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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第六十七話・伊賀調略


木刀を振っていた。



 真上から刀を振り下ろす。強い踏み込みで。木刀が敵の頭部に刺さり、動きが止まる。  

 

「こう……ではないな、こうか」


 想像上の敵を一人切り伏せてから小首を傾げた。こうではない。これだと動きが止まり、敵に取り囲まれてしまう。刃全体を使うのは首を切断する時だけで良い。目の前に十名いる敵と戦い、その中で一人でも二人でも倒す為には、切っ先の三寸以内を使って首を裂く、胸を突く、胴を切り払ってそのまま次の敵に対する。

 森の中であれば、山の中であれば、船の上であれば、部屋の中であれば、そのような想像を一々働かせながら、俺は丁寧に木刀を振り、動きを止めず動き続けた。


 「まるで剣舞であるな」

 暫く木刀を振り、自分なりの型を繰り返し体に教え込んでいると、後ろから声をかけられた。振り返らず、剣舞のようだと言われた素振りを繰り返す。


 「お早うございます。思っていたよりもお元気そうで何よりです」

 「頭はまだ痛いがな」


 笑う。笑うなと父は言い、自分もケッケケと笑ってから表情を歪め頭を抑えた。その様子を見て、俺は更に笑う。


 「心月斎殿も、お元気そうで」


 父の後ろには、この度出家し心月斎と号するようになった森可成殿がいた。呼び名は官職名の右近丞とどちらが良いか悩んだのだが、本人が心月斎という名を気に入っているようであるのでそれに倣った。権六殿などは従五位下・修理亮となったことを大層喜んでいたので今後は修理亮殿とお呼びする。


 「こんなに良い天気であるのに一人で鍛錬などしているものではない。相手が欲しくば後で勝蔵と忠三郎に相手をさせてやる」

 「二人の相手が面倒臭いからここまで逃げて来たのですよ」


 うんざりしながら言うと、父と心月斎殿が顔を見合わせて笑った。元々俺は本を読みつつその内容についてああでもないこうでもないなどとうんちくを垂れるのが好きな頭でっかちな男である。だがこの頃様々な機会を得て武を振るうことになってしまった。怯えながら、弱音を吐きながら懸命に積み重ねて来た武功は年下の俊英達の手本として丁度良かったらしく、妙に懐かれてしまった。勝蔵は森家の跡目を継いだ森長可の事であり、忠三郎は相の夫となる蒲生氏郷の事である。顔を合わせれば一手御教授下さいと二人とも煩い。貴殿らは直接敵兵と切り結ぶことなど考えず兵を指揮することを考えていればいいと言っても、では宇佐山での話を、長島での話を、伊勢での話を、とせがまれてしまう。


 「一旦手を休めて、座れ」


父から言われた。座れと言われてもどこに? と問うべきか悩んでいると、父は側に控えていた者らに命じ、あっという間に小さな茶屋のような場所を設えさせてしまった。以前勘九郎と話をした場所に似ている。あの時は母と古左が設えてくれたのだったが。


「ささくれていた心が解かれるような気持であった」

藍色の敷物が敷かれた長椅子に座る。隣には父。杖をついている心月斎殿は、その杖を従者に預け、俺達から少し離れた場所に座った。


「直子が考えたそうだな」

「左様です。母上が自分の食う物でなく人に食わせるものであれほど積極的に動いたのを見たのは初めてです。愛されておりますな、父上は」

まあ、自分が食う分も勿論取ってあったのであろうけれど、それにしてもだ。


「貴様も随分と骨を折ったと聞いた」

「いえいえ、俺は弟達や重臣の方々にお声かけしたくらいで、大したことでは」


日ノ本由来のものとして、産まれ日を祝う習慣は聞いたことがない。そもそも産まれた日が何日であるのか記録に残っていない者も多い。だが、基督教において生誕の日は重要な意味があり云々という話は聞いたことがある。変わった試みではあったが、新しい物が好きな父や変わり者の母が行うことであるからと、重臣達も皆納得してくれた。昨日も頃合いを見計らって一人ずつ現れては父に言祝ぎ、父から酒を一杯頂戴して帰って行った。


