りですかな?」
俺の隣に、ゆっくりと神輿に揺られて近付いてきた老僧が一人。父の学問の師であり、此度俺と共に織田家の代表論客となった沢彦宗恩和尚だ。
「儂は気に食わんぞ。御仏の教えをこのような見世物とし、乱痴気騒ぎの温床とするとは! 出店を見てみよ! そこかしこで肉を売り酒を売り春を売る女子すらもおる! このような場でどれほどの高説を述べようとも白々しい言葉が虚空を上滑りするばかりよ!」
逆隣りから、不機嫌そうに現れたのは沢彦和尚の兄弟子にして、此度臨済宗の僧としてお出まし下さった快川紹喜和尚だ。沢彦和尚が人の良さそうなうりざね顔をしているのに対し、快川和尚はしわくちゃの梅干しのような顔をしている。皺と、長い眉毛の奥から見える瞳は爛々と輝き気性の激しさを伺わせる。
「まあまあ兄者。そのようにお怒りにならずとも、此度は堕落せし似非仏教徒共に喝を入れに来たのでありましょう?」
最初から怒り心頭と言った風である快川和尚に沢彦和尚が言う。快川和尚はふんと荒く鼻息を吹くと、まあ良いわと答えた。
「安禅は必ずしも山水を須いず。このような俗に塗れた場所であっても儂の弁舌には些かの乱れも無い」
「それは結構。それにしても、やはり神道の姿は見えませぬな」
「結局論戦を行うというところに入ってきませんでしたな。日蓮宗と、基督教徒の過激派の者らとの話に終始し、この場まではこなかったようですぞ」
結構結構、と、沢彦和尚が笑う。宗教的に言えば今回の公開討論は仏教対基督教対神道の三つ巴だ。仏教界一の過激派を日蓮宗と呼ぶことに異議を差し挟んでくる者は日蓮宗の者以外に存在しまい。考えようによっては神道は仏教と基督教の、それぞれの過激派を抑え込んでくれたのかもしれない。後世になってこの公開討論を三宗教の主導権争いであったと位置付ける者もおろう。
その基督教における最強論者の姿が見えた。分かり易く、それだけに独特の迫力がある。ざんばら髪で鼻の上から額の辺りまでをすっぽりと覆う面をかぶった男。演出なのか何なのか、胸には三味線を抱えている。ロレンソ了斎その人に間違いはあるまい。ということはその後ろに控えている大柄な男はルイス・フロイスなのだろう。南蛮の宣教師が着る不思議な服装をしている。手に持っている本は彼らにとっての聖典。穏やかな表情で泰然としているところを見ると、此度の公開討論でもロレンソ了斎がその猛威を存分に振るっているのだろうと予想が付く。
「真宗高田派の者達は?」
「結局纏まり切れず瓦解したようですな」
苦笑と共に言われ、俺も釣られて苦笑した。真宗高田派は伊勢の専修寺を本山とするが、越前にも派閥を持っている。権大納言飛鳥井雅綱の息子である僧尭慧と、常盤井宮家出身で、後柏原天皇の猶子真智をそれぞれ神輿とする勢力の争いが長らく続いている。本山たる専修寺に君臨するのは尭慧であるが、真智は越前に熊坂専修寺を建ててここを本山と主張している。又、その真智に対して前公方足利義輝公が高田専修寺住持職を認めたこともあり、未だ争いに決着が着いていない。此度の公開討論についても、どちらが真宗高田派の主とするのかで大いに揉めたらしい。
「両派共にやって来たようですがどちらも自分達が真宗高田派の正当であるという話に終始してしまい、他宗派との論争に敗れ引いていったようですな」
「お家争いが結果家を潰すは仏門も同じか」
とはいえ伊勢は織田、越前は浅井、どちらも領主たる者との結びつきが強い。此度は名を落としたがこれでもって派閥そのものが消滅することは無いだろう。
「覚恕法親王殿下は、絢爛たることよな」
「誠に」
七つの勢力のうち、二つが棄権・敗退した。残るは仏教勢力において本来大将を務めなければおかしい比叡山延暦寺だ。伝教大師最澄が開き、大乗戒壇の設立を果たした。大乗戒壇の設立とは即ち当時仏教の主流であった奈良の旧仏教から完全に独立したということだ。これにより、延暦寺において独自に僧を養成することを可能とした延暦寺は慈恵大師良源・聖応大師良忍・円光大師法然・千光国師栄西・承陽大師道元・見真大師親鸞・立正大師日蓮と、名だたる名僧達を次々と排出してきた。その層の厚さが物を言ったか、或いは後ろ盾となっている武田家が後押しをしたのか、覚恕法親王殿下以下居並ぶ叡山の僧達は皆きらびやかな衣装に身を包み威圧するように周囲を睥睨している。
予定していたよりも二つ減った。だが、ここにおいて織田家は圧倒的な優勢を保っていた。浄土真宗本願寺派を除く三つの勢力は皆親織田派だ。当初六対一の様相であった戦いは、恐らく顕如や下間頼廉らの暗闘の効果で四対一にまで持ち直した。それでも四対一だ。そう簡単にひっくりかえせる不利ではない。
「似非仏教也」
