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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第六十三話・長島攻撃

元亀四年一月二十三日、父信長は美濃の居城岐阜城から尾張国津島へと移動し、都合三度目の長島攻めの為大動員令を発した。織田領の全域から集結した兵の数は八万余。畿内の政務の為残された十兵衛殿や村井の親父殿、伊賀・大和方面の抑えに回された羽柴殿や弾正少弼殿など、一部の例外を除き二月の頭には陣容が固まり陸路三カ所、そして海からも長島への侵攻作戦が開始された。おおよその陣容は以下の通りだ。



市江口

大将は織田家嫡男織田勘九郎信重。三十郎信包・彦七郎秀成・又十郎長利と、父は三名の弟を勘九郎に付けた。更に織田市之助信成・三郎四郎信昌の二名といった父の従兄弟や父の叔父である織田孫十郎信次なども加え一門衆を中心とした軍を作った。森家からは隠居した可成殿と、家督を継いだ長可が参戦し、池田恒興殿や和田定利殿など、織田家に忠義の篤い者らが加わる。



賀鳥口

神戸三七郎信孝を大将とし、信糺の弟である新八郎信兼が側近に付いた。そして、副将であり実質的な総責任者に柴田権六勝家殿が据えられた。重臣の佐久間信盛殿や稲葉良通殿・稲葉貞通殿の親子に蜂屋頼隆殿、織田家と徳川家の中継ぎ役を担う水野信元殿も一部徳川家の援軍を加えてここに参戦している。



早尾口

総大将である父織田弾正忠信長に、信広義父上が従った。羽柴家からは小一郎殿。次席家老の丹羽長秀殿や、長島攻めにて当主を討たれた氏家・安藤両家からは跡目を継いだ氏家直通殿・安藤定治殿が参戦。同じく美濃から不破光治殿・勝光殿親子。浅井政貞・飯沼長継・丸毛長照・丸毛兼利・中条家忠・河尻秀隆・飯尾尚清・市橋長利といった面々はいずれも父の近習上がりであるか、美濃斎藤攻め以降に父に降った者らだ。であるので、その名前の中には赤母衣衆筆頭前田又左衛門利家の名前もあり、黒母衣衆筆頭佐々内蔵助成政の名前もある。信用出来る腹心と、腹の内が分からない者達とを、取り敢えず自分の傍に入れたという印象を受ける。



水軍

北畠三介具豊を大将とし、主力に九鬼嘉隆殿が率いる九鬼水軍。そして佐治信方率いる佐治水軍が務める。彦右衛門殿もこれに加わり、親父殿と共に内政担当をすることが多い島田秀満殿の姿も見えた。津田角兵衛信糺は三介の側仕えだ。村井帯刀重勝、即ち俺も、身内として三介を支えろという事である。


ざっくりとではあるが、このような陣容で織田家は長島を攻撃、いや、殲滅することとなった。


戦端が開かれたのは二月十四日。西側から攻める賀鳥口の部隊が松之木の対岸の守備を固めていた一揆勢を攻撃しその日のうちに香取砦を落城せしめる。長島北西側沿岸の一揆勢は屋長島・中江・大鳥居の三つの砦に逃げ込む。同日中に早尾口の織田本隊も、信興叔父上が自刃して果てた小木江砦へと向かい一揆勢を蹴散らし、長島北岸を占拠する。小木江の南にある篠橋砦攻略を命じられたのは小一郎殿。ここで、同日において最大の戦いが起こる。両砦の間に跨る水域にて織田軍を一揆勢が迎え討とうとしたのだ。水戦であるのならば優勢と見た一揆勢の目論見はしかし、後詰として直ちに反撃に転じた丹羽長秀殿によって即座に崩される。勝利した織田軍は前ヶ須・海老江島・鯏浦島といった長島と尾張の間にある中洲の砦を全て占拠し、焼き払った。長島東岸の尾張側に孤立する形となった荷之上城は後詰である勘九郎の部隊二万に攻め立てられ、城兵悉く切り捨てとされた。更に、長島南東部に同じく孤立した加路戸をも焼き払って父は包囲を開始した当日には既に五明へと前進しここに野営した。五明も又、海老江島などと同じ中州にある島であり、西側にあるのは篠橋砦である。そして篠橋砦の更に西側には長島がある。


