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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第六十二話・長島攻め前夜

「殿」

「どうした?」


狙撃され、右肩の肉を少々持っていかれてから二日後の朝、俺は朝から馬肉を食っていた。食っているのは二日前、その身に二発の弾丸を喰らうことで俺の事を守ってくれた馬だ。その日のうちに介錯して血抜きを済ませ、肉とした。弾丸、つまり鉛玉は毒となり得るので撃たれた馬の肉は食える部分がかなり少なくなってしまう。尾は筆に、皮は衣類に、そして肉は食用にして全て使い切ることが信条である俺としては断腸の思いであるがかなり多くの部分の肉を捨てざるを得なかった。今食べているのは可食に耐えられる背身の部分だ。脂がのっていてとても旨い。これを鉄板の上で焼き、たれをつけて食う。本当は生で、卵と醤油にあえてえごま油や細かく刻んだ瓜などと共に食べるのが堪らなく旨いのだけれど、今回は控えた。普段よりもよく焼いて食べることにしよう。


「三介様がお見えです」

「三介が? 何故だ?」


この場には身内しかいないので三介に敬称を付けず聞いた。聞かれた景連は自分の右肩を指でトントンと叩いた。


「お加減を見舞いに来られたのかと。信糺様もご一緒でございます」

「そうか、通してやれ」

言うと、景連はハッ、と短い返事をした後去って行った。


「ハル、鮎と、汁物、それと何か腹に溜まるものはないか?」

俺の湯のみに黙って湯を注いでくれていた側室、ハルに声をかけると、ハルは垂れ目の瞼を少し細め、思案した。


「おやきにでもしては如何です?」

俺の目の前には囲炉裏があり、その上には馬の肉を焼く鉄板が提げられている。そうだなと答え、頼んだ。


「すぐに用意いたしますからね、その間に、タテ様は座布団を持って来て下さいな」


立ち上がりながら、俺の事も立たせるハル。おう。と返事をしながら座布団はどこにあったかなと悩む。そば殻を入れたり羽毛を入れたり色々と工夫しながら良い物を作っては時々家臣家に配ったり売ったりしているのだが。


「棚の下にありますよ」

悩んでいると後ろから声をかけられた。そうだ棚の下だと急いで座布団を出す。ハルも俺の隣に座らせるので人数は最低四人。一応その倍を出した。


この二年、俺は伊勢と古渡を行ったり来たりする生活を繰り返し、京都に行くことはほぼなくなった。当初俺が京都へ行く理由の大部分は『公方様ならびに幕臣の懐柔』であったのだが、その仕事は弾正少弼殿に受け継がれ、見事に結果が出ている。俺の必要性が薄まったところに、伊賀攻めにおいて俺がそれなりの働きを示したことで方針転換が成された。


お役御免となった訳でも左遷されたわけでもないので俺に不満はなかったが、俺が京都に行かないことで不満を持った女が一人いた、それが我が養父村井貞勝の娘であり、側室のハルだ。ハルは、古渡城には恭姫様がおられるが、伊勢において面倒を見る人間がいないので自分に行かせて欲しいと恭や母上に手紙を出した。恭は変な女に引っかかるより余程良いとこれを承諾し、こうしてハルはいつ戦いになるのか分からない伊勢伊賀の前線へと僅かな女中達と共にやって来た。


『口の上手いタテ様が女を誑かして泣かさないように見ておいて下さいと言われましたよ』

伊勢へやって来たハルは開口一番にそう言った。別に俺は口を使って女を口説いたりした経験はないのだが、男なら、それも遥か年上のオヤジを口説いたことは何度かある。首尾よく織田家に降ってくれた相手もあり、失敗したこともあり。


