第七十八話・関ヶ原夜話
共に天ぷらそばを食べてから三日後、徳川様は天ぷらうどんや天丼、かき揚げ丼に豚肉の揚げ物、それにから揚げなど、可能な限り多くの揚げ物を食べ、そして三河に帰って行った。
「海老の天ぷらが至高でござった」
油分が多いのであまり健康的ではない。というようなことを伝えると、徳川様は悔しそうに自らの爪を噛み、それでは、二日に一度程度に抑えねば。等と呟いていた。それは抑えていると言えるのだろうか。
「旬が夏であります故此度はお出しできませなんだが、鱚の天ぷらは非常なる美味でありました。是非ご賞味下さい」
「それは良きことをお教え下さった」
強いて言えば豚肉の揚げ物が最も脂が多く体には宜しくない。油ものである天ぷらを食べる時には濃い茶を飲んだ方が、摂取した油を分解することが出来る。という、母から聞いた話をそのまま教えると、徳川様はそれらの話を一言一句逃さぬとばかりに書き付け、その後俺に深く礼を言って来た。
「前回この地にて清洲同盟を結んだことも我が徳川にとって吉兆でござった。此度も浅井殿を加えた三者の同盟、そして天ぷらを知り得たことと、再びの吉兆がござった」
四日間の中で、一度に話したものとして最長の言葉を述べた徳川様は最後に俺の手を強く握りしめた。吉兆と言って頂けることは嬉しいが、恐らく戦国の世においても決して小さくない転換点となったであろう二度の同盟締結と、自分の好物を見つけただけのことを同列に語るべきではないと思う。
何度か父とも話をし、そうして恙なく三国同盟締結を終えた徳川様が清洲城を出発したのと同日、俺も又、清洲城を出発した。向かう方向は西。大垣を経てさらに西を行く、関ヶ原を通過する道だ。
「さあ、頑張って歩くのだぞ」
藤と御坊丸に言うと、二人は揃ってはいと頷いた。籠を用意してやっても良かったし、馬に乗せてやっても良かった。誰かがおぶることも出来なくはなかった。実際、美濃から船で大垣近くまで移動し、そこから大垣城に至るまでは馬に乗せてやった。二人とも喜んでいた。兄としては馬の背から濃尾平野を見て、何か感じるところがあってくれればいいと願ってやまない。
とはいえ、自分達で歩くと言ったのだから多少大変な思いはさせようと、大垣城から関ヶ原までの、三里半の道のりは全て歩かせた。最初の一里は二人とも楽しそうにしていた。次の一里は進む速度が落ち、最後の一里は何もしゃべらなくなった。だが、疲労とは得てしてそのようなものなのだが、最後の一里は最初の一里よりも歩みが速く、朝大垣を出た一行は日没を迎えることなく関ヶ原へと到着することが出来た。
「二人とも今日はよく頑張った。明日もう一日歩き、琵琶湖の東岸に到着したら大津までは船で移動する。明日も早いので、夜更かしせず眠るように」
俺が伝えると、沢山運動し、そして夕餉を沢山食べた二人がはいと返事し、下がった。丁度西の空に日が沈んだ頃合いで、今から眠れば恐らく明日日の出前には出発出来るだろう。
「では、内蔵助殿、二人を頼みます」
「はっ、帯刀様も、充分にお気を付け下さい」
二人の後姿を確認し、黒母衣衆筆頭佐々内蔵助成政殿にそう伝える。内蔵助殿は頷いた後又左殿に何か目配せをし、そして又左共も承知したとばかりに頷いた。
「二度目ですな」
「そうですね、あの時とは随分状況が変わりました。公方様はまだ一条院覚慶様であらせられたし、織田家も此度の上洛が誠上首尾に行くかどうかと不安に思いながらの出兵でした。浅井家も近江北東部、小谷城とその周辺を支配する中小大名でしかなかった」
「今や近畿は織田・浅井両家の意向がなくば動きません」
