第六十九話・築城戦
「成程これは確かに、聞いてみるとやってみるとでは勝手が全く違うな」
元亀四年六月八日、伊賀国に築城を開始した俺はその初日にそんな弱音にも似た感想を漏らした。
「川の上流で、符号をつけた木を流し、下流で受け取ったならばそれらの符号に合わせて木を組み合わせる」
羽柴殿の家臣である蜂須賀小六正勝や前野長康ら、今では『墨俣一夜城』と名高い名築城を直接指揮した者らから教わったやり方を踏襲し、此度の築城に役立てようとしている俺。その草案の段階で意見を出していたこともあり、聞けば自分でも出来るだろうと高を括っていた方法であるが、しかしやってみると思ってもみない問題が次々に発覚した。
「符号をつけた木が合わなくなるとはなあ」
弥介がやれやれと頭を掻きながら呟いた。原因は上流から流す間に木材が水を吸ってしまったせいだ。考えてみれば、築材として使われる木材は長ければ年単位天日に干され、カラカラに乾いた状態で使用される。水に流して運ぶなどということはもってのほかなのだろう。
「羽柴殿はどのようにしたのでしょうな?」
「濡れても良い築材でいかだを作り、濡れてはならぬものはその上に載せた、ということでは?」
古左が考え、助右ヱ門が答えた。助右ヱ門の答えにああ成程と周囲の者達が頷く。俺もその一人だ。
「人ばかりが多く、彼らが遊ばされておりますな」
「組を小分けにして場所ごとに仕事に当たらせたのではなかったか?」
慶次郎の言葉に、質問を返した。かつて清洲城の石垣修理をした際に羽柴殿が行った方法だ。早かった組のものには賞金を出し、出来上がったらさらに賞金を出す。競わせつつ、協力もさせる良い方法だと当時の俺は唸り声を上げたものだが。
「指示を出す者が何をどうしたらよいのか分かっておりませんな。この地について詳しくもなく、定型のある家を建てている訳でもない。この地形でしか作れぬ唯一無二の城作りです、多少悩むことがあったとしても責められますまい」
慶次郎からの返事に、成程と言いながら眦を掻いた。それから一日も経つと彼らの動きも大分良くなってきた。地元の人間や連れて来た職人達からの指示を受け、皆よくよく真面目に働いてくれている。縄張りを適当に行った訳ではない。地図も用意してあるし中心となる主郭と曲輪の配置や大きさ、形や高さ、堀となる川の深さや幅なども全て数字にしてある。後に追加で建てられる住居の規模、形も設計出来てある。尾張古渡に城を建てろと言われているのであれば、きっとしっかり仕事をこなせているだろう。一々手間取ってしまったとしても、すぐにやり直せば良い。母が言うところのトライアンドエラーなる方法だ。挑戦し、間違ったところはその都度修正し再度挑戦する。実際、五日ほどすると皆の動きは格段に良くなった。人足として雇った地元の者達は金と三食を約束さえすれば言った以上の仕事をしてくれたし、古渡の兵達はこの二年を共に戦ってきた者達ゆえ連携は取れている。そうして、ようやく築城のめどが立った六月の二十一日。
「伊賀勢二千が、城を打ち壊さんと向かってきております」
諜報役として早くも仕事をしてくれるようになった百地丹波とその一党からの報せにより、築城の手は止まった。
「攻め手は? まさか甲賀衆まで全員やって来たわけではないな?」
「はっ、神戸・上林・比土・才良・郡村・沖・市部・猪田・依那具・四十九・比自岐の十一人衆が集結している模様にて」
その報告を聞きながら伊賀の地図を見た。十一人全員が伊賀中央部からやや北まで、即ち地元の豪族だ。地元民がそれぞれに手勢を引き連れてやって来た、ということらしい。
「慶次郎、俺はこれまで一万石あれば兵三百程度と考えていたが、兵二千となれば七万石近い。伊賀はそれほどまでに石高があったのかな?」
