第六十四話・何も変わらぬ者達へ(地図有)
長島の降伏を、父は受け入れた。長島に籠る者達を屋長島・中江へと移動させ、二つの城も降伏させる。降伏した後、証意と下間頼旦、そして僧は全員出頭し、斬首に処す。降伏した者達は全員奴隷として売る。この条件であっても、長島は呑む以外の選択肢はなかった。そして、その条件を呑ませて尚、父が長島を許すつもりはなかった。
降伏の使者が返ってすぐ、父は全軍の将に密かに指示を出した。長島の門徒達が城を出たならばこれを撃ち殺し根絶やしにせよ。
「殿」
父の前で平伏する信広義父上が、短く声をかけた。その声も目も澄んでおり、義父上の覚悟の程が見て取れた。
父は僅かに顎を引き、何だ? と問うた。冗談を言う雰囲気ではない。父と義父上とは普段であれば俺と勘九郎と同じかそれ以上に気心が知れており、笑いが絶えない間柄であるのだ。その二人の視線が僅かの間だけ、対決するかのように正面から交差する。
「某殿の御決定に不服を申し立てるつもりは毛頭なく、全て従う所存でありまする。故に、一度だけ、ただ一度だけ我が願いを聞いて頂きたく」
「申せ」
短い返答に、義父上が僅かに息を吐く。それからスッ、と短く鼻で空気を吸い上げて、さればと言った。
「長島の降伏を、御認めになってはいただけませんでしょうか?」
これまで、何人もの家臣が嘆願し、その度に叱責されてきた言葉であった。伊勢長島攻めのみならず、対本願寺や対延暦寺の方針において、義父上は常に父の味方であった。父の代わりに、助命嘆願をした家臣を叱責したことも一度や二度ではない。
「出来ぬ」
義父上が言うのだ、ただ可哀想だから、という理由では勿論なく、自身の立場が悪くなることも理解した上での言葉であることは父も重々承知であっただろう。だが、それでも父はそう答えた。義父上もまた、その一言を聞いて畏まりました、申し訳ございませんと言い頭を下げた。それに対しての父の返答も又、良い。と一言であった。
「なれば某、長島殲滅の最前線にて手柄を立てとうござりまする。この願いはお聞き入れ下さいましょうや」
降伏を許してやってくれと頼んだ人間が、次の瞬間には最前線を望む。そうやって割り切って行動することが出来るのが義父上であるし、それを理解しているのが父である。
「許す。大隅守、長島一向宗を全滅させ、その武名を高めよ」
大隅守、義父上が頂戴した官職だ。位階は正六位下に相当する。今の俺よりも低い官位となるが、正六位下とはかつて父が名乗っていた上総介と同格だ。一門衆として、重要な地位にあることは間違いない。敢えて今、その官職で呼んだという事は、たった今行った嘆願を何ら気にしていないという主張でもある。
大鳥居砦殲滅の後、篠橋城は降伏を許されず、長島本城へ逃げた。この時、篠橋城の者達は父に対して『長島城内で内応する』という約束をし、それを成し遂げたならば降伏を認めると言われた。そうして逃げ出した篠橋城の者達は結局何の動きもなさなかった。父はこれに対し怒りもせず、騙されたとも言わなかった。分かり切った事であったからだ。父の狙いは一人でも多く長島に人を押し込むことであった。兵糧が尽きるのを早め、一日でも早く長島が自潰に追い込まれるように。
連日、俺は伊賀忍達から連絡を受けた。長島城内は、残った二つの城は、これ程まで凄惨な状況となっている。ここまで追い詰められたのであれば最早逃げ出したとしても長島一向宗が織田家に牙を剥くことは無い。だから許してあげて欲しい。悲痛な願いであった。その嘆願に、俺は一度だけ応じることとした。
信広義父上に話をし、ただ一回だけ、攻撃中止、降伏の受け入れを願い出る。断られたら二度と言わない。そう話すと、義父上は義絶される可能性すらあるぞと言って来た。分かっている。同じことをして領地を召し上げられた家臣も、追放処分を食らった家臣も見てきている。
それでも一度だけ、二年間誼を深めた伊賀忍の為に動いてやりたいと伝えると、頷いた義父上は父に謁見を願い出、俺が伝えると言った。自分が領土を召し上げられたら恭や家族を頼むと、義父上はどこか達観した表情で言った。
「肝が冷えたな」
「誠に」
謁見はすぐに終わり、俺達は長島総攻撃の為準備をしに帰陣し、その道中話をした。
「織田家にとっても、長島にとっても不幸な死が続くな」
