第六十八話・伊賀築城計画
作中において主人公の年齢が分かりにくいと仰る方がおられましたので、
活動報告の方で纏めてみました。よければご確認ください。
「公方様に御子が出来ましたか、目出度いことですな」
俺が言うと、三介がそうなのか? と首を傾げた。木造具政を始めとした旧北畠家の家臣、信糺らの織田家出向組、その他多くの家臣達がいる前であるので、威厳を保ち上座にて胡坐をかいている。
「文章博士よ、その方は本当に……いや、良い。目出度いことである。男子なれば幕府の再興は最早疑いようもなし」
「仰せの通りにございます。北畠家は足利幕府の名門。又、此度の幕府中興に多大なる貢献これあり。なればこそ、伊勢北畠家の益々の繁栄は約束されたも同然であるかと」
微笑みながら言うと、三介はうむ。と言い俺の伊賀攻めについての質問を幾つかした。
「伊賀攻めの主力は北から甲賀を攻める羽柴勢にございます。我らは山中を超え、側面、後方からのかく乱をすることが必要かと。なれば、伊勢守様におかれましては、何卒兵と銭とを御援助賜りますようにお願い申し上げまする」
「良きに計らうがよい。そちの行いは我が行いも同然、吉報を待っておる」
「ありがたき幸せ。必ずや、伊賀を降してご覧に入れまする」
俺は名目上伊勢一国を預かり、実質的にも伊勢にて最大勢力を持つ弟三介具豊に金を無心しに来ていた。話をすべき内容はそう多くなかったのでこれにて落着し、俺は失礼いたしますと言ってその場を去った。
「少々待っているようにと、伊勢守様が」
「言われないでも分かるさ。教えて欲しいことが山ほどあると顔に書いてあった」
用事が済み、最早いつでも帰れる状態になってから、俺は暫く待たされることとなった。今回は景連も古左もいない。代わりに俺の側についているのはこの度家臣として召し抱えた大木兼能。長島攻めの際、伏兵をけしかけ危うく俺や義父を殺しかけた知恵者にして強者である。
「殿様は頼りにされておりますなー」
語尾が伸びるあまり賢そうには思えない口調で褒められた。褒められているのか寧ろ馬鹿にされているのかよく分からない言い方であるが、本人としては大いに褒めているつもりであるようだ。
「拙者は、偉い人達など一緒に食事をしたこともなく、話をしたこともなく、他人と大して変わらないと思っていましたけれどなあ。殿様は腹が違う弟君とも仲良しであられる」
「人による、としか言いようがないな。弥介のように、他人から受けた恩を返す為に命を張るような者もおる。親兄弟で殺し合うことも珍しくはない」
「そりゃ何とも、仰る通りで」
この弥介、長島で地獄を見たとは思えない程明るい。性格は古左に似ているが大きく違うのは古左は茶を始めとし、多くの芸事を修めた多趣味な人物であるが、弥介はそういった事は一切出来ない。その代わり、その辺の野草を摘んで薬を作ったり、道具もなく魚を獲ってきたり、交渉して物の値段を値切ったり、会ってすぐに人と仲良くなったりと、今日を生き延びる為に必要な能力は悉く身に着けている。剣や槍、或いは軍略はそうやって徒手空拳で、実戦にて身に着けて来たものであるらしい。野良犬の武、と自分では言っていた。俺より二つ年上で、石山本願寺が蜂起した時から戦っていたそうだから十代後半から最近まではずっと戦場に身を置いていたということになる。
