第六十話・織田家の二年(地図有)
元亀二年の春に発生した第二次長島蜂起は、これを読んでいた織田家の反撃が迅速であったこともあり、その戦火が尾張に波及することは無かった。長島勢は当初伊勢全土からの援軍と援助、そして紀伊や伊賀勢力の同時攻撃、更に石山本願寺とこれを援護する諸勢力の連合により、一気に織田家を破り、尾張までを攻め落とすつもりであったようだ。だが、結果伊勢は援軍どころかふた月待たず総崩れとなり、紀伊・伊賀勢は伊勢国主となった北畠家十代当主三介具豊を総大将とする織田勢相手に苦戦、援軍は一兵たりとも長島には来着しなかった。
北伊勢と美濃・尾張の兵は長島を囲み、南伊勢の兵は更に南から西へ。そうしている間に畿内近郊の織田勢力は石山本願寺へ圧力を強めた。高野山蜂起、更に紀伊勢力の助勢により一旦は優位を取った石山本願寺勢力だが、その同盟者として最大の力を持っていた三好家が先に崩れた。三好三人衆の一人である三好宗渭が病死し、篠原長房が暗殺されたのだ。病死の三好宗渭はまだしも、篠原長房が暗殺されたことは三好家の衰退を決定づけるものとなった。
最初の天下人三好長慶の実弟三好実休の息子長治は阿波・讃岐二国を治めしばしば畿内へと出兵を行っていた。阿波三好勢、或いは四国三好勢などと呼ばれたこの勢力を実質的に取り仕切っていたのが篠原長房だ。三好長慶亡き後、唯一単独で松永久秀に対抗出来た男と言えばその強さも分かろう。三好氏の分国法である新加制式の編纂を行うなど、松永久秀が趣味の文化人であるのなら、篠原長房は実務の文化人だ。それ程力を持っていた人物が、こともあろうに主に切られた。
篠原長房暗殺までの経緯を詳しく知っている訳ではない。俺は全ての結果が出た後にこうなったと知らされたのみである。だが、結果から誰が何をしたのかの予想くらいは出来る。暗殺の下手人である長治は篠原長房が謀反を企んでいた為手打ちにしたと述べた。隠居をやめ再び名を戻した松永弾正少弼久秀と通じ、讃岐一国と引き換えに織田に降ろうとしていたそうだ。この話を聞いた段階で俺は早々に、弾正少弼殿が黒幕だと見当をつけた。噂を敢えて流し、相手の内紛を誘い、その力を弱める。梟雄松永久秀がやりそうなことだろう。篠原長房という人物はどのように思っただろうか。暗殺された際『当方滅亡!』くらいのことは言ったかもしれない。
俺の予想が正解かどうかはさておき、結果阿波三好は畿内から撤退し家中の立て直しを図ることとなった。
時を同じくして雑賀衆も割れた。雑賀鉄砲隊を率いる大将の一人鈴木重秀が織田に味方したのだ。これまで石山合戦の中で抜群の働きを見せていた鈴木重秀は石山本願寺の坊官下間頼廉と並び『大坂左右之大将』と称されていた人物だ。この男が味方に付くという事は、戦力についてのみでなく、敵味方に与える士気という意味でも極めて大きい。この調略すら、弾正少弼殿の影を感じてしまうのは俺の考え過ぎであろうか。
ともあれこれらの動きによって、畿内の戦は再び膠着状態となった。膠着状態となったのであれば、東の戦線で優勢な織田家が全体として優勢になる。権六殿や十兵衛殿らの奮闘も目覚ましかった。
元亀二年の末、本願寺顕如は織田家に対して講和を申し入れる。顕如が出してきた条件は長島の放棄と大坂城も含めた浄土真宗勢力の武装解除。それに対して父は講和でなく、降伏であれば認めるという返事を送った。放棄するべきは長島だけでなく大坂城も含めた全ての寺内町。浄土真宗が持つすべての寺社領は没収し、武器弾薬更には大坂城にある全ての金品は織田家に譲る。それであれば長島を許す。それを認められないのであれば長島は悉く根切とする。
