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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第六十一話・覚悟とは

 「手筈通りに」

 俺が言うのが早いか相手が襲って来たのが早いか、進行方向左手前の森の奥から、十数名の男達が現れ、近づいてきた。


 「何者だ!?」

 景連が叫ぶ、男達は何も言わずただ全力で走り、俺に近付いて来る。近場にいる者達が俺を囲み、口々に『御本所様!』『殿をお守りしろ!』などと叫んでいた。


 馬上の俺は惚けたような、唖然としたような表情で近づいて来る男達を見る。何も指示を下すことが出来ず、突然の状況について行けない鈍い男。今の俺はそれだ。


 「殿!」

 正面を見据えていると、近習の一人に強く腕を引かれた。見ると、五十間(約90.91m)程先に、火縄銃をこちらへ向ける男達の姿があった。それらの銃口は当然ながらすべて俺に向けられており、俺は大慌てで転げ落ちるように下馬した。


 直後、弾丸が弾ける音。そしてその音よりも早く腕に衝撃が走った。五発の弾丸、その内の一発が肩口を僅かに掠めた。頭部も体も、急所となる場所は全て固めてはきたものの、しかし銃で狙撃されて何ともない筈もなく、俺は撃たれた右肩の辺りを抑え叫んだ。


 「うわああああ! 痛い! 痛いいいい!!」

 五発の弾丸のうち、一発は外れ、一発は俺の傍にいた兵の腹に当たり、二発は馬に命中した。残る一発が俺に。焼けるような熱さが右肩に走る。危なかった。もう少しずれていたら胸に、或いは頭部に命中していた。そうでなくとも腕に命中し、弾丸が身体にめり込んでいたら腕が上がらない身体になってしまっていたかもしれない。


 「敵襲! 敵襲だ! お前達何とかしろ! 皆殺しにしろ! 俺を守れ!」

 ギャンギャンと喚き、腕を抑えながら右往左往する俺。景連達は突っ込んできた敵と切り結び、後方の者達は俺の事を囲む。


 「俺は逃げるぞ! あとは何とかしろ!」

 周囲の言葉に一切耳を傾けず、来た道を引き返すように逃げた。左手前と、右側からの敵、何も考えずただ後方へと走る。恐らく敵が本命の刺客を送って来るのであればそこだろう。


 二十人程の供と一緒に、腕を抑えながら走る。阿呆の振りをしている訳だが、半分以上演技ではなかった。腕が痛いのは本当であるし、馬から落ちて地面に叩きつけられたのも大層背中が痛かった。景連達にとっとと何とかして欲しいと思っているのも本音だ。


 「そちらは危のうございまする!」

 「ならば敵の前に出ろというのか、俺は嫌だ!」

 「後方にも待ち伏せがいるやも」

 「だったら貴様が確認してこい!」


 聞こえがしにこのような会話をし、腕を抑えながらフラフラと逃げる。逃げながら、火縄の匂いを嗅ぎ取った。身を伏せる。再び、鉄砲が弾丸を発射する轟音が鳴り響いた。


 「ああ怖い、全部あの馬鹿(さんすけ)のせいだ」


 愚痴をこぼしながら、身を伏せて周囲を伺う。どこからともなくわらわらと敵が現れる。その数三十人程。これで、俺が連れて来ていた護衛と数の差は無い。三介という足手まといを守らなければならない味方と、何人死んでも三介一人を殺せれば良い敵であれば、敵の方が優勢であろう。実際にそうであるならば、の話だが。


 「御本所様!? 御本所様!?」

 倒れ伏した俺を、抱え起こそうとする男がいた。古左だ。視線を合わせ、頷く、敵は皆一目散に俺に近付いて来る。


 「ここからだぞ」

 古左にのみ聞こえるように言うと、それまで狼狽えて見せていた古左の目がギュッと細められ、頷いた。危険を冒して敵をおびき寄せたのだ。ここで本当に殺されてしまうようでは間抜けが過ぎる。


