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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第八十二話・準備期間と暗闘

元亀五年の一月から三月までの間、畿内の勢力は織田と本願寺の和議を機に矛を収め、同時に目まぐるしく動き回った。


 まず口火を切ったのは父である。人に後れを取るのが何よりも嫌いな父は勘九郎を秋田城介に任官させた後、若公様の従五位下・左馬頭就任に許可が下りるよう求めた。内定とはまだ言えない。内々定、或いは既定路線に据えた。というのが正しいだろう。


 それに対して公方様は『御父織田弾正忠』と書かれた手紙を濫発し周囲に対して足利と織田が蜜月であることを強調した。そこを何とか切り崩そうと入って来たのが毛利氏の後援を得る本願寺顕如。本願寺顕如も新しい将軍となる若君の誕生を言祝ぎ、坊官下間頼廉を派遣した。若公様の御健康、征夷大将軍としての武運長久を祈り、幕政に協力すると約した下間頼廉はそのまま大坂城に帰ることなく、幕臣ないしは公方様寄りの者らの所へ一族を派遣した。


 賢人揃いの下間一族は摂津衆、和泉衆、大和衆らを相手に連歌会や茶会などを開き、彼らとの知遇を得た。目的は当然懐柔であろうが最早和議は成った。誰も何も憚る必要はないと、父は表向き鷹揚に構え、会合に誘われた場合、断るは無礼である故可能な限り出席せよと鷹揚な態度を見せた。特に十兵衛殿や弾正少弼殿は連日の接待を受けていたようだ。父も、下間頼廉と茶を喫したらしい。『終始和やかにして、天下の争乱終わりを迎えたりと示すものなり』との話であったが、同席した者らはさぞかし腹が痛かったのではなかろうか。


 『俺と公方の間に少しでも罅を入れたいのだろう』


 そういう内容の手紙が父から届いた。顕如も露骨に動くようになった。父は本願寺とは和議を結び、熊野三山には一万貫を払わせることで停戦したが高野山とは停戦も和議もしていない。敵がいなくなったところで高野山を攻め、高野聖らも山から追い出すかとなった絶妙の間で、勅命講和命令が下された。極秘裏に顕如が動いていたらしい。下間一族の動きに気を取られていた父が出し抜かれた形だ。兵を集め、物資兵糧を得たところで軍は解散。結局金を失っただけに終わった。


 顕如に一つしてやられた父であったが、公開討論の準備は着々と進められていた。会場をどこにするのか、ということが最大の問題であったのだが、結果として会場は一カ所ではなく、下京と上京を繋ぐ室町小路全体、約半里を使うことになった。室町小路の中心には公方御構があり、その前で論戦が行われるという事について公方様は自らの権威を高める事が出来ると満足していた。内裏の目の前である室町小路を扱うことに公家衆は反発しないのかとも言われたがこれも黙認となった。どうやら正親町の帝や御嫡男の誠仁親王が大いに乗り気であるらしく、どうにか京の都で、内裏の近くで行って欲しいと御意を示されていたようだ。公方様と父が連名でお二人を始めとした皇族を招き、正親町の帝らがそれに応じるという形で話は決まった。


こうして、半里の間皆論客なりと話が纏まり、当日はどのような身分の者でも論争自由だという事も決められた。ただし論争に参加する者は一切の武器の携帯を認められず丸腰である。下京上京においても両者同意の上の論争を行い、刃傷沙汰に至った場合は両者を処罰するという触れが出された。そしてその上で『論破御免』となった。


 所詮は身分の高い人間や覇権を争う者らが戯れに行なうことだと高を括っていた弱小の寺や末寺の者らはこれを聞いて奮い立った。かつての松本問答の如くに、身分も低く無名である自分が大寺院の僧正などを論破し一躍有名人となることも可能となったのだ。触れが出されてすぐ、畿内では至る所で辻論争が行われるようになり、白熱し過ぎて殴り合い、次いで切り合いとなって死者が出る事件も起こった。父は騒ぎを起こした者が所属する寺を当日のうちに破却し、焼いた。そして当日にこれが起きた場合、当事者全員をその場で斬って首を晒すと改めて宣言した。かつて一銭を盗んだ雑兵を自ら斬った父の言葉は重く、以降同じような刃傷沙汰は鳴りを潜めた。


