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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第七十五話・居酒屋鳥大名

 「貴様伊賀の忍者共に随分と優しくしてやっているそうではないか」


 やって来た父は、何の前置きもなくそう言い、俺の前に座った。父が座るとその両脇に藤と御坊丸が張り付くようにして座る。父は暑苦しいぞ貴様ら、と言いながらも袂から懐紙を取り出した。中にはパンが挟まれている。ほんのり黄色く色づき、甘い香りがする。手渡された二人は満面の笑みで父に寄り掛かり、甘いパンに齧り付いた。飼いならされているなあ、この二人。


 「百地丹波はともかく、他の連中は皆領地召し上げで良かったであろう。丸山城と伊賀南部の百地領があれば碌な抵抗も出来なかった筈だ」

 「そりゃあ」


 色々あるのですよ。と言いかけて止めた。父はその色々を話せと言っているのだ。回りくどい事を言っていたらいつ怒声が、次いで拳が飛んでくるか分からない。


 「伊賀は高々十万石と言われますが、織田家が伊賀一国を得ることは五十万石、百万石の価値があります。故に藤林とその一党を除き許しました。拙者の実入りは悪くなりましたが、織田家にとってはその方が良いとの判断です」

 「何故百万石の価値があるのか説明しろ」


 父がそう言ったのとほぼ同時に、小姓達が部屋に入って来た。父の前に一口大に切って竹串に刺し、直火で炙るように焼いた鳥を何本か置いた。その隣には陶の器、透き通った液体が入っている。串一本無造作に掴み、食う父。両脇に座る小さな連中に『食え』と言うと、二人とも喜んで手を伸ばした。


 「久太郎、又左にもだ」

 「はっ」


 そう言って、小姓が部屋を出てゆき、父と子供達が鳥を食う。それから、陶の器に注がれた液体をゴクゴクと喉を鳴らして飲む。水ではなさそうだが茶でもない。


 「どうした、早く答えろ」

 ふうー、と長く息を吐いた父から言われた。早くって、小姓達に指示を出す貴方を待っていたのではないですか、とは言わない。無駄だから。


 「伊賀の北には近江があります。六角を追い出してから既に六年。今もって安定しなかったのは伊賀に六角親子がいたからです。伊賀さえ安定させることが出来れば、近江が安定します。そうすれば京都から美濃までが安定し、織田領全体が活性化します。小さくとも、実入りは少なくとも、この土地は扇の要。時をかけてじっくりと叩き潰すよりも、一刻でも早く味方に付けてしまうに如かず。と考えました」


 嘘は吐いていない。事実その通りだと思う。観音寺城程の名城をあっさりと捨てた六角親子はしかし、その後の抵抗は激しくそして粘り強かった。浅井・朝倉・三好・本願寺と、その時その時で味方となる者らと組み行ってきた後方かく乱は少なからぬ被害を織田家にもたらしている。だが、伊賀が南から制圧されたことによって抵抗の術を失い石山へ撤退。六角氏の影響が強かった甲賀郡も、最早完全に沈黙している。


 「それだけではあるまい。貴様の腹は読めているぞ」


 俺の言葉を聞いて、父がニヤリと笑いながら言う。俺と母の前にも父の前に置かれたものと同じ膳が置かれた。細切れにした鶏肉は塩とタレ。すり身にした肉には梅肉とシソの葉が乗っている。蛇腹に折られて繋がっている皮に、どこの部分であるかは分からないが恐らく内臓であろうと思われる部位が二つ。


 「追い立てた伊賀忍共は半分が大坂城に逃げた。他の半分は高野山や熊野三山など、織田と戦わんとする別の勢力に散った。そして貴様は伊賀を捨てなかった者らに対し、もし戻ってきて帰農するのであれば以前の土地を返すと触れを出したな」

 「生産力こそ、国の根本ですからね」

 「腹は読めていると言っておろうが」


 良い香りがする鶏肉は美味そうだったが、それ以上に陶の器に注がれた液体が気になった。舐めるように一口飲むと酒だった。炭酸水に酒を混ぜ、砂糖で甘くした果実の汁を混ぜたものだ。器は外で冷やしておいたのか、雪解け水を使ったのかキンと冷えている。藤と御坊丸にも同じものが出されている。まさかあの年の子供に酒を出しはしないだろうから酒を抜いた果実汁だろう。