家臣として働かないかと誘うと、最初は断られた。良い話とは思うが、戦いが終わったので自分がしたいことをしたいと。したいことは何かと問うと、綺麗な嫁を捕まえて幸せに暮らしたいと、何とも奥ゆかしい事を言った。その一言に惚れ込んだ、という訳でもないがならば戦場には出ず、輸送部隊や伝令などの仕事でもよいのでどうだと誘うと、今度は悩んでくれた。最後に、嫁が欲しいと言うが具体的にどのように嫁を食わせてゆくのかと問うた。俺ならすぐにでも扶持を与えられる。差し当たって永禄銭で五貫、これで身支度を整えると良い。その間にお前が暮らせる家を用意してやろう。そんな事を言うと暫く悩んだ後、宜しくお願いしますと言って来た。死線においても冷静さを失わず、義理人情に篤い豪傑。少し手柄を立てさせて百貫か二百貫くらいの禄を与えよう。
『殿はいつも金で人を買って参りますな』
得意になって景連に報告すると、そんなひどい事を言われた。言われてみれば古左も金で引き抜いた。伊賀衆に対しても、基本的には二年間金払いを良くすることで信頼を得て来た。もしかして、俺は金で人の心を買う悪い奴なのか? と少々悩んだ。いやそんなことは無い筈だ。恭やハルを金でどうこうしたことは無い。徳や相にも、懐いて貰うために金ではなく様々な工夫を凝らした覚えがある。それは確かに、甘い菓子を買うのに多少の金を使った事はあるが。
「殿様?」
「ん? ああ、どうした?」
「伊勢守様が来られました」
内心で一人落ち込んでいると、弥介に声をかけられた。そうだ。三介を待っていたのだ。分かったと答え、弥介には馬小屋で待っているように伝えた。畏まりましたと言い、出てゆく弥介、それからすぐに三介が入って来た。
「何が聞きたい?」
入って来るなり、手に持っていた饅頭を俺に投げてよこした三介、掌に収まる程度のそれを口に入れながら訊いた。三介は俺の前に胡坐をかいて、色々あると言った。
「公方様に子供が生まれるのは、本当に良いことなのか?」
頷く。肯定したわけではない。思っていたよりも良い質問であったからだ。その質問を、先程は家臣の前であるという理由で飲み込んでいた。家臣の誰が公方様と繋がっているのか分かったものではないのだ。北畠家の新しい当主は公方様に子が出来たことを危険視している。などという話が広まってしまうのは大層まずい。それが分かっている三介は少し成長した。
「逆に聞くが、公方様に御子が産まれ、我ら織田一門にとってどういう不都合があり得る?」
「そりゃあ、天下が公方様のものになっちまうだろう?」
三介の言葉。その通りだ。上洛戦以後、公方様は父の事を御父と呼び敬している。だが、だからと言って勘九郎を弟とし、征夷大将軍の地位を譲るなどと言ったことは無いし、考えたこともないだろう。あくまで受けた恩に対しての感謝の言葉であり、公方様が恩と感じるのは『足利幕府再興に対しての協力』だ。織田家が天下を獲ると言い切ってしまえば、公方様も足利の家臣達も直ちに織田の敵となる。
「女ならまだいいと思うんだ、俺は。だが男だったらまずいんじゃないのか?」
「女ならまだいい、という理由は?」
「勘九郎兄上か、その子と娶せればいい。公方様に男が産まれなければ俺達の子か孫の代には将軍家に織田の血が入る」
「そうだな。その場合、幸いにして足利家は人を多く失っており、しかも公方様は親戚筋と仲が宜しいとは言えない。平島公方家とも将軍争いを演じた。平島公方家は三好家と昵懇であるし、今更彼らに将軍職を奪われるくらいなら、父と姻戚関係を結び織田の後ろ盾を得ようとするであろう」
俺が補足するような事を言うと三介が成程と頷いた。そうして、男だったらまずいよな? と俺に確認を取る。その心は? と、やはり俺は三介の言葉を促した。
「将軍職を継げるじゃないか」
頷いた。そう、その通りだ。将軍職を直接継げる子が出来たとしたら、公方様は当然その子を十五代将軍とすべく動くだろう。父上がその時どう立ち回るのか。例えばお土の方が産んだばかりの女子、報を嫁がせるという方法もある。報が産んだ子供が将軍となれば父は将軍の外祖父だ。だが、父はそもそも将軍の権威などというものを本心で認めてはいない。あくまで自分が自由にできる天下を欲している。そのことについて、やはり三介は理解している。直接聞いたのか息子として肌で理解しているのかどちらかは分からないが。
