第五十八話・伊勢平定・他一件(地図有)
織田家の第二次長島攻めは上首尾のうちに始まった。
門徒衆は蜂起してすぐに信広義父上から手痛い反撃を受け撤退。父が率いる本隊が来着すると、長島は完全に籠城の態勢へと入った。
父は長島に入ろうとする一向門徒を無理に押しとめようとせず、更に前回の戦で猛威を振るった佐治・九鬼両水軍に荷止めをさせなかった。これは、少しでも多くの一向門徒を長島に集め、少しでも多くの反織田家勢力から物資・食料を運び出させんと考えた為である。日を追うごとに、伊勢や伊賀、紀伊の反織田勢力は力を失うこととなる。
父は長島から人が出られぬよう、周囲に二十を超す陣を作り、馬防柵を立て、陸路を囲んだ。荷止めをさせなかった水軍衆に対しても、長島から出ようとする船は全て沈めよと指示を出した。
人数こそ十数万。しかしながら女子供老人が大半で戦力は精々三万。そしてその三万のうち一割から二割は小木江城を攻めた際に手傷を負っている。結局長島勢は集まるだけ集まってただ籠城するのみという状況に押し込まれた。
戦局有利と見た父は当初の予定を変え、長島包囲の軍を四万まで減らし、伊勢侵攻軍を四万とした。侵攻軍の大将は信広義父上でなく信包叔父上となった。信広義父上は主が留守となった美濃を守るため岐阜へと帰還。他に、三介の代わりにと秀成叔父上・長利叔父上が織田一門として従軍した。一門衆ではなく家臣筋からは、佐久間信盛殿・彦右衛門殿・羽柴殿・蜂屋頼隆殿・富田長繁殿・原田直政伯父上らが参戦している。その中には勿論俺、村井重勝の名も入っている。十兵衛殿や権六殿は畿内へ、佐久間家や森家は父に従い長島包囲軍へ加わっている。
大河内城の戦いやその後の信包叔父上の締め付けにより既に幾つもの家が潰れている北伊勢四十八家であったが、今回の蜂起に参加したその悉くが無残な最期を遂げた。
信包叔父上が養子に入った長野工藤氏第十六代当主具藤らは挙兵と同時に大軍に攻められることとなり、降伏すら許されず切腹して果てた。降伏だけは許された他の家についても、良くて領地全てを没収、悪ければ一族皆打ち首という厳しい処置が取られた。信包叔父上は北伊勢を平定すると直ちに織田に復姓した為、長野工藤氏は名実ともに滅亡し、北伊勢は今後三七郎、神戸信孝を中心として運営されることとなる。
北伊勢八郡を瞬く間に征した織田軍はそのまま南伊勢へ進軍。その南伊勢掌握も、大過なく終了しようとしていた。
「戦功の立てようもない戦でございましたな」
大河内城攻めが唯一の武働きの場かと思われていたが、降兵も含め数を増やした織田軍に敵わぬと見た北畠具教らは戦わずして逃走、伊賀方面へと消えたという。
「たまには他の者らに手柄を譲ってくれなければ嫉妬で呪い殺されてしまいますぞ」
大河内城にて戦勝を賀した日の事、羽柴殿に話しかけられた。普段通り弟の小一郎殿が付いており、そしていけ好かない優男はいないようだ。
「文章博士様は一つ手柄を立てられましたからなあ」
「運が良うござった」
景連の実家である大宮家を戦わずに降伏させることが出来た。大宮家は阿坂城を開城。大宮含忍斎は蟄居謹慎という形が取られたが所領安堵も約された。実家を捨てた身であるとはいえ、景連も父親を始めとした家族を攻める事が嬉しい筈もなく、降伏が認められた際にはホッとした表情を浮かべていた。
「ああ、羽柴殿には詫びるのが遅くなりましたが、景連とその実家大宮家への許し、御認め下さって誠にありがとうございまする」
景連はかつて、大河内城の戦いの際先陣を務めた羽柴殿を射て、見事内腿を射貫いたことがある。当時は敵同士であり、武家として当然の事をしただけの話なのだが、それはそれこれはこれとして、直接話だけはしておきたかった。
