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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第八十五話・室町小路口撃戦

 「やぁやぁ音にこそ聞け! 近くば寄って目にも見よ!!」

 古き源平の時代に使われ、現在ではすっかり聞かれなくなった戦口上。その前名乗りを、慶次郎が雷鳴の如き大声で叫ぶ。


 「我こそは平朝臣織田弾正忠が一子にして伊賀一国の守護! 村井文章博士である!」


 片膝を立て、神輿の上に固定された肘置きに体重を預け、精一杯格好付けながら叫ぶ。派手好きの京都人達が弾けるように快哉を挙げ、至る所から『今子建』だの『伊賀守様』だのという囃し立ての声が聞こえる。それまで通りの至る所で成されていた論戦は大波に攫われるが如きに鳴りを潜め、その場の主役は俺一人となる。


 とにかくド派手にと、俺は口上を終えた後周囲に向けて餅を投げる。人々がそれを手に入れようと走り出し、そして手に入れた者のうちの誰かが早速紙に包まれた餅を開き、餅の中に仕込まれていたものを見て『金や!』と叫んだ。ホンマかホンマやと、町民達が驚き、俺を呼ぶ声が一層でかくなる。俺は、それら好意や好奇の視線を受け止めながら、そうではない視線を見極めていた。俺に主役の座を奪われて悔しがっている者、俺という手柄首が現れたことで寧ろ喜んでいる者、そんな連中はいつこの公衆の面前で俺を論破し、己の名を高めてやろうか、ないしは俺の面目を潰してやろうかとウズウズしている。


 「織田家の御曹司様にお尋ね申す!」

 やがて、喧騒の僅かな隙間を突いて大柄な一人の僧侶が叫んだ。手に持った大扇子をバチンと閉じ、閉じた扇子で指し示す。衆目が『よっ!』『やったれ!』などとガヤを入れる。


 「文章博士様は鎮護国家たる比叡山を焼き、又罪なき長島の民を皆殺しにしたる非道を聊かでも反省はしておられるのか!? 反省なくば織田家の者は人に非ずと言わざるを得ませぬ!」


 その直球の言葉に周囲がどよめいた。言葉の尾が引かぬうちに、お答えをと求める声が聞こえてくる。多少ざわめきが収まるまで待ち、神輿の上に立ち上がり、銭入りの餅を投げて渡した。


 「平氏たる我が織田家に対し『人に非ず』という文句は誠面白き皮肉である。褒美を遣わす!」


 俺の言葉に周囲がどっと笑った。平時忠が言ったとされるこの俗説。実際に言ったのかどうかはさておき有名過ぎる一言ではある。


 「お答え致そう! 叡山焼き討ちは室町幕府が家臣たる織田家として成さねばならぬ義務であり、これを行いたるは武家としての誇りである! 長島殲滅は尾張・伊勢の領主として当然行うべき行為であり、領民を守る為行った事。これも又、一切の後悔はしており申さず!」


 歓声と怒号が入り乱れた。ふざけるな! 人殺し! という声もあり、やんやの喝采を挙げている者らも多い。


 「鎮護国家の大道場を焼くを義務とは如何なる存念か!?」

 「鎮護国家ならばなぜ強訴をし時の政権を脅かし京に放火などをするのか!? 我らが叡山を焼きし折、そこには酒もあれば肉もあり、逃げ惑う中に女子もおった。そのような教えを伝教大師最澄がいつ伝えたのか、知る者がおればお教え願いたい! 天台の僧としてあるまじき者が大挙しておった当時の叡山に誠なる僧はおらず! おった者らは大乗仏教の名を汚す山賊なり! これを討伐することが武家の仕事でなくて何と言うべきか!?」


 立て板に水の弁舌。この辺りは必ず聞いてこられるからと練習しておいたのが良かった。


 「ならば長島については何とする!? あの場におった者らは浄土真宗の門徒で肉食も妻帯も許されていた。これを山賊とは呼べまい。まして織田家は降伏を嘆願する者達すら焼き殺したというではないか!?」