そんな会話を又左殿としながら、俺達は宿泊していた宿を出た。北に生駒山系、東に南宮山、南に松尾山西に天満山。四方を山に囲まれ、東西の勢力が決戦を行うに相応しい土地。かつて源平の合戦が行われた古戦場の正に真ん中で、俺は当時話し合いにて追い詰められた相手に会いに行く。あの時は又左殿と、今なき友に助けられた。今回は一対一での話を御所望とのことだ。
「もう六年前の話になるのですな」
「あの時まだ拙者は十四歳でした。蘭丸などは三歳か」
明かりを手に持ち先導を務めてくれている蘭丸に訊くと、蘭丸は少し考えてからはいと答えた。今ですら蘭丸は九歳だ。二人の面倒を見つつ二人が眠ったらそのまま寝て良いと伝えたのだが、『拙者は帯刀様の小姓にございます』と、随行することを希望した。夜間の移動につき、周囲には五右衛門とその手の者達が付いている。
「組木細工のようだな」
やがて、暗闇の中に現れたものを見て、俺は思わずそのような感想を漏らした。周囲には何もなく、田んぼや畑、あるいは単なる野原の中心に、突如として一軒の小屋が現れる。昔話において山奥に突然民家が一軒現れる、などということは良くあるが、それに近い。浅井家の者達が俺を招く為だけに急ごしらえで作ったものであるそうだ。障子の奥には部屋が一つだけ。そしてその小屋を、浅井家の武士達が囲んでいた。
「村井伊賀守様、此度は招きに応じて下さいまして誠にかたじけのうございます」
俺達が近づいてゆくと、小屋の前で立っていた身なりの良い武士が近づいてきて俺に頭を下げた。見覚えがある。この男も又、六年前に俺を手の上で転がした古強者だ。遠藤直経。浅井家の重臣にして忠臣。我が母をして警戒すべしと言わしめた男。
「浅井宮内少輔が待ってござる。御準備が宜しければ、こちらへ」
「畏まった」
言いながら、腰の大小を外し、又左殿に手渡した。遠藤直経がそのままでと言いかけたが、それを手で制する。
「某は茶飲み話でもと、宮内少輔様に誘われここに来ておりまする。茶飲み話をするに刀を差したままするなどという無作法をすれば当家の、ひいては織田家の恥となり申す。喜右衛門殿、槍の又左、前田又左衛門利家を連れて参りました。以前出来なかった強き武士同士の話などもありましょう。また、ここにおるは森傅兵衛可隆の弟蘭丸にございます。宜しければ昔語りなどして頂けましたらと」
言って、頭を下げた。遠藤直経と視線が交錯する。以前は明らかに俺よりも大きかったが、今は間違いなく俺の方が上背がある。食生活や睡眠習慣のお陰で、最早俺も大男と言われる程度の身長になった。又左殿には及ばないが、父がやや小柄、程度の体格をしていることを思えば十分であろう。
「失礼致す」
そうして、襖を開けて小屋に入ると、そこには外見通り、僅か四畳半しかないごく狭い一室があった。中央の半畳が開かれ、そこで炭が焚かれている。その上に提げられた茶釜から、じきに五十になろうという初老の男が湯を掬っている。刀は帯びていない。もし大小を横に置くなどしていたら大笑いしてやろうと思っていたのだが。
「待っておった。久しいな、文章博士よ」
射るような視線だったが、口元は笑っていた。俺は茶釜を間において、相手と部屋の対角線上に座る位置に腰を下ろし、答えた。
「そうだな、宮内少輔の武功も聞いておる。衰えておらぬようで、旧知の身としては喜ばしく思っておるぞ」
浅井宮内少輔久政。一度は息子長政に家督を奪われるも、同盟を組んでいた織田家が四面楚歌に陥り窮迫する中その息子を一時幽閉して政権を奪還。今は孫の輝政を当主とし、その代わりの内政外交を執り行っている。当主の代わりを務めているのであるから当然浅井家中においての発言権は強い。今回も、当主輝政の名代として清州三国同盟を締結した。