「許すも何も怒ってなどおりませぬし、殿がお決めになられたことに対して不満を覚えてもおりませぬ。良き家臣を持ち、此度の戦勝においても良き働きをして下さった。誠に目出度きことにござる」
羽柴殿はニコリと笑って俺の手を握り、頭を下げてくれた。一応、実家の者と会わせるという名目で景連を外させているが、必要なかったかもしれない。
「これよりは南伊勢と紀伊の国境を固め、西は伊賀に攻め入ることになりましょう。伊賀は石高も低くその土地自体の旨味は少ないですが、伊賀が安定すれば南近江も大和も安定します。この二国を真に織田の領地とすることが出来れば織田家の権勢否が応にも上がる筈。こここそ武功の立て場所かと」
羽柴殿が言う。その通りだ。この後、羽柴殿は恐らく近江から一軍を率いて南下し、甲賀の里を攻める。伊勢が完全に平定された今、東から攻め上がり伊賀の里を攻撃することも出来る。
浅井の若狭攻めが短期のうちに成功した。やはり一族の朝倉景恒が降った事は大きかったのだろう。一乗谷から南下した朝倉本隊を金ケ崎城にて引きつけている間に若狭一国の朝倉派勢力を駆逐。討伐した国人衆の所領は浅井直轄地とした上で武田元明の若狭復帰を認め、取って返して美浜を奪い、そのまま敦賀まで向かった。
金ケ崎城の守備は二千、これを攻めるのは一万五千、浅井家が率いていた軍は武田元明らの部隊を含めて一万。ここで朝倉が大勝すれば形勢は一気に覆り、逆に近江へと朝倉兵が雪崩れ込むという事にも成り得た。
だが、長政殿は敦賀から船を出し、浅井家の別動隊が金ケ崎包囲軍を挟撃するという虚報を流した。これを信じた朝倉勢大将の朝倉景鏡は夜半に撤退を開始。そしてそれを見越していた浅井勢から猛烈な追撃を受けた。被害は三千とも、五千とも言われている。
若狭一国に越前の一部を奪い、更に朝倉家に大打撃を与えたことで、朝倉と浅井の国力は逆転した。そして浅井長政という武将の名声も大きく上昇した。思えば、初陣の野良田の戦いから今日まで、浅井長政殿は常に味方より多くの敵と戦いそして勝ち続けて来た。此度の織田家が大軍という威で戦わず勝利したように、戦国の世においては名の力において戦わず敵を降伏させるという事もままあることだ。不敗にして未だ若い近江の出世頭。朝倉家を食いつくす可能性、最早あり得ないと言えるものではない。
「ん……?」
思案していると不意に、外から一人、人が近づいて来る気配がした。燭台を持っているのか、明かりでぼんやりとその姿が映る。
「竹中殿か」
「よくお気づきになられましたな」
壁に背を預け、虚空に向けて話しかけると、スッと障子が開けられ、そこから薄ら笑いを浮かべる竹中半兵衛が現れた。
「古左はどうしました?」
警備の為、何人かと共に隣の部屋にいた筈だが。気が付かなかったのだろうか。この男が来ると分かった段階で寝てやろうと思っていたのに。
「蜂屋殿との談議に花が咲いてしまったようで、隣の部屋にはおりませんでしたな」
「そうですか、あやつの給金を減らす理由が出来てしまいました」
ため息交じりに俺が言うと羽柴殿達が笑った。蜂屋頼隆殿は武には優れず、しかし人柄優しく部下に慕われ、連歌や和歌に堪能な人物だ。恐らく東国の大名家であれば出世できず、今川や朝倉のような家であれば引きたてられることもあったのではないだろうか。織田家の中では戦闘以外の役には立つと父が認め、始めは黒母衣衆から、徐々に出世させて今に至る。
「某文章博士様には是非とも礼を言いたく、こうしてやって参りました次第」
