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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第七十一話・その沙汰の意味とは(地図有)


挿絵(By みてみん)




 全く逆の意味合いを持った噂が二つ流れていた。


 村井重勝家督相続論。

 村井重勝左遷廃嫡論。


 前者の噂については又出て来たかという感じだ。林秀貞との言い争いの頃に始まり、何度言われてきただろうか。小谷城に使者として出向いた時も、あれは勘九郎様よりも帯刀様を優先したからではないのか、という噂がたった。武功を上げれば毎度のように言われてきた。その度、無用な争いが起こらぬよう村井家に養子に出したり、その上で信広義父上の家に婿養子として入れたりと、父や先見の明がある者達は色々と手を打ってくれてはいたのだが。


 理由、というか根拠がないでもない。まず一つに官位だ。俺は父に公方様との対立は避けるべしと具申し、結果幕臣の方々と話し合いの席を多く求める事となった。であるので、俺の官位が低ければ侮られてしまうだろうと、早い時期に官職を得た。年齢的に早いということはこの際問題ではない。確か平家の者の中では十歳かそこらで従三位という例もあった筈だ。この時問題となる叙爵の早さは、勘九郎よりも早かったという点にある。


 勿論それにも理由はある。当時勘九郎は元服していなかった。元服すれば初陣を早く済ませるというのが武家の倣いであり、勘九郎を溺愛している父が危険な場所へ送ることを嫌がったが故に勘九郎の元服を少々遅らせていたのだ。先に述べたように、俺に必要であったからというのも理由である。実のところを言うと一番の理由は父がそこまで深く考えていなかったからではないのか、という疑いを俺は抱いている。抜け目ないようで時々なぜそんなところを見落とすのか、という失態を犯したりもする父であるからして。


 その後、当然弟達三人にも官職はついたのだが、それも噂を後押しする一因となった。


 織田勘九郎信重 正五位下・出羽守

 北畠三介具豊 従五位下・侍従

 神戸三七郎信孝 従五位下・侍従


 下の二人が俺と同じ位階である。即ち帯刀重勝はこれまでの庶子という立場から脱却し、少なくとも勘九郎に次ぐ地位に登ったのだ。という認識をする者があったらしい。三介は伊勢守でもあるわけで、三七郎と同格であったとしても三介との間にある差は大きいと俺は思うのだが。


 そして今回、俺が伊賀一国を預けられた。三介が預かる伊勢も、北部は三七郎のものであるし南部は実質的に彦衛門殿が統治している。俺は独立して一国だ。勘九郎ですら美濃一国の支配を完全に父の手から離れて行っている訳ではない。これは、後に織田家を預ける為に伊賀で練習をさせているのではないか。

 大体以上が村井重勝家督相続論者の論拠だ。続けて村井重勝左遷廃嫡説について述べてゆこう。


 意外にもと言うべきか、廃嫡論の論拠のいくつかは相続論と全く同じであったりする。例えば伊賀一国を預けられたことについてだ。尾張から追い出し、未だ国人衆が心服していない伊賀へ送ることで何らかの失態をさせようとしている。そして、失態させた後伊賀を取り上げるつもりだ。だそうだ。伊賀を取り上げた後俺がどうなるかは幾つか意見が分かれる。優しいところであると古渡に帰り、勘九郎の直臣にされる、というものがあった。厳しいところで言うと追放、密かに暗殺するなどという物騒なものもあった。


 母が東美濃へ向かうことも、廃嫡論の論拠となった。いつ攻められるか分かったものではない対武田の最前線に送ることは実質的な人質であるとのこと。実質的なも何も、自分の子を人質として送らざるを得ない大名などいくらでもいる。更に言えば母は送られるのではなく、息子について自ら行くのだ。


 だが、これらの理論はそれなりの説得力があったようで、そもそも俺が庶子としてすら認められていなかった頃の話や、俺が家督を奪おうとしているといううわさが流れた頃の話などと相まって、広く流布されるに至った。父と俺が本当は血が繋がっておらず、元々不仲であるという噂も聞いた。どこかで聞いたことがある話だ。だが、庶子として認められていなかった頃の話を持ち出してくるのであれば、現在においても『嫡子』でない俺の事を『廃嫡』するという行為がそもそもおかしいと気が付いて頂きたい。廃嫡とは家督相続権を持った者即ち嫡子からその権利を奪い取る行為であるからして。