この条件を聞き、本願寺顕如は改めて織田家に対しての対決姿勢を露わとした。織田家を仏敵と呼び、現状を法難と呼び、かつて寺を焼き合った他宗派と連携を強くし、そして頼みの綱として遠国の大名に対し文を送った。武田・上杉・毛利。そのうち、武田・上杉は形ばかりの非難をしただけであったが謀聖・毛利元就は中国を征した水軍衆を使い石山本願寺に物資を運び込み、本願寺勢力の士気を大いに上げた。
それでも長島の包囲は解かれず、長島一向宗は厳しい冬を城内で超すこととなる。明けて元亀三年、動いたのは北陸であった。
兼ねてより、石山本願寺の指示を無視し独断専行に走ることが多かった越前一向宗が暴発。足利義昭公の上洛から、失点続きであった朝倉義景にこれを纏める力なく、越前は混乱に陥った。そしてこれに対し諸勢力が動き出す。
最も迅速に動いたのが浅井家だった。浅井長政殿は金ヶ崎や若狭から船を出し越前沿岸へと出兵。更に自らも一万五千の大軍を率いて北上。浅井家の総力を挙げ、越前一国を奪った。重臣赤尾清綱・海北綱親・遠藤直経らの活躍も連日伝えられたが、最もその武威を示したのは磯野員昌殿だった。磯野殿率いる部隊は先手を藤堂高虎なる大男が指揮し、鬼のような精強さを誇ったとのことだ。暴発し、最早統率も無ければ軍規もない野盗の群の如き一向宗が相手であるとはいえ、数倍する敵を撃ち破ること都合八度。一向宗勢力を北方加賀へと押し出した。その後、浅井長政は一乗谷を取り囲み、これを攻めた。越前の名門朝倉家は滅び、また一つ天下争いから一家が脱落した。
これを黙って見ていなかったのは同盟勢力である織田家と、その織田家の同盟勢力である武田家だ。越前一向宗が北へ追いやられた結果、飛騨一国の一向宗の勢力も又弱まった。この飛騨という国は山国で実入りが少なく、その割に信濃・美濃・越前・加賀・越中と五ヶ国もの国境線を抱えている。囲む勢力は武田・織田・朝倉に加えて上杉だ。そしてここを奪い取ってしまえば厄介な北陸の一向宗を敵に回す。どの国も総石高で六万にもならないような国一つに見合わないと言わば緩衝地帯としていた。だが、朝倉という勢力が消え、一向宗の影響力が落ちた。
父と信玄はそれぞれ織田勘九郎信重と武田四郎勝頼を大将にし飛騨侵攻を決めた。
何度となく危うい時はあったが、織田と武田はまだ一度も矛を交えてはいない。この出兵も両国は示し合わせの上、南西部は織田が、北東部は武田が手にした。飛騨三木氏は降伏し、飛騨からも一向宗の勢力は追い出された。織田は飛騨での国境を同盟国である浅井・武田に絞ることが出来、同じく武田も上杉と織田に絞ることが出来る。極めて微妙な力関係で成り立った領地獲得であったが、織田も武田も互いを敵に回せば四方が敵に回ることを理解している。
越中には上杉家が侵攻した。越中は既に上杉謙信から三度にわたる侵攻を受けていたが、越中の椎名氏・神保氏はこれをいずれも撃退。四度目の侵攻も又、屈することなく徹底抗戦の構えを見せていた。だが彼らの抵抗はあくまで一向宗の後ろ盾と、武田信玄の謀略という援護があってこそであった。今回の戦いにおいてはそのどちらもなく、越中一国は上杉の手に落ちる。
本願寺が誇る一向宗の拠点、大坂・加賀・越前・長島。そのうちの越前が追い出され長島は風前の灯火。加賀も南と東から敵対勢力が迫り、大坂すら籠城以上のことが出来なくなりつつある。最後の望みは毛利勢であった。元亀三年の三月、まだ北陸の戦いに決着が着いていない頃には毛利元就上洛の可能性が頻りに囁かれた。浅井・織田・武田・上杉はいずれも共同戦線を張ったわけではなかったが、それでもお互いが潰し合わぬように連絡を取り合っているのは明らかであったし、勘九郎と四郎勝頼殿は直接会って話もしたらしい。松姫もそろそろ美濃へ輿入れかなどと、会談は終始和やかであったそうだ。
その、北陸戦線が収まらない間に毛利元就が京へ出兵し、この地を治める。勢力図が更に大きく塗り替わるのではと、誰もが思った。だが。
元亀三年・六月十四日。毛利元就、死去。