 「ひょひょ」

 「どうした?」

 俺の傍らに侍り、周囲を見回している古左が含み笑いを漏らした。にんまりと、人の悪そうな笑みを浮かべる。


 「大物が釣れました」

 「誰だ?」

 「中の御所様にござりまする」


 言われて、俺もニヤリと笑った。中の御所、北畠具房は伊勢北畠家九代当主であり、三介の先代、即ち義父だ。


 「親父が息子を殺しに来るか、世も末だな」

 「末法の世界です故、義父が養子を殺すことなど日常茶飯事にて」


 古左が笑う。恐らく、具房は三介の顔を見たことがあるが故、確認の為に帯同したのだろう。だが替え玉の俺は兄弟で体格も近く、服も三介のものを借りた為本物だと誤認した。


 「流石は権中納言様が兵、皆精強ですな。このままではここまで来られます」

 「気軽に言うな。それでは殺されてしまうだろうが」


権中納言、北畠具房の父、北畠具教の事だ。具教は剣術の達者で、修行の旅をする剣客などを保護しては教えを乞うたり、家臣と腕試しなどをさせていた。自身も剣の達人であり上泉信綱殿などとの交流もあるそうだ。


「まあ、そう簡単に崩れは致しませぬ。直に前方から鬼も現れます故」


周囲は正に修羅場であった。味方は、敵を欺くために内側に帷子などを着込んではいたが鎧の類を着込んでいるのは俺だけだ。恐らく冬の伊賀を越境してやって来たのだと思われる敵も、身軽さを重視したのか重たい鎧を着こんでいる者はいない。押し合いへし合いではなく、乱戦の中一瞬の油断により致命傷を負わされるような、刹那的な戦いが続く。


「中の御所様、ご苦労なさったのか随分と痩せられたようにござる。身軽になり、腕前もかなりのもの、来ますな」

それまで、場違いにひょうけていた古左が低い声で言った。かつて坂本の戦いでは俺と同じく戦場の空気に呑まれていたこの男であったが、あの経験やここまで二年間の修羅場を潜り抜けた経験がある為か今では死の直前まで冗談を言えるような豪胆さを持つに至った。


「失礼を」

そう言って古左は、俺の傍らを離れ立ち上がった。村井家臣が常備している直刀ではなく、反りのある太刀を綺麗な正眼に。


「名のあるお方とお見受けする。名乗られよ!」

近付いてきたのは三人。うちの一人が具房であった。古左は先頭を駆けて来た男にそう声をかける。

「されば、我は北畠家家臣、松だっ……!!」

「うわ、汚ねえ」


名乗らせておいて、名乗っている間に袈裟懸け切りで敵を屠る古左がそこにいた。迷いなく振り切り、そのまま前進して相手の左わきを抜ける。そのまま二人目の男に切りかかり、脚を引っかけ地面に押し倒した。


「長時!」

「早く具豊の首を!」


押し倒された武士は、それでもひるむことなく主にそう指示を出した。言われた方の具房が頷き、俺に近付いて来る。大食らいの太り御所と揶揄され、父親から邪険に扱われていたという具房だが、成程確かに、すっきりと腹回りが細くなり精悍な顔つきになっている。この数年で苦労させられたのだろう。可哀想にな。


「覚悟!」


首を奪わんと近づいて来る具房。移動の為に持ち運べなかったのかもしれないが、長槍を持ってくるべきだった。太刀で近づき、不用意に俺の間合いに入ってしまっている。俺は、警戒していない具房を、下から跳ね上げるように切り上げた。


「ぐうっ!」


具房が低い悲鳴をあげ、切り上げた俺は舌打ちをした。無警戒の相手だった。だが一撃で決められなかった。撃たれた腕が思っていたよりも重たい。弾丸が身体に入ったわけではないので一時的なものだとは思うが。


切り上げた俺の刀により、具房の右手首と刀が同時に宙に舞う。俺はもう一歩踏み込み、今度は首を飛ばさんと刀を地面と水平に振り払う。具房は反射的に身を下げ、すっころぶようにして後ろに倒れた。切っ先が顎の辺りにぶつかり、肉を切り、骨に当たった。だがそれでも致命傷ではない。


「うぐぅ……!! あっ…… がふあ!」

「その口では話すことも出来ますまい」


サッと周囲を見回しつつ、俺はまだ戦意を失っていない具房を見た。残った左手で脇差を抜き、俺に向けて腕を伸ばしている。上段に構えながら、詰めを誤らないようにじり寄る。


