第六十六話・織田信長君御誕生日会
「お祝いをしますよ」
長島の戦いが終り、俺が古渡城に戻ってから三日後、母が突然そんな事を言いだした。
「赤子の誕生を祝してですか?」
於次丸と御坊丸を両手で持ちあげ、そのまま振り回したり高く掲げたりするという鍛錬を行っていた俺はその言葉に答えた。キャラキャラと笑う二人を一旦置いて、両肩を回しながら母に近付く。
妊娠していたお土の方が女子を産んだという報せが昨日岐阜より届いた。これで父の子は男七の女五、比率も丁度良い具合だ。目出度いことである。
「それだけではありませんよ」
吉報が書かれた手紙を読んでいた母はしかし、首を横に振った。俺はといえば、弟達にもっととせがまれたので、二人に俺の両手首を掴ませる。そのままゆっくりと持ち上げて、グルグルと回る。手首や腕の筋力鍛錬と共に、ちょっとやそっとでは目を回さないようにという鍛錬でもある。弟達と遊んで幸せに浸っている訳ではないのだ。ないったらないのだ。
「では何でしょうか? 戦勝を賀し、ということですか?」
「それもありますし、養華院様のこともあります」
「養華院様のことは、目出度いこととは少し違うのではありませんか?」
濃姫様・帰蝶様或いは鷺山殿と呼ばれていた父の正室にして嫡男勘九郎の養母に当たるお方が、このほど養華院を名乗り長島の戦いで亡くなった織田家の一族・家臣達そして長島一向宗の菩提を弔うと宣言した。夫である父が死んだわけでもなく、養子である勘九郎も又壮健である今、彼のお方が出家などする必要はない。穿った言い方になってしまうが、吉乃様亡き後そのお立場は益々もって盤石であるのだ。しかし、彼女は自らそれを決めた。自分は石女でもあるし、子供達も大きい、菩提を弔うに、自分以上の適任はいない。というのが言い分である。
聡明かつ、強いお方であると思う。女子の存在理由の殆ど全てが『子供を産むこと』に集約される今の世において、子がないままでしっかりと織田家当主の妻としての務めを果たそうとしている。これまで、織田家において奥の争いが起こったことは無い。吉乃様の御聡明さもあったであろうし、母の性格もあっただろう。だが、最も大きな理由は養華院様にある。
「織田家の奥方様が進む、新しき門出でございます。これを祝って何がいけませんのでしょうか」
そう言われてしまうとそうである気もする。弟達を逆回転させると、御坊丸が手を滑らせてしまい地面に落ちた。於次丸が手を離し、スタッと着地し御坊丸に近付く。御坊丸は立ち上がり、楽しそうに笑っていた。
「もう一つ理由があるのですよ」
「はて、何でしょうか?」
生き残った者達が、生き残ったことを祝う。というのは良いのではないかと考えたが、母が言っているのは明確な理由があることである気がした。
「殿のお誕生日です」
思案していると早々に母から答えが返された。その言葉を聞いて、ああ、と納得し頷く。そう言えばもう五月であった。
「十二日が近いですな。残り十日もありません」
「そうです。子供達や奥方様方に慰めて頂き、幾らか力を回復させたと聞いておりますが、殿はまだまだ落ち込んでおられます。皆でお祝いをして、殿を元気付けて差し上げましょう」
ふむ、と俺はしばし思案した。我が母が考えることにしては何と言うか、物凄く、良い考えだ。まともだと言うべきか、落ち込んでいる夫を慰めるためにお祝いをする。内助の功という言葉が似あう行動だ。即ちとても母上らしくない。
「下の子らはどうします?」
「相以外は置いてゆきます。相には殿への贈り物などを直接手渡す役を担って貰います。後は、上の男の子四名と、妻達で囲んで差し上げれば殿もお喜びでしょう」
「妻達、と申されますと」
養華院様を筆頭に、勝子殿と、母上。それにお鍋の方・お土の方・お徳の方の三名。更には普段表に出てくることの無い三七郎の御母上も加え、合計七名か。お土の方が立てる状態にあるかどうかは分からないが。うん、悪くないと思う。
