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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第五十二話・時をかける者達

「弟と妹が同時にか、目出たいな」

「所詮は畜生腹にて、織田家にとってさほどの慶事という事でもありません」

「織田家の役に立つ立たないではなく、お主にとって良かったであろう。年の離れた弟妹。さぞかし可愛かろうて」

「可愛くないとは申しませぬが、同年代の弟妹は他にもおりますし、この二人だけを可愛がるわけにもいきますまい」

「男女で産み分けたというのも流石は直子殿であるな。男二人であったならどちらが上の子かで揉めることになったやもしれぬ」

「織田家の嫡男という事であればそうもなったかもしれませぬが、某を数えなくとも既に男子は四名、どの道家督相続などあり得ませぬ。二人とも精々家臣家に嫁や婿として出すのが良いところでございましょう」

「……帯刀よ」

「何です? 坊丸が漸く眠ったところですので余り声を出さずにお願いいたします」


眠った坊丸を寝台に置き、今のうちにとさらしを巻いておしめとする。逆にむずがり始めた藤を抱き上げ、高い高いしてやるとほんわりと笑顔になった。よし。子供は日の光を浴びた方が良い。少し外へ出かけよう。


「可愛がるのならば可愛いと素直に言うべきと思うが」

「素直に言っているではありませんか。可愛くないとは申しません」


ひしと抱きしめ、まだすわっていない首を支えてやる。今は無理だがもう少ししたら背負いながら政務をすることも出来よう。


「お主は古渡の城主であるのだ、城主らしいことをしても良いのではないか?」

「ですからこうして客人である親父殿を迎えているではありませぬか。もてなしでございますよ。親父殿こそ、京都においての織田家の文官筆頭でありますのにこのような所におって宜しいのですか?」


帰りたいというのなら今すぐ籠でも輿でも馬でも用意するのだが。

母が産んだ二人の子供は、男子が御坊丸と名付けられ、女子が藤と名付けられた。御坊丸、勇ましくて良い名前だ。藤も、藤色という色が親しまれるように美しく艶やかで、女子らしい良い名だ。あの父が珍しく良い名を付けた。という訳ではない。母上があらかじめ決めておき、後に手紙で事後承諾させたのだ。父からは少々恨みがましい手紙が返ってきていたが、嫌ならばこの二人を殿の御子と認めて頂けなくて結構。という一文『のみ』を大書した手紙を返したら黙った。この辺は覚悟の違いだな。いつの世も、肚を据えた者は強い。


「あにうえ!」

「やあ、相」


藤をあやしつつ、親父殿の相手もせねばならぬと中庭へ出る。そこには九つになった相と、藤や坊丸より半年少々年上の兄於次丸殿、その母勝子殿がおられた。


「ふじちゃん!」

「うん、ふじちゃんだ。姉上に会えて嬉しいなあ」


屈みこみ、藤を抱かせる。相は九つにしては体が大きい。成長が早いのもあるが母や古参の女中達が栄養の配合を考えた食事を与えていることも大きいだろう。於次丸殿のことを抱っこしていることも多く、藤の事も簡単に抱き上げた。


「兄は勝子殿に挨拶をしてくる。その間藤を見ていてくれるかな?」

「はい!」


良い返事だと言って頭を撫でる。ここの所、相が俺の事を怖がらなくなった。藤や坊丸の面倒を見ている姿を見て近づいてきて、一緒に面倒を見ている間に懐いてくれた。赤子は偉大だ。

親父殿に二人を見ていて下さいと頼み、勝子殿の傍へ向かった。腕の中にいる於次丸殿は何が気に入らないのかグズっている。


「勝子殿、お加減は如何でしょうか?」

 膝を突き、勝子殿よりも目線を下にする。勝子殿は微笑みながら大変良いですと仰った。


「一時はこの古渡城が戦場になるのではと心配致しましたが」

「申し訳ございませぬ。我らの不徳と致すところ」

頭を下げると、勝子殿がいえいえと首を横に振った。


「ですが、長島一向宗にも手傷を与え、もう安心でございます。於次丸殿の健やかな成長を一向宗如きに邪魔はさせませぬ」

「於次丸殿などと、於次と呼んで頂いて宜しいですのに」

「れっきとした殿の御子、それに男児でございますから」

「帯刀殿とてれっきとした殿の御子ではありませぬか」

「れっきとしてはおりませぬ。村井重勝と名を変え、一門衆から家臣筋に降った身なれば無礼は許されませぬ」


そうやってもう一度頭を下げると、下げた頭を何者かにぺんと叩かれた。

「そうやって水臭いことを言うものではありません。頼りになるそなたから可愛がって貰いたいと、勝子殿はそう思っておるだけなのですから」

「起きられたので?」


午睡をしていた母がそこにいた。何故だか自分の乳で二人の子供を育てることに拘っている母は四六時中泣きわめく二人に追われて纏まった睡眠が取れない。故に朝方に一刻昼間に一刻と、短い睡眠を繰り返している。


