第七十六話・握る手と振るう手
「顕如が公方に泣きついた」
父の言葉に、成程と頷く。本願寺勢は口では織田家を仏敵と呼び、織田信長には必ず仏罰が下ると強気の言論を繰り返している。だが、本心でも大局利非ずを分かっておるのだろう。
「戦っても勝ち目は薄い。今なら和睦すれば往時の勢力とはいかぬまでも畿内の一勢力としての地位は確固たるもの」
「だが、俺は引かぬ」
俺が本願寺勢力の本音を想像し述べると、父が言い放った。そこで、公方様の出番だ。
公方様は天下の調停者となることを目指しておられる。日ノ本の宗教において事実上の最大勢力となった浄土真宗と、同じく石高において日ノ本一の織田家、この両勢力の間を取り持つことには大きな意味があるだろう。
「本来であれば父上にとって、公方様の存在意義が高まることは望ましくありません。ですが」
父の表情を見ながら、何か手を打っているのでしょうと聞いた。父がニヤリと悪い笑い方をする。
「摂津衆を始めとした畿内勢力が公方に働きかけた。石山を、一向宗を許すべきではないと」
「摂津衆と言うと、摂津三守護ですね。池田筑後守殿、和田紀伊守殿、伊丹大和守殿、何れがそう仰っておるのです?」
「全員だ」
俺の質問に即答する父。少し冷めたつくねを咥え、串から外す。
「池田と伊丹は三好三人衆に幾度となく苦汁を舐めさせられておる。俺が三人に摂津を与えてからも隙があればすぐに攻められ、最前線となるは和泉か摂津であった。今更争乱の原因である石山を許せはするまい」
「和田殿は?」
「この度正式に基督教の洗礼を受けた。家臣の高山も熱心な信者だ」
基督教。ルイス・フロイスら京都を統括する宣教師達の努力により、近畿でも急速に勢力を拡大させている。日ノ本にはない、南蛮渡来の技術を惜しみなく伝え、政治には介入してこない。だが、基督教を邪教だと忌み嫌う仏教徒達には容赦なく、お前達こそが邪教徒であると言って憚らない。当然のことながら石山本願寺とも仲は悪い。
「河内の畠山も大和の筒井もそれに続いた。幕臣達からも降伏に近い形でなければ石山本願寺と和議を結ぶ意味はないとの声が出ている」
「それは誠に『出ている』のですか? 父上が『出させている』のでは?」
訊くと、父が悪そうな笑みを深めた。貴様もやっていることであろうがと一言。頷く。全員に手を伸ばしている訳ではないが、幕臣の方々とは以前より誼を通じ織田家について便宜を図ってもらうように言っている。十兵衛殿や弾正少弼殿が京都近くにいることが多いのでその役目の殆どは持っていかれた感があるが、三淵藤英殿や、細川から名を変えた長岡藤孝殿の兄弟、或いは一色藤長殿へは事あるごとに贈り物を送っている。
「十兵衛殿や弾正少弼殿はどうです?」
「十兵衛からは何もない。弾正少弼は大坂城を退去させこれを取り壊すまでは戦いを終わらせることは出来ぬと言っておる。奴も甥が基督教に帰依しておる。新し物好きでもあるしな、仏教よりは基督教寄りよ」
「内藤如安と言いましたか、今更ながら、基督教に入信する者も随分増えてきましたね」
そして、基督教徒は例外なく仏教徒と争う運命にある。
「畿内の幕臣は公方にとって蔑ろに出来ぬ支持基盤だ。連中が和議に反対するのであれば公方がそれを押し切ることは出来ぬ。調停者であるのだからな。正しいか正しくないかは二の次よ。己を支える連中の機嫌は損ねられぬ」
腕を組み、成程と頷いた。俺は今まで、各勢力の調停を行いその中で存在意義を見出そうとする公方様の動きを感心しながら見ていた。どの勢力とも決定的に対立することなく、上位存在でありつつ発言権を高めてゆく。その中で大和・山城・河内・和泉・摂津の所謂五畿内で自らの支持者を増やしていった。だが、その支持者達がそれぞれ一つの勢力になるにつれ、公方様は彼らの機嫌も伺わなければならなくなった。御恩と奉公は武家政治の根幹だ。御恩をくれない者に返すべき奉公などない。そして、公方様に恩を持つ畿内の幕臣は皆父にも恩を持っているのだ。公方様と父と、どちらが己にとってより良い主か、常に計りながら情勢を伺っている。
