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信長の庶子  作者: 壬生一郎
帯刀編
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第六話・家督相続かくあるべし

木に成るのは実。稲が実るのは田

見る目、聞く耳、嗅ぐ鼻、言う口、触れる手

世を統べるもの、天の時地の利人の和

美しきは鶴。旨きは鴇

あわの国、坂東か四国か

年明けて、一つ足される数え年

目にも見よ、音にも聞け、我が名名乗らん


「やってくれましたな母上」

「おや、天才文人様、如何しました」

俺が障子をけ破らんばかりに母の部屋に入室すると、良く見慣れた狐顔がいつもよりより一層胡散臭い笑顔を浮かべていた。


「いつからこのようなことを考えておったのです?」

「いつからと申されましても、そのかるたを考えたのは帯刀様ですのでねえ」

袖で口元を隠しながら、わざとらしくそんなことを言う母。


「確かに、あのかるたは俺が考えました。しかし、物を知らぬ子供に色々な言葉を教え、ああしろこうしろと手直しをしたのは母上でしょう」

「手直しなどと、私はなるべく多くの者に分かり易く、子供が楽しく覚えられるようにと言うそなたの為に、なるべく多くの知識を伝え、面白くしたまでです」


昨年来、俺は林ら家臣達にその有用性を認めさせた帯刀仮名の普及の為、五十音を使ったかるたを作り始めた。


「中々苦労をしましたね。けれど、お陰で五十音について全てかるたを作ることが出来ました。帯刀仮名で書いたものと、漢字と仮名のものと、二揃えを一つのものとし、尾張領内に配布致しましたよ。読みやすいですし、子供の手習いには丁度良いでしょう。そなたも、途中で挫けることなくよく頑張りましたよ」

「いけしゃあしゃあと……」


このかるたを作成したのは村井貞勝に会った二ヶ月後の永禄六年十一月の事、吉乃様や奇妙丸達が小牧山城へと居を移すように父から命じられた直後だ。あれから骨盤矯正腰巻きは村井貞勝が使い、悩みであった腰の痛みが取れたと太鼓判が押され、そして吉乃様が使うようになった。吉乃様は雉の肉や卵を食べるようになったらしく、お陰で体力も回復傾向にあるらしい。永禄六年も無事に過ぎ、正月の宴も一通り終えた後、吉乃様は子供達と共に小牧山城へと移っていった。その際に父はまだ体力が回復し切っていない吉乃様に対して輿を寄越し、丁重に小牧山城へと送ったそうだ。別格の扱いをもって、生駒吉乃とその子達は別格だと言い切ったのに等しい。そこだけならば俺にとっても良い話だ。俺も、これでようやく周囲が落ち着いたと安心していた。ところが最近になって、昨年末に書いたいろはかるたが人の口に登りつつある。


このかるた、苦労しただけあってそれなりに面白いものが出来たと思っている。故事に由来していたり、日常に役立つ知識であったりと、物によっては大人でもなるほどと思える内容である。そして同時に、短文で子供でも分かり易い。文字の読み書きを知らない大人がこれを見て勉強しても良いし、百人一首のように札を取り合って遊びながら覚えても良い。


きになるのはみ。いねがみのるのはた

みるめ、きくみみ、かぐはな、いうくち、ふれるて

よをすべるもの、てんのときちのりひとのわ

うつくしきはつる。うまきはとき

あわのくに、ばんどうかしこくか

としあけて、ひとつたされるかぞえどし

めにもみよ、おとにもきけ、わがななのらん


先程のいろはかるた、あ行からま行までと、ら行を加えた四十字、それとやゆよわを、の五音を加え四十五字分のものを作った。その内の七つ、『き』『み』『よ』『う』『あ』『と』『め』奇妙跡目の七文字を頭にして読む。すると、尻の字がたてわきかしん、帯刀家臣となる。奇妙丸が大将で、俺はその家臣であるという意思表示だ。


「面白うございましょう?」

「確かに面白いですな。我が事でなければ」


世間的には、この手紙は俺が誰の手も借りずに書いたという事になっている。『たてわき』の四文字を書き入れれば五十音が全て揃うので、早くも子供の手習い用に使われ始めているらしい。この文章が広まれば広まるほど、俺が跡継ぎは奇妙丸しかいないと主張していることが広まる。つまり俺と奇妙丸、二人の名が広く知れ渡る。


更に後で知ったのだが、かるたという遊びは世に広く知られたものではないらしい。俺は幼い頃から母に習って知っていたのでごく一般的な遊びだと思っていたのだがどうやらこの遊び、母が作ったものであるようだ。それを、俺が作りましたと言ったものであるから、周囲からすれば俺は子供にも分かり易く、大人でも遊べる言葉覚えの遊戯を開発した幼子であるという。


