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信長の庶子  作者: 壬生一郎
帯刀編
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第八話・当主の器

「吉乃が、随分と体が軽くなったと言っていた」

「それは良かったです」

「サルに策を授けたそうだな。お陰で美濃攻めが上手くいっておる」

「いえいえ、木下殿のお力があってこそです」


年が明けて永禄八年となり、一通り正月の行事も終了した二月初め。俺は突然父から手紙を貰い、三日後に小牧山城へ来いと言われた。織田家の家風は信長絶対主義である為、手紙を貰った俺は畏まりましたと手紙を返し、昨日のうちに清洲城まで北上し、今朝のうちに小牧山城に到着した。


「帯刀仮名も、若い者達を中心に広まっている。アレのお陰で冗長な文章を読まずに済むようになった」

「お役に立てているのでしたら何より」

「奇妙丸も茶筅丸も勘八も徳も、お前と話をしたがっている。後で顔を出してやれ」

「畏まりました」


 小牧山城到着後、背が高くて粗野な感じの門番と戯れていたところ、村井貞勝に声をかけられ、奥の部屋に通された。そこにいたのが、父、織田信長だった。


 「帯刀、貴様を次期当主に担ぐという話が出た時、貴様は動かなかったな。織田家が欲しくないのか?」

 父は、壁に背を預けて片膝を立てながら茶漬けをズルズルと啜っている。俺は、胡坐をかきながら同じく茶漬けを啜っていた。もう少し塩味が欲しいけれど、健康のためにはこれくらいが良いのだろう。


 「どうした? 答えろ」

 「答え辛い質問だなあと思いまして」

 「それでも答えろ」

 父が少し不機嫌になった。この人は頭の回転が速くせっかちであるから、会話が少しでも途切れるとイライラしてくるのだ。かといってこの質問には軽々に答えられない。


 「私が尾張を欲すれば再び家中の争いになります。そうなったら、勝っても負けても私にとって碌な事にはなりません。私は領主の器ではないので」

 しょうがないので正直に答えると、父がほう、と唸った。傾けた茶碗の向こう側から見える目の輝きが強い。


 「話を続けろ」

 「続けろと言われましても」

 「何故家中で争うと碌なことにならんのか教えろ」

 父が茶碗を空にし、壁を叩いた。すぐに若い家臣が現れ茶碗を持って去って行った。その背中に父が『大盛りだ』と声をかける。お代わりをするらしい。朝ごはんを沢山食べることは良いことだ。


「負ければ、良くて追放、最悪死にます。碌な事ではないでしょう?」

「勝てばいいではないか」

「勝てば尾張の国主です。それでは弟妹と遊んだり本を読んだり釣りをしたり出来なくなります」

俺がそう言うと、父が一瞬ポカンとした表情を浮かべ、それから怪鳥のような声でケッケッケと笑った。


「だから、自分の味方をする者どもを自ら蹴り飛ばしたと申すか!?」

「蹴り飛ばしたつもりはありませんが、まあそうです。私は自分がやりたいことを自分がやりたい通りにやっていたいのですよ。領主になってはそれが出来ません。父親や腹違いの弟が領主という立場が最も気軽かつ自分勝手に動けます」

身勝手な俺の願望を垂れ流すと、父が更に大きな声で笑った。


「無欲なのかどん欲なのか分からんことを言いよる。確かに領主の器ではないな!」

「そうでしょうとも」


暫く、父の笑い声が室内に響いた。俺はその間に茶漬けを食い、父のお代わりを持ってきた若い家臣に、自分もお代わりが食べたいですと要求した。幸い、要求は受け入れられたのでその背中に『大盛りで』と伝えた。


「ならばやりたいことをやらせてやる」

父が持ってこさせた飯は茶漬けではなかった。粟飯の上に味噌の塊が乗っている。椀の端に漬け物が二切れ。父は味噌の乗った茶碗中央に箸を伸ばし、二口で茶碗の半分を攫った。もぐもぐと咀嚼しながら脇に備えてあった平たい急須を取り、茶を注ぐ。