 「それで、実際のところどうなのですか?」


 棒状に焼いた長いパンを中央で二つに割り、その真ん中に酢漬けの野菜、猪の腸にひき肉を詰めて焼いたもの、練り物状にして辛味を抑えたわさびなどを挟んだ携帯食を食べていると、三七郎が聞いてきた。


 「実際の所?」


 もぐもぐと咀嚼しながら訊き返す。三七郎は俺と同じパンを食べている。ただ、中身は少し違う。三七郎が食べているパンの具は味噌で甘辛く炒めた麺に、山椒を振りかけたものだ。当然初めて食べる筈だが、まあまあ食えますなと言っていた。


 「帯刀兄上は、父に疎まれて伊賀にいるのか、見込まれて伊賀にいるのか」

 「その二択であれば、見込まれたのだろうけれども」


 猪の腸詰めを齧る。パチンと皮が弾けて肉汁が口の中に満ちた。それをパンと共に噛むと、肉の油をパンが吸って丁度良くなる。うん、最初は慣れなかったが最近は嫌いじゃあなくなってきた。大変良い。


 「お前はどう思っている?」


 丸山城城下の茶屋で、俺達は話をしていた。茶屋と言ってもいつぞや勘九郎と話したようなところではなく、寺の中身を少々弄った屋敷のような場所を茶屋と呼んでいるのだ。俺達以外には三七郎の乳兄弟である幸田彦右衛門が側についているのみであとは外で護衛をしている。台所には我が家の女達が控え、外の護衛達に対しても何か振舞っているようだ。囲炉裏を囲み、暖を取りながらの会話。大変に和む。話の内容は重たいが。


 「最近、帯刀兄上は人の質問に質問でもって返してきますね」

 やれやれと首を振りながら、麺を啜る三七郎。それではパンだけが余ってしまうからよくない。と言いかけたけれどそんなことを言ったらこの真面目な弟に怒られてしまうのが目に見えていたから黙った。


 「兄上はいつも、その身を厳しい場所に置いておられると」

 「厳しい場所?」

 「はい。思えば童の頃から家臣と争い、元服して最初の戦で坂本に出陣なされました。撤退戦の後、兄上は急ぎ美濃へ逃げることも出来たように思います。ですが自ら志願し結果として最も激戦となった坂本で戦われた。以後も、長島で戦い伊賀で戦い、もう少し休まれては如何かと思うことがあります。兄上が望めば、伊賀を受け取らぬ代わりに古渡でのんびり暮らすことも出来たでしょうに」


 「三七郎……」


 「兄上は戦も強くなられましたが、好きではない筈です。兄上が楽しそうにしている時は、我々と遊んでいる時が一番、直子殿の悪ふざけに付き合っている時が二番、父上に振り回されている時が三番、即ち、兄上は家族が大好きな文学青年であるということです」


 まだ半分以上残っていたパンを口に放り込んだ。間を稼ぐために。いかん、ちょっと泣きそうだ。

 三七郎がわざわざ伊賀までやって来た。この寒い年明け早々にだ。理由としては、北伊勢との街道整備についてや交易の拡充についてということだったが、何かあるだろうとは思っていた。しかし、最近では話をする機会も随分と減っていた三七郎からこんな事を言われるとは思っていなかった。


 「戦が好きな者などそうそうおるまいよ」

 「俺は好きです。父も、家臣連中の多くも戦嫌いは少ない。戦って勝つということ、勝って多くの領土を得るということは楽しいことです」


 はっきり言い切られた。そうか。俺は今まで戦わなければならないから戦ってきたのだが。確かに、慶次郎などは自分で戦狂いだとか言っている。


 「確かに、俺はそんな事よりも、得た土地で何か面白いことをするのが好きだな。出来れば家族と」

 「そうでしょう?」

 「だからこそ、父は俺に伊賀を預けたのではないかな」


 流れていた話を戻した。元々、俺が伊賀一国を任されたことが優遇であるのか左遷であるのかという話だ。


 「古渡は地元で居心地がよく温かい。俺が好きな弟達も両親もいる。だからこそ、俺は親兄弟の面倒を見ることでやりたいことを満足させてしまう。そこから少し離れた伊賀で、親元を離れて暮らせば俺がやりたいことも出来る」

 「そう、父上が考えたと?」

 「考えてなさそうだなあ」


 自分で言った事を即座に否定し、かっかと笑った。兄上! と、三七郎に叱られる。まあまあと宥め、その肩を叩いた。


 「今回の仕置きでもって俺が織田家においてどういう立場になったのか論じている者達が見えていないものがある。それは、伊賀一国を手に入れた時点が織田家にとっての終着点ではないということだ」