 最初の質問をしてきた者とは違う連中が続々と俺に反駁めいた質問をぶつけて来る。余りにも人が多いので、幾つもの質問の中から最も端的かつ質問と回答が分かり易いであろうものを選ぶ。そうしてその質問をした者を扇で示す。ノリの良い京都の町衆が、俺に指された者を担ぎ上げ前に出す。それをされて怖じてしまう者もいれば、開き直って奮起する者もまたいた。


 「長島との戦いは都合三度に渡っておる! 一度目の戦いの折、長島の者らに対し織田家は和議を求めた! だが長島勢はこれを拒絶し、あろうことか近くの村々から略奪を行うという暴挙に出ておる! 二度目の戦いの際にも和議を何度となく無視し、三度目には他勢力と図り織田家を欺いて戦いを仕掛けて来たのだ。織田家は受けて立ったに過ぎず! 織田家が弱いと分かれば平気で略奪し、だまし討ちにていつ蜂起するのか分からぬ者達をそれでも織田は二度許したのだ! 『仏の顔も三度撫でれば腹立てる』織田家の我慢強さ正に御仏の如し!」


 冗談でもって話を終えると、笑う者、黙る者、詭弁だという者、それぞれに反応が分かれた。


 「肉食妻帯をするが故に叡山を焼いたというのならば、何故文章博士様は肉食をし、妻帯をするのであろうか!?」

 「俺が天台宗でないからだ! 帰依してもいない教えを何故守らねばならぬ!?」

 「古来より『五畜の穢れ』の教えは帝も言うてきたこと! 文章博士様は帝の家臣にあらずと仰せであろうか!?」

 「今上陛下が肉食を御禁令と成されたことは一度として非ず! 公方様よりの禁止令が下されたこともなく、受けてもおらぬ御下命を忖度する必要とてなし!」

 「浄土真宗の者らも肉を食うであろうが!」


 俺が言い返すと、町民らしき男が叫ぶように言った。別の男が続ける。


 「浄土真宗の連中が肉を食って良いだの妻を迎えて良いだのと軟弱な事を言いだすせいで仏教が堕落化したのだ! 恥を知れ!」

 「黙らっしゃい! 叡山の腐敗は浄土真宗とは何ら関係なし! そもそも肉食を異端とする『血の穢れ』は神道の考え方によるもの! 浄土真宗は起源に立ち返っただけだ!」

 「その言聞き捨てならず! 血の穢れが神道由来であるとは一体どこの誰が言い始めたことであるのかお教え願おうか!? 神道にそのような教えはなく、それこそ生臭坊主どもの詭弁にほかならず!」


 いつの間にやら、俺が何を言うでもなく、連中が担ぎ上げられては論戦を行い、負けた者が落とされてはまた別の者が担がれるという事が繰り返された。面白いのは、どこぞの尼やら遊郭の娘やら、女子達すらも論戦に参加し、そしてその戦いを優勢に進めていることだった。血の穢れ、女性の経血を穢れているというのはどういう了見だ。あれが無ければすべての人間は生まれないのだ。お前たち偉そうに話をしている男共は木や石の股から産まれたのか。母親の股ぐらから産まれた者が偉そうにするな。


 そのような話を遊女の一団が言い放ち、そして坊主共を黙らせると周囲が拍手喝采した。俺も拍手し、仰せ御尤もだと笑った。


 「御言葉一々納得し申した、この村井伊賀守、不勉強と無礼をお詫びする故、そなたらの店にて世話して頂く際には是非ともお手柔らかにして頂きたい」


 餅をばら撒きながら言うと周囲が沸き立ち、笑った。ここは負けておいても恥にはなるまい。寧ろ笑い話として広まってくれるはずだ。十兵衛殿や又左殿、羽柴殿に森心月斎殿ら、織田家武将は妻や母を大切にしている者が数多い。それなりに知られた事実でもあるし白々しくとられはしないだろう。