「貴様には伊賀攻めを任せるぞ」


愛されていると言われたのが恥ずかしかったのか、父が話を変えた。よくあることなので気にせずはいと頷く。動かせる兵力は少ない。だが俺は二年間自由にやらせてもらえた。手応えはある。伊賀衆も悩んでいる筈だ。亀裂は確実に入っているのだ。後は詰めさえ誤らなければ。


「猿に負けるな。奴よりも先に伊賀を掌中に収めるのだ。さすれば貴様に伊賀一国を任せることが出来る」

「あの斉天大聖殿を相手に先んじるというのは難しいですな」


斉天大聖殿と口に出したのは久しぶりだ。有能な人材が多くいる織田家の中ですら、やはり彼の才は一際優れている。


「弱気な事を言うな馬鹿者。伊賀を獲るのだ」

拳で肩をドンと押された。分かりましたと答える。俺は石山を潰すと、返答があった。


「北陸の一向宗も浅井・上杉に締め上げられておる。五年十年と耐えることが出来たとしても、石山に援軍が向かうということは無い。逆に石山から坊官が派遣され統治の助けを受けている始末だ」


今が最大の好機であると父は言った。紀伊の東側は徐々に織田家の勢力圏に落ちつつある。毛利家の支配する中国地方と、父と公方様の勢力圏である近畿との間に根を張る国人衆達も、今回の勝利を見て織田になびくことだろう。石山を降すことが出来れば織田家の天下がいよいよ現実味を帯びて来る。


「信方の死は残念だったが佐治水軍が全滅したわけではない。与九郎と久右衛門、犬が二人倅を産んでいる。二人が佐治家を率いる年になるまでは俺や織田家の者らが佐治水軍を纏める。九鬼水軍には今大型の船を作らせている」

「安宅船、でしたか?」


かねてより父が作らせていたものだ。石山本願寺との戦いが始まってよりすでに足掛け四年の時が経っている。その間に父が悩まされてきたのは大坂の水運だ。阿波三好や三好三人衆だけでなく、畿内の反織田勢力、雑賀に根来など、彼らが膨大な物資を素早く搬入できるのは偏に摂津や和泉そして堺といった港を活用しているからである。大坂城もまた然り。だからこそ、父は大型の船で川を塞ぎ、大坂への物資輸送を止めてしまおうと考えているようだ。


「面白いものが出来そうでな。出来上がったら見せてやる。楽しみにしていろ」


母は色々な試みを行うし俺も新しいことを始めようという気持ちは強い。だが独創性という点においては父に一歩譲らざるを得ない。その父が面白いものと言っているのだからきっと面白いものが出来上がるのだろう。


「楽しみにしております。何とかそれまでに伊賀攻略の算段をつけて見せまする」

「そうか……」

答えると、しみじみとした口調で父が頷き、茶を一口啜った。それからおもむろに、俺に頭を下げた。


「父上?」

「礼を言う」


 深々と俺に頭を下げた父は俺に言った。周囲を見回す、心月斎殿は何も見えていないかのように木漏れ日を浴び、気持ちよさげにしている。


 「貴様は長男であり、そして才もある。才がある故、不満もあろう。当主を本気で望むのであれば勘九郎を押しのけることも出来たやもしれぬ。だが、貴様はそれをせず、織田家の力となってくれた。礼を言っても言い切れぬ」

 「以前、その話はしたではないですか」


 あの時は確かもっと高圧的に、お前は織田家が欲しくないのかと聞かれた。勝っても負けても損をすると答えた記憶がある。その気持ちは今も変わっていない。


 「そうだな、だが一度言っておきたかったのだ。俺は信玄坊主程非情にはなれぬ。我が庶長子が貴様であったことは僥倖であった」

 「お言葉ありがたく」


 武田信玄が倅を殺してまで領土拡張を目指したことは広く知られているが、彼は家督相続の際に父親を追い出してもいる。父を追放した武将も息子を殺した武将もいないではないが、その両方を一人で成した大名は俺が知る限り彼だけだ。