座布団を並べ終え、馬肉を焼く。良い匂いだ。みそだれの壺に漬けておくのも旨いが、こうしてただ焼いて、それに僅かな塩や醤油、或いはわさびなどをかけて食うのも旨い。


「鮎ですよ」

パタパタとせわしなく動くハルが、串と鮎を木皿に載せて持ってきた。塩を振り、串に刺して、それから囲炉裏端に。じっくりと弱火で焼けるよう少々手前に置いた。


「こちらも宜しくお願いします」

続けて、もち米を潰し平べったく伸ばした餅が持ってこられた。刷毛を使って両面に薄く醤油を塗り、鉄板の上に、すぐに香ばしい匂いが周囲に漂った。


「タテ様」

「どうした?」

「アラで出汁を取った美味しいお味噌汁があるのですけれど」

言いながら、ハルが困ったように眉を顰めさせた。困り眉だ。


「良いじゃないか。問題があるのか?」

「出汁は取れたのですけど、具がないのです」

「なら、鉄板で野菜を焼いてそれを加えよう。形の悪い小さな椎茸があっただろう。あれと、細く切った葱を焼いて、あとは豆腐でも加えれば形になる」


提案すると、まあ、と言いながら破顔するハル。ポンと手を打ち、そうしますわと言いながら駆け出して行った。相変わらず表情豊かだ。


「殿」

「来られたか?」


そうやって準備をしている間に、外から声がかけられた。景連の声だ。お前も一緒に食うかと聞くと、恐れ多いこと故。と言われ遠慮された。話はとりあえず飯を食いながら。というのは父上がよくすることであって俺達兄弟は気にしないのだが。


帯刀(たてわき)!」

それからすぐ、部屋に駆け込むような勢いで入って来た弟、三介具豊が俺の顔を見て笑った。

「ほら、大丈夫でしたでしょう?」


後ろに続く我らが従兄弟、信糺が言う。三介と同じ年で幼い頃からよく遊んでいた。津田姓を名乗る織田家の一門衆だ。


「心配してやって来たのに、随分旨そうな匂いがするじゃないか」

俺の右肩にはまだ包帯が巻かれており、朝晩二回軟膏を塗って経過を見ている。怪我をしたら血肉を補給するのが良いのだ。という分かるようでわからないような理屈でもって今こうして肉を食べている次第。


「心配させたか、悪かったな」

二人を手招きし、座らせた。食っていくだろう、などとは言わず菜箸で焼けた肉を摘まんだ。椎茸と、切った葱を持って戻って来たハルが二人の手に皿を持たせる。その皿に焼いた肉を載せた。


「違う肉もあるか?」

「ありますよ」


一人で食うのなら、或いはハルと食うのなら肉も一種類で構わなかったが、客が来たのだからと思い違うものも頼んだ。ハルが再び小走りで部屋を出てゆく。


「北畠具房討伐はどうだった?」

「と言われてもな。連絡はしたぞ」

「兄君が怪我をしたと聞いていても立ってもいられなかったようでしてな」


今回、俺の手柄はそのまま三介の手柄となる。襲撃を受けたものの、それを見事撃退したのは俺ではなく、北畠家の当主具豊だ。武家の人間としては致命的な程に武名が落ちてしまった三介をどうにかしてやれないかと父が言い出し、伊賀忍からの報せを受けて俺が動いた。


「なあ、やっぱり帯刀がやったことだと言った方が良いんじゃないのか?」

「馬鹿を言え。それじゃあ俺が身を削って働いた甲斐がなくなるだろうが」

文字通り、弾丸で身を削られてまで頑張ったのだ。


「三介様は兄君の手柄を奪ってしまう事が嫌なのですよ」

隣で話を聞く信糺が言う。俺は鮎の向きを変え、肉に塩を振りかけて口に入れた。矢張り背身は脂が乗っている。塩でサッパリさせて食べるのが旨い。


「そういうところが、お前の良いところだとは思うがなあ」


だが、大局を見られていないところが軍才のなさでもある。大将が無能だと思われてしまえば戦わずして軍は崩れるのだ。今織田家は攻勢に出ている。だから伊勢も上手くいっているが。三介の評価が今のままでは仮に織田家が劣勢に立たされた時、伊勢から崩れかねない。北伊勢四十八家もそうだが、伊勢の国人衆は力を奪われはしたものの霞となって消えたわけではないのだ。名もなき農民となって雌伏の時を迎えている連中が、何のきっかけで再び動き出すのか分かったものではない。