たった一日の戦いで沿岸部の砦をあらかた落とされた長島一向宗はここへ来て漸く『自分達が皆殺しにされる可能性』について気が付いたらしく、権六殿に攻められている大鳥居城、長秀殿に攻められている篠橋城の一向宗は降伏を願い出た。停戦でも和議でもなく、命ばかりは助けて欲しいという降伏の嘆願。嘆願したのは十一歳の嫡男顕忍を織田家に殺されている願証寺四世証意。織田家に対しての憎しみは骨髄に達し、腸は煮えくり返るを通り越して焦げ付いていることだろう。だが、それでも未だ五万以上が籠る長島一向宗の命を救う為、自分の命と引き換えに長島の降伏を許してくれと土下座した。


精魂尽き果て、げっそりと痩せた様子で、それでも背筋をしゃんと伸ばし降伏の嘆願を行ったという証意。だが、父はこれすら許さず長島一向宗を皆殺しにするという意思を伝えた。最早是非もなし。最後通告はとうに終わっているというのが父の変わらぬ結論だ。


長島勢にとってはこれから地獄が続くと言われたのも同然だが、織田家の家臣達もこの下知には表情を引き攣らせた。長島一向宗皆殺しについて慄いたというだけではない。父の言葉や態度を見聞きして、もし甘い対応をすれば自分達すら処罰の対象になりかねないと理解したのだ。俺が父の言葉を伝え聞いたのは三介や彦右衛門殿と同時にであったが、身内である三介は気合の入った表情をし、能力を買われ出世を果たした彦右衛門殿は寧ろ追い詰められた表情をしていた。身内でもあり、家臣でもある俺はどちらの気持ちもよく分かった。


翌日、二月十五日には願証寺と、長島北岸にある松ノ木砦・竹橋砦が陥落。同日に三介が率いる織田水軍が到着し、俺達は直ちに長島城の南、大島砦を攻撃し即日のうちに焼き払った。


これで長島一向宗が立て籠る砦は本城である長島と、その東の島にある篠橋砦、長島北西の沿岸にある大鳥居砦・屋長島城・中江城の五つのみとなった。篠橋と長島は完全に包囲されて孤立し、沿岸の砦も陸と海とから挟撃され連絡の取りようもなくなり、ここから半月の間籠城戦が続いた。



「三介も三七郎もよくやっているな」

三月一日の昼、俺は父に呼び出され五明の野営陣にいた。


「勘九郎はよくやれていないので?」

機嫌良さげな父に聞くと、そうではないわたわけ。と、笑って叱責された。


「顕如からまた手紙が来た。性懲りもなく仏罰がどうこうと喚いておる」


長島陥落を目前に控え、顕如は停戦の呼びかけを朝廷・幕府・諸勢力に繰り返し要請した。白河・鳥羽・後白河・後鳥羽の上皇院政の時代から強訴や焼き討ちといった寺社勢力の横柄さに辟易していた朝廷はこれを黙殺。幕府、即ち公方様は要請を一顧だにせず笑い飛ばし、逆に顕如の言う停戦など言葉ばかりで何の誠意もないと諸勢力に手紙を飛ばした。顕如や本願寺はこれに怒り、足利義昭は手紙公方だと揶揄するようになったが、これに対して公方様は本願寺顕如は手紙法主だと、全く同じ揶揄を返して周囲の笑いを取った。


諸勢力の中で浅井と上杉は顕如に対して特に厳しかった。何しろ両国共に今丁度浄土真宗から手痛い反撃を受けているのだ。越前と越中。共に実入りが良い筈の一国を得たと思ったところで、国内の一向宗の反抗が収まらず、加賀からは定期的に戦闘を仕掛けられ、これを治めるのに今しばらくの時がかかると見られている。


かつて三河一向一揆に苦しめられた徳川殿は分かり易かった。家臣達に一向宗禁令を出し、顕如に対して、本願寺に対しての態度を改めて鮮明にしたのだ。


やや本願寺寄りの態度であったのが毛利と武田だが、毛利は元就公亡き後の家中の取り纏めをようやく終えたところで、大坂ならまだしも長島に出せる兵などない。武田家も上杉との争いを止め上野に兵を差し向けたところで他に関わっている暇などない。