 「伊賀を得たら何か欲しいものはあるか?」

 既に伊賀一国を俺に譲ることは決定事項のような物言いであった。暫く考え、長島が欲しいと言った。

 「長島? あの地を得て何をしたいのだ?」

 「母が以前行おうとしていたことを思い出しました」


 犬姉さんから聞いた話だ。母は日ノ本全土から自作の本を書いた者らを集め、大掛かりな直売会を開きたいらしい。その為に考えている候補地は熱田神社であった。あの時は、確かに熱田であれば交通の便も良いだろうと思ったが、長島であれば更に良い。海から直接乗り入れることが出来る好立地であり、大小島々が入り組んでいる土地であるから移動も歩かず、船で行える。


 「本好きの直子らしい考えだ。長島は本の、新しき学問の聖地となるやもしれぬな」

 「いえ、そのようなご立派なものではなく」

 父の言葉を、手を振って否定した。学術書であったり、壮大な文学書を並べるつもりはないのだ。勿論それがしたい者が多ければすれば良いのだが。


 「某が書いている『ゲン爺』のようなもの、母上が書いている楠木正成公と北畠顕家公の恋愛譚のようなもの、そういった『学び』ではなく『遊び』の本を大規模に販売しようということです。二条河原の落書が如くに、今の社会を虚仮にするようなものとて禁止には致しませぬ。これまで、本は坊主達賢きものらのものでした。今後は虚け共こそ、本を読むという時代にしたいのです」


 あれだけ凄惨な出来事が起こった場所であるのだから、滑稽が過ぎると言われるくらい面白おかしい場所にしてやりたかった。これ以上悲劇が起こることが無いよう。悲劇が起こった場所であるからこそ、その結果このような馬鹿馬鹿しい時代がやって来たぞと誰もが笑えるように。


 俺の話を聞いた父上は暫く考えるようにして、それから、ケッケッケ、とは笑わなかった。


 「良き考えだ」


 満足気に一言呟いた時の表情が、何となく父の心情を俺に読み取らせた。父は賢い故、当主が迷うことの危険性をよく知っている。だから弱音を吐くということは殆どないが、多分、そんな父の中にも後悔や躊躇いはあったのだろう。凄惨な殲滅戦があったお陰で、長島は生まれ変わった。ということに出来ればきっと父が抱えている荷も一つ軽くなる。


 「遠山景任殿の病状もいよいよ良くないようですね」

 「うむ。もって今年一杯、或いは今月すらもたぬやもしれん」


 東美濃の国人衆である遠山家、織田・武田両属の姿勢である彼の家に、織田家の男子を養子として送り込み対武田に備えるという話は以前からあった。その為に白羽の矢が立っているのが弟御坊丸だ。母も一緒について行くと言っている。


 「徳川殿・浅井殿・そして母上。東と北は暫く守れますね」

 「故に西と南だ」


 頷いた。そうして暫く話をしていると、勝蔵と忠三郎が現れ、又左殿や佐々成政殿らが訓練をしているので是非にと誘われてしまった。父は行って来いと言い、連れて行かれた広場では相撲大会が開かれていた。見学者の中には相もおり、相は頻りに『そなたは兄上よりもお強いのですか?』と聞いていた。どうも強さについて俺が基準となっているようだ。相を嫁に貰う忠三郎は俺を倒さねばならないと気合を入れており、是非とも一番、と言われた。妹思いの俺は一切の手加減をすることなく、猫だましや足払いといった狡い奇策を随所に織り交ぜつつ忠三郎を一蹴。その程度か、と叱責してやった。いつの間にやら後を追って来た父上からは『お前は大人びているのか大人げないのか分からん』との言葉を賜った。お褒めに与り光栄と答えると、褒めておらんと言われた。


 相には、『兄上より弱い奴と結婚などしてはならぬ』と忠三郎に聞こえる声で言い、そうして一日を過ごした俺達は岐阜を出立、古渡城へと戻った。




 「戦勝を、賀し、奉りまする」

 俺が古渡城に戻った次の日、一人の客が訪ねて来た。深夜、何かに呼ばれている気がして寝所を出、中庭に出るとそこにその者はいた。どういう術なのかは分からないが見事なものだ。


 「自ら来られるとは、遂に気持ちを決められたかな?」


 中庭にて平伏する男は暗闇の中敢えて火を灯して顔を上げ、自分の顔を映していた。何度か見たことがある。伊賀上忍三家の一つ、百地家当主百地丹波だ。さぞかし老練な人物であろうと思っていたのだが会ってみると俺よりも二つ年下で実に若々しい。身体能力は最早人のそれとは思えない常人離れしたものであった。