 既に紀伊攻め、石山攻めの準備は着々と進行している。それが片付いたらまずは四国の三好、更に播磨辺りまでを攻略して毛利家と対決する。


 「日ノ本の統一ということですか」

 「まあ、そういうことだ」


 父にとってはそこすら終着点ではないようだが。何しろ唐天竺のみならず大秦国まで征服するおつもりだ。大秦国まで到達した時に、こちらにも国がありますよと言われればそこも征服してしまうのだろう。


 「伊賀一国、石高十万石ではあるが隣国の大和もいつ敵に転ぶか分からぬ。伊勢とて南部は必ずしも安定してるとは言えるまい。更に征服した伊賀衆はいつ反乱を起こすか分かったものではない。成程確かに、辛い状況ではあるだろう。だが、今後の織田家はそのような状況が続くぞ。紀伊を征すればそこの統治者は坊主達がいつ寝首を搔きにくるか考え続けなければならない。四国は三好に一条、新進気鋭の長宗我部がいる。いずれにせよ。本州からやって来た征服者に対し、降伏することはあっても心服することはあるまい。中国も同様であるし、九州など言葉が通じぬところすらあると聞く。東も同様だ。古来より関東より北に住む者は日ノ本の人間という意識に乏しく、朝廷に従おうという気持ちが薄い。それらを一つ一つ降し、統治をするのだ。伊賀一国より過酷な地など幾らでもあろう。そのような時、伊賀で統治の経験を積んだ織田信長の息子が一人いればどうなるか」


 俺の羽を伸ばさせてやろう、と父が考えていたかどうかについては大きな疑問符が付くが、帯刀をもっと使える大駒にしようとは確実に考えている筈だ。使える人材ならば農民上がりでも狐でも使い切る人であるからして。


 「伊賀一国で終わりではない?」

 「何だ、三七郎は俺が死ぬまで伊賀一国の主だと思っていたのか?」


 いや、と言葉を濁した三七郎。だが、既にそこまで先の事を考えているのかと、思考が付いてこられていないようだ。無理もない。父の思考の展開が早いのは今に始まったことではない。俺だって付いて行けてはいないのだ。


 「お前だってそうだぞ、三七郎。父からご指示を受け、随分と城下を栄えさせているようじゃないか」

 父からの命で、三七郎は神戸検地と呼ばれる検地を行い、城下に楽市楽座、伝馬制を敷くなど領地経営に力を注いでいる。これまでは長島に対しての圧力としての存在意義が強かった神戸城下は今、伊勢参宮街道の宿場として賑わい始めている。人が多ければ揉め事も増えるのが世の常だが、今のところそのような事案も聞いていない。


 「三十郎叔父上が長野工藤家から出た。三七郎もその内伊勢から出され、別の一国か、或いは二国以上を任されるかもしれんぞ」

 少なくとも、今後の統治の練習として色々行わせていることは間違いないだろう。


 「でしたら兄上はどうなります?」

 「村井の親父殿が京都におるのだ。五畿に伊賀を加えた六ヶ国を俺が統治する日だって、来ないとは限らないぞ」

 「そ、そうなったら勘九郎兄上はどうなります?」


 物の例えで言っただけなのだが、言い返されてしまった。例えには九州探題とか関東公方とか言っておいた方が良かったかもしれない。畿内を俺が征すると言ってしまうと、俺が織田家の棟梁になると言っているように聞こえなくもない。


 「そうだな、唐の洛陽なる都に居を構えているかもしれんな」

 京洛という言葉の洛は、洛陽の洛であると聞いたことがある。千年の古より、日ノ本は常に中華を真似、追いつけ追い越せの精神で発展してきた。その中華を、日ノ本の人間が征する日が来たらそれは確かに痛快なことだ。


 「そうして、天竺討伐軍の大将に三七郎を、大秦国征討軍の大将に三介を、俺は蝦夷地から更に北方に国がないか調査でもしていよう。旨いものが見つかったら樽に詰めて送る」

 三七郎が唖然としていた。かっかっかと笑い、そういうことだと肩を叩く。


 「今だけで、自分の目線だけで物事を考えるなよ。俺を当主にと言う者にも、俺を排すべしと言う者にもそれぞれ立場があり、考えることは違う」


 原田家の人間、その中でも若い連中は多くが村井重勝信奉者だ。より正確に言えば織田信正信奉者と言うべきかもしれない。俺が織田家を得れば自分達の出世に繋がる。だからことあるごとに俺を押し上げようとするし、時折母から窘められてもいる。原田家に限らず、俺に近付き出世したいと思う者は積極的に俺を当主にという話をする。俺からすれば周りが見えていない。直政伯父上がしっかりしているから心配はしていないが。


