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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
80/190

第八十話・欲望抑えがたし

 京都下京にある法華宗本門寺流の大本山本能寺。その向かいにある屋敷に今の京都を文字通り司る人物、京都所司代村井吉兵衛貞勝の屋敷はある。


 「親父殿」

 「よく来たな」


 関ヶ原にて浅井宮内少輔久政を喝破し、その翌日再び京へと進み二日。漸く俺は旅を終えて勝手知ったる親父殿の屋敷に到着することが出来た。


 「おやじどの!」

 「おじいちゃんどのー!」


 浅井宮内少輔について、浅井家そのものについて、公方様について、勘九郎について、そして近く行われる公開討論について、積もる話はあったが、それらは皆駆け出して行った弟妹によってかき消された。


 「おうおう、お前達もよく来たな。疲れておろう、腹も減っておろう。菓子を食うと良い。かき餅があるぞ、干し柿もある。塩っ辛いものと甘いもの、どちらが食いたい?」


 駆け寄っていった二人を、親父殿が地面に膝を付いて迎えた。ひっしと抱き合う三人。藤が、『私は干し柿が食べたい! かき餅いらない!』と激しく自己主張し、その藤を御坊丸がじっと見つめる。『かき餅も!』と藤が前言を撤回して言った。


 「よしよし、どちらも用意しようかの。こいこい、食ったら双六でもしようかの」

 早速話をしようと思っていた親父殿は、早速二人を連れて奥に入ってしまい、俺は一人残されてしまった。勿論蘭丸も五右衛門も、その他の護衛の者らもいるにはいるのだが。


 「親父殿、子供の相手は誰か他の者に」

 「お主には客からの手紙がある。それを全て片付けてからじゃ、儂はこの子らと遊ぶ!」


 既に孫可愛い好々爺でしかなくなってしまった親父殿は、高らかに遊ぶと宣言しつつ、追いかけた俺を追い払った。廊下の途中でしっしと手を振られてしまった俺は手持無沙汰に立ち尽くす。客からの手紙? と思いながら訝しんでいると、顔も胸も腰も脚も見慣れた女が近づいてきた。


 「何か今、いやらしいことを考えておりませんでした? タテ様」

 「いや、何一つ考えておらん。ハルも息災にて何よりだ」


 我が側室ハルが山盛りに手紙が乗った盆を持ってやって来た。うんざりとしてため息が出る。俺もかき餅が乗った盆に手を伸ばしてバリバリと食べたい。最近は醤油をかけて煎ったかき餅が生産されるようになり、皆好物でよく食べている。俺も食べるし羽柴殿も毎日のように食べてはあまり食べ過ぎるなと半兵衛に言われているらしい。


 「お部屋に行きましょう。お茶もおかきも用意していますよ」


 ため息をもう一度。五右衛門やその他の者達には自儘にしてよいと伝え、下京辺りを観光でもして来いと多少の銭を渡した。蘭丸には、藤と御坊丸を見ていてくれと頼み、そうして皆を解散させた。残るは俺達二人のみ。

お盆を受け取ると、ハルに肩を掴まれ、クルリと回された。そのままずずいと押される。背中に体重をかけてやった。


 「重たいですよぅ」

 「運動だ。頑張れ」

 「私だって伊賀から京まで歩きましたよ」


 カカカと笑いながら、俺は体重をハルに預けたまま部屋まで移動した。いじわる。と言われてしまった。だが楽しかった。うんざりした気持ちもそこそこに晴れた。


 六宗に織田家を加えての公開討論が行われるにあたり、京都所司代である親父殿の仕事は爆発的に増えた。まだ京都でやるとは決まっていないのだが、話が漏れた途端、織田家と朝廷とを繋ぐ親父殿に対し、多くの公家衆から問い合わせが殺到したそうだ。問い合わせの内容は、殆どが場所時間などを聞いて来るもので、即ち自分も見学したい。可能な限り特等席で。ということであった。どうも帝ですら見物したがっているそうである。勿論帝に対して『来たければ来て良いぞ』とは言えないので、本当に天覧討論とすべきかどうか今話し合っているそうだ。


 忙しさに耐え兼ね、親父殿が援軍要請をし、我が家からはハルが派遣された。実の娘であるから当然身分は悪くない。親父殿には二人実の息子がいるが、その二人の助手としても適当であると親父殿は喜んでいた。