頷いた。確かに不幸だ。織田家の人間が、当主信長に親しい人間が一人死ぬ度、長島を殲滅するという父の意志は一層強固になってゆく。信興叔父上・信治叔父上・従兄弟の信澄に信直様、そして妹婿である佐治信方が今回の戦いで戦死した。
戦功に焦っていた信方は、逃げ出そうとする一向宗を追い、一人残らず殺そうとした。最早逃げられぬと見た一向宗は『死ぬのなら一人でも多く道連れにしてやる』と、正に玉と砕ける玉砕戦を行い、信方を殺した。後方からその様子を見ていた俺すら恐ろしくなる様子だった。銃で撃たれ、腕が吹っ飛んだ男が言葉になっていない怨嗟を振りまきながら前進し、既に動かない赤子を抱いた女が泣きながら体当たりをする。船上の戦いに逃げ場がないのはどちらも同じであることを、否応なく示された戦いだった。
最早あれは兵ではなく生きた屍だ。そう判断した俺は遠くからの一斉射撃で敵が誰も動かなくなるまで近づくなと厳命した。大将がおらず、恨みの塊になった一向宗は最後の一人が死ぬまで前進を止めなかった。
信方は自分が指揮をする船の上で死んでいた。周囲には十幾つかの一向宗の死体。致命傷となる傷がどれであったのかは分からなかった。兜は剥ぎ取られ、肩口には折れた鍬の先が突き刺さっていた。恐らく殴られたのだろうという打撲傷も多くあり、右手の小指と薬指が無かった。死体には折り重なるようにして死体が群がっており、信方が彼らを殺しながら彼らに捕り殺されたことが伺えた。血みどろの船上に横たわる信方の表情には、怒り以上に恐れが大きく浮かんでいた。華々しいとはとても言えない。惨たらしい戦死であった。
見たくもないものを見てしまった俺は、それでも亡き友を捨て置くわけにいかず、しがみ付いている死体を引き剥がし、埋葬する準備を始めた。
引き剥がそうとした一向宗の中にはまだ十歳程度の子供もいた。袈裟懸けに切り裂かれ、自分の血で出来た血だまりに伏す子供。哀れな、と思いその頬を撫でようとし、不自然な盛り上がりを口に見つけた。指で口をこじ開け、中を確認すると、小指と薬指が出て来た。
こんな物は誰にも見せず、清めてすぐにでも焼いてやりたいと思ったが、報せを受けた父はすぐにやって来て信方の遺体を確認した。父は怒り狂うでもなく、悲しむでもなく、ジッとその死体を見ていた。その視線が凍るように冷たくなってゆく様子を見て、俺は一人怯えた。
狂っていた、何もかも、敵も味方も、俺もだ。
「結局、殿が誰よりも織田家の人間であるという事だ」
義父上がそう呟く。どういう事かと聞くと、優しすぎ、強すぎると答えられた。
「弟達の死に対しても、家臣の死に対しても、誰よりも傷ついてしまい、誰よりも悲しんでしまう。普通であれば、優しすぎる者とは己の優しさに耐えられず心が折れるものだが、殿は傷つくことにも悲しむことにも耐え、それを怒りや憎しみに替えてゆく。優しいだけなら怒りに耐えられぬ。強いだけなら怒りを乗り越えられる。だが、殿は怒りを腹のうちにため込みながら乗り越えるということが出来ない。故に、このような凄惨な結果を産む」
まだ起こった訳でもないことを、義父上は『結果を産む』と既に終わったことのように表現した。実際、凄惨になるだろうと俺も思うが。
「この国の坊主達は、自分達は常に裁く側で、自分達が断罪されるなどと思っておりませんでした。目を覚まさせ教えというものに立ち返らせるには良い機会と思います」
「そうかもしれんな。だが俺は坊主達が教えをどう捉えるか、などということはどうでも良い。ただただ、弟が心配なだけだ」
俺が知る限り、義父上が父の事を弟と言ったのはその時が初めてだった。少し驚いて義父上の顔を見ると、普段以上に陰のある、女子にモテそうな渋い表情を僅かに歪ませた。
「かつて俺は殿に負け、死ぬと思った。その時は、運が悪いと考えた。何か一つ俺に味方するものがあれば俺が尾張の棟梁であったと嘆いた。だが、謀反したことを不問とし、俺を名代に置いた殿を見て、ああ俺は負けたのだなと思った。先程言ったように、殿は強い。桁違いにな。だからこそ庶兄を己の代わりとして扱うだけの度量がある」
そうですねと頷き、そうしながら父にはこの人が必要なのだなと思った。
「俺が死んだらこの役は帯刀に譲る。頼むぞ息子」
「縁起でもない。言葉には言霊が宿るものです、己の死後について話などしないで下さい」