 二月に入り、まず父は公方様の御子が生後半年を迎えたことを祝った。徳川三河守様、浅井備前守様らからも盛大な祝いの品が届き、一旦内務の為伊賀に戻っていた俺も大和への道がどのような塩梅になっているのかを確認しつつ京へと向かった。そこで織田家の論客の代表として、沢彦宗恩と共に名が発表された。


 沢彦宗恩は天下への戦略からその日食う物まで全て自分で決め、先頭を突き進む父としては珍しくその頭脳を頼る人物で、かつて父に『岐阜』という名を教え、『天下布武』の旗印を作らせた人物でもある。父が勝手に学んでいる人物は数多いが、直接物事を教え、そして名実ともに師弟という関係にあるのは彼以外にはいないのではなかろうか。あくまで学術的な師として、聞かれたら答えますよ。という立場を崩していないのも、横から口出しされるのを嫌う父の性に合っているのかもしれない。鷹揚とし、常に笑っている福福しい文亀四年生まれ、七十歳の老僧だ。その風貌がいわゆる昔ながらの優しい和尚様。といった風であるので俺は沢彦和尚とお呼びしている。


 織田家の代表が決まった後、他の六宗についても続々と代表者が決定し、名乗りをあげた。


 父が、曹洞宗辺り、鎌倉新仏教から一つと言っていた宗派は結局臨済宗と決まった。というのも、沢彦和尚が元々禅宗の人間で、臨済宗の僧侶であるからだ。その親友にして兄弟の契りを交わした快川紹喜(かいせんじょうき)が臨済宗の代表として論陣を張る。沢彦和尚よりも更に二つ年上のこの老人は、好々爺である沢彦和尚とは真逆の頑固者だ。父が命令してもそれが間違っているとあれば頑として譲らないであろうし、そのせいで首を斬られようが火で焼かれようが、やれるものならやってみろ。という人物である。気性の荒々しさも含めて、他宗派の者らに決して引けは取るまい。


 続いて基督教は矢張りと言うべきか、ロレンソ了斎が満場一致で選出された。ガスパル・ヴィレラやルイス・フロイスらからのお墨付きを受け、日ノ本で既に三十万とも七十万とも言われる信者達の代表に、論戦において生涯不敗、論戦無双盲目の琵琶法師が参戦する。


 後がない石山本願寺も、送り出せる最大の大駒、下間頼廉を出してきた。大坂城を顕如が留守にすることは出来ない為、得度し名を茶々麿から教如と改めた嫡男を送り出すことを決定した。大坂左右之大将と言われたうちの片割れと、次期法主。ここで大勝利を収め、織田家相手に逆転を収めんとする気概を見せた。


 ここまでが、敵味方がはっきりと分かれる勢力だ。織田家代表である俺は言うに及ばず、此度は『仏教の荒廃甚だしい』と、沢彦和尚からの要請に応じた臨済宗代表、即ち快川紹喜は与力に近い存在だろう。ここのところ織田家中にも信者を増やしている基督教は浄土真宗本願寺派を潰すことが出来れば京大坂の布教に大きく寄与すると、全面的な協力を示してくれた。


 逆に、敵味方が定かならず、揉めている宗派が三つ。神道と、浄土真宗の真宗高田派、それに延暦寺である。


 神道は『織田家に味方しない』と言っている訳ではなくそもそも参加することに意義を感じていないようだった。そもそも神道とは原始宗教であり……という説明は余りにも長くなってしまうのだが、根本的な理由として、神道は他宗派を攻撃しない。『ええじゃないか』の精神で、別宗教とも共存が出来てしまう。織田家からの保護を受けている手前参加もし、敵対はしないがどう味方をするべきかも分からない。という神道は、最終的には『神道の教えを誤解している者が余りにも多いので、その誤解を解きに行く』という立場で参加することとなった。論戦ではなく説明。そんな立場を取る時点で、一種神道の異様さも、そして懐の深さも感じる。