「もし男子が産まれたら、公方様は織田家を疎んじるようになると思うか?」
試しに質問をしてみると、三介は考える必要もないとばかりに頷いた。
「思う。俺は何回か公方様に会ってるが、多分あれは父上を本当に信用している訳じゃない。坊主共の方がもっと気に食わないから重宝して使ってるんだと思う」
「もし、公方様に男子が産まれ、紀伊まで全ての寺社勢力を駆逐したら、織田家はどうなる?」
「分からん。分からんけど、公方様とは戦うことになると思う」
「そうなったら、織田家は滅ぶか?」
三介が黙った。分からないようだ。三介も色々と考えるようになったなと、俺としては嬉しい。具体性には乏しいが大筋の流れとしては悪い読みではないのではなかろうか。
「確かに三介の言う通りだ。公方様と戦う可能性は常にある。天下の局面は変わった」
上洛以来公方義昭様と父は常に協力して事に当たって来た。これまでは父も公方様も周囲を敵に囲まれ、両者の協力は必須であったのだ。だが、比叡山延暦寺を焼き、長島を取り囲んだ辺りから二人は守勢から攻勢へと転換した。となると、両者の視点は自然と上へ向かう。官位などがその分かり易い例だ。公方様が三位で父が四位。この程度であればまだ良い。だが、それよりも上になると最早相当する官職は内大臣から左右大臣、そして太政大臣などとなり、限られてくる。さらに上に登れば残るは関白。この程度の席しかないのだ。公方様の派閥と父の派閥がこの限られた席を奪い合うという未来はそう遠くない。
畿内を征し、近畿を征さんとし、石山攻めの後には恐らく四国や中国或いは北陸に関東といった地域を攻めることとなるだろう。これまで棚上げにしてきた決着をつけねばならない。実力は父が上で、権威は公方様が上、そんな中途半端では許されないのだ。どちらかがどちらかよりも名実ともに上なのだと天下に示さなければならない。そうしなければ天下は収まらない。
「織田家にとって最悪であるのは、男子が産まれてすぐに公方様が織田家追討を命じることだ。そうなれば一色藤長殿や三淵藤英殿、細川藤孝殿は勿論の事、十兵衛殿・和田惟正殿・弾正少弼殿・池田勝正殿・畠山高政殿辺りもどう出るか分からん。皆少なからず幕府の力で所領を得ているし、名目上幕臣である者も多い。場合によっては浅井家と徳川家が敵に回る可能性すらある」
キュッと、三介が口元を引き結んだ。危機感を覚えているらしい。しかしどうすればいいのかは分かっていない。
「俺は以前、上洛の直後に父上に申し上げたことがあった。公方様とは対立すべきではないと。公方様との対立は少しでも先延ばしにすべきと」
あの時父は、自分の方針を引っ込めて俺がやりたいようにやらせて下さった。
「今回も、俺は対立を先に延ばすべきと考えている。公方様に男子が産まれたのなら永か報を、女子が産まれたなら於次丸かお鍋の方が産んだ三吉を娶せ、織田家は足利家の忠臣であるという体裁を保ち続ける」
「それもいつか限界が来るだろう?」
「その、いつか来る限界は大きくなった織田家が隠れきれなくなった限界。ということだ。仮に紀伊までも全て征し、四国中国に関東まで征した後その限界が訪れたとしよう。その時に今言った者らが織田家に歯向かって来たとしても、既に織田家は独力でそれらを討伐するだけの力を持っている」
織田家の力が中途半端に強い今だから、公方様が侮れないのだ。圧倒的に強くなってしまえばどれほどの権威があろうとどうしようもなくなる。
