第七十九話・関ヶ原回答
「………………………」
長い沈黙が続いた。俺は笑い、宮内少輔は沈黙を続けている。その表情はこれまで通り憎々し気で、そしてこれまでになく、恐ろしいものを見る目であった。
「旨い茶であった。そして貴様の肚の程度も知れた」
この時、宮内少輔の目の色が変わったように見えた。いや、今まであった覇気という色が消えたと言うべきか。
「そちらの話を全て聞き終えたところで、俺の質問にも答えて貰おうか」
室内の空気が変わった。懐紙で口元を拭き、口元だけで微笑んで見せる。宮内少輔は不機嫌そうに、何だと聞いてきた。
「その作り話、本当に貴様が考えたのか?」
そうして、俺が放った一言に宮内少輔が目を剥いた。はっはっはと快活に笑う。逃がすことなく、視線は宮内少輔を捕らえ続けている。
「未来を知る狂人など近江にはおらぬ。内容も全て作った。朝倉が獲る天下の話など、貴様は知らぬ」
そうであろう? とは聞かなかった。明らかなことであるからだ。
「な、何故」
「先程の話確かに、名もなき農民がした話であるとしたら不思議であるし、その男の言が正しいと認めてしまえば辻褄は合う。だが、それ以上に辻褄が合う説がある。『学のある者らが寄ってたかってでっち上げた作り話』という説だ」
異常な知識を持っていたという事実も何一つ異常ではなくなる。そして、そう考えてみたならば、
「全て予想出来る事ではないか。木津川口で戦いとなることは、毛利家が石山本願寺に援護を続けるのであれば自明である。手取川については恐らく、浅井家が兼ねてより考えていた事。これより先、北陸の一向門徒と戦うにあたって、或いは軍神上杉謙信を迎え撃つにあたって、どこが決戦の場となるか。再び一乗谷を戦火に沈めるわけにはいかぬ故にな」
「な、長篠なる場所については?」
これは見破れまい、というような表情だった。そんな表情をしている時点で語るに落ちているのだが。しかし俺はまともに取り合わず首を横に振った。
「さあな、俺が全てを解き明かさねばならぬという訳ではなし。何らかの必然性があったのであろう。戦場となる場所の予言であるのであれば、俺でも出来るぞ、戦国の世のいずれかで、ここ関ヶ原にて決戦が行われる」
美濃と近江、この二国を繋ぐ街道となる関ヶ原。仮に東西の勢力が対立するとすれば、野戦にて決着を付けられる場所はここにしかない。実際に既に古戦場でもあるのだ。何年何月何日に、誰と誰が、ということを言わないで良いのであれば恐らくこの予言は的中するだろう。とはいえ、外れても何ら困ることではない。
「外しても構わぬ予言を言うのは楽しかったであろうな。全て『この世界とは違う、朝倉の世では起こり得たこと』という言い訳で済む。要はこの俺にそれらしさを感じさせることが能えば良かったという訳だ。『メイジ』なる元号についても然り」
俺の言葉を聞き、薄暗い室内において尚宮内少輔が蒼白になってゆく様子が分かった。仮に千年後の世までにその『メイジ』なる元号が無かったとして、それらしい名であれば何でも良いのであろう。
「『メイジ』なる名をどうやって持ってきたのかも当てて進ぜよう。古来よりの日ノ本の元号の名付け方を紐解き、古書の類からそれらしい名を引っ張って来たのだ。文明に明応。応仁の乱以降既に二度メイという読みは使われておる。恐らくメイは明るい。ジは何であるかな、慈むか、治めるか。十日俺にくれれば出典まで持って来て、提出してやろうぞ」
自分で腕を伸ばし、湯を一杯掬った。茶碗に入れ、クルクルと湯を回す。そうして中途半端に色づいた茶をぐいと飲み干す。いかんな、こんなに飲んでいたら厠が近くなってしまう。
「鞆については説明するまでも無かろう。俺でも思いつく。三好長慶公に限らず多くの権力者達が公方様と対立はしたが、殺すことは出来なかったのだ。それを成し遂げてしまった三好の没落は天下が知るところ嘉吉の乱における赤松氏も同様」