 「帯刀、貴様に城を一つ預ける。俺はこれから美濃を奪う。そして京へ上り、天下に号令をかけねばならん。留守を任せた」

 美濃を奪い、京へ上り、天下に号令をかける。その言葉には驚かなかった。美濃攻めの前からそんなことは仰っていたのだ。けれど、


 「某に、城をお預けになる?」


 それは悪手ではないのかいお父上様? 貴方が俺に対して期待を持っているだなんて周囲から思われたら、またよからぬことが起こるかもしれない。

 「帯刀。貴様も俺の子であるのだ。一城の城主となって何の問題もあるまい」


 そう言って父は任命状とも言うべき一枚の紙を懐中より取り出し、扇をふわりと投げるように、器用に俺の足元まで飛ばした。言えば運ぶ侍従はいくらでもいるし、何なら俺の方から取りに行ったっていいのにわざわざそんなことをするのが父らしい。器用に投げられた紙を、俺もまた器用に空中ではっしと掴み、そのまま読んだ。何の前置きもなく後付けもない。五分前に書きましたと言われて納得してしまいそうな至って簡潔な内容だった。しかしながら、父の名も印もしっかり入っており、必要事項は確実に抑えてあることも又、父らしいことだった。尾張国愛知郡古渡城。今俺が暮らしている城だ。尾張の国の中央に位置し、物の流れも激しい。正に一等地ともいうべき好条件に恵まれた城。それを、俺に?


 「今までも古渡城で寝起きしていたのだ、何も変わらんだろう」

 「今までは寝起きしていただけです。城主となれば周辺一帯を統治せねばなりません。私は文字の読み書きならば出来ますが政には疎いですよ」

 「心配いらん、吉兵衛を付ける。お前は吉兵衛が言うことに頷いておれば良い」

 「吉兵衛……村井貞勝殿ですか?」


 あの爺さんとはあれから何度か手紙で話をした。俺は、『過ぎた欲を出すつもりはないので父によろしく伝えて欲しい』と頼み、爺さんからは『それが良い。ところで肉の調理法について聞きたいのだが』と返事が来た。それからは何度か手紙をやり取りしている。しかし、特別な何かをした覚えはない。肉を棒で叩くと柔らかくなるという情報のやり取りが特別な何かでなければの話だが。


 「お前を養子にと、吉兵衛が言って来た」

 「何と」

 驚いていると俺の分のお代わりが持ってこられた。しかしながらこんな時に飯をかっ食らうというのも憚られ、茶碗を隣に置いておく。

「良いから食え」

急かされた。先程の父を真似て、真ん中の味噌辺りをごっそりと拾い、口に放り込む。そのままカツカツと箸を動かして口中を味噌と米で満たした。


 「良い食いっぷりではないか」

 楽し気にそれを見ている父を横目にさっさと米を腹に入れてしまうと、父はおもむろに立ち上がり、お前も立てと言って来た。


 「随分と背が伸びたではないか。そろそろサルの背は超えるな」

 「まあ、木下殿は背が低い方ですからね」

 「それにしても、他の子らと比べて随分と背が高い」

 「沢山食べて沢山寝ておりますので」


 俺は鶏肉も鶏卵も魚肉も食べるし、使い物にならなくなった牛や馬を潰し、その肉を食うこともある。運の良いことに古渡城で籠城戦をしたり、夜中に逃げ出したりという事もしたことが無いので夜はたっぷり寝ている。食べて運動をして寝る。背を伸ばすにはそれが一番だと母も口癖のように言っている。


 「それよ、それを大々的に行え」


 俺の言葉に、父が膝を打って立ち上がりかけ、それから胡坐をかいて座りなおした。

 「帯刀仮名の事もそうだが、お前達母子は面白いことをよくよく考え付く。坊主共の言う事を無視して肉を食らい、林を押しのけて文字を広めた。その何物も恐れぬ好奇心の赴くままに面白きことを行え」