どうした? 母から頂戴した『メンズブラ』が良い着け心地であったのか? それならば礼には及ばない。欲しい大きさや形、色や飾りのものがあれば俺に言えばすぐに図面を書き、母へと送ってやろう。俺は着けないけどな。例え母から『ブラじゃないから! 大胸筋矯正サポーターだから!』と言われたとしても一切耳は貸さないし既に俺の家臣達には一度でも装着したる者当家より除名とする。という触れを出した。けれど貴殿には勧めよう。何しろ我らは親友であるからして。
「文章博士様のお言葉を受け、某生活を見直しましてござる。食事を必ず三食摂り、酒も辞め申した。この乱世が定まるまで、羽柴家の行く末を見届けるまで生きてこそ、誠賢者の智であると」
「ほう」
この慇懃無礼な者にも我が身を反省する気持ちがあったのか。と思っていると、横に座っていた羽柴殿が笑って言った。
「流石は名刀様でござる。この男を言葉の刃で一刀両断し、見事態度を改めさせました」
名刀様と久しぶりに呼ばれ、思わず顔がほころんだ。いつまでも子供ではありたくないと考え羽柴殿と呼ぶようになったが、やはり斉天大聖と呼んでいた時代は懐かしい。
「しかし、名刀も切れすぎるのは困りものですな。某も夜遊びを禁じられ、女子に触らせてもらえなくなり申した」
「当然のことにございます。殿は羽柴の血を残し、後世に伝えねばなりませぬ。精を放つということは命を放つということにござる。遊びの女相手に無駄撃ちするよりも先に、おねね様か、さもなくば正しく娶った側室の方を孕ませて下さらねば」
竹中半兵衛にしては珍しく真剣な口調であった。いつもいつも分からない、不自然な位の羽柴殿に対しての忠誠心だ。弟の小一郎殿は、兄のしていることを後ろで見ているのが楽しい。という人物であるからそういう諫め方はしない。寧ろ羽柴殿の悪だくみを面白がりながらついて行く。
「我らの飯の量や食う物まで決めるのです」
「小一郎殿にもですか?」
竹中半兵衛に説教を受けている羽柴殿を横目に、小一郎殿が含み笑いしながら言った。
「はい。万一兄上に男子が産まれなければ、某の子が羽柴家を継ぐことになるからと。精の付くうなぎや、滋養のある鶏卵などをどう旨く食うかを直子様に聞いておられる様子」
「賢すぎる者とは、すぐ極端から極端に走りますなあ」
俺の言葉に、小一郎殿が全くですと頷く。
「何にせよ、三介様の伊勢国司就任と三七郎様の北伊勢及び神戸家の掌握、おめでとうござりまする」
「ああ、そういえばそうでしたな。某がありがとうござると礼を申すのも変な話ですが、しかし嬉しいことにござる」
小一郎殿が言った通り、三介と三七郎が伊勢を預かることとなった。大国である伊勢守は官位相当で言うと従五位上だ。俺よりは高く、勘九郎よりは低い。国司は朝廷より下される官職であり、守護とは幕府の役職であるので、言い切ることは出来ないが、石高や官位、立場などで勘九郎・三介・三七郎・俺という序列が付いたと見て良いだろう。勝子殿が産んだ於次や、他の側室の方が後に産むであろう子らが俺より上に来るか下に来るかは定かではないが、ともあれ上三人の地位が着々と固まっている。
「これで最早伊勢も志摩も完全に織田領。祝着至極かと」
「されば、次なる戦についての報せがこちらに」
小一郎殿が言ったのに続いて、羽柴殿が手紙を懐中から出し話に割り込んだ。竹中半兵衛の説教から逃れたかったのだろう。そうして見た手紙には成程確かに次なる戦についての情報が記されていた。即ち、高野山と熊野三山の蜂起。比叡山の開祖が伝教大師最澄であり、そして同時代のもう一方の巨人、弘法大師空海が開いたのが高野山だ。全国に散らばる寺領総石高十七万石。更に、高野山は天然の要害だ。攻めるに難く、守るに易い。