朝倉に限らず織田に限らず、畿内を征した者が将軍を追放するとすれば公方様が逃げるは鞆以上の場所は無し。鞆という地が本来相応しくなかったとしても、ただただ俺にそれらしさを感じさせることが出来れば良かったという点については前に同じ。
「まだあるぞ、仮にその男がいたとして、朝倉家が滅びるまで浅井家にいることなどあり得ぬ。誠に後の世から転生して現世に現れたる者であるとするのならば、帯刀仮名を見てすぐに古渡までやって来て俺に保護を求めるであろう。そやつにとって、俺と母上はこの世にたった二人しかおらぬ同郷の出、逃げ隠れする意味がどこにある?」
宮内少輔が絶句した。それはもう見事な絶句であった。そこに考えが至らなかったのか、それともそこに俺の考えが至ることは無いと高を括っていたのか。
「楠木正成公の例えは分かり易く、説得力のある良き例えであった。文章博士として褒めてやる」
他に何か、俺に論破してもらいたい点はあるのかと訊くと、宮内少輔の肩からぐったりと力が抜け、そして、拳がわなわなと震えた。
「儂の願いだ」
暫く震えていた宮内少輔殿が口を開いた。
「ほう、先の作り話、貴様が考えたというのか」
「……儂は朝倉家天下を望んでおった。名将朝倉宗滴公がおられた過日の姿は戻らぬと知っておったが、それでも朝倉家の方が織田家よりも京都に近い。そして間に塞がる勢力も六角程の強敵はおらなんだ。その朝倉に天下を獲らせることが出来ればと思うておった。勿論、先程の話のように天下取りのさ中に浅井が滅びれば良いなどとは思っておらんがな。浅井は南近江を攻め取り、そのまま美濃尾張、朝倉の天下において第二位の地位にあれば良いと思っておった」
実際の所、有り得ていてもおかしくない話だと思う。朝倉が公方様を戴いて上洛しておれば。という妄想は朝倉家の誰もが、滅ぶその時までしていただろう。あり得なかった未来ではない。当時の朝倉家上層部が決断さえしていればやって来た未来なのだ。
「儂は朝倉と結ぶことで浅井を大きくしたかったが、結果として儂がしたことは裏目に出た。織田弾正忠を過小評価しておった。儂なりに大器であると評価しておったつもりであったが、足りなかった」
それに関しても、この宮内少輔を無能だと、先見の明がないと言うことは出来なかった。勢いこそあったが、上洛前の父はまだ高い評価を受けてはいなかったのだ。
「あの時、弾正忠が佐和山へ来た折に、首を取っておくべしという喜右衛門の進言を容れておくべきであった」
佐和山へ来た折、というのは恐らく、観音寺城攻め前の話だ。父は当初六角と戦うつもりはなく、合同にて京へ登ろうとしていた。だが六角義治は父に会おうともせず、結局戦いとなり、観音寺城は落ちた。織田家に対する六角家の抵抗は今も続いている。
「何故朝倉ではないのだ……何故……何故!? 天下があのような」
「もう喋るべきではないな」
切り込むように、宮内少輔の言葉を遮った。
「思えばもう六年前にもなる」
初めて浅井宮内少輔久政に会った時は、何の抵抗も出来ず絡め捕られるばかりの自分がいた。頼りになる二人が並んでいてくれていたから首の皮一枚繋がったが、まともに論戦をすれば逆立ちをしても勝てないと、敗北感を植え付けられたものだ。
「浅井宮内少輔。何故暗殺の進言をされたことなど俺に言う? なぜ、あのようななどという言葉を付けて我が父を貶めようとする。それを理由に織田家が浅井家を潰しにかかることも出来るのだぞ?」
六年で、俺は体が大きくなり、中身も、それなりに成長したと思う。そうして今、当時敵わなかった相手を追い詰めている。高揚も興奮も抑え、逃げられぬよう追い詰める。
「いずれにせよ、貴様は朝倉に賭け、備前守様は織田に賭け、結果織田が勝ち、貴様は賭けに負けた。戦国の世から身を引いて貰おう」
「戦国の世から引く?」
宮内少輔が顔を上げた。その一言を聞いてから、俺は入れ、と外に声をかけた。そして入って来たのは又左殿ら織田の兵と、遠藤直経ら浅井の兵両方であった。彼らは刀に手をかけたまま宮内少輔の身柄を捕らえた。
「隠居してもらう。今度こそ本当に。俺はこれから京都へと向かう。貴様を護送しながらな」