「今回俺がしたことを父上もご存知である。直接褒美を頂戴出来はしないだろうが、武功としては認められている筈だ。全く俺に手柄がないわけではない」

「そうか、まあそれなら良いんだが」


又肉が焼けた、摘み上げて、二人の皿に載せる。食えと催促すると、ようやく二人が肉を口に入れた。


「旨いな」

「そうだろう? 俺の代わりに銃で撃たれて死んでくれた馬だ。供養の為に旨く食ってやらんと」

「ほほう、それは大功ある馬ですな、家族にはしっかり報いて差し上げなければ」


信糺の冗談に俺達は笑った。信糺は物心ついた時にはもう父親が謀反を起こし殺されたと知っていた。父はああいう人物であるから後から何か言うことは無かったが、肩身の狭い思いはしただろう。それでも三人兄弟であったから同じ境遇、同じ苦労をしている者が二人いたのだ。その内の一人、信澄も今はもういない。苦労人であるだけに周囲の空気を読むことに長けている。


「次は伊勢長島だ。三介、お前は志摩の九鬼水軍を率いる大将の一人なのだから、ここで手柄を立てろよ」


馬肉から出た油の上におやきを載せ、醤油を少し足す。更に馬肉を鉄板に載せ、ハルの分を少し取り分けた。椎茸と葱も、良い具合にしんなりとしてきた。


「どうすりゃあ、勝てるのかなあ」


箸を口で咥え、三介が呟く。情けない表情の見本のような顔だった。前年の負けが随分とこたえているのだろう。気持ちは分かる。三介は馬鹿な性格をしているがそもそもの頭の巡りが悪いという訳ではないのだ。


「水軍衆など俺達に指揮出来んよ」


正直なところを俺は答えた。三介が指揮する軍には俺も加わる。要は『三介を助けてやれ』というのが父の言いたいことであるのだが、思い返せば俺は具体的な水軍の指揮など取っていない。ただ、まだ何の立場もなかった幼い頃に、信方から船の操り方を教わったのは大きかったかもしれない。


「お前とて、舞の素人にこうやって踊れ、このように動け、と言われたら腹が立つだろう。なるべくやりたいようにやらせてやればいい」

「それで武功が立てられるのか?」

「それは運しだいだ」


鮎をもう一度ひっくり返す。更に塩を一つまみ。そろそろか。


「九鬼水軍が手柄を立てればそれはそのままお前の手柄だ。ならばどうするべきか、なるべく邪魔をしてやるな。俺の時は長島に入れる物資を奪い、長島から出ようとする船は皆沈めるべきだと考えた。だから水軍衆にはそう伝えたが、具体的にどうしろとは一切伝えていない」


あの時と違い、最早長島から出ていく者も入る者もいない。和議が決裂し、援軍も望みなく、それでも降伏を拒否する一向宗が辛うじて意地を見せている。


「今回は何をするべきなのかな?」

「まずは荷止め、最早絶対に兵糧など運び込まれないと思わせることが出来れば敵の士気も落ちるだろう。後は逃げ出そうとする兵についてだな。最後の最後に、集団で長島から脱出をはかる者が出てもおかしくない」

「それを逃がさなければいいんだな」

「余り追い詰めすぎると思わぬ反撃を食らうから、一旦逃がして後で追いかけるくらいでもいいと思うが、まあ、大体そうだ」


椎茸と葱が焼けた。一旦取り上げて皿に置いておく。三介は箸を齧りながら思案しているが、信糺は高級品である椎茸に興味が移っているようだ。空気は読めるが、立場上余り責任感は育っていないな。味噌汁の具にするから待てと言うと嬉しそうに笑った。


おやきをひっくり返し、鮎の串を取った。二人に一尾ずつ取り、手渡す。焼き立ての鮎だ。旨くない理由がない。腹の辺りを一口齧った。プツリと皮が破け、内側から湯気が噴き出してくる。塩をきかしているのにどこか甘い身だ。内臓の苦みも又良い。


