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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第八十一話・織田弾正忠家

京都に到着した日の翌朝、俺は日の出と共に起床してから木刀を振るなどの運動をし、それからこれまでに起こった出来事を村井の親父殿と話し合う席を設けた。心も体も大層スッキリとし、まるで賢者のような気持ちの朝であった。ふぅ。


 「宮内少輔は無事籠の中じゃ。これ以降、奴が浅井の家督を引っ掻き回すことは無い。殿は備前守殿との約束を守り、宮内少輔を害することは無いと約した。十年か二十年か、或いは半年か分からぬが軟禁状態にて過ごすこととなる」


 茶を啜りながら親父殿が言う。今日の茶請けは甘味だ。カステラではなく、ドーナツ。以前細川藤孝殿らにもお出しし、中々の好評を得たものである。抹茶を振りかけるなどして、僅かな苦みを加えるとより甘みが引き立つ。色も鮮やかである。相変わらず砂糖は高いが。


 「京都で暮らさせるのですね」

 「左様よ。承久の乱の折、後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島に流されたのだぞ。倒幕反対派であった土御門上皇ですら土佐、後に阿波じゃ。京の都で悠々自適の隠居生活。織田家は優しかろう? 出来ることなら変わって欲しいくらいよ」


 ご苦労様ですと親父殿を労った。備前守様から生活費は出されるようであるし、名目上は織田家最大の同盟国の元国主だ。監視は付くが四六時中首輪をされている訳ではなし。気ままと言えば気ままか。


 「しかし、帯刀と直子殿が転生し力を得た天下の簒奪者か。面白いことを考えたものよのう。宮内少輔も」

 「『前世よりの因縁』やら、『何たら神の御加護』やら、『毘沙門天の生まれ変わり』やらという話は古今東西掃いて捨てるほどありますのでね、別に取り立てて斬新な発想ということでもありませんよ」

 「最後のものについては、現実にそうのたまいながら天下を伺っておる者がおるからの」


 含むように、親父殿がグググッ、と笑った。相変わらず変な笑い方だ。


 「朝倉の天下か……桶狭間以前であれば、織田の天下と朝倉の天下、どちらがあり得るかを問えば笑われたであろうな。織田など早晩滅びようと。殿が美濃を獲った時でさえ、まだ朝倉が有利であった筈じゃ」

 「栄枯盛衰に世の儚さを感じますか? 老人らしくて大変宜しいですね」


 からかうと、戯けがと頭を叩かれた。ケッケッケと笑う。


 「朝倉が滅びたことにより気が触れた狂人。或いは宮内少輔自身の事を言っていたのかもしれぬな」

 「作り話にしては具体的でありました。実際にそうしようと思っていた事でもあるのでしょう」


 うむ。と言いながら親父殿が茶を啜った。ふうと息を吐き、それからポツリと、呟くように聞いてきた。


 「今とは違う進み方をした世があったとして、一体誰が天下を獲ったのであろうな? やはり三好か、宮内少輔の願い通り朝倉か、執権細川氏、公方様の巻き返しがあり得たのか。帯刀はどう思う?」

 「某は、可能性はもっともっと枝分かれし、無数にあるものであると思います」


 かつて弾正少弼殿が『日ノ本にいる男子全員に天の時はある』と言ったのが印象的であった。弾正少弼殿ご本人とて低い身分から成りあがったお方だ。何か一つ違っていたら天下を獲っていてもおかしくはない。


 「この日ノ本におる国人領主以上の者は勿論の事、そこに意志さえあるのであれば、一農民であっても天下の可能性はあります」

 「これは又、大胆な事を言うのう」

 「そんなことはありませんとも。古の昔、漢王朝乱れし折に分かたれた三つの天下の内、最後の一つを滑りこみで獲得したは草鞋売りから身を立てた劉玄徳公ではありませんか」

 「劉玄徳は中山靖王の末裔を標榜しておったと聞くが」

 「中山靖王劉勝は五十を超す子がおり、孫は百二十を超えたと言われております。当時その末裔たるを自称する者は幾らでもおりましたよ。本朝でも先祖が平氏だと嘯く偽名家は山ほどおりましょう」