 「石山に限らず、逃げ出した伊賀忍達は追い詰められれば伊賀に戻ろう。その時貴様が奴らを許せば伊賀忍は多くの情報を貴様に流す。そうなれば今後の戦において、貴様は労せず敵の重要機密を手に入れることが出来、戦いを有利に進められる。貴様の狙いはそこにある。であるな?」

 「ご慧眼、感服いたしました」


 流石は父だ。いや、古い家臣連中は皆言われずとも俺の狙いを理解していたようであるし、大した計略ではないのかもしれない。だがまあ、いずれにせよ身内にバレるのならば構わない狙いだ。強いて言えば、又左殿がいる前で言わないで欲しかった。


 「猿に勝ちたいか」

 「勝ちたいですな」


 あの孫悟空のみならず、全ての家臣連中に勝ちたい。織田家をこの手にという野心はないが、俺の名を『織田信長の子』以上のものにしてやりたいという野心は強くなるばかりだ。その為には俺の直轄領や現在の石高などは二の次で良い。銭は作れるし、稼げる。次の戦の、更に次の戦の布石を置き続けなければ。戦で権六殿と彦右衛門殿、人脈で十兵衛殿と弾正少弼殿、信頼で心月斎殿と丹羽殿に俺はまだまだ敵わない。今言った殆ど全てで羽柴殿に勝てないし、今は俺の方が少々上に立っているが又左殿や黒母衣衆筆頭の佐々内蔵助殿も戦のたびに功を立てている。うかうかしている暇はないのだ。


 「その野心は良し。若いのだ、味方を殺してでも上に登りたいと思うくらいが丁度よい」

 「父上、子供が聞いておりますれば、そのような物騒な物言いは御控え下さい」


 窘めるような事を言うと、父と母とが同時に笑った。


 「まだ五つの子供がこのような話の内容など分かる筈もあるまい」

 「分かってはいなくとも覚えてはいるということもありましょう。後々の教育によくありません」

 「ならば貴様はこの年の頃に大人がしていた話を覚えておったというのか?」


 問われたので、勿論ですと胸を張った。生後半年の頃から、母の腕の中で聞いていた話は全て覚えております。と言い返すと更に笑われた。確かに、ちょっとばかり大袈裟に言った事は認めるがそんなに笑わなくとも良いと思う。子供が大人の話を意外とよく聞いているというのは本当の話なのに。


 「父上は酒を飲まれるようになったのですね」


 しょうがないので話を変えた。藤と御坊丸は父の皿から勝手に串を取ってはもしゃもしゃと食べている。代わるがわる立ち上がっては小姓達が持ってきた皿を貰い、父の皿に鳥を追加する様子が大層愛らしい。うん。何も聞いていなさそうだ。


 「濁り酒も澄み酒も好きではないが、これは果実の甘みが旨くてな。酒精も濃くない。幾らでも飲める。お前も飲め」


 勧められたのでグッと飲んだ。確かに飲みやすくて旨い。鳥の串も食べ易い。藤が持ってきた完全に骨にしか見えない串に齧り付いてみた。噛んでも完全に骨だ。しかし噛み砕くことが出来、コリコリとしていて旨い。何だこれは。


 「母上は、父上にも増して酒嫌いだと思っておりましたが」

 「そうですね、日本酒とかそういう、ガチの酒は嫌ですけれど、松葉でサワーが作れると分かってからは色々やってみようと思うようになりましたね。果実系のお酒なら美味しいですし、最近では蜂蜜だけでなく果糖や砂糖も手に入るようになりましたし」

 「果物であればこれは作れるものですか?」


 ガチの酒って何ぞ? とは聞かず果実系の酒という点について質問してみた。母が養蜂していた蜜蜂を領地に持って帰ることはしていないが母から養蜂のイロハは習っているので伊賀でも蜂蜜を集められるようにはするつもりだ。


 「何であっても作れますよ。酒精の濃い酒に砂糖と果物を入れておけば良いのですから。琉球酒や清酒を使うと濃い物が作れます。安く作ろうと思うのでしたら口噛みの酒や濁り酒に砂糖そのまま放り込んで放置しておけばよいのです。味は劣りますが自分で作って飲む分には楽しめるでしょう。珍陀酒ワインのようなものを作っても良いですね。潰して放っておけば発酵します。母も詳しく作り方が分かるわけではありませんので、人に聞くなり、調べるなり、試してみるなりしてみては如何です?」