「何も今日明日の話ではない。後十年すれば俺達は隠居し、二十年すれば死ぬだろう。そうなった時に、俺と同じような事を弟達にしてやれと言っているのだ」
「そういうことでしたら」
その日は織田の攻撃もなく、そして長島からの反撃もなかった。
長島落城の日の朝、織田軍は全軍を前進させ、包囲を狭めた。北、竹橋城からの前衛には権六殿が詰め、その先鋒に先の戦いで松ノ木砦一番乗りを果たした蒲生氏郷が立った。妹相との婚約が既になされており、俺にとって義弟でもある父お気に入りの若武者。彼の活躍は長島攻めにおいて父の心を慰めた数少ない慶事であった。
東側には、篠橋城よりも更に長島に近い押付まで軍が前進、先方には丹羽殿や小一郎殿がおり、最前線には森家当主長可の姿があった。
北と東は狭く浅いものの川が流れており、織田軍は密かに小型の早舟、即ち小早を用意し、鉄砲隊、弓隊も配置した。西は半里程度ではあるが陸地が続き、そこから更に西へと川を渡ることで屋長島・中江へと脱出することが出来る。その水域には三介が率い彦右衛門殿が指揮する水軍が遡上し、取り囲んで討ち取るという手はずになっている。
俺と義父上は、長島城がある島の南西の端に布陣した。ここは長島城と陸続きになっており、長島城を脱出し、屋長島・中江に逃げようとする者達を左側面から攻撃することが出来る。
四月三十日朝、長島城から続々と老若男女が姿を現した。この時、長島城に籠っていた人間は二万弱だったという。だが、長島城から出て来られるだけの体力を持っていたのは一万六千、約八割程度。その全員が乗れるだけの船はなく、先頭の千から二千程度が船に乗ったのとほぼ同時に、攻撃は開始された。
始まりましたな。そうだな。という会話はしなかった。長島城の東側から銃声が聞こえ、そして間もなく悲鳴があちこちから轟いた。父が攻撃命令を下したのであろう。ほとんど同時に上空にのろしが上がった。虐殺が行われる日には不釣り合いな、余りにも晴れた空に映るのろしは、敵にも味方にも、これから何が起こるのかを正確に伝えた。
北と東、銃声が轟き西は織田軍の船が一向宗の小舟を蹴散らす様子が見えた。一向宗はむしろ唖然とし、今起こっていることが信じられないという表情だ。
炎が上がった、長島城からだ。元から火を点ける予定ではあったが思っていたよりも早い。鉄砲で火が点いてしまい、乾いた空気が延焼を早めてしまったのかもしれない。
「逃がすなよ、放て!」
義父上が率いる我が隊は、決められていた通り敵の側面から狙撃を繰り返す。義父上の鉄砲隊を前に、その後ろに弩兵隊が立ち、代わるがわる攻撃を繰り返す。鉄砲隊であれば間や前に味方がいると攻撃できないが、弩兵であれば後方からでも攻撃が出来る。これは一つ発見であるかもしれないと考えながら、俺達は淡々と攻撃を繰り返した。
一方的な虐殺が続き、一向宗一万六千全員が自分達は騙されたのだと理解した時、それは起こった。
「船に乗った一向宗が、伊勢守様の軍船に攻撃を仕掛けております!」
「北方竹橋城へと一向宗が反攻を開始! 神戸・柴田両軍はこれを迎え撃つ構え!」
「殿の本隊に一向宗が反転! 浅瀬を超え、乱戦になりつつあり!」
信方が殺された時と同じだ。全ての望みを絶たれた亡者の群が、一人でも多い道連れを、生贄を求めて走り出した。
「義父上、まともに戦う必要はありません」
言いながら、俺は陣を纏め引き上げようとした。間もなくこちらにも一向宗が大挙して押し寄せるだろう。船に乗って距離を取り、遠くから攻撃すればやがて全滅する。直接切り結ぶのはこちらの矢玉が全て尽きてからで良い。
「殿!」
景連が走り寄って来た。敵がこちらに向かって来るかと思い、直ちに撤退をと言いかけた時、予想外の言葉がもたらされた。
「敵の伏兵あり! 裸に抜身の刀や槍などを持ち、駆けて参ります!」
瞠目し、報告のあった方を見た。確かに、背の高い草によって奥が見えていなかった場所から男達が這い出してきている。その数は八百から一千。それに引きずられるようにして押し寄せてくる一向宗は少なく見て二千。
「撤退する時間はないな」
義父上が言った。今から船を寄せて待っていたら、その間に後ろから押しつぶされてしまう。頷き、槍を手に取った。前線の者達は既に戦闘を始めている。