 「お許しください。藤林家・服部家の説得は叶いませなんだ」

 火を消し、百地丹波が俺に頭を下げる。そうかと答えた。時はかけた、これ以上ない好条件を与えた、長島殲滅という結果も見せた。それで従わないのであれば最早是非もなし。悉く討ち果たすまでだ。


 「我が百地家は織田家に、殿に従います。以後、我らを家臣とお思い頂きますよう」

「ほう」


意外だった。伊勢もそうであったが、伊賀の国人衆は横のつながりが強い。伊賀・甲賀と言われると互いに争い合っているという印象があるが彼らは山一つ隔てた隣人である。寧ろ他国の介入、他勢力の触手に対しては一致団結して戦って来た。此度も、俺は全員と戦うか全員を従えるかの二択だと思っていた。


「同族のものもおろう、彼らと戦うことが出来るのだな?」

「この二年、殿からは常に約束通りの給金を頂戴して参りました。家中においてはむしろ織田様よりも村井様に仕えるべしとの声も強く、迷いはございませぬ」


頷く。有難い話だ。伊賀一国を敵とせずに済む。


 「なれば一つ、試みたいことがある」

 「試みでございますか?」

 「そうだ、上手くいけば伊賀忍達から抵抗する気持ちを捨てさせ、彼の地を長島の二の舞とせずに済むやもしれぬ」

 「何なりと」


 覚悟は決めて来ただろうが、それでも同族と殺し合いをしたいわけではないのだろう。俺の言葉を聞いて百地丹波の声に力が漲った。


 「比自岐川、木津川の位置は知っておるな?」

 「勿論でございます」


 何れも伊賀に流れる川だ。百地家が勢力を持つ名張の北にあり、伊賀の中央やや南に位置する場所だ。服部家・藤林家の勢力はその北側となる。


 「この地に築城し、俺の本城とする」


 兼ねてより、伊賀を攻める際最も効率の良い方法がどこにあるかを模索し続けて来た。伊賀一国を取り囲み攻め込む。これでは数万の兵が必要となる。寧ろ伊賀の内部に織田の拠点を作ってしまい、そこで戦う方が良い筈だ。伊賀の南部が親織田派となったからには、不可能ではない。


 「城、でございますか? 一体どのような」

 「広大なものを作る。大河内城以上を目指す」


 大河内城、北畠家の本城である。それ以上という言葉を聞き、百地丹波が息を呑んだのが分かった。


 「不可能ではあるまい。貴様らが味方をするのだ。資材は密かに切り出しておいて、築城位置も決めておく。初めから大掛かりな城を作り上げろという訳ではない。比自岐川と木津川が堀の一角となる。元々天然の要害であるのだ。地形を上手く使えば半月もかからず砦としての機能を持たせることが出来よう」

 そうなった段階で俺が入城し、あとは北に圧力をかけつつ城を順次増築してゆく。


 「出来ぬと思うか?」

 「出来ぬとは思いませぬが」

 「城が出来た時、伊賀忍はそれでも織田相手に抵抗する気持ちを捨てずにいられるか?」


 質問を変えた。答えはなかった。


 「大和の北部も織田の勢力下にある以上、伊賀は取り囲まれている。この上で南に堅固な城が出来たとなれば戦わずに降伏する者も出よう。長島と違い、伊賀に対して織田家は降伏を認めている。城一つ建てることで無駄な血が流れずに済むのだ」

 こちらとしても早く決着が着くにこしたことはない。


 「畏まりました。縄張りをし、取り急ぎ築城準備を」

 「縄張りは既にしてある。貴様は働ける人間を集めよ。そして服部と藤林に怪しまれぬように動け。築城中に攻撃されることが最も怖い。いずれは露見するが露見する時は少しでも遅めたい」

 「承知」

 「次来た時に金を渡す。行け」


 そう言うと、百地丹波が音もなく消えた。




 「さて……」

 上手くいくかどうか。新参の家臣達がどれだけ働いてくれるかによるところが大きい。


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