「料理は如何なさいます? 祝いの品をお作りに?」
「それは勿論、久しぶりに私が腕を振るいましょう。ねえ?」
母が隣で話を聞いていた勝子殿に声をかけると、勝子殿がええと頷いた。その横で、相も頑張りますと健気な声が聞こえた。
「どうしました? そんな怪訝な表情をして」
「いや、母上を少々誤解しておりました」
俺が一番母上の事を理解している人間だと思っていた。その認識は今も変わらないが少々情報を書き加えねばなるまい。
「母上は誠に、父上の事を愛しておられるのですね」
面倒くさがりの母が岐阜城まで出向き、手ずから料理を作り、振舞う。昨日一昨日まで生娘であった若妻のようではないか。
俺の言葉を聞いて、母が一瞬きょとんとした表情を作り、それから表情を赤らめた。愛しているだなんて、そんな、と手をパタパタさせ、それから俺の肩をドンと押した。
「親をからかうものではありませんよ」
「いえ、からかっているのではなく誠に母上の父上に対しての想いの深さと大きさというものを」
言っている途中で、さっきより強く両肩をドドンと押された。一歩下がり、踏ん張る、その間に母は顔を隠しながら逃げ去ってしまった。
意外にも恥ずかしがり屋であることが判明した母上はその日から、料理の献立を考えたり、器を見繕ったりしながら過ごした。その姿は矢張り甲斐甲斐しく、新妻のようであった。
五月の九日、俺は長島の後処理を任されていた彦右衛門殿が岐阜城へと入城したという報せを受けて古渡城を出発。その日の夕方には岐阜城へと到着した。
二日後の五月十一日には、父は家臣一同を前に戦勝を賀し、皆の苦労に対して一人ずつ労いの言葉を述べた。そして、公方様が、参議・左近衛権中将から従三位・権大納言へと昇叙・任官を受けたことを報告する。それに伴い、父も正四位下・弾正大弼への昇叙・任官を受けたことも発表された。
此度の戦において、織田家は勝利を収めたものの得られた土地は長島ただ一つのみ。国力は大いに疲弊させられた。家臣家の者達も多くの家族を失い、金も人も足りていない。父は、褒美に土地をやれない代わりに大量の永楽銭、最早全国的に名を馳せるようになった美濃焼の壺や茶道具、そして官位でもって家臣達を遇した。公方様の従三位を父が超えるわけにはいかず、父は正四位下。ということは正五位以下の官位であれば与えることが出来るというのが理屈だ。
柴田権六勝家 従五位下・修理亮
森三左可成 従五位下・右近丞
佐久間右衛門信盛 従六位上・出羽介
村井吉兵衛貞勝 従六位上・民部丞
九鬼嘉隆 従六位下・志摩守
筆頭家老の権六殿が矢張り家臣としての最上位である従五位下となった。可成殿は家臣の席次としては佐久間殿に劣るが、官位は権六殿と対等になった。これまでの働きに対しての特別報奨なのだろう。だが、森家当主の長可は無位無官のままで、これで従五位下・右近丞が森家代々の位階になったとは思うなという父からの言葉もあった。
村井の親父殿は実際に指揮する兵など殆どなきに等しいが織田家による京都の運営は親父殿無しに回るものではないということは誰もが知っている為、この官位となった。今後、官位においては筆頭になる可能性も父は示唆していたがそれは逆に、広大な領地を与えるつもりもないという意味も含まれていた。自前の領地はなくとも畿内全域を支配する村井貞勝。そのような立場であれば親父殿はやりがいを感じるであろうし周囲も納得するだろう。
九鬼嘉隆殿には兼ねてよりの約束で、延びに延びていた志摩守の座が漸く与えられた。今回の論功行賞において最も喜んだのは彼ではなかろうか。信方の事を思うと胸は痛むが、ともあれ今後の織田家に必要な人材であることは間違いない。
変わったところでは、朝廷より姓を賜った家臣もいる。
明智十兵衛光秀 贈惟任姓
丹羽五郎左長秀 贈惟住姓