「こいつはたまりませんな」

「昔っから、帯刀はこういうのが得意だなあ。最近では天ぷらはやってないのか?」

二人とも、旨そうに鮎に齧り付いている。まだまだ鮎はある。食いたければ食べると良い。


「伊勢ではあまりやらないな、だが実家でやることはある。皆好きだからな」

言いつつ、鮎を一本串から外し、箸で身を崩した。グズグズにしてから頭を引くと、骨がズルリと外れる。小骨を丁寧に取り分け、横に置いておく。


「あらあらあら、楽しそうになさっておりますこと」

その時、鍋を持ったハルがやって来た。囲炉裏の上に掛け、木蓋を外すと豆腐の味噌汁が現れた。


「具を入れても良いか?」

「どうぞ」


改めて二人に挨拶をしたハルは、俺の隣に座る。皿に載せられた肉を摘まみ、口元へ、それから身だけになった鮎を一口、どちらも、見ているこっちが笑ってしまう程幸せそうに食べた。


「こちらも」

サッと口に食べ物を詰め込んでから、また別の皿を取り出したハル。馬の舌の肉と、尻の肉だそうだ。残りの背身を全て鉄板に載せ、それから分厚く切られた舌の肉を載せる。


「ハルは食べていろ」

言いながら、俺は焼いた椎茸と葱を味噌汁に加え、かき混ぜた。鍋と一緒に持ってこられた椀に掬い入れ、三介と信糺に。ハルの分をよそってから自分の分をよそい、啜る。旨い、だが熱い。


「かなり熱い、少し冷ました方が良いな」


猫舌のハルに伝えた。おやきももうかなり良い出来だ。箸で刺し、中を確認した。大丈夫そうだったので取り出し、海苔を巻く。食えるかと聞くと、二人とも頷いた。更に三つ四つと纏めて乗せ、俺は大ぶりな一つを取り齧り付いた。醤油の香ばしさも良いが、巻いてすぐの海苔の食感も素晴らしい。熱い。旨い。


「舌の肉は旨いのか?」


それまで次の戦の事を考えて不安そうにしていた三介が口を開いた。コリコリとした食感と歯ごたえが俺は好きだ。そう伝えると早く食いたいとせっかちな事を言った。しっかり焼かなければ腹を下すぞと窘める。


「こういう、楽しいことだけして暮らして行けたらいいんだけどなあ」


早く食わせろ、もう少し待て、という小競り合いを何度か繰り返し笑っていると、不意に三介が話を変えた。


「そうだなあ、その方が三介は生きやすいだろうな」


人には様々な才というものがあり、誰が優れているだとか劣っているだとかは測り辛いものだが、その中でも三介が持つ才能というものは一際異彩を放っている。踊りと茶の湯は誰もが知っているが、蹴鞠も上手であるし連歌などもなかなかのものだ。そして実は囲碁や将棋などをやらせても俺より強い。つまり芸事については悉く才を持っているのだ。仮に平和な世に生まれていたならば万能の天才とすら言われていたのではないかと思う。だが、囲碁も将棋も得意であるというのに戦に弱い。調略も得意ではないし、戦場での運も持っていない。そして戦国の世において、戦に弱いというたった一つの欠点は他の全てに勝る。蹴鞠と歌の名手で内政手腕にも優れていたと言われる今川氏真殿は、戦に負け家を滅ぼしたというただ一点でもって、無能の代表の如き扱いだ。


「本当は、どこぞの公家衆に婿入りし、芸事に生きた方が余程良いのだろうがなあ」

そして、織田家と朝廷との間をとりもって貰う。悪くない考えだ。だが時代はそれを許さず三介は最も苦手な軍事的な能力を求められ、失敗を重ねている。


「早めに天下を統一してくれよ、帯刀」

「俺に言うな、父上に言え」

「父上に言ったら怒られるじゃないか」


三介の言葉に俺は笑い、そりゃあそうだと言った。

「もう食っていいだろう?」

「おう、たっぷり食え」


それから十日後、俺達は揃って伊勢長島へと出征する。そして、後の世に語り継がれる凄惨な地獄となる戦により、長らく続いた長島での戦いは終結する。しかし、再び織田家は一門衆を失うことにもなる。


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