「ええ、大分頭もスッキリとしました。勝子殿と子供達と、何か甘いものでもと思うたのですが、勝子殿、如何です?」

「ええ、是非に」


そう言って、母は勝子殿と相、藤を連れ、女中達と共に去って行った。俺は少ししたら行くと中庭に残り、同じように残った親父殿と二人になる。


「行かぬのか?」

「何か話したいことがあるのでは?」


俺とて、人の表情くらいは読めるようになった。縁側に座り、胡坐をかく。親父殿は近づいてきたが、座りはしなかった。


「全体として優勢な戦であったが、最後に意地を見せられたな」

唐突に切り出された話の内容は先だっての長島攻めについてだった。


「西美濃三人衆のうちの二人、下間頼旦の指揮が冴え渡りましたな」

氏家直元に安藤守就。氏家殿は西美濃三人衆の筆頭と呼ぶべき人物で、安藤殿は竹中半兵衛の舅だ。共に撤退の最中、伏兵に襲われて戦死した。名のある家臣も随分討ち取られたらしい。


「これまでの、数に任せて敵を押しつぶす以外に能がない一向宗と思っていては足を掬われましょうな。全体としては仰せの通り優勢だったのですが」

「戦果には満足しておるのか?」

「まさか、長島一向宗は滅びたわけではありませぬ。あの地に、尾張と伊勢に一向宗の拠点などというものが無くなるまでは満足など致しませぬよ」

「お前の軍は、随分な手柄を立てていたそうではないか」

「信方と志摩守殿が立てた戦功です」

「毒蜂蜜で敵将を殺したのでは?」

「死んだという報告は後から聞きましたが、偶然か必然か分かったものではありません。古渡産の蜂蜜には毒が混じっていると噂がたっては売れなくなってしまいますから身内以外に話もしておりませんしね。此度の戦、拙者の戦功など無きに等しいものですよ」


確実に言えることは此度の戦で古渡城から出て行った銭はないということだ。古渡の米を大金で売り、長島に入る前に奪い、食う。輸送まで相手がしてくれて、金が手に入る。その分やせ細るのは一向宗だ。次の戦いまでには会合衆を処罰し伊勢の国人衆もおいそれと助けられないようにする。何度でも、何十度でも繰り返しいつか必ず息の根を止める。


「お主は坊主や一向宗を相手にすると途端に残酷になるのう」

今後について思案を巡らしていると親父殿に言われた。


「お主は、本来自分の競争相手となる弟や妹にすら優しい。長男であるのにも関わらず家督を継げぬ身について悲観することもなく、いずれ弟達の下に付くことを受け入れておる。それだけではない。敵対勢力にある者であっても、お主はよく褒める。敵の尊敬出来る点を探しているかのようですらある。そんなお主が、なぜ長島においては残酷であることを躊躇わぬ?」


聞かれたことについて、俺は考えたこともなかった。だが、聞かれた瞬間俺は既に答えていた。余りにも当然すぎて、自分が何と言葉を発したのかすら覚えていない程自然に口から出てきた言葉を、親父殿が繰り返す。


「あれは、人ではないと申したか?」

繰り返されて。ああそうだ、俺は一向宗を、一向門徒を人と思っていないのだと納得し、頷いた。


「死を、喜ぶような者は最早人間ではありませぬ」

「極楽浄土の話か?」

「それもそうですし、それ以外のことでもそうです」


進めば往生極楽、引けば無間地獄。こんな言葉を聞いて地面に唾したものだ。戦って死ぬのが喜びで、引いて生き残れば地獄に落ちる。これを世迷言と呼ばずして何と呼ぼう。


「武士とて、死を誉としよう」

「武士の死は、誰かを、或いは何かを生かそうとするが故に成されること。家を惜しみ、名を惜しみ、仲間を惜しむ。それらは永劫に続く現世においてのもの。皆可能であるのならば生きてこの生を楽しみたいのです。然るに、連中は喜んで死ににゆきます。その癖に、自分達の敵についてはすぐに仏敵だ何だと言い、自分が殺すのではないという言い訳までしている。そのような者らも、そのような者らを操って指導者を気取る僧も、毒薬を飲ませて虫のように駆除するに、些かの良心も痛みませぬ」