 そうであろう? と隣に座る若い男に聞いた。健康的に日焼けした肌に、小さく引き締まった顔立ち。突然話を振られたその男は、え、ええと、と、戸惑い、そして


 「しゅ、主の御加護がありし方こそ、天下人と相応しいのではないでしょうか?」

 と、控えめに言葉を絞り出した。


摂津の国人高山図書寮(ずしょりょう)友照が息子、彦五郎重友。つい昨日客人として村井邸にやって来て、そのまま暫く居候をすることになった男だ。ボアタールデプラゼール! 等と、開口一番に南蛮の言葉で挨拶をされた時にはまた味付けが濃い人物が来たなあと思ったものだが話をしてみると意外に控えめな男だった。年も一つ上で話し易い。


彦五郎の父高山友照殿は摂津三守護和田惟正殿の家臣であり、かつて弾正少弼殿の家臣であったらしい。弾正少弼殿は甥御である内藤忠俊殿や高山殿など、切支丹の身内が多く、此度、それらの縁を伝い伝って俺のところまでやって来たという訳だ。この彦五郎自身も切支丹である。


彦五郎は摂津の人間である故良い物を見てきた経験もあり焼き物についてもそれなりの知見を披露するであろう。高山家の嫡男であるが故、召し抱えよ。とは言わないが京にいる間だけでも面倒を見てやってくれないか? そしてもしその男が役に立ったならば良い物が出来上がった時に少々でいいので融通を付けてくれないか。弾正少弼殿はそんな内容の手紙を彦五郎に持たせていた。


 折しも今俺が欲しているのは知識だ。来たる問答の日の為、実際に切支丹となった人間の話を聞きたい。恐らく俺が抱えるその辺りの事情も分かった上で送られてきた彦五郎を、俺は暫く畿内と伊賀との繋ぎとして使わせてもらうことにした。畿内側の窓口が彦五郎で、伊賀側の窓口が古左だ。


古左とは馬が合うようで。早くも弄ばれていた。初対面の相手に対して高らかに南蛮の言葉で挨拶したのも、そうしたら文章博士様がお喜びになりますぞ、と言われたからであるそうだ。唖然としていたら真っ赤になって謝られた。事情を聞いてから、むしろうちのひょうげものが多大なる迷惑をお掛けして申し訳ないと頭を下げた。そろそろ古左には罰が必要な気がする。何が良いだろうか。三月の間、窯場へ出る事を禁ずるとかであろうか。いや、それをしたら死ぬかもしれないな。


 「一つ気になるのですが、浅井家の家督はどうなります?」

 「それよ」


 ドーナツを二つに割り、一つを口に運びながら訊く。もう一つを彦五郎に渡した。どうすればいいのですか? という表情をされて笑う。どうするもこうするも、食い物を食わないでどうするというのか。今部屋の外で蘭丸や五右衛門達も食べているのだ。遠慮する必要はない。


 「食って、何をどう改良したらより良くなるのかを纏めるのが仕事よ。頼んだぞ」


 そんなことは別に考えていなかったが、真面目な彦五郎にそう言ってやると、畏まりましたと言ってほんの少しずつ、味を解析するかのように丁寧に丁寧に食べ始めた。あの食べ方美味しくなさそう。古左が嘘ついて弄りたくなった気持ち、何か分かる。


 「して、親父殿、それよ、とは?」

 「宮内少輔の隠居、そして宮内少輔を支持していた者らがその領地と共に失脚したのを受け、浅井家は再び備前守殿のものとなった。そこまでは良いな?」


 頷く。そこまでならば誰でもわかることだ。


「織田家としては、当然お市様が産んだ子を浅井家の次期当主としたい。だが問題がある。一つは、お市様は三人の子を産んだがいずれも女子であるということ」


 もう一度頷く。茶々・初・江。三人も子を成しているのだから夫婦仲は悪くないのだろうが、しかし男が産まれてくれなければ跡取りには出来ない。


 「そしてもう一つ、今の浅井家当主万福丸輝政の祖父は元六角六宿老、平井右兵衛尉であり、今は殿の家臣でもある。平井の娘は既に離縁されてはおるものの平井家には何の落ち度もない。廃嫡する理由もなく、そして今廃嫡するのは好手とは言えぬ」

 「確かに、その通りです」


 もし市姉さんが男を産んでいるのであれば、たとえ平井殿がどれだけの武功を立てていようとも父が問答無用で市姉さんの子を据えるだろう。万福丸には平井家を継がせるなり、勘九郎の直臣にするなりやりようは幾らでもある。逆に、市姉さんが最早子を産めないとなれば仕方なしに万福丸が浅井家当主となるだろう。帰蝶様と勘九郎のように、万福丸を市姉さんの養子に入れてしまえば良い。だが、まだ二十七で三人の子を産んでいる市姉さんはこれからも子を産むことが出来る。この状況で万福丸を廃嫡して結局市姉さんが男子を産めなかった場合、浅井家の家督が極めて不安定になる。その逆、廃嫡せず後に市姉さんに男子が産まれた場合も、再び家中の争いとなりかねない。