『高野山』とは、比叡山のような一つの山を指すものではなく、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す。紀伊国にあることは間違いないが、北の九度山を超え、紀ノ川を越せば河内・和泉であり、東へ進むと丁度大和の中央に出る。即ち畿内をすぐ目の前に伺う場所にあるのだ。
これまで何かと敵対的行動を取りながらも直接対決を避けて来た熊野三山も、遂にはっきりと敵に回った。大和の南をぐるりと取り囲む紀伊であるが、その中でも栄えている地域は西部に集中している。理由は単純に京が近く、畿内近郊の港も近いからだ。名草郡・海部郡・那賀郡・伊都郡・有田郡・日高郡・牟婁郡の七郡のうち、牟婁郡を除く六郡を全て併せても紀州の三分の一の面積しかない。残る東部と中央南部が牟婁郡であり、大掴みに言ってしまえばこの部分が熊野三山の勢力圏だ。
「熊野の僧兵は伊勢長島を救わんと、東牟婁より南伊勢へと侵入する構え」
「この話、当然殿はご存じですな?」
「既に報せは長島にも到達している筈でございまする。殿の下知を待ち、戦準備を致します故、文章博士殿のお考えを聞きたいと」
「某の? 某がこうしろと言ったところで、それで軍は動きませんぞ」
「しかしながら、殿がどうお考えになるのか最も理解しているのは貴殿でござる。下知が降って慌てて動くより、予め聞いておいた方が良いと存ずる」
相変わらず如才のない行動をとる羽柴殿。十兵衛殿もそうだし彦右衛門殿もそうだが、低い身分から苦労して這い上がった経験を持つ人間は揃って如才がない。
「某の予想が全て当たるとは思えませぬが」
「構いませぬとも、我が予想とも比べて善後策を考えたいのでござる」
言ってから、羽柴殿がサッと紀伊半島の全図を取り出してきた。
「されば、殿が領内での戦を好まぬことはご存じの通り。寸土でも敵地へと入り込み戦うことこそ織田の戦。故に、伊勢の南を固め守れと言われることはあり申さん。ましてこちらは四万の大軍、紀伊方面と伊賀方面の両面作戦であっても二万を用意出来ます」
「御尤も」
そうして、俺は熊野三山のうちの一つ、熊野速玉を指差す。
「高野山も含めた四つの山のうち、織田家が最初に攻めるとすればここでござる。恐らく高野山は大和の南からと、河内・和泉への攻撃進路を取る筈。こちらには当然、雑賀衆・根来衆が加わり、阿波三好・三好三人衆と共に石山本願寺を援護する形を取ります」
「先に大御坊を攻め落とし、畿内から三好勢を駆逐せぬ限り、攻める事叶いませぬな」
その通り。権六殿らの働きに期待する以外にない。
「そうなると熊野三山にございますが、この三山の中で唯一海に面しておるのが速玉にございます。那智は速玉より南西に、本宮は完全に紀伊の山奥にござれば」
そう言いながら、俺は地図上伊勢南部国境と、速玉とを結ぶ線を指でなぞった。
「ならば南方紀伊で戦うべき場所はこのうちのどこか。味方が最も前方に押し出した場合には速玉を取り囲む形の戦になります。某も紀伊の地理について詳しくはござらぬが、東牟婁・西牟婁のいずれかにて一当たりするものと存ずる」
牟婁郡のうち、東部に飛び出ている部分を半分に分けた北を北牟婁郡、南を南牟婁郡と呼ぶ。残った中央南部の東西を東牟婁郡・西牟婁郡と呼ぶ。
「となれば進軍経路は、多気より出でて伊勢柏崎、更に紀伊長島……相賀に尾鷲……御浜」
平地の、大軍が戦いやすい場所を羽柴殿が指さしてゆく。北から順に降りてゆくそれらの土地はいずれも昔船で通った場所だ。御浜まで降すことが出来れば熊野三山の一角速玉は目の前。