「貴様もよくやっているではないか」

顕如から来た織田家非難の手紙を俺が読み終えると、父が珍しく、素直に褒めて来た。父が俺を褒めることは、少ないとは言わないが大抵憎まれ口と共にだ。


「思っていたよりも戦果が上がりました」

「鉄砲に威力で劣るが、射程はほぼ変わらず何より安い。弓兵は駆逐されてゆくばかりだが、貴様のお陰で命脈が尽きずに済むかもしれぬな」

「だと宜しいのですが」


二年間の研究で、俺が率いる部隊は森や山などの悪路、船の上や室内など狭い場所での戦闘に特化し専門的な強さを身に着けた。そして、それともう一つ、兼ねてより改良を重ねていた弩兵の配備が完了し、今回の戦で実践投入した。


弩は弓と違い、腕で引くものではない。足で踏んで固定し、背筋を使って引き上げる。そうして固定した矢を装填したまま移動することが出来るので、あらかじめ準備をしておけば一射目は時間をかけずに射ることが出来る。腕の力だけで引くわけではないので、非力な者でも威力のある矢を放つことが出来、そして同じ物を作れば誰が発射しても射程距離が同じである為、命中率が高い。


此度の戦で、父は大型化させた船を九鬼水軍に率いさせ、大砲や鉄砲で大いに長島の戦意を挫いた。その発想や戦術眼は織田信長の名を更に高め、その部隊を率いて戦った北畠具豊の武名はほんの少し回復した。その陰に隠れ、特に注目されることは無かったが俺も又、新しい弓兵、弩兵隊を指揮し少々の経験を積んだという事だ。


「伊賀衆はどうだ?」

「相変わらずですが、内部でもかなり揺れている様子が分かります」


質問に答えながら、俺は十通余りの手紙を父に見せた。それらは、伊賀の棟梁達が俺に宛てた手紙であり、父が読むことを期待して書かれた手紙である。殆どは、長島一向宗の皆殺しだけは許して欲しいという内容だ。そしてそのうちの半分には願いを聞いて貰えれば当家は織田家に降ると添えられている。


長島が追い詰められれば伊賀も追い詰められることは自明だ。南大和は熊野三山や高野山らの勢力によって奪われたが今もって京都近郊の北大和は盤石である。伊勢は伊賀を東と南から囲んでいる。北側には南近江があり、即ち伊賀は既に織田勢力に取り囲まれているのだ。徹底抗戦か完全に服従するかしかない。


「一向宗もそうだが、どいつもこいつも時勢が読めておらん。大勢が決してから俺に媚びてどうしようというのだ。一年前にこれらの手紙が届いておれば、考えもしたが」

何通かの手紙はそのまま火にくべ、何通かは脇に置く。そして、一通だけは手に持って考えた。


「百地丹波か、貴様がこの二年筆まめに勧誘している男であるな。信用出来るのか?」

「今はまだ信用には値しません。その報せが本当であったならば、多少は信頼もしましょう」

「執心である割に厳しい事を言うではないか」

「有能な者であるからこそ、敵に回れば恐ろしく裏切られれば手の打ちようがありません。判断は厳しくしなければ」


道理だ、と、父は笑った。暫くケッケッケと甲高い父の声が尾を引き、そして父は手紙を側に控えていた又左殿に渡し、読めと言った。


「大鳥居砦の者達が?」


手紙の内容は、明日二日夜半に大鳥居砦の一向宗が密かに砦を抜け出し、伊勢に逃げるという内容だった。屋長島や中江に戦力を集め、最後の決戦を行うという事ではない。ただただ逃げるという話だ。


「兵糧が限界に来たという事だろう。降伏を願い出る者も、いまだにいるからな」


長島の砦が五つまで絞られた時、父はそれ以上の無理攻めをしなかった。半月前にはまだ戦力となり得る若い男達が万単位で存在していたのだ。だが、父は長島の兵糧が尽きかけていることも知っていた。最も少なきは大鳥居城。長島ももってあと三月だろう。