 真宗高田派は織田家と本願寺派との綱引きに翻弄された。織田家は勝てば浄土真宗第一の勢力は真宗高田派であると言い、当初はそれで真宗高田派の僧らも納得していた。だが真宗高田派の本山専修寺に下間頼照・下間仲孝の親子が派遣され何らかの話し合いの場が持たれた後、状況が変わったらしい。詳しい話は闇の中だが、父からは場合によっては日和見か、或いは向こうに回る可能性が出て来たと手紙が来た。


 恥を曝したのが延暦寺だ。内々に、本願寺を論破することが出来れば比叡山の再興を許すと言われ、嬉々として動き出した彼らも又顕如による権謀術数により迷った。『織田家を潰してしまう事が、法難を終わらせる最上の方法である』。このような話の後、父に延暦寺焼き討ち後責任を追及され武田信玄の元へ亡命している覚恕法親王を京に呼び戻し、合力して仏敵信長を倒すべしと説得されたらしい。話をしたのは本願寺の若き俊英下間頼龍。下間頼龍はそのまま甲斐まで向かったらしい。恐るるべきは顕如の外交能力か、それとも下間一族の層の厚さか。


 この情報を掴んだ父は直ちに覚恕法親王に対し上京すべしと手紙を書いた。路銀が必要であれば千貫でも二千貫でも求めるが良いと。続けざまに、延暦寺の代表は天台座主だと京洛全域に触れ回った。そして、覚恕法親王は祭りの神輿に担がれ、その上で各宗派・勢力の代表的論者と戦わなければならないという状況に怯えた。内々の話であった筈のものがいつの間にか父に漏れていた事も、覚恕法親王の怯えを助長させたようだ。


 結局覚恕法親王は虫気の由にて上京不可能という言い訳でもって不参加を決め込んだ。今からひと月以上も腹痛が続くのかと人々は笑った。特に京童などは、偉い人間の醜聞が大好物な人種だ。帝の弟君にあらせられ、天台座主の椅子に座る人物が逃げたという事に対して大喜びであった。

 討論の審判となる方も決まった。それも二人。いずれもとんでもない大物となった。一人は現関白二条晴良卿。これは父と公方様の御推薦だ。それに待ったをかけた顕如が推薦した人物は先の関白近衛前久卿。


 近衛前久卿はその行動力が災いし、公方様から兄君義輝公暗殺に関与しているのではないかと疑われ、それに追従した二条晴良卿らに追われ京を出、石山本願寺に逃げた。その際関白を解任され、教如を自分の猶子ともしている。言うまでもなく公方様・二条晴良卿との仲は最悪である。


 両者は共に譲ることなく、結局審判はお二人が務めることとなった。ここまで一連の出来事が怒涛のように二月中に行なわれた。底冷えのする盆地にある京都の人間は、新年をのんびりすることも出来ず、そのまま二月も忙しさに追われて過ごしたようだ。かくいう俺も、これらの動きの中で伊賀と京とを何度となく行ったり来たりしていた。領内で金を稼ぐ為、母に言われた果実からの酒造りや、新しい産業の開発、既存のものにも改良を加え、そして討論に向けての勉強も疎かには出来なかった。



 「油断したか……」

 二月の末、俺は何度目かの上京を終え、伊賀に戻るところだった。甲賀郡から馬で下り、更に南下する。その道中での出来事。


 「囲まれましたな」

 五右衛門が言い、彦五郎が青白い顔で腰の刀を掴んだ。


 「闇討ちとは卑怯な!」

 蘭丸が言う。だが、俺は自分が油断したとは思ったものの相手が卑怯であるとか間違っているとは思わなかった。供を十名程度しか連れて来ていない。その状態で京都への往復を繰り返した。俺が間抜けだったのだ。