伊賀は精々十万石というのが織田家の見解であった。そこから百地一族が離脱し、北伊勢は常に羽柴殿からの圧力を受けている。片手間に二千など用意出来るとは思っていなかった。だが、質問すると、慶次郎は鼻で主君を笑うという大変な無礼を働きつつ、頭でっかちな考えですなとのたまった。
「徴兵して来たわけではござらぬ。このままでは伊賀が滅ぼされると危機感を抱いた者らが一族総出でやって来たのでござる。長島一向宗と戦った殿であればお分かりかと思っておりましたが」
「成程確かにその通りだ」
「お分かり頂けたのなら重畳至極」
「褒美に先陣の誉れを与えよう。単騎駆けにて敵を蹴散らしてきなさい」
「拙者に死ねと仰せかな?」
「わざわざ嫌な言い方をするからだ」
などと、慶次郎と小競り合いしていられたのもそこまでで、俺達は直ちに築陣を中止し、雇い入れていた人足、それから非戦闘員として連れて来ていた者達を東側、即ち伊勢側の山へと逃がした。伊賀の山奥にて戦ってきた経験ならば豊富な我が古渡勢である。敵勢の襲撃に慌てることは無く、整然と防御態勢を整えた。
「お味方千二百。敵勢は纏まらず、それぞれ一族ごとに攻めかかって来る模様にございます」
「十一部隊がそれぞれにか」
百地家の忍び、四郎からの伝令に景連が答える。何ともやり辛そうだ。俺としてもやり辛い。遊兵、即ち何もせず無為に過ごしている兵を作らぬことが軍を勝利に導く上での鉄則だ。その為には兵を小分けにしてはならない。どれほど優れた将であっても、同時に二ヶ所では指揮が取れない。複数の部隊が同時に攻撃を仕掛けるには、綿密な打ち合わせが必要なのだ。ましてや十一部隊など、数的優位を持つ者が分ける数ではない。兵の邪道だ。だが伊賀の兵はそれをする。その方が強いという確信があるのだろう。となれば、俺達が知っている兵の常識は通用しないということだ。
「慶次郎、助右ヱ門と兵三百を預ける。叩けそうな敵を叩いて来てくれ」
常識的でない敵には常識的でない味方をぶつける。俺が言うと、慶次郎は一番手柄を頂戴すると楽しげに笑い、槍を手に取った。
「弥介、お前も三百を率いて人足達を安全な場所まで逃がしてきてくれ。今日の仕事はもうない。給金は一日分支払うように」
「宜しいので?」
「こちらの都合で仕事がなくなったのだ、仕方があるまい」
金払いはしっかりしている村井重勝という評判があるのだ、金で名を買うと思おう。
「いえ、そうではなく。新参の某は最も危険な前線に送られるものとばかり」
俺が答えた場所と違う懸念を抱いていた弥介が言う。
「なるべく前線には出さぬという約束でお主を家臣にしたのだ。ここまで敵が迫ったのなら戦って貰うがまだそこまで追い詰められてはおらん」
言うと、律儀ですなあ、と感心したように笑った弥介が首を垂れ、そして駆け出して行った。残る兵は早くも半分だ。
俺達は今ひらがなの『と』の二画目のような半円状の川に囲まれた中央部におり、敵は南北から近づいてきている。とはいえ俺にはどこにどう敵兵がいるのか見えてはいない。弥介は人足達に鬨の声を上げさせ、旗指物を掲げながら東へと逃げてゆく。敵からすれば本隊が移動しているように見えるだろう。慶次郎はといえば、無造作にも見える動きで北へと進路を取り、何の躊躇もせず川を渡って対岸へと出た。それから先にどうなったかは分からない。本陣に残る六百に対し、敵が打ちかかって来たからだ。
「射掛けよ!」
渡河し、野戦に持ち込もうとしてきた敵前衛を、こちらの弩兵隊が攻撃する。命中率で言えば既に弓兵隊より鉄砲隊よりも高くなっているのではないだろうか。
伊賀兵達は、竹で作ったらしい盾を使用し弓を防いだ。損害は軽微だ。しかししつこく矢を放っているとやがて渡河を諦め撤退していった。
「敵襲!」
敵の第一陣を凌いだ。と思ったその瞬間、やや西寄りから敵が現れた。既に川を渡り未完成の城に肉薄しつつある。
「地の利、敵方にありか」