 「旨いものが出来たら買ってやるぞ」


 上機嫌に果実酒を飲む父が言葉を挟んだ。器を渡された藤が襖を開けると、小姓がうやうやしく受け取り廊下を走って行った。その間に御坊丸が大人達の皿で空になったものを纏めている。串は竹で作った筒の中に纏めて放り込み、皿と纏めて襖の横へ。中々良く動く子供達だ。藤に比べて御坊丸がする仕事量が多すぎる気もするが。


 「柿に木苺、葡萄と、枇杷と……ああ、梅もありますね」

 「柑橘類でも良いでしょう。野菜でもやってみたらどうです? 誰もやらないことを始めた方が競争相手は少ないですよ」


 言われて、成程と頷いた。米で作る酒も言ってみれば米という果実を使っている訳であるし、茄子やら葱やら人参やらで作ってみても罰は当たるまい。不味かったら二度と作らなければよいだけの話だ。


 「大変参考になりました。母上、ありがとうございます」


 暫く、又左殿も含めた四人でああでもないこうでもないと話をし、何となくどうするべきかが見えて来た。礼を言うと、普段よりへろへろとした声で『いいんですよぅ』と言われた。母も結構酒が進んでいるな。かくいう俺も話をしながら既に二杯飲んでいる。三杯目も既に用意されてある。飲みやすいからといって飲み過ぎてしまう。この酒は意外と曲者かもしれない。


 「そろそろ眠る頃ですね」


 手遊びに父の手を取って指を折り曲げたり伸ばしたりしていた御坊丸が大きなあくびをしたのを見て母が言った。御坊丸は小さく二度頷いたが、藤が『まだ!』と大きな声をあげた。


 「まだにーににお願いしてない!」

 その言葉を聞いて、俺以外の大人達が三人とも『ああ』と声を漏らした。又左殿も含めて三人とも把握している話であるらしい。何だ?


 「藤、お願いとは?」


 父と母の顔を伺ってから藤に聞いてみた。藤は俺の視線を受けてチラリと横を見る。御坊丸が父の手を離し、両手を膝の上に乗せ、こちらを見ていた。


 「兄上と一緒に、近江に行きたいです」

 短い言葉であったが、しっかりとした言葉だった。これまで無口でありながら表情豊かだった御坊丸が、今は真剣な表情で話している。ほほう、と俺は頷いた。三人とも勿論承知していることなのだろう。


 「近江に言って何をしたいのかな?」

 「琵琶湖が見たいです。それと、大きなお城も見たいです」


 一瞬、琵琶湖より大きな外海が尾張で見られる。大きなお城も、岐阜城が大きな城であるし観音寺城も多くが壊れている。と意地悪な事を言ったらどうなるか考えた。勿論口にしない。この子の両親が怒りそうだからだ。


 「歩くことになる。大変だぞ」

 「大丈夫です。頑張ります」

 「藤も行きたいのか?」

 「行きたいです! お買い物したいです!」

 「お買い物だったら熱田や津島でも出来るぞ?」


 藤には意地悪を言ってみた。でも行きたい! と真っすぐな返事に笑う。そうだよなあ。どんな理屈で丸め込まれようと、やりたいことはやりたいし、行きたいところには行きたいよなあ。

 母の顔を見て、それから父の顔を見た。母はにっこりと頷き、父は複雑そうな表情で二人の頭を撫でている。


 以前俺が慶次郎、助右ヱ門と共に旅をした時とは状況が違う。あの時の俺は言っても庶子であったし、俺が死んだところで村井家や信広系織田家、即ち身内への迷惑で済んだ。俺の代わりに叔父の誰かが村井家の養子となり、後に信広義父上の家に婿入りしても良かったのだ。だが、俺や直政伯父上の功があった為、今この二人は母を原田一族の娘とする織田家重臣の出となった。俺は伊賀を任されるようになったし、直政伯父上は着々と出世している。吉乃様は亡くなられ、濃姫様は尼となられた。当主信長の妻としても、母の立場は上がっているのだ。それらの後ろ盾が、皮肉にも二人を俺ほど自由な身とはさせられなくした。御坊丸は東美濃の要衝を任され、藤にも既に複数の縁組が寄せられている。


 「これから、今まで以上に帯刀殿とこの子らが共に過ごせる時間が減ります。自由に羽を広げさせてあげられるのは、或いは最後かもしれませんので、私から殿に無理を言ったのです」