対等の立場、むしろ自分の方が上であるかのような俺の物言いに、宮内少輔の手が束の間止まる。だが、先にそのような物言いをしてきたのは相手だ。表向き、相手は隠居した老人に過ぎない。織田家直臣である俺が遜る理由はない。当主の祖父であると言われれば、俺は当主の長男だと言い返す。宮内少輔の名を出されれば文章博士の名を出す。あくまで対等であるという立場を崩さず、機先を制したかった。
「良き成長を遂げたな。矢張り、六年前に我が手で滅すべしと考えたことは間違いではなかった」
「お互い様だ。俺とてあの時その皺首を飛ばしておればと何度思ったことか」
相変わらず相手がギョッとするような言葉を何でもない事のように差し込んでくる。だが、大丈夫だ。これくらいのことは言われるだろうと思っていた。
慣れた所作で椀に湯を注ぎ、掻き混ぜ、俺に椀を渡す宮内少輔。俺はそれを受け取ってから器を傾け、口元に抹茶が届く直前で止める。そして、その茶を喫することなく隣に置いた。
「おや、毒殺を恐れておるのか?」
俺が茶を飲んでいないことを目ざとく見破った宮内少輔が突っ込んでくる。怖いのか? と視線で問うてくる。当然怖い。俺は貴様の事など微塵も信用していないのだ。
「ここに来るまでの間、厠が無かったことが気になってな。久しぶりに宮内少輔に会うのだ、長話の最中中座する無礼は避けておこうと思うたのよ」
そちらに対しての気遣いだという論旨で、俺は宮内少輔の攻撃をかわした。宮内少輔の俺を見る視線が忌々し気なそれに代わる。懐かしい、以前もその眼で俺を大いに追い詰めてくれたものだ。逆に俺は微笑みを返してやった。前哨戦は、やや優勢だ。
「朝倉家が滅びたな」
その言葉に、内心首を傾げた。確かに北陸越前の名門朝倉家は滅びた。だが、それは昨日今日の話ではない。しかも滅ぼしたのは浅井家だ。
「備前守様は良き武士だ。あのお方がおられる限り貴家の将来は明るかろう」
宮内少輔久政には対等の者として話をするが、備前守長政様には敬意を示した。暗に、と言うには些か露骨だが、宮内少輔の権威を否定するようなやり方だ。
「備前守様は一乗谷を良く抑えておられる。いずれ加賀切り取りも出来よう」
越前一向宗は加賀・能登・飛騨・越中と、後援となり得る一向宗が身近に多くいた。だが、度重なる朝倉との戦い。織田家、武田家による飛騨侵攻。上杉家による越中侵攻。長島の殲滅。何より本山たる石山本願寺の苦戦によりその力を失っていった。それでも侮れない底力を持つ一向門徒を抑える為、備前守様は自ら一乗谷に出向き、そこに居を構えた。磯野員昌・藤堂高虎・日根野弘就・日根野盛就といった家臣や市姉さんと、彼女が産んだ子供らも連れて。本拠小谷城には現当主輝政が残り、その後見として久政が君臨する。浅井家の石高を大雑把に百万石とすれば、現在の浅井家は丁度五十万石ずつを父子が分けて統治しているような状態だ。
「我が領内にな」
言葉の真意を測りかねていると、宮内少輔が茶を一口飲み、それから呟くように言った。
「朝倉が天下を獲る筈だったのに何故だと言い、自ら命を絶った狂人がおったのだ」
「時勢の読めない者はどこにでもおるな」
「儂も最初はそう思った。だが、その男がどのようなものであったのか聞く機会があり、考えを改めたのだ。少々長い話になるやもしれぬが」
「構わぬ。旧知の友人と語らうを楽しみに来たのだ。朝まででも聞こうぞ」
目を細め、歯を見せるような表情で宮内少輔が笑った。俺も笑う。上手く笑えているかは分からない。
「その者が生前していた話を纏めると、朝倉家は公方義昭様を奉じて上洛し、三好を駆逐して天下に覇を唱える筈であったそうだ」