「殿、どうなさいますので?」

「勿論追い打ちをかける」

「罠であったら?」

「その時は引けばよい。そうなったら百地丹波のみならず伊賀五十三家の者ら全員に長島の次は貴様らだと手紙を渡す。却って次の戦がやり易くなるではないか」


父がニヤリと笑って言う。又左殿はそれに応じて頷く。宗教も信念も、父の為ならば全てを超えて槍働きをする又左殿である。敵を皆殺しにする戦に怖じることは無いだろう。


「誠である可能性、罠である可能性、どちらも考えた上で準備致します」

父が追い打ちをかけると言ったのだから追い打ちは必ず行われる。そうなれば当然水軍衆の出番となる。立ち上がって、暇を乞うと一声かけられた。


「信方に手柄を立てさせてやれ。九鬼水軍に後れを取っていることを気にしている」

頷いた。確かに、此度の戦織田水軍の中で最も名が聞こえるのは九鬼水軍だ。それを見て仕方がないと思える気性の信方ではないだろう。


 帰陣し、翌二日深夜に戦いになることを三介と彦右衛門殿、そして信方に伝えた。水軍の俺達は船で城を逃げ出そうとする者に注意を凝らし、城を見張る。月がなく、隠密行動をするのには都合の良い日だった。



 「動きがありましたな」

 丑三つ時、暗闇の中、見えもしない大鳥居砦を眺めていると彦右衛門殿が言った。俺には何がどう動いたのか全く分からなかった。


 「恐らく、扉を開かず縄を下ろして外に出ようとしている者達がおります。同時に、小舟で大鳥居砦を出、逃げ出そうとする者もおります。我らは逃げる船に追いすがりこれを沈めましょう。こちらの船の方が大きく重い。ぶつかって横転させれば自然と凍死しましょう」


 普段は朗らかな彦右衛門殿も、些か表情が硬い。出てくる人数はどれくらいかと聞いた。そこまでは分からないという答え。大鳥居砦の兵は二千余りだった筈だ。全員が逃げ出し、うち半分がこちらに来るとして一千。


 相変わらず、何も見えはしなかったが、近づいてきているという彦右衛門殿の言葉を信じ、俺は弩を一丁構え、待機した。切り結ぶようなことはしない。俺は指揮官であるから。


 「始まった」


 戦闘開始の瞬間は俺にも分った。陸地から悲鳴と怒号が聞こえて来たからだ。誰かが叫んだ『一人も逃がすな』という声が印象的だった。


 「火を掲げろ! 敵船を通すな!」

 彦右衛門殿がそう叫び、こちらでも戦闘が始まった。すぐに夥しい数の松明が掲げられ、暗闇に慣れていた目を数秒顰める。その後に見た光景は、俺の息を呑ませるのに十分だった。


 「これが……敵軍か」

 川の流れに乗って下って来る船の多くは畳二畳程度の小舟。それに乗る者達は過半数が女子供老人。歩くことも難しい者達が船に乗ったのか、犇めくように身を寄せ合っている。


 「……放て! 一人も逃がすな!」

 二呼吸程躊躇った後、俺は叫んだ。既に彦右衛門殿も同様の指示を飛ばしている。二呼吸分躊躇ってしまう事が、俺と彦右衛門殿の差だろう。


 「近寄らせるな! 押し返せ! 船を沈めよ!」


 言いながら、弩を放つ。一矢放ち、二矢めを装填しそれも放ったら、後は完全に兵の指揮だけに終始した。味方に被害などなく、戦いではなく一方的な虐殺が続く。泣く赤子の声、女の悲鳴が聞こえた時には辛かったが、それが聞こえなくなった時にはもっと辛かった。


 夜明け前までの戦いで、織田軍は一方的に長島一向宗を殲滅した。大鳥居砦からの脱出を図ろうとした者は千名程、彼らはほぼ全員が殺され、そして夜明け前に放たれた火矢や鉄砲により、大鳥居砦は炎上し、砦に籠っていた者達もその悉くが死亡した。


 それから十日後には篠橋城の者達が長島へと逃げ、残る砦は三つとなる。そして更に時が流れた四月の二十九日、長島城本城から降伏嘆願の使者が来た。


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