「結果公方は本願寺からの要請に応えることが出来なくなった」
公方様としてもここは正念場だ。本願寺に恩を売ることが出来れば室町幕府がその存続時期を通じて常に腐心してきた寺社との関係において優位に立てる。
「何とかならないかと俺に泣きついてきた公方に俺が出した案が公開討論で雌雄を決すべしという話だ」
「公開討論、ですか?」
ロレンソ了斎が日蓮宗を喝破してより、基督教の言論の強さは畿内全域に、ひいては日ノ本全土に轟いた。藪をつついて蛇を出すことを恐れ、今はどの寺もキリスト教と正面切って言い合おうとはしない。先程の和田惟正殿も、他ならぬロレンソ了斎によって基督教に傾倒し、洗礼に至った者である。
「そうだ、公方の膝元である二条御所前にて、公開にて討論を行う」
「それは、本願寺と、基督教徒がですか?」
以前は、基督教徒相手に仏教勢力が大同団結していたが、今はどうなるであろうか。仏教、というくくりで一つに纏めようとしても最早広がりがあり過ぎて統一した話が出来ないような気がするが。
「議論に参加するのは浄土真宗の本願寺派と、同じく浄土真宗の真宗高田派。基督教も加わり、比叡山延暦寺の僧にも参加させる。伊勢神道と、これはまだ本決まりではないが曹洞宗も来させるつもりだ。それぞれ代表を送り出し、そこで討議させる」
「六勢力も」
あえて勢力という言葉を使った。宗教の数で言えば神道・仏教・基督教の三つとなるのであろうか。神道は大陸からも南蛮からも影響を受けず日ノ本の民が見出し育てて来た原始宗教だ。仏教伝来は古の昔、第29代・欽明帝の御代にまで遡る。その娘は日ノ本初の女帝推古の帝であり、かの天才厩戸皇子が日ノ本を唐国の柵封体制から脱却させた時代だ。新進の基督教と合わせ、三つの宗教がぶつかることになる。本願寺とは本来浄土真宗の本願寺派と呼ぶのが正しい。浄土真宗の最大派閥であり、第二の勢力であるのが真宗高田派である。比叡山延暦寺については今更説明の必要などないだろう。
「曹洞宗も招かれるのですね」
「曹洞宗のみには拘らぬ、臨済宗でも良いし時宗でも良い。連中は武家と争わぬからな。鎌倉仏教か禅宗から一宗派集めることが出来ればと思っておる」
曹洞宗や臨済宗も又、空海や最澄が日ノ本に伝えた大乗仏教の流れを汲む仏教宗派の一つである。平安以来の往生浄土を願う信仰にこれら大乗仏教の教えが加わり、更に禅宗という教えとが混ざり鎌倉仏教という一つの大系を成した。南都六宗や天台宗・真言宗などの旧仏教に対抗する形で出来上がっていったのが新仏教六宗だ。平安時代末期から鎌倉時代にかけて仏教に変革を起こそうという流れは法然の浄土宗・親鸞の浄土真宗・一遍の時宗・日蓮の法華宗・栄西の臨済宗・道元の曹洞宗の六つ、所謂『鎌倉新仏教』となる。
「神道で一つ、基督教で一つ、延暦寺は天台宗ですので旧仏教で一つ、残りの三つは新仏教ということですね」
うち二つが浄土真宗、最後の一つはまだ決まっていないが政治不介入を是とする三宗派から連れて来るとのこと。割合としては悪くない気がする。
「討論、と申されますと、一体何についてでしょうか?」
出席者が分かったところで、気になったところを質問した。以前父と公方様が行わせた討論は日蓮宗が基督教の矛盾を指摘し、それをロレンソ了斎が論破するという結末を見た。つまり議論の根幹は『どちらの教えが正しいのか』ということになる。此度は一体何を主題において議論をするのか。
「日ノ本に必要か否か、だ」