「織田家が行ったことを、朝倉に置き換えただけではないのか?」
「そこまでならな。だが、その後が少々違う。朝倉家はやがて公方様と対立し、公方様は御内書を濫発し朝倉家を包囲。その後我ら浅井家は織田家と共に朝倉と戦い、小谷の北、賤ケ岳にて敗北。小谷は焼かれ、浅井家は滅びるそうだ。織田家も又、ここ関ヶ原において朝倉家と衝突、敗北し滅びるとのことであった」
「中々、妄想力の逞しい狂人であったのだな」
鼻で、大きく息を吸い、そして吐く。落ち着こうと抹茶に口を付けようとして、手を伸ばしたところで止めた。動揺のせいで行ってしまったその所作を、宮内少輔は見破ったであろうか。
「浅井や織田が滅びたところで、公方様は京を追われ西、毛利氏が治める鞆へと逃げたそうだ。鞆だ。言うておくがその者は我が家の家臣ではない。身分の低い農民であり、文字を覚える事とて出来ぬ身であった」
足利将軍が鞆に逃げる。その言葉を聞いて思わず唸った。確かにあり得る話だ。もし今後父が公方様と手切れとなり、そして公方様を京より追放した場合、毛利氏の勢力下に逃げるというのはかなり蓋然性の高い事象である。そして、備後国鞆。建武三年、多々良浜の戦いに勝利した足利尊氏公がこの地で光厳天皇より新田義貞追討の院宣を受領している。一旦は京を追われた足利将軍が復活の足掛かりの地とするのには最もふさわしい場所と言える。だが、その事実を単なる農民が知っている筈はない。
「単なる農民と言うのは仮の姿で、何れかのやんごとなきお方の御落胤だったのでは?」
「初めに考えたことだ。徹底的に調べた。間違いなく、名字もない農民の子として生まれ育った男であった。幼き頃より塞ぎがちで、常に世に絶望しているような男であったらしい。それでいて、時折異常な知識を披露したそうだ」
「奇妙な話である」
腕を組み、首を傾げて考えてみせる。宮内少輔と視線が交錯した。
「本当に奇妙な話であると思うておるのか?」
「どういう意味だ?」
「……その男が一つ、面白い話をしていた。男の素性を調べている時にしった事だ。男は、誰に習うでもなく、ある程度の文字が書けたそうだ。そしてな、近江にも流れて来た帯刀仮名を見て、その後編纂された漢字一覧表を読んで大いに驚いたらしい。何故故、この時代にもう五十音表や常用漢字があるのかと」
長く、台本じみた言葉を述べた後、宮内少輔がグッと茶を飲み、そのまま飲み干した。
「毒など入れておらぬ。入れてもし貴殿に死なれれば織田を、いや、天下を敵に回す。最早そこもとの名は公家衆にも羨望をもって見られておるのだ。もう少し己の大きさを理解せよ」
言われ、俺は無造作に椀を掴み一気に飲み干した。おかわりを所望する。宮内少輔が湯を掬った。
「漢字や仮名が纏められるのは『メイジ』だったはずだ。その男は言い、片仮名はないのかと周囲に聞いて回り、その片仮名なるものは矢張りそこもとの手に寄り纏められた。男は随分と混乱したようだ」
「まるで、見て来たかのように詳しいではないか」
「その男の知人は全て調べ、男が言ったという言葉を一言一句違わず書き写させたからな。最早見たのも同然に知っておる」
そうして男は、織田家が勢力を伸ばす度にあり得ないあり得ないと恐れ慄くようになり、浅井家が朝倉家を滅ぼす段になり、とうとう気が触れて自ら命を絶った。
「男の言葉には幾つか予見的なものもある。朝倉が天下を獲った場合、『手取川』にて上杉と、『長篠』にて武田と、『木津川口』にて毛利と雌雄を決するとのことだ。いずれも実在し、近江の住人であったその男にとってみれば生涯出向くことの無かった地である。これらが全て妄想であると思うか?」