口火を切ったのは、覚恕法親王殿下だった。厳かに構えたまま、教如と下間頼廉のいる方向へと一言ポツリと、しかし確かな声で言う。
『浄土真宗は似非仏教也!』
『大乗仏教を解さぬ似非仏教也!』
『民草を堕落させる似非仏教也!』
『欺瞞と詐称の似非仏教也!』
『淫祠邪教の似非仏教也!』
『銭稼ぎを行う似非仏教也!』
『浄土真宗は似非仏教也!』
覚恕法親王殿下の言葉を号令として、周囲の者どもが口々に声を荒らげた。見学をする者達の中にも似非仏教也、の合唱に参加する者も多く、場はまるで、最初から有罪判決が確定している裁判の際のような空気になった。
「喝!」
大喝にて、一喝。音や声で人を殴ることが出来ると言うのなら、それはもう周囲全体をひっぱたくかのような声でそれらを黙らせたのは下間頼廉であった。彼は自分の不利を十分に理解しているだろう。俺としては俺の前にすでに三勢力もの味方がいるのだ。誰もが、己の弁論でもって本願寺を叩き潰してやりたいと思っている。俺はそれらに本願寺が叩き潰されるのを待っていればいい。俺にとっては命がけの戦いであり、そして本願寺にとっては初めから崖っぷち。そのような状況の中で最初の戦いは開始された。
「浄土真宗には、肉食妻帯が認められており、これと言った戒律がない。故に浄土真宗は他宗にはない血縁関係による地位の譲渡が存在する。又、加持祈祷を行わず、正式な作法や教えといったものも極めて簡素である。ただ阿弥陀如来の働きにまかせて、全ての人々は往生することが出来ると説いている。これの一体何が、似非仏教であるのかお教え願おうか」
大声や数によるこけおどしは通用しない。そう主張する下間頼廉の質問だった。延暦寺の者達がしばし顔を見合わせ、そしてやがてそのうちの誰かが声を発した。
「僧による肉食妻帯を行う事を認めておるは浄土真宗以外には存在せず!」
「仏教の開祖たるお釈迦様が肉食妻帯を行っており、そしてそれらを禁じてはおられぬ。にも拘らず何故肉食妻帯をしてはならぬと仰せになるのであろうか?」
先程のように、延暦寺の者達が幾つもの非難を連続して浴びせようとしたその矢先、一つ目の非難をぶつけられた直後に下間頼廉がそう返答した。続けて次の非難をと構えていた者らがうっと言葉に詰まる。
「そもそも仏教の目的とは苦しみの輪廻から解脱することを目的としており、厳しき戒律を守り、加持祈祷により邪を祓い、正しき礼儀作法を習得することが目的なのではない。それらが解脱の為に必要と考えるものならばそのようにすればよいが。それはあくまで手段である」
返答に詰まっているうちに、下間頼廉が更に続けた。戒律の厳しさという点において、厳しきは比叡山延暦寺の教えで、逆に優しきが浄土真宗だ。浄土真宗に限らず、鎌倉新仏教と呼ばれる宗派はそれまでの厳しい戒律から優しい戒律への変更という点が一つの特徴となっている。その理由の大きなところに、従来の厳しい戒律を守らなければ救われることがないというのであれば、一般のほぼすべての人間が救われることなく死んでゆくから、というものがある。もっと手軽に、誰でもが救いを求める事の出来るように、そうやって旧仏教に対しての反駁として生まれたという側面を持つ新仏教であるから、当然それまでにあった平安仏教との折り合いは悪い。
「手段を疎かにし、何故その目的を達成することが出来ようか! あまつさえ人々を仏に成らしめようとする本願を他力にて成さしめんとするなど、欺瞞にも程があろう!」
「楽するって事と、疎かにするってことは似てるようで違うねん」
その時、それまで黙って事の成り行きを聞いていた教如が口を挟んだ。
「確かにウチらは嫁さん貰うで。肉も食うし、楽しいことを禁じてへん。それでいかんと思てへんからな。易行を選択し、専修する。浄土真宗に限らず、鎌倉新仏教のキモはここや」
これまでの話とうって変わって、極めて簡単な、論争ではなくまるで今この場にいる全員を諭しているかのような教如の声であった。
「最澄はんや空海はんのような御大層な天才方々は確かに偉い。顕教はごっつい学識を必要とするわけやし、密教なんて殆ど人間を超えなアカンからな。そういった人達には頭上がらへんわ。けどなあ。殆どの人ってのはそないに偉くなれへんのよ」