恐らく、川が浅く渡り易い場所を知っていたのだろう。一旦撤退した正面の兵も、再び前進を始めた。
「景連は射撃を止めるな。古左、俺に続け! 白兵戦にて伊賀兵を打ち破る!」
渡ってきた敵兵は百余り。こちらは六百で、景連に半分預けても三百、三倍だ。後続がやって来る前にこれを蹴散らす。
「大将首はここだ! 討ち取って手柄としたい者はおらんか!?」
馬上にて叫び、前進した。古左を正面に、左右からも押し包むような、鶴翼の陣で迎え撃った。伊賀兵は鉄砲や矢を使用してこなかったが、紐を上手く利用して見事な石礫を飛ばしてきた。遠距離攻撃としての石礫は武田家の兵も得意としている。石コロといえど馬鹿に出来たものではない。とはいえ引くわけにもいかない。
「怯むな! 前進せよ」
後手に回っていると後方から更に敵が来てしまう。早めに蹴散らし、急ぎ戻らなければ景連の率いる部隊が直接攻撃されてしまう。俺は馬を川へ進め、戦線を押し上げた。この場だけで言えば迎え撃つではなく、包囲殲滅するくらいの気持ちだ。利あらずと見た伊賀兵は無理をせず撤退。こちらも追い打ちはせず、直ちに取って返した。五百程度の敵兵が竹の盾を前面に押し出し、ジリジリと前進しつつあった。景連が飲み込まれるよりも先に、俺が率いる二百五十が敵と景連の部隊の中央に入り、槍衾を作る。そして、敵側面から古左と五十程の兵が切り込み、揺さぶった。
「槍衾の後ろから援護が来るのは矢張り良いな」
敵兵からすれば左翼から古左、中央から右翼にかけてを弩兵に攻撃されている格好だ。俺の二百五十は微動だにしていない。だが、敵が撤退したのと同時に追撃を仕掛けようと思っている。分かっているのだろう。中々引こうとしない。
暫く膠着状態が続き、状況を打ち破ったのは敵だった。後方から更に五百が現れ前進を始めた。それに合わせるように前線の五百が引いてゆく。俺は手勢二百五十を前進させ、追撃する。敵の前衛五百と、後軍五百が合流してしまえば形勢は逆転するので、川の中央辺りまで。そこで、古左の部隊も含めて全軍を引き上げさせた。仕切り直しだ。仕切り直されてしまえば向こうの方が多い分優勢だろう。そう思っていると、敵後方の山地から多数の旗指物が現れ、鬨の声が上がった。
「いつの間に援軍を?」
景連の言葉に、首を振って答える。俺は知らない。撤退させた人足達を、恐らく敵軍は本隊だと思っている筈だ。故に此度の戦いは両軍共に味方の方が少ないという認識で争っている。実際に兵が少ないのはこちらだ。北に慶次郎を送った。弥介が戻って来るまでにはもう少し時間がかかるだろう。他にありそうな援軍は。
「ああ、成程」
考えていると、一つ答えに行き当たった。伊賀には俺に味方をしてくれる勢力がある。直接戦闘はせずとも後方かく乱やあのような偽兵戦術は得意中の得意であろう。
「援軍二千が来た、一気に殲滅する。と言いながら川を渡るぞ」
そうして、俺達が追撃を開始すると、伊賀兵達はこれぞ忍者の面目躍如とでも言わんばかりの見事なる撤退を行い、消えていった。
同じ頃、北側の戦闘では味方に倍する敵兵を打ち破り縦横に暴れていた慶次郎の部隊と戻って来た弥介の部隊が合流していた。両部隊は戦闘を程々にして引き上げ、味方の損害を最小限に食い止めつつ帰陣。初日の戦いは、勝敗付かず、織田勢やや優勢にして終了した。
翌日からの五日間、俺達は小競り合いを繰り返した。築城の手は止められたが、陣を守ることは成功し、どちらにとっても戦略的な目的が達成出来ず痛し痒しな時間が続いていた。と俺は思っていたのだが。
「成程、あれが狙いだったか」
戦いが始まって七日目の早朝、西の方を見ながら呟いていた。これまでの戦闘で、敵は南北から川を渡って攻め寄せ、東側には非戦闘員が逃げた。残る西側にある山に、砦が建てられつつある。
「あの山、名は何と?」
「地元では丸山と呼ばれているそうです」