「単なる妄想狂でないとは思う。が、妄想以外に考えられる可能性が見当たらぬな」
俺が言うと、あるではないかと、宮内少輔が俺を睨み付けて来た。
「その男が狂人なのではなく、その男が正しいのだとしたら、全ての辻褄が合う」
一度外を窺うふりをして首を横に向けた。そのままゆっくりと中空を眺め、そして再び宮内少輔に向き直る。
「帯刀仮名なるものも、漢字の編纂も、貴様ら母子が行っている珍妙な試みの数々も、本来その男が言う『メイジ』なる時代になって初めて得られるものであったとしたならば。本来、天下は朝倉が獲る筈であったとしたならば、間違っているのは男ではなく、天下の方である」
怒りにも似た感情が、宮内少輔の全身から発せられていた。であったとしたならば、と宮内少輔は言うが、表情は自説に確信を持っていることを物語っている。
「成程、貴殿も中々、面白い妄想をする。俺に代わって物語の執筆などするがよい」
「今日ノ本に、天下を改ざんせんとする簒奪者が二人」
俺の言葉を遮って、宮内少輔が言う。その言葉に俺は鼻で笑って答えた。
「その二人を、俺と母というのは自由だが、だが、ならば貴様に勝ち目などないことも理解出来よう。本来朝倉が得る筈だった天下を俺が、或いは我が母が奪ったとする。ならば貴様は天下を変えることの出来る者と戦わんとしておるのだ。何をしたところで、俺達には通用せぬぞ。何しろ、俺は天下を変えられるのだからな」
「変わった天下の先を見た訳ではあるまい」
俺は『メイジ』なる世からやって来た者ではない。勿論母も違う。だが、そう結論付けた宮内少輔の推論は見事であった。見事であるが故に、それを正さず心を折りにかかったのだが、宮内少輔は直ちに俺の言を否定した。
「朝倉が獲る筈だった天下は既に無くなった。即ち物語は変わったのだ。湊川の戦以前であれば、楠木正成公に助言を与えることも出来よう。だが、仮に楠木正成公を湊川の戦で死なせず、勝利させることが出来たならどう助言する? その先は誰も知らぬこと。例え貴様らが朝倉の天下を妨害し、実際に天下から降したとしても、それ以降は分からぬ筈だ」
道理だな。と、思った。手を差し出す。早く茶の代わりを寄越せと。
「毒が入っておるぞ」
忌々し気にそう言われ、笑った。この期に及んでそのような冗句が言えるのだ。やはり浅井久政という人物は一代の傑物である。
「この時代の天下については、この時代の人間が決める事。妖魔の類にはお引き取り願う」
そうして、宮内少輔は俺を睨み付けながら言った。
「天下は変わったのだ。新しい天下の為、織田と手を組む。それではいけないのか?」
「織田と手を組むは肯んじられても、貴様ら母子と手を組むことは出来ぬ。必ずや討伐してくれる」
束の間睨み合った。どちらも視線を外すことなくしばし、動いたのは俺だった。
「そこまでの覚悟であるのならば、この茶の中に猛毒が入っていて然るべきであるな。貴様もただでは済むまいが、少なくとも俺を殺すことは出来る。この茶を飲んだ後、俺が生きていられたのならば、貴様の覚悟もその程度のものよ」
「飲む勇気があるか?」
互いに丸腰だった。この一杯を飲めば、この一夜限りの会談も終わるだろう。飲まずに置いて逃げることも出来る。絶対に毒が入っていないとは言い切れない。だが。
「頂こう」
一息に、茶を飲み干した。濃厚な苦みと僅かな甘みが口中に広がり、舌の上をなぞって喉奥へと滑り落ちてゆく。二度、三度、四度と嚥下し、最後の一滴まで飲み干す。毒が入っていたのならばまず助からない。
全て飲み干し、椀を傾けていた右手を脇に、椀を置き、宮内少輔の顔をねめつけ、笑った。
「恐るるに足りず」