「敵がわざわざ殺されに来よったわ! 者ども! 武功の立て時は今ぞ! 見事敵を倒し長島戦功第一とならん!」
可能な限りでかい声でそう叫んだ。狼狽えかけていた味方がおうと頷き、戦意を取り戻す。義父上は馬に乗り、その雄姿が周囲に見えるよう腕を振り上げていた。
「義父上、この場にて最も死んではならぬお方は義父上です。その場から動かず、帯刀討ち死にの報が流れたならその時には撤退して下さい」
言ってから、前線へと向かった。大将が奥に陣取り、その息子が前で戦う。味方の士気は上がる筈だ。匹夫の勇ではない。そうして味方の戦意を高めることが、結果として全軍を、自分を生かすことに繋がる。
「貴様も死んではならぬぞ!」
後ろから声をかけられ、頷いた。分かっている。この場で二番目に死んではならない人間は俺だ。死ぬつもりなど毛頭ない。あくまで生きる為に戦う。
前線は既に崩壊しかけていた。無理もない、生きることを前提としていない兵の恐ろしさは俺も目の当たりにした。戦って、勝つ。勝って、何かを得る。そんな当たり前のことを捨てている人間を目の前にするのはとにかく不気味で、恐ろしいのだ。
それでも何とか踏み止まろうと耐えている兵達の一歩前に出、俺は正面の男に槍を一突きし、その胸を刺し貫いた。
「引くな! 仏の加護とやらはこやつらを不死身の身体にすることは無い! 腹が減って逃げ出そうとしたただの農民である! 我らがまともに戦って負けるはずがないのだ!」
胸を貫かれた男は大量の喀血をしながらも俺の槍を両手で掴み、動きを封じようとした。俺はその男を押し込み、押した勢いで槍を手放し、刀を抜く。男は仰向けに倒れ、その左右から近づいて来る男達が鍬を上段に構えた。
向かって左側の男、振り上げた鍬が振り下ろされるよりも先に切っ先でその腹を切り裂いた。振った勢いで右前に一歩進み、もう一人の男の喉仏を突く。先程のように貫くのではなく、切っ先の二寸ほどを刺し、すぐに引いた。
「殿に後れを取るな! 続け!」
真後ろから古左の怒号が聞こえた。前進した勢いを殺さず、更に前へ。竹を削って作った槍を持つ老人がいた。歯は殆どない。落ち窪んだ目元の奥、眼球だけがギラギラと輝いている。
“お前は誰を殺された?”
問いかけながら、俺は老人の横をすり抜け、すり抜け様に首筋を切り裂いた。攻撃を受け止め、身体を止めてしまえば次の敵に取りつかれ、殺される。とにかく動くことだ。
“憎いか? 許せないか?”
次は幼さの残る、俺よりも年下の男だった。錆びかけた刀を布で手に巻き付け、離さないようにしている。振り下ろした刀を後ろに跳んでかわし、横に一閃すると糸が切れたように倒れた。
“俺達も同じだ”
背の高い、瓜のような顔をした男が厚みのある刀を大きく振り上げていた。俺はその男の懐に跳び込み、そのまま心の臓を貫く。左手で、男が手に持っていた刀を掴み、身を放しながら奪い取った。
“本当は、どこかで分かり合えた筈なんだ”
長い槍の切っ先を、俺に向けて構えている男がいる。その男に、奪い取ったばかりの刀を投擲する。左の鎖骨辺りにそれを食らった男は、カヒュッ、と、かすれた声と共に、膝から崩れ落ちた。
“仏でも教えでもなく、こうなったのは俺達全員のせいだ”
脇差を抜き、裸で俺に取りつこうとする男を切り伏せる。同じように俺の動きを止めようとする男が三人。前に出ることでかわし、刀を一閃、二閃、三閃。一太刀につき一人ずつ斬り、早くも血糊で切れ味を落とした脇差を拭う。
“許してくれとは言わない。呪ってくれ”
血の涙を流す、全身傷だらけの男が刀を振り下ろした。真横に飛んでかわす、反撃は出来なかったが、男はその一撃を地面に叩きつけるのと同時に前のめりに倒れ、動かなくなった。
“殺し合いの螺旋の果てに、誰も殺されずに済む時代があるというのなら、俺達は必ずそこまで辿り着いてみせる。だから”
「せめてもう、目を瞑れ」
翌五月一日、残る屋長島・中江両城が炎上し、長きに渡った長島の戦いは、一向宗の全滅という結果で決着を見た。
地図と文章とに少々の矛盾があることに気が付かれた方もいると思います。
現在の長島の地形と、当時の長島の地形が異なっており、
かつ当時の古地図も極めて分かり辛いものであることが原因です。
(あと筆者の力不足)
ご了承ください。