これによって毛利元就上洛は勿論の事、毛利家の石山本願寺援助すら途絶えた。元就の死という報を聞いて、中国や九州の反毛利勢が動かない筈がないからだ。これらを抑えない限り、いかな毛利家といえど畿内の戦に関わっている余裕などない。
『命拾いした』
父からは珍しくそんな手紙が送られてきた。父は謀略を以て尼子氏の残党を動かし、毛利家が東に勢力を伸ばせないようにしたことがある。だが結果尼子残党は破れ、織田家は毛利氏との関係を悪くするだけに終わった。調略や謀略では毛利元就に敵わぬことを父はその時知ったのだろう。
織田家の敗北についても語らねばならないだろう。織田家の、というよりも寧ろ三介のだが。
紀伊攻めの大将は彦右衛門殿が、伊勢よりの伊賀攻め大将は森可成殿が就任した。森可成殿は足が悪い故、あくまで纏め役として指揮を振るい、森家の兵は息子の長可殿が指揮する。原田家の兵や、俺が率いる村井家の兵など、寄り合い所帯だ。総大将が三介であることは既に言った通りだが、元亀三年の戦でもって三介は『戦下手』の名を恣にした。紀伊へ攻め入っては隘路において敵に囲まれて逃走し、野戦となった際には伏兵にしてやられ、家臣の勧めを退けて打って出れば裏目に出た。かつては『三介様のなさりよう』といえば、何をするか分からないという意味であった。その中には、面白いことをするかもしれないという意味も込められていたが、今では馬鹿が余計なことをすると周りが大変だ。という意味になっている。それらの敗戦の中で、柘植保重・長野左京亮・軽野左京進といった家臣達も戦死している。
勝てないことは勿論だが、家臣の諫めを無視したことや、敵地に侵入する際に下調べを殆ど行っていないことなどを特に父は怒り、激しい叱責を行った。書状において『親子の縁を切る』とまで言われた三介は怯え、以降戦に口出しはしなくなった。
手紙は勿論俺にも届けられ『このようなことにならぬ為にお前がいるのではないのか』と、俺も叱責された。御尤もですと答えつつ、今回こうなってしまった事について理由を語った。かつて俺達が口を揃えて『バレないようにやれ』と言ったせいで、こっそり軍を動かす方法を学んでしまったのだ。『そういうことではないだろう』と返事が来たが、それは俺に言われても困る。
救いであったのは亡き吉乃様の薫陶だ。三介が北畠家に人質として出される直前、口を酸っぱくして家臣を大切にせよと言ったことが生きたのか、敗戦後三介は家族を亡くした家臣の家に一々出掛けて行っては話をし、後の生活については自分が保証すると一文をしたためていた。
体勢を立て直すことは出来たがしかし、元亀三年の年内にこれ以上の侵攻作戦は不可能であると、紀伊・伊賀方面の兵はかなりの数が引き上げられ、長島包囲に加わった。伊賀方面など、俺が率いる一千程度が国境付近に張り付いているだけだ。
そうして、元亀三年も過ぎ去り、元亀四年一月の末。
「無事に、子が産まれたようで何よりだな」
馬上、ゆっくりと進みながら俺は隣を進む景連に話しかけていた。
「ありがとうございます」
「可愛いか?」
「さて、可愛いとは思いますが、これが本当に自分の子であるのかと、毎度不思議に思うことの方が多いですな」
笑った。そうだろうな。特に男親は。
「妻などは、毎日のように話しかけておりますなあ。くだらない話であったり、某への愚痴であったり。上の子などは、そうして話していた内容などを意外とよく覚えておりましてな。何を覚えられるか分からぬから、滅多なことを話すなと言っておるのですが」
景連も又、苦笑と共に話す。馬が歩を進ませるたび、サクサクと音を鳴らして雪が踏みしめられる。
「物心がついた頃の子供は親の話をよく聞いているものだ」
「左様です。某は物心がつくのが早く、生まれて二年と経たず何となく周囲の言葉などを理解しておりましたので、故に二歳や三歳の子供相手には話す内容を注意するべきと」