二人は此度官位を与えられなかった。しかし、朝廷より賜ったこの姓であれば参議となってもおかしくはない。今もって幕臣との二足の草鞋を履いている十兵衛殿と、名目上織田家の次席家老である丹羽殿、この二人に対して権威を与えたということだ。伯父の原田直政に対して以前行ったことと同じである。その伯父上は此度の論功行賞において官位は得られなかった。
滝川彦右衛門一益
羽柴藤吉郎秀吉
この両名も又、官位は得られなかった。元々の身分が低く、譜代でもない。だが、裸一貫でのし上がったこの二人が織田家の中でも突出した能力を持つ者達であることは周知である。故に彦右衛門殿には此度の獲得地長島を与え、羽柴殿には誰よりも多い銭と物とで購っていた。併せて、彦右衛門殿には紀伊攻めの、羽柴殿には伊賀攻めの大将を任せるという沙汰もなされた。
織田勘九郎信重 正五位下・出羽守
北畠三介具豊 従五位下・侍従
神戸三七郎信孝 従五位下・侍従
織田家三兄弟が揃って五位を得た。勘九郎は当然嫡男ということで高い位置に置かれ、公方様・父・勘九郎という序列は今後も盤石であろう。下の二人は官職も位階も共に同じ、因みに俺も従五位下だ。
勿論この他にも多くの家臣が官位や様々な報奨を得たが、俺が知遇を得ている者達で言えば大体これくらいだ。大量の官位をばら撒いてくれた朝廷と、その中継ぎを行ってくれた公方様に対し、父は金銭でもって大いに礼をし、関係良好に務めた。
「東に武田、北に上杉、西に毛利、そして領内と南には今もって仏教勢力がおる。これよりが天下統一の本番である。皆の働きに期待しておる」
家臣一同にそう言い、岐阜城での公式の宴は終わった。そして、その次の日の夜。
「三人とも、位階を下ではなく上にして、俺よりも上に置いた方が宜しかったのではないですか」
「甘い、甘いぞ帯刀ぃ!」
俺達織田家の子供達及び妻達は、父信長の誕生日祝いを開催し、大いに楽しんでいた。
「貴様ら、今の帯刀より上にいる資格が己にあると思っておるのか!?」
普段酒を飲まない父が、ぐでんぐでんになりながらそう叫ぶと、言われた三人がいえいえと首を横に振った。
「俺は助けられてばっかりですよ」
「武功において、帯刀兄上の足元にも及びませぬ」
三介と三七郎が続けざまにそう言い、
「俺も、最初は兄上と同じ位階からでよいと言ったのだけど」
勘九郎は俺に対して解説をした。
「何を情けない事を言っておるか貴様ら! この程度の兄すぐに超えてやると何故言えんのだ!?」
父が怒号をあげる。父の言葉に従って空気を読んだ発言をしたというのに叱られてしまった三人は首をすくめたり、どういうこと? という表情を作ったがどういうことでもない。酔っ払いとはこういう訳の分からない生き物である。
「殿、相が耳を塞いでしまいましたよ」
「おおそうか、すまぬすまぬ、相、もう少し食べるか?」
そんな酔っ払いの膝上に置かれ大人しくしている相に、父が猫なで声で話しかける。最早前後不覚と言って良いくらいに酔っている父の言葉に、相がはいと小気味よく返事する。そうかそうかと、父がその頭を撫で、甘味を取り分ける。
発起人原田直子、養華院様全面協力の下、父上に極秘で準備が進められたお誕生日会。参加者は父と、その子供達・妻達のみ。
「甘い菓子が好きなのは父上に似ましたね」
「甘いものが嫌いな人間などおるまい」
俺が言うと、父が普段にない、ヘラヘラとした締まりのない表情で笑った。普段であれば酒も殆ど嗜まない父上をここまで骨抜きの酔っ払いとするのには中々の苦労があった。
料理は宣言通り母が主導して作った。柚子の器にユリ根を入れその上に豆腐を乗せて白味噌、練りゴマ、豆乳のタレをかけて窯で焼き、茹でた海老、三度豆、松葉を刺した銀杏を添えた何とも艶やかな料理を母がその手で作った時には皆驚いたものだ。色鮮やかで、いかにも目出度い。グラタンなる名のその料理を俺は試食させてもらったが何とも形容しがたく、旨かった。