聞くと、四郎がそう答えた。
「一夜城を、見事にやり返されましたなぁ」
間延びした弥介の言葉に、そうだなあと答える。景連からは、どういたしますかという質問があった。
「敵がどう出てくるかによるな。四郎。どうだ?」
「城には援軍が集まり、現在四千近くまで膨れ上がっております。すぐにでも攻めかかってきましょう」
「あの砦を奪い取ることが出来れば形勢は逆転するが。どうだ? ここが攻められている間に全軍で山へ登り、奪い取る。出来そうか?」
聞きながら周囲を見回す。慶次郎は面白そうな表情をしていたが、それでも出来るとは言わなかった。他の家臣達の表情は推して知るべしだ。
「我が手勢、この未完成の城で、四千からの攻勢を凌げると思うか?」
聞くと、代表するかのように景連が一歩前に出た。無理ですと一言。そうだな、俺も無理だと思う。
「ならば是非もなし。築城は失敗した。撤退し、城を焼き払う」
その言葉には四郎だけが反応した。引き際が良すぎると思ったのか、もったいないと思ったのか、だがいずれにせよ、ここで無理して戦えば味方が全滅してしまう。大敗する前に逃げ出すことが出来たならば、攻め込んで帰って来ただけ、即ち引き分けだ。
「伐り出した築材はまだまだあったな。よく燃えるだろう。余った弾薬などあったら撒いておけ。四郎、戦闘が始まったら敵に一つ情報を流せ。北で羽柴勢の大侵攻が始まったと」
この情報は嘘ではない。予め聞いている話によれば今日か昨日には軍が発している筈だ。羽柴殿は既に万の兵を預かって指揮した経験もある。大将には信包叔父上。伊賀勢としては俺を追撃している余裕などなくなるだろう。
「敵が前進を始めたと」
丁度その時、物見からの報告が入った。俺は全員に指示を出し、今日中にここを引き払うことを改めて伝えた。そしてその日の正午前、作りかけていた城は炎上、俺達は一目散に東を目指し、その日のうちに伊賀伊勢国境を超えた。
「伊賀勢も撤退を開始しました」
翌日の夜明け前に、続報が入った。羽柴勢南下の報を受けた伊賀中央部の豪族達は、建築したばかりの砦を放棄し、これを破却。直ちに北へと取って返した。国を守らんと力を振り絞ったその総兵力は八千。明らかに伊賀という国が持つ全力を超えていた。
「出陣だ」
そうして伊賀が戦時体制となった翌日、俺は全軍に召集をかけた。全軍、それは織田のでは勿論なく、伊勢のでもなく、村井重勝の兵全軍という意味での全軍だ。総数は六百。金で雇った兵はいない。本当の意味での家臣達だ。
「俺、嘉兵衛、蔵人、景連、古左、慶次郎、助右ヱ門、弥介で八部隊を作る。それぞれ百地丹波が手の忍びに先導をして貰い、取り急ぎ丸山城へと向かう。到着次第予めの取り決め通り築城を開始する。築城のコツはもう掴んだな?」
聞くと、前回戦場に出ていた指揮官は全員が頷いた。古渡城から呼び寄せた嘉兵衛や蔵人も、兵達から逐一報告は受けている。分からないということはないだろう。
「ありがたくも、あの地にて最も築城をするに適した場所を伊賀衆が教えてくれた。四千人が踏み固めて地ならしも終わっている。焼き払われた遺構が築城の助けにもなるだろう。実地で経験も積んだ。後は城を築くのみ。北に目を奪われた伊賀国人衆が取って返してきた時に、籠城戦が行える程度であればよい。ゆくぞ」
一同の声が重なる。部隊を分け、進軍を開始したのとほぼ同時に、助右ヱ門から訊かれた。
「全て、文章博士様の掌の上ですか?」
「馬鹿を言うな。本当に掌の上であれば、一回目の築城で成功し、築陣されたのと同時に丸山城も奪い取っている」
こんなに手間と金がかかることをしなければならない程度には、俺だって追い詰められていたのだ。
俺の返答を聞き、助右ヱ門が快活に笑った。
こうして、後に織田家を守った城として名を遺す丸山城を手に入れた俺は、以後伊賀守と呼ばれるようになる。




