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信長の庶子  作者: 壬生一郎
村井重勝編
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第五十話・元亀元年夏古渡

 武士は意外と、縁起を担ぐし神や仏に祈る。人を殺し、自らも殺されることを是として生きなければならないのであるから、神も仏もないと考える者が多いのではと思うこともあるが、俺が知る限り父も含めてゲン担ぎや神仏への祈りを完全に無視できる武将はいない。


 例えば軍神の呼び声高い上杉謙信が、毘沙門天を信仰していることは有名である。かの軍神は戦勝祈願の願文に、阿弥陀如来・千手観音・摩利支天・大日如来・弁財天・愛宕勝軍地蔵・十一面観音・不動明王・愛染明王の名を記し他の神仏からも加護を得んとしている。もう一人の軍神武田信玄も又、『諏方南宮上下大明神』の旗を掲げ、自分は諏訪明神に守護されているのだと主張している。父はどうであるのか。石山本願寺や比叡山延暦寺と戦火を交えた父ですら、吉兆を占う呪術者である伊束法師を抱え、有事の際には縁起を担いでいる。桶狭間の折、熱田へ詣で戦勝を祈願したことは有名な話であろう。


 殺し合いに身を置く武士が、何故こうして神や仏を敬うのか。元々が罰当たりな行為をしているのだから、開き直ってしまえば良さそうなものであるのに。そんな風に思ったことがないではない。だが、最近になって何となく、武士が神仏を敬う理由が分かったような気がする。我々は、殺し合うことについてそれが正しい事であるとは思っていない。それ以外に方法がないから、悪い事であると知りつつ仕方なく敵を殺す。故に、他人に対しては自分が戦う正当性、大義名分を主張し、神仏に対し、自分はこのように考え、仕方なく敵を屠っているのですと言い訳する。つまり、自分の心の平穏を保つため、神仏を敬うのではないかと、そう思う。


 戦場において、人一人の生き死には何が分けるのであろうか。同じような力を持つ二人のうち、一人が無傷で帰り一人は死ぬ。その差はどこにあるのだろうか。戦場に身を置いたことがある人間であれば、そこに明確な差などないことが分かる。明確な差が見当たらないからこそ、そこに神仏の加護という理由を欲する。ただの偶然の差であると割り切るには、己や一族、大切な人間の命とはあまりにも重たいのだ。


 だからこそであるのか、母が神仏に対して全く敬意を持たない理由も納得が出来る。母は実際に戦場に出たことは無い。今後も無いであろう。ならば戦場の生き死にに対して精神的なものを感じることも又無い。兵の多寡、武器の良し悪し、地形天候士気。それら理詰めで納得できる部分でのみ、生きるか死ぬかの判断をすることが出来る。母の事であるからはっきりとしたことは言えないが。


 ともあれ対外的には神も仏も畏れぬ怖いもの知らずの織田信長と、その家臣団がこの度更に一つ、仏を敵に回す行為を行った。即ち、父が織田家臣団に対して一向宗禁令を正式に布告し、そして家臣団がそれを受け入れたのだ。


 顕如を始めとした本願寺教団の連中は驚いたであろう。我々は和平を結んだのではないかと。だが織田家の家臣達は驚いてはいない。父に対し、随分と思い切ったものだと感心はしたものの、ある意味、来るべき時が来ただけだという納得があった。


 繰り返すが、織田家一門衆も家臣団も、別に神仏に対してあんなものは嘘っぱちだと思っている訳ではない。ただ、戦わざるを得ないから戦う。それだけだ。極少数の本心から仏を畏れていない人間を除き、殆どの織田家家臣団が今後何か悪いことがあるたびに神仏からの罰が当たったのではと、薄気味の悪い思いをしなければならない。極少数に入る俺としては、大半の家臣達には同情を禁じ得ないところだ。


 俺、村井重勝はなぜ神仏を畏れないのか、正確に言えば畏れないわけではない。だが、それよりももっと信じる者の加護を得ているというだけの話だ。自ら腹を切り、延暦寺はじめ織田家に仇を成す者達を呪うと言って死んでいった男、織田信治叔父上。あの壮絶なる死にざまを見て、あのお方から俺は加護を得ているのだと心底より信じることが出来た。罰が当たると言うのであれば、神仏などのそれよりも叔父上からの呪いを受けるであろう坊主共のほうが、余程恐ろしい罰が当たるであろうと確信もしている。


 「構えが悪うございます」

 「こうだろうか?」


 稽古の最中、つらつらと益体もないことを考えていると疋田景兼殿から声をかけられた。構えに乱れが無くなると、疋田殿は何も言わなくなる。そうして打ち込む。打ち込むと必ず押さえられ、構えが悪いと再び指摘される。その指摘というのも、脚の位置が悪ければ脚に、腕の位置が悪ければ腕に木刀の切っ先が当てられる。触れるようにそっと当てられるので全く痛みはないが。油断なく構えている筈なのにいつの間にかそのようなことになっているのにはいつも驚く。構えが前のめりになり過ぎている時などは、気が付くと眉間に木刀がくっついているのだ。これまでの稽古で一体疋田殿は何百回俺を殺せたのだろうか。


 疋田殿は興味深い男だ。口数が少ないところは景連に似ているが、景連は無口の内側に弓に対しての情熱があり、家名を栄えさせんという野望がある。だが、疋田殿には元々熱が無いように思える。