「犬山城が落ちました」


ふと、母が話を変えた。いきなり何だと思わないでもなかったが、何か意味があって言っているように見えたので頷いておいた。今は永禄七年の五月。ついに織田信清が籠っていた犬山城が陥落し、信清本人は甲斐の国に逃げた。


「そなたを謀反人に仕立て上げようとしていた林秀貞とその一族は追放されました」

やはりというべきか、今回の騒動の裏には林の爺さんがいた。爺さんは俺を謀反人とし、それを父に注進することで信頼を回復させ、筆頭家老に返り咲こうとしたようだ。しかし、俺よりも先に信清が追い詰められてしまい、最後は信清本人が命と引き換えに林の爺さんの関与を認めた。身内に対して甘い父は、信清の事も殺さず、目の上の瘤であった筆頭家老家の領地のみならず、その発言権についても永遠に没収することに成功したということだ。


「そなたを擁立しようとしていた者達も罰を受けたそうです」

空気を読まずに家を割りかけた父の叔父二名、織田信次と信実は強制的に隠居させられ、平手は不用意な発言を父に謝罪し、家中での立場を落とした。佐久間信盛も近く筆頭家老の座を退くとのことだ。ただし、平手佐久間について領地の没収などはない。


「佐久間殿は表面上頭を下げただけな気がしますけれどね」

今回損をしたのは、全員が父に対して比較的強く物を言えた人物だ。筆頭家老だった林は勿論、信次と信実は叔父という立場があった。平手家は先代の政秀が父をいさめる為に腹を切った人物で、以来何か父が間違ったことをした時には体を張って諫めるのが平手家である。というような家訓じみたものが出来上がっていた。押さえつけられるのが嫌いな父からすればさぞかし煙たかっただろう。


「信盛様は引き際が上手ですから。犬山城も、佐久間家のご一族の方が城代となるそうです」

あり得る話だ。佐久間信盛はかつて父が一族の殆どを敵に回して戦った際にも父に従ったいわば親友だ。そういう人物をみすみす潰しはしないだろう。佐久間一族は名を落としつつもしっかりと実を取った。

「これがどういうことか分かりますか?」


母はまだ真剣な表情だった。普段は常に笑っているのでそういう目をされると意外と怖い。


「織田家においての権力が更に父上へと集中したというだけの話でしょう?」

「そのようなことは誰にでもわかります。そなたの話です。そなたの立場はどうなります?」

「ただの庶子へと戻るだけです。元々この二年がおかしかったのです。私は世継ぎにはなれませんし、なりません。母上はまさか私に織田家を獲れとでも仰るおつもりですか?」

「まさか、仰いませんよ」

「そうでしょうとも」

「ですが、『ただの』庶子とするつもりもありません。今回の騒動で、そなたの味方をしてくれそうな家中の者達が大方いなくなりました。代わりに奇妙丸様方、吉乃様の御子らは強い力を得ました。殿もお喜びでしょう。最早帯刀は用済みとばかりに僻地へ追いやられてしまうかもしれません」

「無くはないですね」


それでも、当主の息子というだけで衣食住は保証されているだろうし、多少の我儘も許されるだろう。悲観することじゃない。


「それではつまらないので、そなたの名前を広めたのです」

「……今何と?」

「帯刀仮名で、そなたの名は広まりました。此度のかるたで、その知性が高き事も広まるでしょう。京大阪の知恵ある者が、或いは公家の方々がそなたに興味を持って下さるかもしれません。そこにそなたの利用価値を見つければ、殿はきっと京大阪にそなたを連れて行って下さいますよ」

「ちょっと待って下さい」


母の言葉を手で制した。言いたいことは分かった。母がかなり深いところまで読んで動いていたことも分かった。

「つまり母上、貴女は」

「そうです、私は京都に行ってみたいのです。その為に、そなたには今少し名高きもののふとなってもらわねば」

「そんな理由で……」


呆れかえって言葉も出なかった。行動内容は賢いのに、動機の質が低い。


「そなたは行動力があるのにあまり社交的ではありませんからね、織田家で力を持つ方との知遇もなく、これから増えそうもありません。ですから相手方に興味を持って頂かなければ」

「仰せご尤もですが、私にだって重臣で、しかも仲良くして頂いている相手くらいいます」

「村井貞勝様だけでは足りませぬよ」

「分かっていますよ。他にもいます」


言うと、そうなのですか? と小首を傾げられた。勿論です、と俺は首肯する。

「現時点では重臣とは言えませんが将来的に必ず出世する人物と知遇を得ています」


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