 「手紙か、全くこんなものを俺に読ませて自分は実の子でも孫でもない童と双六か。いや、よく考えれば義理の子でも孫でもないな」

 愚痴ると、ハルに肩を揉まれた。按摩というよりも、何だか子供を宥めるような揉み方だ。


 「父様も昨日までお忙しく働いていたのですよ。今日タテ様達が到着すると聞いて、嬉しそうにしていたのですから、少しくらい遊ばせて差し上げて」

 言われて、そうだなと頷いた。時々思うのだが、ハルは俺をやんわりと弟扱いしているような気がする。嫌ではない。


 暫く、俺は手紙を読む作業に没頭した。俺が手紙を読みだすとハルは俺の肩から手を離し、火鉢を用意し部屋を適温にした。座布団は初めから用意されており、肘置きもあった。台と共に茶が用意され、それからかき餅が出て来た。手が汚れるから食えないなと思っていると、ハルは菜箸の如くに長い箸を使い器用にかき餅を掴み俺の口元に運んだ。手紙を読みながら、俺は一度として顔を上げることは無かったが、口の中のかき餅が無くなり、もう一つ欲しいと思った時にハルの箸が俺の口元に延びた。口の中が脂っこくなった。と思った時には口元に湯飲みが当てられていた。


 「流石に、耳が早い者達だな」

 「何が書かれておりましたか? と訊いても宜しいのですか?」

 全ての手紙を読み終えて、俺は嘆息しつつ呟いた。ハルの質問に、金の話だと答えた。


 「伊賀で焼き物を作っているだろう?」

 「皆様頑張っておられますね。私も炊き出しなどしましたよ? 偉いですか?」

 「偉いとも。大いに助かっている」


 ずい、と、垂れ目のタヌキ顔が俺の顔に近付いてきた。器量良しとは言えない。だが見ていて安心する。ありがとうと礼を言い、頭をそっと撫でてから話を続けた。


 「あの焼き物をな、定期的に売ってくれ。良い物があったら見せてくれ。という内容の手紙だ。皆押しなべて、その為に必要な費用は出すと言っている。どこから漏れたのかこちらの懐事情も分かっているようだ。百貫二百貫は袂からいつでも出せるような連中だからな。千貫でも二千貫でも、条件次第では一万貫でも工面してきそうな勢いだ」


 あらあらあら、と、ハルがびっくりした声を出す。そろそろ甘いものも欲しいな。と思っているとハルの手には既に饅頭があった。小ぶりなそれを半分に割ると中身は小豆であった。直接手で口に押し込まれる。甘い。旨い。


 「良い話に聞こえますが、良い話ではないのですよね?」

 「悪い話とも言い切れないがな。注目されているということはいざ出来上がったものを買ってくれる相手がいるということだ。だが、助かるからと言って金を貰う訳にはいかん。連中はその貸しを十倍にするまで俺にたかって来る」

 「お手紙は、有名な方々からなんですの?」

 「茶道の千宗易、幕府御料所の代官今井宗久、堺の茶人にして商人の津田宗及、同じく堺の豪商小西隆佐。有名どころとしてはこの辺りか、まだまだこれで全てではないがな。博多の島井宗室から手紙が来たのには些か驚いたな。どれだけの人脈があるというのか」

 「大人気ですわねえ」


 美濃焼という名が持つ価値には敵わないだろうが、伊賀という土地は京都・近江・美濃全てに近い。古渡は勿論尾張なのだが美濃焼の陶工を招いて窯を作ったことは広く知れ渡っているので美濃焼の亜種だと思われている。その古渡産美濃焼を作らせていた俺が指揮して作る伊賀焼であれば、安価に良質な焼き物を大量に入手できるのではと商人達も血眼だ。


 「弱みを見せればあっという間に俺は商人達の傀儡だ。伊賀はまだ貧しく、多くの良質な焼き物を作れるようになるにはまだ時がかかる。だがここは耐えなければ」

 「我慢ですか?」

 「連中の物欲や金銭欲に取り込まれてはならぬ」


 俺は読んだ手紙を二つに分ける。右に左に、それぞれに山を作っているとハルが駆け出すように部屋を出てゆき、戻って来た時その手には紙と筆、硯が用意されていた。筆を受け取り、文机の上に紙を広げる。文鎮を手渡され、紙の右端に。ハルは布で俺の手を丁寧に拭った後、墨をすり始めた。