俺の言葉を聞いて、親父殿はふむふむと何度か頷き、そして俺の肩を軽くぽんぽんと叩いた。


「その言は、親としては頼もしくもあり、そして少々危うくもある。帯刀よ、お主の言を否定するものではないが、少々儂からの助言を聞いては貰えぬか?」

「勿論にございます」


親父殿が俺に気を使って言葉を選んでいるのが分かった。少し乱暴な言葉を話し過ぎたかもしれない。落ち着いて、有難く拝聴することにしよう。


「確かに、一向門徒の中には思考することを放棄した者も多い。敵は仏敵であるので殺してよい。死ねば往生極楽であるので喜んで死ぬ。そのような短慮にて何万何十万と大挙し押し寄せる。確かに、まるでイナゴの大軍の如しである」

「そうでしょう」

「だが忘れてはならぬ。そこには女子供老人もおるのだ。という事は、一人ではなく、家族で救いを求める者らもおるのだ。一家一丸となって戦うこと、これは即ち先程お主が言った家や名や仲間を惜しむ心に繋がって来るのではないか?」


腕を組んだ。別に、言い負かされて悔しいとは思わない。親父殿が俺を貶めたくて言っている訳でないことはよく分かったから。ただ素直にそうかもしれないと思っただけだ。


「それは、虫にはないものだ」

「確かにそうです」


頷くと、親父殿がふふっと笑い、例えば、と前置きし話を続けた。


「殿が信行様に負け、直子殿が幼いお主を抱えて逃げ出したとしよう。道中、若い男共に乱暴狼藉を働かれ、這う這うの体でどうすればいいのかと絶望に暮れていた時、浄土真宗の者らに助けられた。直子殿はお主の為なら、或いは産まれたばかりの坊丸と藤の為なら平気で毒も食らおう。そうして一向宗の為身を捨て戦わんとする直子殿がおったとしたら、それも虫か?」

「例えに母上を出すのは些か卑怯にございます」


そんな事を言われたら否定が出来ないではないか。多少の非難を込めて親父殿を見ると、親父殿はほっほっほと声をあげて笑い、謝って来た。


「確かに卑怯であったわ」

「そうでしょう?」

「じゃが、そのようなめに遭っている者、そうして浄土真宗に帰依するようになり、救われ、教えを守るために戦わんとする者も多くおるのだ」


名も知らぬ者らの話よ。と言われ、俺は再び黙らされた。


「乱世であるのだ。ただ生きることがこんなにも難しい。仕方なく戦う者もいれば、愚かにも戦うことが目的になっている者もおる。哀れな者どもの信仰心を利用し私腹を肥やす坊主など寺ごと焼き払って何の問題もないが、誠に人を救わんと欲している坊主も世にいないわけではないのだ」

「では結局どうすればよいのか、拙者には分りません」

「こうすればよい、ああすればよいという安易な考え方を捨てよ。それでは、お主が嫌う虫の如き者らになってしまうぞ」


 この日親父殿が放った言葉の中で、この一言だけは厳しく突き刺すような口調だった。


「唾棄すべき味方もおる。愛すべき敵もおる。お主が思う程仏教という教えは浅くはない。浅くしておるのは碌な坊主がおらんからよ。千年の(いにしえ)に日ノ本へやって来た仏教、それよりも古く、この島々の民が生み、育んできた神道、そして今、急速にその力を伸ばしつつある基督教、教えの世界でも、天下の覇権争いは否応なく激しくなっておる」


教えの世界における天下の覇権。考えたこともなかった。


「お主は賢い。それら全てを飲み込み、己なりの答えを導き出して見せよ。折角文章博士になったのだ。それくらいでなければ面白うない」

「時がかかりますな」

「かかろうとも。そしてお主にはその時がある」


言って、親父殿が歩き出した。母達の後を追う。母は最近クッキーなる菓子を作るようになった。牛の乳と卵、それと砂糖が少しずつ安定的に手に入るようになったから作れるようになったのだと喜んでいた。