 「我が家は家督争いがなく、嫡男勘九郎様に決まって宜しかったですなあ」

 そんな事を言いながら寝転がると、親父殿がぬかしよるわと笑った。


 「お主が引っ掻き回すせいで当時尾張の大人達がどれだけ東奔西走したと思うておるのか」

 「ただ産まれて、ただ育っただけのことを悪し様に言われるいわれなどありませんよ。そう思うだろう?」


 まだドーナツをちみちみと食べている彦五郎に訊くと、先程とは違いはっきりと頷いた。主の下に、人は皆平等であるそうだ。人が皆平等であったら、寧ろ争いは爆発的に増える気がしてならないが。まあ今それはいい。


 「何処の家も、跡取り問題は深刻ですな」

 言って、立ち上がった。腹もくちたし、言祝ぎに出かけるとしよう。


 「ハル。勘九郎のところに遊びに行ってくる」

 「夕ご飯はどうします?」

 「分からん。食べてくると分かったら使いを出す」

 「なるべく早めにお願いしますよ」


 分かったと言って、出かける準備をした。朝から運動をしたので褌一丁になり、体に湯をかける。湯は温かいが外は寒いので結局水ごりをしたように体が冷えてしまう。けれど俺は寒いのは嫌いではない。体が引き締まる感じがして良いじゃないか。


 月代を剃りあげ、最近濃くなってきた髭も剃り、それなりの格好をする。勘九郎君、遊びましょう。と言えない身分であるのが面倒なところだ。


 勘九郎は今京都にいる。というのも、任官を受けるという仕事が出来たからだ。秋田城介というその職は出羽国の秋田城を専管した国司である。それだけであれば大して高い地位ではないが、この任官は後に鎮狄(ちんてき)将軍という役職を担う為の職だ。簡単に言うと、出羽、即ち日本海側の夷狄を討伐する為の将軍。一方で東北の東を攻める将軍を征夷将軍、ないしは征東将軍という。本来両将軍は同格であるが、征夷将軍が征夷大将軍として幕府を開く程の権威を得るに至り、鎮狄(ちんてき)将軍が任じられることは無くなってしまった。


 勘九郎が鎮狄将軍を目指すということは、とうとう手切れかと思われそうだが逆だ。この度、公方様に待望の御嫡男が産まれ、産後の経過も良く間もなく半年を迎えようとしている。それにあたり父は公方様の御嫡男、若公様を十五代目とする為早くも従五位下・左馬頭は若公様が就くべしと言い出した。従五位下・左馬頭は次期将軍が就く官職であり、義昭公もこれに倣っている。


 赤子は生後三年を迎えるまでは何が起こるか分からない為、それまでは待つことになった。だが年齢さえ許せば直ちに十五代目という内々の動きは既に始まり、瞬く間に終わろうとしている。


 そこまでの動きを整えた上で、父は公方様に勘九郎を猶子にしてくれと頼んだ。若公様が従五位下・左馬頭に任じられてからでいい。その上で勘九郎を鎮狄将軍に就ける。織田家は新しき足利将軍家の中で不動の第二位の地位を欲している。そう父は言ったそうだ。天下の大半が納得している。俺は勿論そんなはずないだろと思っている。だが、


 「此度は誠に、父上のお考えが分からない」

 そう、何を考えているのかが今一読めない。父の性格を知っている者以外が聞けば『織田弾正忠とは誠に足利の忠臣であるな』と口を揃えて言いそうな行動だ。


 「まさか二番手を肯んじるような父上ではないしなあ」

 そんな風に言うと、勘九郎が深く頷いた。村井邸を出て、半刻も経っていない頃合いであった。


 秋田城介に任じられた勘九郎は京都の御座所に本能寺を選んだ。下京と上京の間には同じく御座所として使われている妙覚寺があり、更に内裏のすぐ隣には相国寺があるというのに、わざわざ本能寺に泊まっている。本能寺の真ん前には村井邸があることは何回も繰り返した話だ。俺が京都に寄れば親父殿に会いに行く。目の前の本能寺に寝泊まりしているとなれば、家臣たる俺が無視して京都を後には出来ない。だから本能寺を選んだ。そういうことだろう。素直に呼べばいいのに。俺が訪ねてすぐさま奥に通すくらいなら手紙でも何でも出して呼びつければ良いのに。