 初めに商人連中に。資金の援助については有り難いが、現状足りている故お気持ちだけ頂戴しておく。良い物が出来上がったら御知らせした上で品評会などを開くつもりであるからその際はぜひお越し頂きたい。などという内容を二十程書き上げた。


 「ふう」

 「お疲れ様ですわ」


 二つあった山のうち一つを崩し終わると、ハルが俺の手を取り、手首から肘の内側にかけてを柔らかく揉んだ。漸く半分。だが、残りの半分の方が分量は少ない。


 「こちらは、どなたにお出し致しますの?」

 「大和の筒井殿だ」


 名は陽舜房順慶。仏門に帰依する信心深い方だ。十兵衛殿の斡旋で父に臣従した人物である。長きに渡って弾正少弼殿と大和を争っていた人物でもある。弾正少弼殿の権謀術数に敗れ亡命していた時期もあったが、やがて復権。弾正少弼殿が三好義嗣殿に従って父に反旗を翻し、そして大和を没収された代わりに大和を任された。世間では弾正少弼殿に敗れ、父のお気に入りであったから復権を許されたというような世論がある。あたかも順慶殿ご自身は無能であったかのような言い分だがこれは間違っている。


順慶殿が筒井家を継いだのは二歳。そして、弾正少弼殿との戦いが始まったのは僅か十一歳の頃だ。敗れて大和を追われた後にも阿波三好家の大黒柱であった篠原長房や摂津の荒木村重らと通じて外交戦を展開し、更に公家の家格において頂点に君臨する五摂家が一つ九条家の娘多加姫を妻としている。この多加姫との婚姻に当たり、公方様が一時多加姫を養女として貰い受けた。即ち、将軍家との姻戚関係も同時に結んだということになる。仏門に帰依しているだけあり南大和の国人衆や寺社集団とも良好な関係を保ち、権少僧都(ごんのしょうそうづ)という僧位も得ている。


 ここまでの要素を備えているのであれば最早父のお気に入りであるから、ではなく父が気に入って当然の人物であるから、と表現するのが適当であろう。そしてついでにもう一つ付け加えるのなら、弾正少弼殿と比べても遜色ない程の文化人である。


 「古左が色々と動き回っているだろう?」

 「ええ、それはもう」


 今、伊賀と大和の木津川までの間を結ぶ山道整備を行うことを両家で話し合っている。ここが結ばれれば畿内大和への道が一本で繋がるからだ。ここが開通し物流が盛んになれば領国内での餓死者は出なくなるだろう。近江からの街道以外にもう一つ京への道が出来ることも大きい。選択肢は多い方が相手方に足元を見られずに済むのだ。


 伊賀村井家の工事責任者は古左。これが形になれば自分好みの茶器や壺などを専用の窯場で作らせてやると言ったら大はりきりで動き出した。


 「あいつも欲に塗れた男だからな、餌を与えている限りは頼りになる」

 「欲している餌も分かり易いですものね」


 笑いあって頷き合った。筒井順慶殿に対して、そして大和の国人衆に対しての手紙はこれまでよりも丁寧に長い文章を書いた。残るは一通。このような話になって事態を静観している筈がないあのお方だ。


 「あらあら、弾正少弼様でございますね?」

 頷く。領地こそ失った弾正少弼殿だが、身軽になったその後の辣腕ぶりは衆目の知るところだ。


 「お手紙には何と?」

 もう墨はいらないと分かり、ハルが俺の後ろに回って手紙を覗き込んだ。内容は、商人達に金を出させれば利権を全て持っていかれる。盟友たる自分が出すから安心するが良い。と言うのが前半で、筒井順慶では良い物と悪い物とを見極めることは出来ない。年季が入った審美眼を持つ自分こそ、頼るべき人物である。と書かれていた。


 「一番怖いですわね」

 「分かるか?」

 そりゃあもう。と返事された。


 「京有数の、いや、天下でも有数の欲に忠実なお方だ。油断すれば全てを持っていかれるとは自己紹介のような文だな」

 「何とお返事いたしますの?」

 「むぅ……適当にはぐらかすことが出来る相手ではないからな。はっきりと断るべきか、それとも毒を食らわば皿までの精神で頼るか。販売について全てを任せてしまうのであれば、これ以上頼りになる人物もそうはおるまい」