 「ハルがいなくて良かった」

 ハルはあれから京都に在駐している。殆ど常に村井邸にいる筈だ。襲われるようなことは無いだろう。


 「誰の手の者だか分からないが」


 刀を抜く。恐らく本願寺のいずれかではないかと俺は思った。公開討論が行われるとなって以降、顕如上人は目まぐるしく幾つもの手を打ってきた。父が企画した公開討論が、平等な勝負の体をしていながらその実石山本願寺を天下の晒し者とする目的で行われることに、恐らくすぐ気が付いたのだろう。形勢不利と見るや直ちに動き、決して良好な関係でない真宗高田派と延暦寺を調略した。劣勢を覆すにはいまだ至っていないが、それでも戦いになり得る状況にはなりつつある。圧倒的不利な状況で、なりふり構わず勝ちに来ている。この状況において俺がこのような油断をしていたならば当然突いて来るだろうとは予想出来た筈だ。


 「身軽過ぎるので、もっと護衛を連れていけと、いつも景連に言われていたのにな」

 帰ったら景連に謝らなければ。帰れたらの話だが。

 誰に雇われた。一体何の目的だ。などという話をしても答えてくれるはずもなく、囲まれた状態で刀を抜いた。


 「我々が全滅しても、殿お一人が生き延びられれば良い」

 言ったのは五右衛門、ではなくまだ九つの蘭丸だった。見事な覚悟だ。流石は森家の男子。


 こちらは十二名、相手は三十人程度いるだろうか。皆素人ではなさそうだ。となれば敵を全滅させて凱旋は難しいだろう。俺が早々に敵中を突破し、逃げなければ。

 空は小雨が降り始めていた。氷のように冷たい雨が降る二月に、わざわざ国境をまたいで移動しようという者は少なく、周囲に人影はない。


 誰かが何かを合図したという訳でなく、切り合いは唐突に始まった。五右衛門が刀を振り上げ、そして相手に振り下ろす。相手はそれを受け止め、鍔迫り合いになったところで別の者が五右衛門の脇腹を切り裂こうとした。刀を押した反動で後ろに跳び退き、その攻撃をかわした五右衛門。冷静に見ていられたのはその程度で、すぐに周囲至る所で切り合いが始まった。


 石山での戦いとは異なり、白兵戦であるというのに死者は中々でなかった。味方は皆倒すことより俺を守ることを考え、敵も又、倒すことよりも俺を逃がさないことを第一に考えているようだった。俺を中心に円となって戦う味方。俺は刀を構え後ろから圧力をかけているつもりだが、衆寡敵せず。一人二人と味方が減ってゆく。


 三人目が倒れ、俺を含め味方が八名まで減った時、初めて俺に向けて槍が突き出された。身を捻ってかわし、踏み込んで男の身体を切り上げる。


 「!!!」


 俺の一刀は相手の身体を切り、致命傷を与えた。だが、刺客の脇腹に入った刀を引き抜こうとした時、雨で手が滑り刀を手放してしまった。舌打ちをして、脇差を手に取る。敵が一人減った。だがその間にまた一人味方が減った。首筋を切られ、血を噴き出しながら倒れたその男は彦五郎だった。残り七名。

 一か八か、全員一塊になって走るべきか。そう考えている間に更に一人が倒れた。残り六名。最早俺を囲むことすら難しい。死ぬのか。俺は、ここで死ぬのか?


 「構えが悪うございます」

 不意に、どこか虚空から声が聞こえた。敵も味方も、そこに人がいることに気が付いておらず、何がいるのだと振り向いた刺客が二人、同時にバッタリと倒れた。


 「お久しゅうございます」

 そこに、俺が知る限り最強の剣客が立っていた。


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