 「兄上、夕餉はここで食べて行くだろう?」

 「どうしようかな。のんびりしていたらハルが用意してくれるからな。無駄にさせるのは悪い」

 「誰ぞ! ハル義姉上を呼んで参れ! 夕餉に招くぞ!」

 「強引な所が似てきたなあ。藤と御坊丸も頼むよ」


 含み笑いをしながら、ゴロリと横になった。畳敷きで、外に小姓が控えているだけだ。気にしないでもいいだろう。


 「で、どう思う?」

 「俺は、勘九郎なら知っているのではないかと思って来たのだが」

 「教えてくれんのだ」


 ふうん、と言って天井を見上げる。勘九郎ですら教えてもらっていないということは、案外まだ決めかねているだけかもしれない。


 「執権北条氏を目指すつもりかと一時は思ったのだが、父上がそんなに迂遠なことをするとは思えず」

 勘九郎の言い分に、確かにと頷いた。執権に得宗と、鎌倉幕府を牛耳った北条氏だが、あれは頼朝公の血筋が絶えたから出来たことだ。運が味方に付いたという面も多分にあった。


 「鎮狄将軍は日本海側だからな。上杉家に対しての牽制という意味もありそうだ」


 仮に能登も加賀も上杉家が獲り、両国の石高を落とさず速やかに統治が出来たとする。そうなると上杉家の石高は少なく見積もって百五十万石。実際には二百万石に上るだろう。上杉謙信率いる六万の軍勢。想像するだけでぞっとする話だ。


 「俺の事を猶子にしてしまえばこっちのものだと、そのまま織田幕府を開かせるとかは?」

 「強引で無理筋だなあ。だが、父上が得意なやり方だ」


 もっと強引な話としては、若公様を暗殺してしまうというやり方もある。だが、それをしてしまえば最早足利との連携は永遠に取れまい。ならいっそ全面衝突してしまったら良いのだ。個人的には全然良くはないが。


 「だが、織田家としては現状全く悪くはない。秋田城介、織田勘九郎信忠様の誕生だ。謹んでお祝いを申し上げなん」


 寝そべったまま頭を下げると、勘九郎が嫌そうな顔をしていた。分かっている。勘九郎は信重という名を気に入っているのだ。俺が重勝であるからして、折角揃いであったのに。とか思っているのだろう。何だこいつは十九にもなって、可愛い奴かよ。


 「又お揃いで嬉しいことだな」

 「え?」

 「父上が弾正忠。俺の織田での名が信正、勘九郎が信忠。弾正忠家の兄弟二人でお揃いだ。俺は嬉しいが、何だ、気が付いていなかったのか、お兄ちゃん悲しいなあ」


 勘九郎が、へへぇ、と、よく分からない声を漏らしそうかそうかと呟いた。実際、信忠という名の忠の字はここから来ている。征夷大将軍や高い地位を簒奪するつもりはなく、弾正忠家として忠を嫡男に継がせる。兄貴と同じ字を文字通り重ねることよりもよっぽど意味がある。


 「ま、まあ今更揃いがどうとか言っている年でもないのでな。余り気にしてなどいないが」

 「そうかい。大人だな勘九郎は」


 俺はお前が俺の事をいつまでも慕ってくれていることが嬉しいけどな。言わないけど。


 「まあ、父上のお考えについては否が応にも知る日は来るだろう。とりあえず、若公様が生後三年を迎えるまでだ。それまでにどれだけのことが出来るか。石山を降し紀伊を獲り、山陰山陽、それと淡路からの四国」

 「東は上杉・武田・北条か」


 勘九郎の言葉に対し、然りだと頷く。呼ばれたハルがやって来たらしく、小姓達が報せて来た。近いって良いなあ。


 「よし、飲もう」

 「こんな時間にか?」

 「式典やら挨拶回りやらで肩が凝ったんだ。昼間っからだらけたことがしたい」


 真面目な勘九郎が不真面目な事を言ったのが面白くて、俺はケッケッケッケと笑い、父上みたいな笑い方は止めろと勘九郎に怒られた。


狂人は久政自身、みたいなコメントがあったのを読み、

「これいいセリフだなあ!!」と思いましたので早速

パクr……インスパイアしてみました。

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