「それは又、何とも……」
残酷だと口に出かかった。神道だろうが仏教だろうが基督教だろうが、根幹として人間を救うことを目的としているのには違いがない。『必要であるかどうか』について話し合いをさせられるとなればどうなるであろうか。もし討議に敗れ『必要なし』と見做されたら最早権威や権力など地に落ちるどころか爆発四散する。それを公方や父の前で語り合えというのだ。
「父上らしい、誠に壮大な計略でございますな」
「そうであろう。幕臣はもとより俺や織田家中の主だった者達、畿内の大商人達、そして公家衆。何よりも信者達には自由に見学させる。祐筆を多数配置し討論内容を書かせ、そしてそこで話された内容は即日のうちに畿内全域に広める」
特定の宗教に強く肩入れしていない俺が、背筋を震わせ唾を飲んだ。先に父が挙げた六宗教・宗派の信者達が日ノ本全土にどれだけいるだろうか。何万という数では当然利くまい。数十万、数百万或いはそれ以上。彼らの信心の是非が問われる。ある者は否定されある者は肯定される。それは桶狭間より、観音寺より、長島よりも大きな意味がある戦だ。
「ならば、拙者は六者の者どもが円滑に話し合えるよう裁量するのが我が役目と心得れば宜しいですか?」
討論ともなれば詭弁を弄して話をうやむやにしようとする者もいるだろう。論点をすり替え逃げる者も、或いは不当に攻撃しようとする者もいる。そういった不正な言論を封じ、誠に父がさせたいと考えている話をさせる。そういう役目であれば確かに、少しばかり口が達者な俺にはやりがいのある仕事であると考え、父に是非やらせて頂きたいと頭を下げようとした。だが、
「違う、貴様には今挙げた六者に加えた七つ目の勢力、即ち『織田家』の代表として論議に参加してもらう」
言葉を失った。今何と?
「戦うのは七つの勢力。貴様は織田の正義を満天下に示すのだ」
今度は血の気が引いた。古より日ノ本の智の頂点は常に宗教家の手にあった。堕落し、凋落したと言われるようになって久しいとはいえ、松本問答の逸話が示す通り、ロレンソ了斎の言論が示す通り、世に名高き論客は宗教と共にあるのだ。その、智の巨人たち相手に俺が、言葉で、戦う?
「考えたのですよ。京都を本拠とする村井の御父上様が宜しいか、それとも殿の名代としてお話しすることが多い三郎五郎様にお頼みするか」
「そ、それで良いではないですか」
ゆっくりと酒を飲んではほんの少しずつ食事をしている母が、箸を置いて言った。その言葉に、反射的に同意してしまう。村井の親父殿や信広義父上であれば坊主相手に怖じることは無いだろう。俺だって安心して見ていられる。
「だが、最後には貴様と言った」
「誰がです?」
「全員だ。兄も喜兵衛も直子も、勘九郎もお前が良いと言った。あ奴が負けたのならばそれは勝てぬ戦であったということだ。とな」
「か……」
過分なるお言葉、と言いかけて飲み込んだ。俺は舌鋒の鋭さにおいて村井の親父殿や信広義父上に勝てるとは思えない。いずれ勝てる日も来るだろうと思うことはあるが、今は経験値があまりに違い過ぎる。恐らく、今俺は信頼されているのではない。期待をかけられているのだ。槍働き、武働きが何よりの功だとされるこの時代に、内政において功を上げて来た二人の父親が、いや、実の父を含めて三人の父親が、俺に期待をかけてくれている。武以外の働きを以て天下を動かせと。
「勝てず、天下に織田の恥をさらしたる時には、この腹掻っ捌いてお詫び申し上げます」
言って頭を下げると、頭をバチンと叩かれた。押しつぶされるように髪を撫でられ、そして父は嬉しそうに『良く言うた』と俺を褒めた。
「安心せよ。貴様が負けぬよう手は打ってある。本願寺以外は皆味方だ」