その日は一日晴れていたが、日没前に急に曇りはじめ、日が落ちてすぐ、本降りになった。




「ん……?」



その、雨の降った夜に、遠くで赤子の鳴き声が聞こえ、俺は寝室から出た。恭を起こさぬようにそっと、鳴き声が聞こえた方へ進むと、そこに赤子に乳を与える母がいた。



「そうですか、貞勝様がそのようなことを」



暗かったが故に、その赤子が坊丸か藤かは分からなかったが、母が眠れるまでにはもう少し時間があろうと、俺は話をすることとした。親父殿にした話をし、親父殿からされた話をする。母は時々相槌を打ちながら、赤子に乳を与えていた。


「母上はどう思われます?」

「話自体にはどうとも思いませぬ。その話をそなたにして下さったことに感謝してはおりますけれど」


月の光もない空は暗く、蝋燭の僅かな明かりでうっすらと見える母の横顔からは、何の感情も読み取れなかった。


「母は、どうすべきと思いますか?」

その質問に、思わずといった風にして母が笑った。尾を引く甲高い笑い声のせいで、眠りかけていた赤子が目を覚まし泣き出してしまった。そんな様子を些かも気にかけず、母は俺に言う。


「そのような軟弱な質問をするとは、そなたも随分悩んでおるのですね」

「軟弱な質問、ですか?」

珍しく、母が俺に対して辛辣な言葉を使って来た。本当に珍しいことであったので、怒りよりも先に驚きが勝った。


「考えるのに疲れ、ただ母から簡単な答えのみを欲しておるのですそなたは。全て坊主の言う通りに従っておればよいと考える、一向門徒の如くに」

二言目は、しっかりと俺の心に突き刺さった。暗闇故に見えなかったであろうが、眉を顰め頬が紅潮する。


「まあ、そなたのみを責められる話ではないでしょう。織田家にも、織田信長公に従ってさえいれば正しいに決まっているのだと、盲目的に戦っている者達がおります。兄や塙家の者どもがそうでしょう。あれは織田信長という神を奉る宗教の信者です」

「……今宵の母上は、随分と毒舌であられますな」

「そうですね、夜と雨がそうさせるのか、このところの寝不足がそうさせるのか、女子の心などうつろいやすいもの、話半分に聞き流しておけばよいでしょう」


そうは言うものの、俺は母の言葉を聞きたかった。母はどこか、全てを知っているような雰囲気を持っているのだ。暗闇と雨の中、この時の母は普段にも増して不可思議な説得力を纏っていた。


「母がそなたに言えることは一つ。『時を早めなさい』ということ」

「時を……」


以前も言われた気がする。あれは観音寺攻めの時だ。時を一年早めたと言われた。あれから俺達は時を早めているのだろうか?


「迷うことなく前進なさい。考えることなく敵を屠りなさい。民が正義を求めたことなど古今東西未来に至るまでありませぬ。間違った政権で千年平和が続くのであれば、正しさを求めて争いが続くより、民にとっては良い世なのです。ともかく時を早め、ともかく一日でも早く乱世を終わらせる。その結果、この国の王が天皇であろうと将軍であろうと織田家当主であろうと誰であろうと構いませぬ。国教たる教えなど神道であろうと仏教であろうと基督教であろうと関係はありませぬ。イワシの頭を神とすることで世の人が幸福になれるのであれば、それ以外の教えなど要らないのです」


それはあまりにも力強く、余りにも迷いのない言葉。聞いているうちに、その言葉が脳内に響き俺の自我すらも侵食してゆくのではないかという程に。


「良いですか? 帯刀」

「……はい」


そうして、母が赤子を膝に置き、腕を伸ばして俺の頭を掴んだ。ゆっくりと寄せられ、俺はそれに抵抗することなく、近づく。


「世はうつろい易いものです。確かなものはたった一つ、私が、そなたを愛しているという事のみ」

「俺は……」


俺も又、母の事は愛している。尊敬もしているし、良いところも悪いところも知っている。一緒に過ごしていて退屈せず、この人が己の母で良かったと思ったことは数知れずだ。

だが、それと同時に俺はこの母が恐ろしい。時折聞きたくなる、『母上、貴女は一体どこまでの事を知っているのですか』と。それを聞けば何か取り返しのつかないことが起こるような気がして、今日まで聞けずにいるのだ。


「急ぐのですよ、帯刀」


そう言って微笑んだ母上の表情は、慈愛に満ちた悪魔のようであった。


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