ユリの花びらと円形にくりぬいた豆腐のすまし汁は菊花椀を元に作った物で、ユリの花は物によっては毒性があるものもあるので集めるのに苦労したと養華院様が仰っていた。
葛と甘ヅラを使った甘酢餡かけや甘辛いタレに漬けた唐揚げは一度父に食べさせたことがあるもので、出せば喜ぶと、皆で大量に作っていた。
津島港からも多くの海産物を用意し、贅を凝らした料理がその他いくつも並んだが、母が作った物の中で最も好評を博したのは意外にも以前全く好評を得なかったパンの料理であった。
母は、薄く加工した円形の鉄板で型を取り、両手で持てる程度の土俵のような形をしたパンを作った。そして、それを縦三段に切ってから隙間にはちみつ漬けにしたビワ・梅・柚子の果実をたっぷりと挟み込む。仕上げに塗られたのは卵と牛乳と砂糖とをかき混ぜて作った奇妙な白い泡だ。舐めてみると夢のように甘く、ふわりと口の中で消えた。男の俺ですら一瞬意識を奪われてしまう程であったのだから、女達からの人気たるやすさまじく、まだ若い妻達は自分の乳を使っても作れるか? などという中々に恐ろしい質問をしていた。
出来上がったものを切り分けると、三段に分かれたその隙間からは美しく果物の果肉が現れ、見た目もよく、口にしても旨い。わざわざ取り寄せた果物や砂糖など、高級品が多すぎてそう簡単には作れないその贅沢菓子を、母はケーキと呼んだ。
俺は俺で、弟達を呼び寄せ、相には今日はなるべく父の側にいてあげるようにと言い聞かせ、家臣達にはこのような訳であるので頃合いを見計らっておめでとうございますと言いに来て欲しいと頼み、そして、話がありますると言い父を呼び出した。
『お誕生日おめでとうござりまする』の号令を述べたのは養華院様。発起人の母にするとか、嫡男の勘九郎にするとか、いやどうせなら相に祝われた方が父も嬉しいだろうとか、色々な意見が出たが、最後は満場一致であった。
『貴様ら……』
と言ったきり固まってしまった父を見て、俺は成功を確信した。あれは怒っている顔ではない。どういう表情をすればいいのか分かっていない顔だ。すぐさま相をけしかけて手を引かせ、奥の席へと座らせた。その後、皆で一言一言声をかけた。俺が言ったのは、最近ようやく一武将としての心構えが身についてきた。それがどれだけ難しいのかということも理解が出来た。たった一人の将ですらこれほどの重荷であるのに、織田家を率いる父のご苦労は想像も出来ない。誠に尊敬するばかりである。というような話をした。
ともかく父を労う目的で、或いは父を褒め称える目的で言葉を考えてくるように皆には伝えてあった。それが良かったのか、全員の話が終った頃には父の顔は満面これ笑みであった。
大喜びした父は、母が松の葉を利用して作ったシュワシュワと泡立つ酒を飲んだ。先程も使われた甘い果実を入れ、酒を入れてから水で割る。甘く、飲みやすい酒の完成というわけだ。口の中で弾ける泡を炭酸と呼ぶらしい。水や果実で割っている分、酒の弱い父でもどんどんと飲めたのだろうが、幾ら薄くてもその分大量に飲めば十分酔える。結果がこのありさまだ。
「良いか貴様ら」
相の頭に顎を載せた威厳のない様子で父が言う。普段であれば正座の上背筋を伸ばして聞く我々兄弟も、この時ばかりは何ですか? と、料理を摘まむ箸を止めずに返事をした。
「俺は天下を獲るぞ」
父の言葉に、はいと頷く俺達。まず父は三介にお前はもう少し軍略というものを知れ。と叱った。続いて勘九郎には周りに遠慮するな、自由にやるのだ。というお小言。三七郎には何も言わずに頭を撫で、楽しそうに笑った。普段であれば話しかける順番や言葉に一々気を付け計算し尽くした言葉を述べる父なのだが、この場では見る影もない。
「帯刀、お前に一つ言っておきたいことがあるぞ」
「何なりと」
「俺よりも面白そうなことをするとは何事だ! 何かする時には一枚かませろといつも言っておろうが! 俺の事も混ぜろ!」
俺に対しては、お叱りというよりも、要望が伝えられた。