 京洛の遊女が文章博士様の首を取らはったで! と、誰かが叫ぶと、遊女達が担ぎ上げられ英雄扱いをされた。この場において勝ったのが女であったからか、そして俺が早々に降伏したからか、敗北した坊主達もまあ仕方ないかという表情をしている。視線が合った何人かに餅を投げ頷くと、殆どの者達は何やらスッキリした表情で頷いてくれた。


 「随風」

 神輿として担がれながら、室町小路を南から北上してゆく俺。道中大道芸人の見世物やら歌や踊りやらを見ながら、側を歩く随風に声をかけた。


 「何でございましょうか?」

 「楽しいな」


 本心からそう思う。下京の端から上京の端まででせいぜい一里程度しかない通りの中に、日ノ本の思想が皆詰め込まれているようだ。それらがぶつかり合って火花を散らし、そしてその者らのうち誰一人すら死という結果を賜ることなく話し合いが続く。負けた者が全てを奪われるわけではない。勝った者であっても負けた者の言い分を参考とし、場合によってはそれらの論を頂戴して又次へと進む。


 「叡山でも、長島でもこれが出来ていればな」

 俺の言葉を聞いて、随風はただ一言そうですなと答えた。


 それからも神輿は進んだ。少し進んでは論戦を吹っ掛けられ、止まるという事を繰り返しながらの遅々とした歩みではあったが。


 『織田家は仏教を滅ぼすつもりか?』

 『仏教を滅ぼすつもりはない。だが、武装をして領国を荒らすような者らについては宗教の如何によらずこれを討伐することは当然である』


 『いずれは基督教を公式の教義とするつもりでは?』

 『その予定はない。織田家は基督教びいきで仏教を憎むと言われているがそれは誤解である。基督教に対しては、布教自由と言っているだけでこれは他の宗教と同じことだ。多くの仏教が武装し織田家と対決するのに比し、基督教は織田家の言う事に逆らわず武装することがないから贔屓しているように見えるだけである』


 おおよそこのような質問を多く受けた。論戦になる事はそこまで多くなく、多くの論客は俺に個人的な見解を聞いてきて、そしてそこに矛盾を見出したならばその矛盾を突き、喝破してやろうという腹積もりであったようだ。だが思いのほか俺が手強いと見るや質問に対しての回答を得た段階でよく分かりましたとばかりに頷き、下がってしまう。話をしながら、俺は自分で配っている餅を焼いて持ってこさせ、それを食っては瓢箪に入れた水を呷り、腹ごしらえをした。


 六つの勢力のうち、最後まで神道家達は安定しており、他派を一切攻撃することなく、ただただ神道の本質とは何ぞやという事の説明にのみ力を入れていた。基督教は一部の者らは日蓮宗並みに他派への舌鋒鋭き者らがおり、そういった急進派と、何を言われても暖簾に腕押しの神道家とのやり取りは中々の名勝負であった。


 本質として、基督教はたった一つの正解を見出す宗教だ。たった一人、単位が人でいいのかもよく分からないが『神』という存在がおり、三位一体という考えの元、その神の子たる人がいる。他の動物や自然は俺達人間が生きる為に神が用意して下さったものであり、これに感謝せねばならない。何かに理由があり、それには答えがあり、その答えはすべて神に帰結する。『一つの宗教』それが基督教が持つ本質だと俺は結論付けている。


 それに対し、日ノ本土着の原始宗教たる神道には答えらしき答えが無い。言い換えればどの答えも間違いではないのだ。万物には精霊が宿り、それこそ厠専用の草鞋にすら、尊き精霊が宿っている。衣服にも、生活用品にも、刀にも、ありとあらゆるところに精霊がおり、正解がある。かつて宣教師の者に地球儀なるものを見せて貰ったことがある。俺達の住んでいるこの世界は平面ではなく球体であるというのだ。ならば日ノ本の裏側に住む者らは皆逆さになっているのかと問うとそうではないと答えられた。この、俺達人が暮らす地球なる星の存在を知り、神道の教えをそれなりに理解した時、俺の中での一つの答えが出た。きっと、基督教が神と呼ぶ存在を神道として表現するのであれば地球の精霊なのではなかろうか。そう思い、何となく自分の中で腑に落ちた。誰かに語って聞かせたことはない。