 そんな、一騎当千の豪傑みたいな評価をしないで欲しい。母は大概だと俺も認めるけれど、俺は坊主に対しての反抗とか、筆頭家老の失脚とか、そういう物騒なことを考えて行動したことは無い。


 「今、やりたいと思っていることは何だ?」

 あるのかないのかではなくて、ある前提で何だと聞かれた。正直なところ、俺にはない。不便は山ほどあるが。

 「あ、いや、それでいいのか?」

 「何だ、早く言え」


 元々俺は天下に名を轟かそうなどと考えて仮名文字を広めたわけじゃあない。余りにも不便だから一覧にしてまとめ、それがたまたま帯刀仮名などという名で広まっただけだ。なら、他にもある不便を解決するのに父を利用して良いのかも。


 「買い物が大層不便であると、常々思っております」

 「白湯と漬け物を持って来い! 帯刀の分もだ!」


 俺が言うと、父はニヤリと獰猛に笑った後、大声で外に指示を飛ばした。ふすまの外でどたどたとかけてゆく人の足音が聞こえる。彼らは大変だな。俺は四六時中こんなせっかちな人の傍にいたら気が狂う。


 「それで、買い物が何だと?」

 「不便です」

 「この辺りは銭が広く扱われておる。永楽銭は東国の共通通貨であるし、伊勢志摩は商売が盛んだ。尾張湊が不便であると言うようでは、京大阪、摂津に堺くらいでしか暮らして行けんぞ」

 「物が不足しているという訳ではないのですよ。買う時の交渉が一々面倒であるなという話です」

 「……鐚銭か」

 「それだけではないですが、おおよそその通りです」


 永禄八年における尾張湊で最も使用量の多い通貨は永楽銭、永楽通宝だ。しかしまだまだ貨幣が流通し切っていない為それ以外の銭も多く使われている。永楽通宝を始めとする中国から来た渡来銭が多いが、遥か平安時代に作られた銅銭もそこそこ見るし、場合によってはその辺の百姓が勝手に作った私鋳銭が使用されていることもある。そういった貨幣の中で、作りが悪かったり使われ過ぎてすり減りボロボロになったものを鐚銭と言う。


 それら多種多様な銭がごっちゃになっても、銭によって『これは一文』『これは一貫』というような価値の差がしっかり決められているというのならばまだ良かった。しかしながら日ノ本において鐚銭と永楽銭の交換比率は日によって場所によって人によってまちまちだ。今日は鐚銭五枚で永楽銭一枚に替えてやろう。とか、あっちの店だと鐚銭四枚で永楽銭一枚だからあっちに行こう。とか、この私鋳銭は比較的よく出来てるから鐚銭二枚半の価値とする。とか、全ての店で全ての通貨について一々相談しなければ物を買えない。当然、買い物をする人間はあちこちうろつきまわり、効率が悪い。


 「まず鐚銭だけでも駆逐することが出来れば尾張での物の売り買いは格段に手軽に、手早くなります」

 「確かにそうだが、どうする? 撰銭令で鐚銭はなくならんぞ」


 こういった効率の悪さに対して権力者達も無策であったわけではない。その一つが撰銭令だ。鐚銭やら私鋳銭を選り好みすることを禁ずる。という政策で、確かにこれが徹底されれば一々それらの銭の価値を決めるという作業をしなくて済む。しかし、問題が二つ。この政策を行うと私鋳銭や鐚銭が減らないどころがむしろ増えてしまう。そして、いかに禁止とされたところで物を売る側は良質な永楽銭で金を支払って欲しいので、売る相手を選ぶようになり却って商売の規模が縮まる。


 父の問いに応えようとした時、ふすまが開き小姓の手で白湯が置かれた。年明けは冷えるので温かい物で体を内側から温められるのは有り難い。ゆっくりと一口飲んでから改めて答える。