喜右衛門、と、宮内少輔の悲鳴にも似た声が室内に響いた。先程の父を暗殺すべしと進言した喜右衛門とやらはこの遠藤直経のことだろう。遠藤直経は、努めて無表情を貫きながら、ポツリと一言、浅井家の為ですと言った。
「織田家の危機に織田を裏切ったのだ、当然であろう。和議を成し、その後は備前守様の活躍があったから咎めが無かったのだ」
久政の首を。という声は織田家中に幾つもあった。だが、本願寺との最初の和議の際、浅井もまた織田家と和議を成した。その後備前守様の御活躍のお陰で浅井家全体として親織田派が過半数を握っていた為、攻めるも罰するも棚上げにされてきたのだ。
「裏切ったみそぎをせねばならぬ。貴様は京都にて余生を送ってもらう。此度の三者会談、貴様が浅井の代表となったのも、その辺りの話を詰める為であった。西近江と若狭も召し上げとなる」
「召し上げじゃと!?」
宮内少輔が叫び声を上げた。父とそれらの話し合いをしたのは遠藤直経であり、そしてその後ろで父親を殺すことなく、何とか浅井家存続の為の方策を案じたのが備前守様だ。
「浅井が織田を裏切って得た土地は返し、裏切りの盟主である貴様は実質的な人質。当然、反織田派であった者らからも知行を奪う。これでもって、浅井家の織田家に対してのみそぎとなる。それでも、浅井家は旧朝倉家のほぼ全域を手中に収めるのだ。勝ち組と言って構わんだろう?」
勿論表向きにそのような理由は使わない。近江は高島七頭に、若狭は武田元明に返すという名目だ。命令を下すのも織田弾正忠ではなく公方足利義昭様。浅井宮内少輔も表向きは体調不良につき引退し、余生を京都で過ごすという名目になる。
「喜右衛門! 貴様! 浅井家を織田の犬とするつもりか!?」
「京は賑やかな町でござる。余生は茶の湯か能にでも興じ心穏やかに過ごされれば宜しいでしょう」
質問に答えず、遠藤直経が言った。この男が、誰よりも先に父を恐れて暗殺を試み、そして宮内少輔が織田家を裏切る際には逆に諫めたのだという。今は不利であっても、最終的には織田家が必ず勝つからと、二度の進言は二度とも正解であり、そして二度とも容れられなかった。それでも、遠藤直経は浅井家に尽くし、今こうして浅井家を守った。
「不忠者! 裏切者! 喜右衛門! 貴様ともあろう者が」
「聞きたいことがある」
最早完全に平常心を失っている宮内少輔の言葉を遮るようにして訊いた。宮内少輔は話すことなどないわ! と叫んだがそれを無視し、質問をする。
「貴様は嫡男を六角の人質に出した時、死んでも良いと思ったのか? それとも死なぬと思ったのか?」
嫡男、即ち浅井備前守長政様だ。備前守様は嫡男ではあるが弟達とは母親が違う。幼い備前守様は母親と共に六角氏の人質とされ、その間に宮内少輔は男子を四人、女子を三人成している。
「家臣に押され、十五で当主となった備前守様は貴様を追放しなかった。それに感謝したか? 当然と思ったか? 恨みを抱いたか?」
当時圧倒的な強さを誇った六角氏を打ち破った野良田の戦いの頃だ。父が今川義元を討ち取ったのと同じ年の出来事。似たような状況にあった甲斐の武田信玄は父親を甲斐から追放している。
「息子とその妻を幽閉して浅井家を再び我が物とした時、得たのは達成感か? それとも徒労感か?」
俺の質問に、宮内少輔は答えなかった。ただ苦々しげな表情で俺を見据えるのみだ。
「備前守様が一乗谷を落とした時、貴様は息子の手柄を喜んだのか? それとも朝倉の滅亡を悲しんだのか?」
この浅井久政という人物を俺が傑物であると思っていることは今更言うまでもないことであるし、見習うべきことも沢山ある。だが、一つ気に入らないことがある。先程から天下が朝倉が浅井がと何度も言っているのにも関わらず、息子についての話を一切しないことだ。だからこれは、何か正論として言うことではないし、そもそも言う必要が無いことだ。それでも、俺は言わずにいられなかった。
「俺は家族仲が悪い男が嫌いだ。遠藤殿、連れて行かれよ」
話を切り上げると、遠藤直経が俺に平伏し、そして立ち去ろうとした。