本願寺以外は味方。その言葉に、俺はしばし考える。基督教が味方なのは分かる。織田家が基督教を迫害せず認めているからこそ、ルイス・フロイスは京に在駐していられるのだ。現状織田家を敵に回すような事を言いはしないだろう。神道も同じく、伊勢神社は織田家が保護し今では観光客なども増えた。貴重な後ろ盾を敵にするような真似を利に聡い宗教家がする筈もない。曹洞宗などは、昔から浄土真宗と仲が良くない。敵の敵は味方の理屈で言えば味方だろう。だが、真宗高田派は本願寺派と同じく浄土真宗だ。そして延暦寺など織田家を不俱戴天の仇と思っている筈。
「真宗高田派の連中には、本願寺派を叩き潰すことが出来れば本願寺派の寺を真宗高田派の寺にさせてやると言った。延暦寺にも、もし本願寺をやり込めることが出来たならば比叡山の再建を許すと言った。連中大喜びであったぞ。必ずや仏の名を騙る破戒僧共を論破して見せまする。だそうだ」
言ってから父が堪え切れないというようにケッケケケケケと、高らかに笑った。母が温かい茶を手渡すと、おうと頷き一口で飲み干した。
「織田家の正義こそが全ての宗教に勝利するものである。と思わせろとまでは言わん。ともかく本願寺を叩け。周囲には織田家が味方である神道、基督教、新仏教と敵方である旧仏教、真宗高田派、本願寺派の三つずつを呼び寄せたように見せる。公平かつ平等に見える論争の中で織田家が勝利し本願寺が敗北すれば天下万民は織田家が正しく、本願寺が間違っていると認識するようになる。話の内容など分かるものは一握りもおらん」
「即ち、石山の神通力が、消える」
「然りよ。それをこそ狙っておるのだ」
宗教勢力の強さの根幹は己の正義を疑わないことにある。自分達の力及ばず負けるということはあっても、自分達が間違っているだなどと思ったことは一度もないだろう。その、絶対にゆるぎない牙城を、攻める。
「古より、真に軍略家たる者は相手の心を攻めると言いますが、誠父上は軍略家でございます」
一言で言うと凄い。感服しましたと頭を下げると、バシバシと今度は肩を叩かれた。気付いたのだが、この人は酔って上機嫌になると叩いて来る。痛い。
「論戦の日は、いつでございましょう?」
「四月を予定しておる。公方に対しての返事と、朝廷に対しての報せを正式に行い、石山本願寺に使いを出す。停戦している間に熊野を締め上げ、論戦によって石山本願寺を否定した後、日ノ本に不要なる石山を破却すると再び開戦する。大坂城を手中に収めたならば、そのまま紀州の西を征し、丹波丹後播磨方面へ兵を出す」
「淡路へは?」
「勿論考えてはおる。だが水軍衆では今もって織田家は毛利に敵わぬ。石山本願寺を毛利が最後まで支援するのであれば、その後毛利と三好の連合と戦うことにもなりかねぬ。まずは陸路より、潰せるところを潰してゆく」
「潰してゆく、と言えば、公方様でございますが」
「分かっておる」
今回の公開討論は公方様の中継ぎにより行われる運びだ。それによって戦ではなく言論で、平和裏に事を収めたいというのが公方様の狙いであろう。だが父は討論をきっかけに寧ろ石山本願寺を叩き潰そうとしている。それは同時に、公方様の面目をも潰すということだ。これまでは、細かなところで齟齬があったとしても父と公方様を仲介する多くの者達が奔走し仲を取り持ってきた。だがこうなると最早修復不能なまでに関係がこじれる可能性がある。
「上洛より六年か」
一条院覚慶様が還俗し十四代様となられてすぐ、織田と足利の考えに溝があることは両者共に理解しただろう。だがそれでも、父も公方様も、片手を繋ぎ続け、もう片方の手でいつ相手を切るか間合いを計って来た。そして今、父がその刀を振るいつつある。
「そろそろ、良かろう」
その視線には、覚悟の色は見て取れるも公方様に対しての憎しみの色は見て取れなかった。