「その傷では逃げることも出来ますまい。大人しく降るというのなら」

言葉は途中で遮られた。具房が、左手の脇差で俺を刺突してきたからだ。一歩下がる。雪に足を取られぬよう丁寧に。



“いかんな”



心の中で、俺は自分を叱責した。何故この期に及んで降伏を勧めたのか。降伏を許したところで最後には打ち首だろう。最早後がないから暗殺などという手に出たのだ。北畠家から全てを奪ったのは俺達織田家であり、俺はその家臣だ。今更仲良くなど出来る筈もない。自分が死ぬか、相手を皆殺しにするか、それくらいの覚悟を持ってこの具房は、いや、具房殿はここにおられるのだ。俺はその覚悟を理解せねばならない。


具房殿が、更にもう一度脇差を突き出してくる。今度は一歩下がることなく、最小限の動きでかわし、体を戻しながら刀を振り下ろす。手首ではなく、肘の辺りからすっぱりと、具房殿の腕を切り落とした。

腕を切り落とされた具房殿は、それでも俺から視線を外さず、何とか逃げようとしていた。この状況を見て、周囲は、後世はなんと言うだろうか。北畠家は名門であることに驕り、最後の当主具房は暗殺などという姑息な手を使い、挙句返り討ちに遭って両腕と顎を切られ、それでも尚逃げ出そうとするような馬鹿者だ。と言うのだろうか。確かに、そう言い切ることも出来るのだろう。だが、俺は立派だと思った。この状況になって、それでも諦めていないこの人物が、本当に立派だと思った。


振り下ろした刀の、刃を地面と平行に向ける。あばら骨の隙間を通せるよう、切っ先と具房殿の心臓とを一直線に置く。深く右脚を踏み込み、足元から発生させた力を腰に載せ、胸元から肩口を通り腕に。体重をしっかりと乗せ、そのまま一思いに、一突き。


「いつの日か、再び相まみえる時、本日のご無礼お詫び致します」

懐に入り、返り血を浴びながら言った言葉が、具房殿に聞こえていたのかどうかを、俺は知らない。





「助かった。丹波殿には宜しく伝えておいてくれ」

北畠家の襲撃を退けた日の夜。俺は伊賀侵攻の前線基地、宮山城の一室で、ある一人の忍びと話をしていた。


「約束の給金だ。お主なら問題はないだろうが、奪われることの無いよう気をつけよ」

この二年の戦で織田家が力を入れていた戦場は第一に長島、第二に石山、伊賀攻めは第三であった。更に言えば、伊勢の部隊は紀伊攻めや長島包囲を継続させるための抑えであり、攻撃ではなく守備の為の兵であったので結果伊賀南部への攻撃は殆ど行われていない。


だが、俺はこの二年間で伊賀の者達と知遇を得た。北部の甲賀衆が比較的一人の主に仕えることを是としているのに対し、伊賀衆は雇われることを誇りにしているようで、仕事に対しての報酬支払の良い俺は伊賀の忍びとは良い関係を築くことが出来た。何れ攻め取ろうという国の者らと良い関係を築くというのもおかしな話だが、伊賀の北、近江南部に勢力を持つ甲賀忍の連中は六角家と共に羽柴殿らと戦っているが伊賀忍と織田家とはまだ戦火を交えたことはないのだ。しっかりと守備をしていればいいと言われた俺は、それならば良いだろうと畿内や北陸など、様々な場所での出来事を調べて貰っては気前良く金を払っている。今回も、北畠具教が三介の暗殺を画策していると教えてくれたのは伊賀人の一人、百地丹波殿だ。


「これは……」

「どうした? 少なかったか? 数えたとは思うのだが」

「いえ、少々多いかと?」


言いながら、四郎が算盤を弾いた。しっかりしたものだと思う。多いのならば黙って貰っておけばいいものを。


「伊賀忍が自分達で言うよりもよく働いてくれるのでな、こちらも言っていたよりも払わなければ公平でないと思ったのだ」

俺が支払う永楽銭はどこで出しても評判が良い。最近ではこっそり永楽銭の縁に細かい刻印などをするようになったので、古渡産の、ひいては尾張産の永楽銭がどこにどれだけ広まっているのかも分かる。