 彼らは父との密約に従い、俺に対して論戦を仕掛けてくるようなことはしなかった。曹洞宗や延暦寺再興を目指す者らも同じく。

 神輿は北上を続け、室町小路のほぼ中央に位置する公方御構の前へと到着した。公方御構の前には舞台が用意され、そこには父と公方様が並んで座っておられた。更に高い位置には天覧台と名付けられた帝と公家衆の方々が御見物なさる特別な場所が用意されている。


 真っ赤な外套を羽織り、天鵞絨(ビロード)の敷物も鮮やかな俺が現れると、周囲が今まで以上に囃し立て『真打の登場や』と誰かが叫んだ。俺はまずに帝へ拝礼をし、それから公方様と父に対して遠くからではあるが挨拶を申し上げた。本来であればこの挨拶では不十分かつ無礼に当たるが、予め話は通してあり、この場は祭りのようなものであるから無礼講とするということになっている。


 父と公方様の格好は正に好対照と呼ぶべきものだった。古き良き鎌倉武士を思わすような、質実剛健たる格好をしているのが公方様。配色豊かで十字架こそしていないものの、どこか南蛮を思わせる衣装に身を包んでいるのが父。隣に座って談笑している。幕臣も織田家家臣も、お二人を囲むように、守るように配置されている。俺以外は既に酒を飲み、見学者としてその場に居るようだ。その中で二人、村井の親父殿と信広義父上は緊張している様子が窺えた。自分が何かするわけでもないというのに。



 そして――――――



 「ひっさしぶりやなあ、たいとう」

 年の頃にして十五、六の、若い男が専用に設えられた台の上に胡坐をかき、俺を見据えていた。


 「お久しゅうございますな、茶々麿様」

 返事をすると、茶々麿様の目がキュッと細くなった。若く、一見して気が強いことが分かる。男前とも、美男子とも違う、何とも形容しがたい顔つきだ。縁起が良さそうな風貌とでも表現するべきだろうか。何かこれから良い事を言うぞ、と常に思わせるような見た目である。


 「あれから得度してな、今は本願寺教如や」

 「そうですか、俺もあれから名を変えました。今は村井伊賀守と名乗っております」

 「文章博士とちゃうの? そっちの方がかっこええのに」

 「それでもいいのですが、少々慣れませんで」


 未だに恥ずかしいというのは秘密だ。


 「そうなん? 似合うで、文章博士」

 「教如という名も良くお似合いですよ」


 間合いを測るように自己紹介を行う。文章博士と教如殿、互いの呼び名は決まった。


 「あの時は、ここでこんなことになる思てなかったなあ」

 「そりゃあそうでしょう。そんなことが分かっていたら予言者です」


 ただ、あの頃から本願寺は父と戦う可能性を考えていたし父はどこかで本願寺を降す必要があると考えていた。その戦いが武力衝突ではなく、理論と理論のぶつけ合いという形になったことが、日ノ本の史上においても珍しいことなのである。


 「積もる話は仰山あるけどな」

 「そうですね、今は難しい」


 これが終ってから、俺達が再び何か話せる程度の間柄でいられるかどうかは分からないが、しかしそれでも俺達は時を進める以外に出来ることなどない。


 「やりあおか」

 「ええ」


 前哨戦が終わり、本戦が始まった。


前回に引き続き今回も宗教問答が続きますので、

もしも認識の間違いなどありましたら、

怒らずご指摘頂けましたらと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何度も定期的に読み返しておりますが、このあたりの話は指折りの好きな話です。 帯刀問答は私の宗教観にも少し影響を与えてくれました、間違いなくなろう系歴史小説の分野において、屈指の傑作と思って…
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