「遠藤殿、貴殿が成されようとしたことは浅井家の忠臣として当然の事、殿にはそれを含めてお伝えした後、ゆめゆめ無体なことをなさらぬようにと具申しておく。早とちりし滅多なことなどはなさらず、今後とも浅井家の為、ひいては織田家の為に働いて下され」
俺の言葉を聞いて、立ち去ろうとした遠藤直経が再び振り返り、先程より深く平伏し、そして去って行った。
「……手ごわかったな」
幼い頃、勝つことが出来なかった相手を、漸く一人打倒することが出来た。あの頃より自分が成長していないと思っていたわけではない。だが、確実な結果を得て、俺は溜息を吐いた。
「……これから論戦を張る相手は、あれよりも手強いのか」
先の事を考えると気が重くなる。ともあれ俺は、眠そうな顔をしながらも起きていてくれた蘭丸の頭を撫で、又左殿に片付きましたと伝えた。
「あの方も、家の事やら何やらを色々と考えた結果、御嫡男を質としたのやもしれませんぞ」
「いやまあ仰る通りですがね」
一戦を終えた俺は、それから蘭丸には寝るようにと言い、又左殿と二人で話をしていた。
「しかし、面白き話でございましたな、朝倉家が天下を獲った先にある世から今へと転生をしてきた者。輪廻転生とか、そのようなものでしょうか?」
「そのようなものかもしれませんね。ただ、古今東西、神や仏の加護を得て神通力でもって世直しをする。などという話は極ありふれておりますれば、それ程深く考える必要もない類の話であるかと」
「某途中まで、『確かにそれであれば帯刀様や直子様に納得が出来る』と思っておりました」
「ハハハハハハハ、お戯れを、そのようなことがある筈もなし」
「そりゃあそうですな。はっはっはっは」
そんな風に笑いあいながら、ふと気になったので質問してみた。
「仮に私や母が宮内少輔の言う通りの者であったならば如何しました?」
「どう、とは?」
又左殿がきょとんとした顔を作る。右目の下の傷や目鼻立ちがはっきりした顔立ちのせいで無骨に見える又左殿がそのような表情をすると却って子供らしく映る。
「宮内少輔が、天下を改ざんせんとする簒奪者、などと言っておったではないですか」
俺が訊くと、又左殿がああ、と言いながら何でもないように答えた。
「例えそうであったとしても、既に直子様も帯刀様も織田家の者にございましょう。であるのならばお二人も又この天下の民、織田の民、我らの仲間ではありませんか」
「又左殿……」
何だか感動してしまった。いや、断じて俺は未来から来た者でも異界からやってきた妖怪でもないのだけれど。
「先程の話の中で確実であるのは、朝倉は滅したということでありましょう。最早朝倉が天下を獲る可能性は無し。まだしも拙者や内蔵助が天下を獲る可能性の方が高うござる」
言ってから、おどけるように笑った。冗談で言っているわけであるから、具体的にどのようにして、などと問うのは無粋な話だ。
「又左殿と話をすると頭がすっきりとしますな」
「それは良かった」
笑いあって、俺はそろそろ自分も寝ると言い立ち上がった。用意された小屋に入り、藤や御坊丸が寝ていることを確認する。
「五右衛門」
「ここに」
暗闇の中、囁くように言うと闇から五右衛門が現れた。
「百地丹波に一つ動いて貰いたいことが出来た。緊急ではないが確実に調べて欲しい」
「畏まりました、して」
内容を問われ、俺はうむと頷く。
「ここ三年以内に、竹中半兵衛の手の者が、或いは羽柴家の者が浅井宮内少輔に接触を取った形跡はないか、難しいとは思うが、調べられるか?」
承知、と言って五右衛門が姿を消した。
話をでっちあげてまでも俺に、そして母に切り込んできた浅井宮内少輔。その宮内少輔に、三千貫という高禄で召し抱えられていたことがある竹中半兵衛。三年前、母に対して警戒せよと俺に言って来た羽柴家の者達。なぜ、宮内少輔はあれほどまで強く俺達に疑いを持っていたのか。宮内少輔に何か讒言をする者がいるとしたら。
「考え過ぎであるなら良い、杞憂に終わるのなら、それが最善なのだ」
三日後、俺達は京都に到着する。