頷く。俺達の後ろには徒歩と馬とを合わせて合計三十人程が続いている。伊賀は北国でも雪国でもないが、やはりこの時期はまだまだ寒い。
「殿は、物心がついたのが早そうですな」
「そうだな。早かったし、周囲の言葉もちゃんと聞いていた。意味も分かっていないのに言葉だけを覚え、後にあれはこういう意味だったのか、と納得することもよくある。思えば幼い頃から言葉や文字には興味があったのかもしれぬ」
「流石は文章博士様ですな」
「いや、まあ文字については覚えたというよりも教育の賜物ではあるがな」
柔らかく微笑む景連に言われ、少々照れた。
「直子様は、最近随分と警戒されているようですが」
教育の賜物、という言葉を聞き、その教育を施した人物に話が飛んだ。頷き、仕方がないだろうと答える。
「余りにも異端な存在であり過ぎたのだ。一目も二目も置かれてしまう事は当然だ」
「しかし、直子様がどれだけ常軌を逸していようと天下を乱し人々を苦しめるような真似をしたことはありません。警戒する意味がないのでは?」
「それは、俺が原田直子の息子で、景連がその腹心であるから言えることだろう。俺達にとって母上は家族だが、他の家臣からしてみれば近所の住人だ」
「それが何か?」
「隣の家に、巨大な龍が住んでいたらその龍に何もされていなくとも警戒はするだろう?」
「……成程」
正確に言えば羽柴家も他の者達も警戒したいのではなく、安心したいのだ。決して自分達が襲われることは無いと。だから、仲が悪くなるようなことは無い。寧ろ羽柴家の面々は今まで以上に母と懇意にしてくれている。
「俺からしてみれば、羽柴家の方が余程恐ろしく大きな龍であるのだがなあ」
草履取りから始まって今や織田家の重臣と成り上がった当主。その当主を陰日向に支える弟。かつて父上を相手に戦をして勝利したことのある軍師。定期的によく分からない行動をとる女一人よりも、余程恐ろしかろう。
「最近ではパンやピザを糧食にと開発して下さっているようですな。手伝いのものや、いつの間にやら集まって来た素性の分からぬ連中を纏めて『九尾』と名付けたとか」
「あれは笑ったな。そんなに自分を化け物扱いするのなら開き直ってやると言っている母の様子が目に浮かんだ」
別に、戦働きや諜報を行う訳ではない。単なる手伝い連中だ。母は身寄りのない者や親を亡くした子供、流れの浪人などを捕まえては食事を与えたり仕事を与えたりしている。昔から『直子衆』などと呼ばれたりはしていたのだ。
「まあ、どれだけ疑われようと母が天下に野心を持つなどということは無い。精々男の胸に肌着を着けさせようと画策する程度」
話の途中、男が一人近づいてきて、軽い口調で『来ました』と言った。
「ああそうか、それは良かったありがとう」
俺は明るくそう答え、そして景連に軽く頷く。
「報せの通りですな『御本所』様」
景連が、俺の事を御本所、即ち北畠家当主たる三介の呼び名で呼ぶ。
「そんなに似ているとは思わないがなあ」
「遠くから見慣れぬ者が見れば瓜二つです」
そうか、そうかもしれない。俺達は、なおもゆったりした速度で歩き、とりとめもない、何の意味もない雑談に花を咲かせる。
「いよいよか」
「大物がいると良いですな」
そうして更に半刻程歩いていると、次の報せが入った。この先にいる。
「そうだなあ。折角身代わりの囮となって命を張るんだ。大物がいて欲しい。だがまあ、すぐに結論は出る。先に言っておくが景連。俺が死んだら古渡大宮家は勘九郎が面倒を見てくれる。頼るように」
「お言葉は聞いておきますがそのようなことにはなりませぬ」
「分からんよ。戦は常に乾坤一擲だ」
「まだまだ、殿の御傍で出世しなければなりませぬからな。見事返り討ちにして手柄に変えて見せます」
「頼もしい限りだ」
それからすぐ、俺達は謎の集団に襲われる。数え十九歳となった一月。命がけの一年がまた始まった。