 逆に、敵方が噂を流しているということも、百地丹波の手の者からの情報で分かっている。劣勢に立たされた石山本願寺は、織田家の内紛を煽り反撃の糸口としたがっているのだ。当主が俺か勘九郎か、更には三介か三七郎かとなってくれれば付け入る隙が生まれる。


 「食わないのか? 旨いのにな」

 成程と、呆けたように頷いている三七郎に言う。三七郎は食いますと言って、がつがつとパンを口に放り込んだ。うん、全て食い切ったようだ。次はピザを食わせてみよう。


 「あらあら、タテ様も三七郎様も、食べ終わりましたか?」

 その時、温かい茶を盆にのせたハルが現れた。三七郎が御無沙汰しております姉上と頭を下げる。コロコロと笑いながら、ハルも頭を下げた。


 「面白いものを考えられましたな。ああいった物は直子殿が得意とされているように思いましたが」

 「いや、母上に習ったのだ。ハルが京都の村井屋敷から古渡まで荷を届けてな。中身はほぼ全て書物であったようだが、そのお陰で母上からも恭からもすぐに気に入られた」


 あの二人に、京都でしか手に入らない貴重な本の数々というのはこれ以上ない賄賂であろう。直子様のおられない古渡城で恭姫様のお世話などをさせて頂きとうございまする。などと言ってそのまま居つき、そして俺が正式に伊賀に移住するにあたって一緒になって付いてきた。


 「腸詰めや炒めた麺には何を付け合わせとするのが良いのかは、奥方様と二人で考えましたよ。酢漬けは何にでも合いますけれど、それだけでは詰まりませんし」


 幸田彦右衛門も含めて三人分の茶を注ぐハル。その間に、俺はハルが持ってきた鉄製の皿を囲炉裏の上に引っ掛ける。平べったく四角い皿には腸詰めが並べられており、それとは別に醍醐チーズが放り込まれた深皿が一つ。両方を火の上に載せ、高さを調節した。


 「こんなものか?」

 「そうですわね」

 これは火加減が難しい、ハルは皆に細く切った野菜やキノコ、餅などを載せた皿を配り、それらを刺す細い鉄の棒も一本手渡した。


 「すぐに醍醐が溶けまする。その頃には腸詰めも程よく焼けますので、醍醐に付けて召し上がって下さいまし」


 俺が知る限り最も醍醐を贅沢に、言葉を飾らずに言うのであれば雑に使用する料理だ。料理と言って良いのか怪しいくらいに簡単で、そして慣れると病みつきになる。食った翌日の便と屁はこの世のものとは思えぬほど臭くなるが食っている間は至福。


 「寒いからな、皆温かい物を食う方が良い。ハル、外の者らにはトン汁を用意したな?」

 「はい、タテ様。皆様喜んで召し上がって下さいましたわ」


 ならば良しと、俺はこれまで遠慮して一切話をせず、口に何も入れていなかった幸田彦右衛門に鉄串を掴ませ、そのまま腸詰を刺すように命じた。食えというと、幸田彦衛門は失礼いたしますると言い、一口食べ、そして目を丸くした。うん、悪くない反応だ。


 「……兄上は、どんどんと親に似て来られますな」

 「いやいや、この珍妙な料理は俺が作ったものではないぞ。母上の話を聞いて、何とハルと恭とが協力して作ったのだ。先程のパンに腸詰や麺を挟み込むものも、最初に言い始めたの母上だが改良したのは二人だと言ったであろう?」


 全く、狐に化かされて妻達も変わり者になってしまったと言って笑うと、ハルが酷いですわと笑いながら俺の膝を叩いた。


 「豪快で、常識に捕らわれず強引な所が、父上によく似て来られました」

 三七郎が言う。その言葉に、ハルが噴き出すように笑った。幸田彦衛門も笑っていた。


 「そうか、似てきたか」

 「はい、間違いなく、父上とあの直子殿の子であります、帯刀兄上は」


 外にはちらほらと雪が見えた。


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