「比叡山を焼いた我らに対して油断することなどはないでしょうが、御輿を担いで強訴していた時代から、寺の者らは直接戦いになると途端に腰が引けまする。大軍をもって攻めあがれと言われる可能性もあり」
「慎重に進めと言われる可能性もありますな。何しろこの地形だ」
言われて頷く。そう、僅かな平地以外は悉く山道だ。山に慣れた地元民から奇襲を繰り返されればいかな大軍といえども被害は免れない。
「ですが、山道や悪路での戦いであれば織田家において随一であるのが彦右衛門殿です。故に、これよりの戦は彦右衛門殿が一隊を率い伊賀か紀伊に、その間に長島を攻め落とすのではないかと。勿論、羽柴殿も一隊を率いることでしょうが」
恐らく観音寺での戦いが評価されて、近江から南へ攻めるか、或いは権六殿の与力ではなかろうかと思う。
「伊賀については某どう攻めるべきか分かっておりませぬ。忍びの者が住む国と呼ばれておる伊賀は引き込まれて訳も分からぬうちに殺されることが最も怖い」
実際、現在伊賀に潜伏中の六角義賢らもそれを狙っている筈だ。そうやって粘り強く戦い続けやがて観音寺城を奪還する。六角家にとっては先例もある必勝の策であるはずだ。羽柴殿が勝利を収めたのは伊賀ではなく、引きずり出した近江での事。
「伊賀国の北、近江南部を統治する所謂甲賀五十三家は六角氏の家臣という話ですが、流石に最早六角に先は無しと見て見切りをつける者も出てきましょう。これが付け入る隙と言えば隙です」
「しかし、これよりは伊勢から西進する形で攻めることも出来ます。甲賀だけでなく、伊賀の者らとも戦うことになるでしょうな」
地図の上に手が一本。ほっそりと長い竹中半兵衛の手だ。父と兄を裏切り織田家に鞍替えした木造具政の城、宮山城に触れ、そこから西へ。
「中央部予野に居を構える千賀地服部家が中心となり、北東部東湯舟郷に藤林氏、南部大和との国境城山と東部友生村喰代郷に百地氏、この三氏が伊賀の核にござる。恐らく彼らは伊賀の地でならば何者にも負けぬという自負がござろう」
俺が知らない知識だった。流石に竹中半兵衛だ。しっかりと調べてきている。
「それぞれが構える城塞や砦を虱潰しにするは下策。いずれかを味方に引き込みいずれかを倒す。という方法に如かず」
頷いた。父は戦で危ない橋は渡らない。可能な限り多くの兵を集め確実に敵を潰してゆく。力攻めが難しい伊賀を相手にならそれくらいの事はするだろう。
「恐らく、弾正少弼殿を頼み敵方の足並みを乱しにかかるかと。そうする間に、北からの圧力と加え、東からも常に攻撃を繰り返すことが出来る者が、これよりの戦において重要な指揮官となりましょう」
俺達は後方の部隊との連携を上手くとり、注意して攻める。当たり前の事だが、それを常にしてゆけるかゆけないかが大きい。
「なるほどなるほど」
そこで、羽柴殿が楽し気に、満足げに相槌を打ち、一旦話を区切った。
「流石知恵者が二人集まると話も捗りますな。どうじゃ半兵衛? このように陰気な場所で話をしていても疲れてしまう。一つ皆で温泉にでも浸かろうではないか」
「温泉は健康にも良いのであろう?」
羽柴殿の提案に、小一郎殿が追従した。半兵衛はそうですねと頷き、それから俺を見た。
「そう言えば、アレを某にと直子様に対し伝えて下さったは文章博士様でしたな。あれから色々と工夫を重ねましてな。今我ら一同装着しておりますので、見て頂きたいのです。気に入りましたなら、文章博士様にも是非」
「……アレを……全員が?」
「はい、羽柴家中では身が引き締まると好評にござる故」
「あの程度の布で何がと思うたが、意外と温かい物よな」
小一郎殿と羽柴殿が続けて言う。
本気か?