 「人気者は大変ですわねえ」

 「ハルよ」


 後ろから俺の身体を抱きしめるようにして、即ち俺の身体に自分の身体を密着させるようにしているハルに声をかけた。


 「もう少し体を離せ」

 「あら寂しいことを仰りますわ。側室とは言え妻ですのよ。お疲れの旦那様を癒そうとこうして身を挺しておりますのに」

 「お疲れの時であるからこそ、そうやって押し付けられると元気になってしまう場所もあるのだ」


 言うと、ハルは手で口元を抑え、あらあらあらと含み笑いを漏らした。


 「若者は大変ですわねえ」

 言いながらもハルは俺の身体から自分の身体を離そうとはしない。


 「さては狙ってやっているな?」

 「本当に、若い身体を持て余すと大変ですわよねえ」


 言いながら、ぐっと体と首を伸ばし、俺の脇の下に上半身を差し込み、下から俺の顔を見上げるようにするハル。胸元から、その豊かな乳房が見えそうで見えない。見えそうで、見えない! 


 「夕餉の支度は?」

 「毎日私がやっている訳ではありませんわ」

 言いながら、ハルの両手首を掴み、答えを聞いてから、ハルを座布団の上に押し倒し、そのまま抑えつけた。






 「にーに! お客様ですよ!」

 「うむ、分かった。すぐに行く」

 「藤姫様、旦那様は今しばらく御仕度に時間がかかります故、お客様にはお待ち頂くようお伝え願えますか?」


 藤が障子を開け、その後ろから御坊丸が姿を現した時、俺は文机の前で正座をして手紙を書き、ハルは書き終わった手紙のうち既に乾いたものを丸め、一纏めにしていた。


 「全く、元気にタカタカと走って来るものだ」

 「分かり易くて助かりましたわね」


 乱れかけていた着物を急いで整えた俺達は、二人が部屋を後にしてから小声で話した。障子は開け放たれたままで、後から音もなく親父殿が現れた。


 「手紙は読んだか?」

 「あと一通で返事が書き終わります。双六は楽しかったですか?」

 「うむ。賽の目は思うようにはいかぬがな」

 「白河法皇ですら不如意であるのです。そればかりは致し方ありますまい」

 「殿は山法師を御意のままにした。賀茂川も、いずれ治水工事などをすれば大人しくさせることも叶うであろう」


 親父殿らしい言い回しに、ふふふと笑いが漏れた。京都所司代たる親父殿の権勢は、何れ白河法皇以上か。


 「客人はたった今来たばかりであるからな。それ程急ぐ必要もないと思うが」

 「いや、お待たせするのも申し訳ありません、すぐに、がっっ!!……ぐぅ……!」


 たっていたせいで立ち上がろうとして文机にぶつけた。蹲りながら激痛と戦う。


 「何をぶつけられたのですか?」

 「そうだ」

 「???」

 「いや、何でもない。さすらずともよい」


 お前にさすられたら腫れて悪化してしまう。


 「どうした? 何をやっておる?」

 「なにをやっておると言いますか……」


 部屋を出ていきかけたところでこちらを振り向いた親父殿が振り返って尋ねて来たのだが答えられずはぐらかした。腰を引き、改めてゆっくりと立ち上がると、一度大きく深呼吸をした。よし、痛みは去った。


 「中途半端に終わってしまったな。ハル、客人との話が終ったら続きをする故、待っておれ」

 俺が言うと、ハルがはにかんで笑い、はいと頷いた。


 「その一通が最後であるというのであれば必要ないかもしれぬぞ。客人は弾正少弼殿の甥御殿であるからな」

 俺達の会話を、『仕事が』中途半端だと解釈した親父殿からの一言。そうですかと答え、部屋を一歩出たところで振り返る。


 「準備はして待っていてくれ」

 やはりハルははにかみながら頷いてくれた。


 「ところで帯刀よ、お主そろそろ子は出来ぬのか?」

 「いやだから親父殿が客とか連れて来るから……」


 噛み合わない会話をしながら、俺は客間へと向かうのであった。

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