 「撰銭令はしません。銭を作ります」

 私鋳銭を俺が作る。一般庶民でもしている事であるのだから俺が出来ないという事もないだろう。分からなかったら母に聞く。


 「織田の銭を、作るという事か?」

 父の目が細まった。否定はしてこないけれど全面的には認められない。という表情だ。しかし俺はそれに首を横に振ることで答えた。

 「織田の銭を作るのではありません。作るのは永楽銭です」


 価値があやふやな物の売り買いにおいて、それでも一定の秩序を保ってくれているのが永楽通宝だ。鐚銭や私鋳銭も、『これなら三枚で永楽銭一枚だな』とか『永楽銭五枚で売っているものだけれど、その銭だったら二十一枚で売ってやるよ』というような交渉をされることがよくある。


 「大量に銅や錫が必要になるな」

 「ああいや、最初から大掛かりに行うつもりはありません。もう使われなくなった農具や刀槍を、年貢の代わりに納めさせる。鐚銭や私鋳銭を安く買い叩く。そうやって得たものを溶かし、銅を取り出して永楽銭にします。上手く行けば、自然と鐚銭や私鋳銭は尾張から姿を消すでしょう」

 鋳型みたいなものさえ出来てしまえば、後は簡単な気がしている。



 「面白い」



 漬け物をバリバリと嚙み砕き、グッと白湯を飲んだ父は笑いながら呟いた。さっきも思ったけれど笑った時の目元口元が嫌に獰猛だ。

 「多少金がかかっても良い、思い切りやれ。銅を溶かすのに窯が必要だろう。それも用意してやる。出来上がった永楽銭は一度俺の所へ持って来い」

 バシバシと肩を叩かれた。他に何かないのかと言われ、今度は母が言っていたことを伝える。


 「竹を使わせて欲しいと」

 「竹を? 何にだ?」

 「竹簡を大量に作りたいそうです」

 和紙は高い。理由は作るのに手間暇がかかるからだ。紙の高さは一般人が本を読めない理由の一因ともなっている。しかしながら竹を伐って加工し作った竹簡であれば、多少嵩張りはするものの安く作ることが出来る。


 「竹簡を作ってどうする?」

 「そこに帯刀仮名で文章を書き、配ると」


 生粋の文学少女である我が母直子は、自分が読んだ本の感想を皆で語り合いたいのだそうだ。ところが今のところそれが出来るのは俺を含めた数名しかいない。しかも、俺は平家物語のような軍記物の方が好きで、母は源氏物語のような恋愛ものが好きで趣味が合わない。口頭で朗読会などもしているようだけれど、イマイチ広がりに欠けると嘆いていた。


 「そう言えば直子は自分で物語などを書くこともあったな」

 「はい。市叔母上や犬叔母上も楽しみにしておりました。尾張において竹を伐る許可さえ得られれば、叔母上方もお喜びに」

 「良かろう。許す」

 俺が言い終わるよりも先に許可が出た。元々断られはしなそうな雰囲気だったけれど、叔母上達の名前を出すと結論がいつにも増して速い。家族大好きっ子め。


 「面白い話が出来たら俺にも読ませろ」

 「母上次第ですが、了解しました」

 自分の好きなことに関しては執念すら感じるくらいにのめり込む人だから、遠からずそれなりの作品が出来上がるだろう。


 もういいぞ、行け。と言われ、俺は部屋を出た。大きく息を吸って、それからフウー、と、長く息を吐いた。話をしていた時間がそれ程長かったとは思わないが、疲れた。ふと周囲を見ると近習や小姓の人達が皆、わかるぞ、というような表情でこちらを見ていた。見られていたとは、何とも恥ずかしい。

 「よし、弟達を可愛がることにしよう」

 周囲に聞こえないよう、俺は呟くように言って、そして駆け出した。


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