「ところで、話は進んでいるか?」

律儀な伊賀忍達は、自分達を安く見られるのも嫌がるが理由なく金を貰うことも嫌う。うだうだと話をしていると金を返されてしまうかもしれないと考え、俺はとっとと話を進めることにした。


「良き話と思うと、師匠は仰っておりましたが」

「百地丹波殿だけの話ではない。代表十二名、伊賀惣国、全ての者らに納得してもらいたいのだ。いつまで俺が殿から伊賀一国切取り次第の免状を頂けていられるか分かったものではない」


四郎が頷く。伊賀には国主と呼べる人物がいない。千賀地服部家が最も隆盛で、藤林氏と百地氏がそれに次ぐが、あくまで国の方針は合議制だ。


「伊賀は、長島が後どれだけ保つと思っておるのだ?」

「一年は無理でしょう。このままでは、ですが」

「なれば、長島なき後織田家はどこを攻める?」

「第一には石山本願寺でございましょう」

「いや違う、まず最初に攻めるは伊賀北部だ」


四郎の言葉に、俺は首を横に振って応えた。織田家最大の敵は石山本願寺であり、宗教勢力である。それは間違いない。だが攻める順番としては違う。


「伊賀を治められなければ織田家はいつまで経っても濃尾と京との道が安定させられぬ。その為に最低限伊賀の北部は手に入れる必要がある。石山本願寺を本格的に攻めるはその後よ。そうなった時、伊賀忍はどうする? 寺社に付くか? 織田に付くか? 最早天下は大勢力同士の潰し合いになりつつある。よしんば織田家を退けることが出来たとして、いつの日か別の大勢力に飲み込まれるぞ」


四郎は答えなかった。だが、否定はせず、難しい顔で唇を噛みしめている。


「伊賀忍が纏めて織田家に降ってくれるのであれば、俺はその褒美に改めて伊賀衆に現在の領地を与える。織田家の家臣としてではあるが、これまでと同じ暮らしが出来る。紀伊や四国や西国を攻める際に手柄を立てれば、或いは百地家が一国の主という事も夢ではないぞ」


その場合、俺の直轄領は全く増えない。だがそれでも構わない。伊賀衆の中で離反した者の領地は没収する。その程度でいい。一人二人の忍びを雇うのではない。一国丸ごと忍びの国を買い取るのだ。必ず元は取れる。


「実は、俺も長島攻めに加われとの命令が下った」

「文章博士様が……」

頷く。次は十万で囲み、一気に攻め落とすとのことだ。


「せめて、長島を許すことは出来ませんでしょうか? さすれば伊賀の棟梁達も態度を軟化させるかと」

俺としては意外だったのだが、伊賀の忍びにも一向門徒が多くいた。である為、伊賀忍は長島に味方こそしないにせよ心情としては長島寄りであるのだそうだ。


「気持ちは分かるが、織田家とて無傷でここまで来たわけではないのだ。今更許すことは出来ぬ」

二年の間に、織田一門の中に又死者が出た。一人は尾張三奉行の一人信張様の御嫡男、信直様。もう一人は父の弟信行殿の息子、信澄。


家臣家の中でも死者は出ている。蜂須賀小六正勝の叔父正元。権六殿の与力である佐々内蔵助成政の嫡男、松千代丸。こちらとて願証寺五世顕忍や、香取法泉寺十一世の空明などを殺しているのでお互いさまではあるが、この場合のお互い様とは、お互い恨み骨髄という意味である。


「恐らく、長島が落ちた後であれば最早降伏以外に受け入れられることは無い。この状況で味方をしてくれるのであれば信用も出来る。信用出来ぬ者らを抱えるくらいならば叩き潰すべしというのが殿のお考えだ」


長島が陥落し、伊賀が孤立無援になれば最早織田家が負けることは無い。だがそれでも、一国が即ち城塞である伊賀を攻めるのは手間だ。味方とし、坊主共を討伐する先兵とした方が余程効率が良い。


「お味方してくれるのであれば、俺は命を賭して伊賀忍を守る。時間は短い。結論を急いで欲しいと、百地丹波殿に」

「畏まりました」


宜しく頼んだ。と言い、目を瞑る。数秒たって目を開けるともうそこには誰もおらず、ただ、多く渡した分の銭だけが床の上に並べられていた。


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