厳しい教えをたゆまぬ努力によって学び、解脱に至る道を踏破する。そういった行為を必要とした平安仏教は確かに尊かったが、その尊さゆえにそれらを達成できる人物も一部の尊き者達、即ち貴族に限られた。それ以前の奈良仏教が半ば学者達による研究に終始していたことと比べれば広まったとは言えるが、一般化には程遠いものであった。それを武士階級や一般の庶民たちに広めたのが鎌倉新仏教である。人生をかけて厳しい修行に打ち込むなどということは出来る筈もない農民。救いどころか、名前も知らぬ者を斬らねばならない武士。彼らが縋れるのは遥か遠く山の頂にある尊き教えではなく、簡単な行いをただ一つ選び、それに専心してゆけばそれだけで救われるのだという身近な教えだった。民衆の生活に深く浸透したことにより、仏教はようやく大陸からの受け売りではなくなった。即ち日ノ本の精神への同化を果たしたのだ。ここまで全て随風の受け売りである。格好良いから日ノ本の精神、の部分はそのまま使ってやろうと思っている。
「ウチら人間ってもんはよ、厳しく修行して、食いたいもんも食わんと好きな女と遊ぶこともせんと、何もかもかなぐり捨てて頑張らな救われへんのか? 『ワシの人生素晴らしいものやったわ!』って、往生する時言ったらアカンのか? そんなもん悲しすぎるやんか。浄土真宗はな、石山本願寺はな、駄目な奴らから順繰りに全員救っていきたいねん。学もない、性格も悪い、努力も出来なけりゃぶっさいくで取り得もない。そんな奴をどうにかしてやりたいねん。あんじょう頼んます。って言われた時に、任しとかんかい! って言ってやりたいねん」
それは確かに、人を導く者の声だった。本気でこれを言っている。そう思わせるのに十分な真に迫った声音。身振り手振りと、周囲を見回す視線の動き。気が付けばその話を聞く者達の中にもすすり泣く者が現れていた。
「耳が痛いなあ」
かつて、自分で考えることも出来ず喜んで死んでゆくような虫じみた連中ならば、殺すことに何の痛痒も感じないと言い切ったことのある俺としては何とも、我が身の小ささを思い知らされる言葉だった。そういう者から順に救いたい。そういう者なら殺していい。並べて比べれば、どちらの器の方が大きいか考えるまでもない。
「一つお尋ね申し上げたい」
その時、代表者たる者達のうちの誰でもない者が、声を発した。教如がうん? と言いながら振り向くとそこに一人の僧が立っていた。見るからに意志の強そうな、四十手前の男だ。
「拙僧は応其と申し、真言宗の僧にございます。今は木食の行を行っている最中にて、穀類は口に入れておりませぬ」
木食の行は穀断ちとも呼ばれ、穀物一切を絶つことにより僧の身体を清めんとする苦行の一種だ。
「教如殿の仰せに、浄土真宗の教えに従えば人の救いは成程近くなりましょう。しかしながら、そうなると今拙僧がしている行はせずとも良い無駄な苦行という事でしょうか?」
「ちゃう。それはちゃいまっせ」
言下に、即座に、教如が否定した。
「応其はんみたいな立派な僧は世に必要や。ただ、応其はんには出来ても、他のもんには出来ん事があるいうこっちゃ。出来ひん事をやれ言うて、それでも出来ひんかったら地獄行き。これじゃあんまり酷やろ? 人にはそれぞれ得手不得手がある。皆頑張って出来ることをやって行こうや。ってことや。応其はんはそのまま木食を続けたらええ。必ずその先に何かあるで」
「こちらからも一つ質問を宜しいでしょうか?」
そう言ったのは随風だった。周囲はすっかりと教如の演説に聞き入っている。だが、この男が場の空気とか、全体の雰囲気などというものに流されるようなタマでないことは俺が一番よく知っているつもりだ。
「どのような者も救いたい。駄目な者から救いたい。そのように仰せになる貴方様の父君は、『織田家と戦わぬ者は破門』と仰せになりましたが、これは誰もを救うという考えとは大いに異なるように思います。又、戦いのさ中顕如上人はこのようにも仰せになりました。『進めば往生極楽引けば無間地獄』これは浄土真宗の教えに従いこれまで一心に念仏を唱えていた信徒たちに対し、死ぬようにと命ずるが如き残酷極まりなきお言葉にございまする。顕如上人の御嫡男たる貴方様は、一体いかにお考えでございましょうや?」
随風の言葉は冷たく厳しくその場に通った。『その通りだ!』『信徒達を騙す悪党なり!』と、延暦寺の者らがこれぞ好機とばかりに攻撃を始める。
「はて? おかしゅうございますな。拙僧が記憶したるところによりますると叡山はこれまで、織田家のみならず敵対する者を『仏敵』と呼び、『法難』と銘打って戦いを呼びかけたことこれあり。これは顕如上人による織田家に反抗せねば破門。進めば極楽引かば地獄。と同じ類のものと思し召しまするが。叡山と石山と、一体何が違うのか、恐れ多きことながら覚恕法親王殿下の御言葉を賜りとうございます」
気勢をあげんとした延暦寺の者らを黙らせたのも又、随風だった。手際が良すぎるだろうと、その論破の速度に些かの寒気を覚える俺。この男を味方にしておいて本当に良かった。
「お答えあれかし」
風の随に。と言うには、それは余りに強風である。