「勿論、今言った事は俺の考えだ。父上はそうお考えではないかもしれぬ。石山を攻め落とした後には公方様に迫り、将軍職返上を求めるかもしれぬし、京を追い出すのかもしれぬ」
三介が納得したような表情となった。恐らく、三介の性格からすればとっとと公方様とは決着を付けてしまいたいのだろう。
「父上と公方様は既に背中を預け合う間柄ではない。握手をしたもう一方の手で、どちらが先に刀を抜くか分からん。俺が伊賀攻めを急ぐ理由はこれだ。お前は伊勢を固めろ。家臣に目を光らせ、石高を少しでも高めろ。今年中に俺は伊賀を織田のものとするつもりだ」
分かったなと俺が言うと、三介がコクコクと頷いた。俺は伊賀の事を考える。三介は俺と、紀伊を攻める彦右衛門殿が動きやすい状況を作ってくれれば良い。
用は済んだからと、俺は大河内城を辞した。
「慶次郎殿と助右ヱ門殿が、お戻りになられましたぞ」
「通せ」
その日の夜、味の濃い漬け物をおかずに飯を食っていた俺は、報告をしてきた景連の言葉を聞き、すぐに言った。古左と、弥介も連れて来いと伝える。味噌汁に米を全てぶち込み、サラサラと飲み込むように食い、大きなげっぷを一つした頃に、丁度家臣連中が集まってきた。
「首尾は?」
「上々にて、ご納得いただけると思いますぞ」
前田慶次郎利益。奥村助右ヱ門永福。共に紀伊半島を旅し、そのまま関東へと向かったという二人も、この程織田家に戻って来て俺の家臣となってくれた。関東から東北、蝦夷地の手前まで行って今度は中国地方へ。更に下って九州をひと廻りしてから四国へ渡り、淡路島から石山本願寺を見学し、そうして今は伊賀だ。日ノ本をもれなく一回り。二人の珍道中についての話も又面白いものなのだがひとまず置いておく。今は、紆余曲折経てここに来てくれたことが重要だ。慶次郎が唯一頭の上がらぬ存在、利久が言ってくれたらしい。俺に出仕した日は『とうとう人様に仕えなければならん日が来たか』と不貞腐れていたが翌日からは俺を殿と呼ぶようになり、寧ろ周囲の規範となるような家臣ぶりだ。
「築城を目指すべきは矢張りこの辺り」
比土・上林・依那古。伊賀の中心を伺う地名を幾つか挙げ、築城するに相応しい地を示す。
「柏原城とはかなり距離があるな」
「近すぎては意味がございませんからな」
柏原城は伊賀の南端にあり、北以外の三方は山に囲まれた百地家の居城だ。仮に北からの侵攻軍が伊賀を呑み込もうとするのであれば、柏原城が最後の砦となるだろう。
「いずれも近場に川は流れておりますので、羽柴殿が墨俣で行った行為の真似は出来ますが」
日ノ本を旅してきた二人にはその経験を活かし、伊賀のいずれに築城すべきかを調べて来てくれと頼んでいた。戦に詳しく腕っ節も強く、怪しまれ辛い上に旅慣れている。これ以上の適任はいなかった。
「あれは川並衆という特殊技能を持つ者らがいたから成せたことである。美濃と違って我らには土地勘もない。教えは受けるがあれほど見事な手並みで行くとは考えぬ方が良かろう」
慶次郎の説明を聞き、答える。なるべく血を流さぬようにと思いついた築城計画であるが、具体的に話を進めれば進めるほど、そう簡単ではないと思い知らされる。当然、何らかの策略が必要だろう。
「素材は山中で密かに切り出し、人は百地家から借りる。縄張りについても、伊賀の者の助けを借り、反織田派の伊賀国人衆に襲われた時の為に兵は常に用意しておく。とりあえず思いつくのはこの程度だな」
「うまくいきますかなぁ」
「うまくいかすのだ」
「然り然り」
弥介が呑気な声を出し、景連が叱るように答えた。古左は飄々と頷く。確かに、出来るか出来ないかではなく、やらねばならぬことだ。
「この築城が成功するかしないかで、伊賀が長島以上の地獄となるかならぬかが決まる。皆心してくれ」
六月の頭に、伊賀にて築城を開始する。