 それ程多く間を開けたつもりはなかったが、俺の内心を見透かしたのか母が言った。成程。母が笑っていて、父が複雑そうな表情のまま反対しないのはそういう理由か。


 「護衛はどうします?」

 まさか俺の時のように二人だけとはいかないだろう。


 「原田家の者を付ける。母衣衆も付ける。犬と内蔵助に警護をさせる」

 思わず笑った。母衣衆筆頭を二人とも付けるとは、相変わらず過保護だ。遊び相手には年が近い蘭丸もいる。後で五右衛門に手の者を増やすように頼んでおこう。


 「わざわざ出かけて近江というのもつまらないな。観音寺城よりも岐阜城の方が見ごたえがあるし、観音寺の市も戦乱で規模を小さくしてしまった」

 話は分かった。俺としても可愛い弟妹とお出かけすることにやぶさかではない。なので、この言葉は意地悪で言っている訳ではない。



 「そうだ、京都行こう」



 わざとらしく今思いついたかのような表情で手を打った。京都ならば信広義父上もいるし村井の親父殿もいる。最近は随分と賑やかになって治安も安定してきた。


 「行きたいよな?」

 「「行きたい!!」」


 俺が訊くと、二人が立ち上がって答えた。親二人が驚いている。何を驚いているのやら。寧ろこの二人が近江までの往復という中途半端な計画を立てていた事の方がらしくない。


 「よし、話は決まった、兄はもう少し父上母上と話をしてゆくから早く寝ると良い」

 「犬、連れて行ってやれ、お前も今日はもう下がって良い」


 たっぷり食べて酒も飲んだ又左殿が、失礼いたしますと言いながら立ち上がった。御坊丸はお休みなさいませ、と行儀良く言い、藤は父におとーさんお休みと言ってしがみ付いた。


 「にーにやら、おとーさんやら、珍しい呼び方ですがあれは何です?」

 「可愛いでしょう? 兄の事をにーにと呼ぶ美少女を育てるのが夢だったのですよ。帯刀殿と藤のお陰で夢が叶いました」

 「又よく分からない夢ですね」


 別に実害はないから構わないが。


 「帯刀」

 父が、ほんの少し真面目な口調になって俺を呼んだ。やっと本題かなと思い、はいと答える。残っていた酒をグッと飲み干し、冷たい水を所望した。


 「春になったら石山を囲む」

 「いよいよ決着ですか?」


 比叡山蜂起後の、屈辱的な講和の後、織田家は更に一回石山本願寺と講和をした。この時は織田としても上杉・武田の動きがどう出るか分からないという状況にあったので両者引き分けの形だった。次もし講和があるとすれば、本願寺顕如が屈服した時だろう。


 「熊野三山が及び腰だ。彦右衛門に速玉を落とされたことが随分と衝撃であったらしい。寺領を認めてくれれば織田に協力すると言って来た」

 「御認めになるので?」

 「一万貫払わせる。それで今年は熊野三山との戦いは矛を収める」

 「石山が落ちたらどうなることか、分かりそうなものですけれどね」


 父は寺社領など認めない。石山が陥落し、紀伊の西側を攻撃するようになり、高野山も囲むような状況になったら改めて寺社領の召し上げと武装放棄、寺内町の禁止に砦化している山寺の破棄などを言い渡すだろう。紀伊を今の紀伊としておきたいのであれば少なくとも織田家とは相いれない。


 「高野聖共も比叡山の二の舞が怖いのか積極的ではない。最早連中が頼みと出来る勢力は毛利のみ」


 頷く。恐らく今回の清洲会談において徳川殿や浅井殿ともしっかり話し合ったのだろう。徳川殿は三河一向一揆以来今もって領国内で一向宗禁令を出している。浅井家も、越前朝倉家をして最後まで手を焼いていた一向宗を国内から締め出した。本拠地たる大坂が落城となれば喜ばしいことだろう。


 「伊賀からは兵二千を出します」

 本当の事を言えば秋の収穫まで時間が欲しい。だが、そんな事を言える状況にないのはどこも同じだ。二千であれば何とかなる。


 「いや、貴様は二百で良い」

 決意と共に口にした言葉はしかし、即座に制された。どういう事ですかと訊くと、やって欲しい仕事があると言われた。


 「思えば貴様が世に名を馳せたのは矛においてではなく、文において、言葉においてであったな」

 「懐かしい話です」


 林秀貞の名と顔が思い出される。高野山や熊野三山を対織田戦線に引っ張って来た立役者だ。こちらから恨んだことは無いが相手からすれば恨み骨髄だろう。


 「その弁論をもって、石山の坊官共を打ち破れ」

 「……詳しく聞かせて頂きましょうか」


 水が用意された。一気に飲み干す。酔ってはいたものの、頭は冴えていた。


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