 疋田殿に、何故諸国漫遊の旅をしているのかと聞いたことがある。俺としては天下一の剣を極めたいであるとか、強い相手と戦いたいであるとか、そういった答えを期待していたのだけれど、答えは『師に言われた』だった。教えることが何もなく、恐らくお前は天下一の腕前であるので自分の傍にいる意味がない。と言われたらしい。師に、即ち上泉信綱殿にそのようなことを言わしめた人物なのだ。


 強くなることに興味はないのかと問うと、『他人より強くて何の意味があるのでしょうか?』という質問を返されてしまった。何と言い返すべきか分からず、誰よりも強くなれれば楽しいのでは? と言い返してみると。『では、もう楽しくありませぬ』と返って来た。後から思ったのだが、それは、自分より強い人間がいないと知っている。という事なのであろうか。


 もう楽しくありませぬ。の言葉通り、疋田殿は実につまらなそうに刀を振るう。それはもう見事な程に。毎朝毎晩稽古は欠かさないが。稽古をしなければ死んでしまうからしかたなくしております。とでも言わんばかりに、全く何の感動もなく、ただただ淡々と決まった稽古を行う。晴れていようと雨だろうと関係は無い。恐らく雪や雷が降っても同じようにするのだろう。剣は嫌いですか? と聞くと疋田殿は暫く考えた後、申し訳ありませぬと答えて来た。


 何を考えているのか今一分かり辛い疋田殿であるが、答えをくれる時、その答えは実に分かり易い。山中や奥深い森の中での戦闘には何が武器として適しているのかを聞くと反りがなくやや短い刀が適していると言われた。実際にそれを持って森へ出かけると、成程確かに、木々の枝に当たることなく、取り回しに優れた反りのない短刀は使い勝手が良かった。もっと強い槍を作りたいという話をしていると南都興福寺は宝蔵院に、十文字槍なるものがあると教わった。作ってみると成程確かに、この槍であれば横に避けるということが出来ない為間合いに入れない。但し、横を傷つけてしまう為集団戦闘において、槍衾を作るには向かないという事も教わった。


 「直子様は、面白いお方でございますな」

 唯一、疋田殿が関心を持っているのが母だ。最初は母がしている様々な事柄に興味があるのかと思っていたが少々違った。様々な事柄に色々と手を出す母そのものを見ているのだ。もしかして惚れているのか、とも思ったが、多分違う。あれは言葉通り、面白い見世物を見ているだけだ。


 「では、また明日に」

 稽古を終え、城中へと戻る。今日も疋田殿は感情の読み取れない表情で頷き、俺に頭を下げる。


 「そなたも相当に面白がられておりますよ」

 夕餉の際、母が面白いおかげで剣豪が我が領土に長逗留してくれていると言うと、母からはそんな風に返された。


 「そうですか? 某は最近、紙と弩を作るくらいの事しかしておりませぬが。後は、ひたすら剣の稽古をつけて貰うのみです」

 瓜と大根の漬物。焼いた鯵。鹿肉の背身を焼き、みそだれをかけたもの。蜆の味噌汁を啜り、麦飯を食べながら、やはりパンやピザよりこちらの方が旨いと思った。


 「それが面白いのでしょう? 稽古と紙と武器の開発と、やっていることに一貫性がありませぬからね」

 「一貫性はあります。皆領内を富ませる為と思っての行動です」


 紙の作成とは、藁を使った紙作りだ。細かく切った稲藁や麦藁を長時間煮込み、繊維にしてから紙を形成する。そろそろ竹簡のみに頼っていると重さやかさばりによって移送の限界が見えて来た為、今試行錯誤しているところだ。秋の収穫の後、冬場の仕事になれば良いと思っている。竹の葉や、その辺りの雑草でも出来るようになれば尚良い。これらの紙を一定の大きさに揃え、『わら半紙』という名で売り出す。名前は母が付けた。


 弩は、『孫子』を読んでいる時に閃いた。かねてより懸案の弓の改良であるが、正攻法として弓を大きくし、大弓とする方法がまず一つ。この方法であると少なくとも現在使われている種子島よりは飛距離に勝り、そして景連が扱う分には命中率・速射性についても勝った。景連が扱う分には。

 景連が扱い方を教えれば、十人程度の大弓部隊は編制出来るだろう。時間さえかければ百人単位でも出来るかもしれない。だが、それが限界だ。鉄砲隊が千人単位になったならばどの道大弓隊は駆逐される。どうするかと考えていたところで弩の登場となる。


 弩は弓と違って腕だけでなく脚の力を使って矢を引き、固定した後発射する。扱うのは矢でも、撃ち方は鉄砲であるのだ。そして一度矢を引き絞ってしまえば誰が扱っても飛距離は変わらない。つまり命中率も高く、熟達した技術も必要がない。即ち集団運用に優れている。劣っている面は速射性である。景連が扱う大弓のおおよそ三倍程の時間が必要となる。


 「富国強兵。母上が言い出したことではないですか」

 わら半紙づくりは富国、そして弓の改良は強兵だ。領地を守る俺が強くなることは富国にも強兵にも繋がる。


 「では、私も一つ、富国強兵に繋がるものを考え付いたので見て下さいまし」

 自身は既に食事を終え、俺が飯を空にすると自動的にお代わりをよそう機械と化している母から言われた。大盛りの飯をよそった茶碗を俺に渡し、それから何やら布を見せる。


 「何ですそれは?」

 「乳房に当てる肌着です」

 初めて見る物だ。確かに、女性の乳房を受け止めるような湾曲した布である。留められるように、背中側に鍵状の小さな鉄が付けられている。


 「乳房に直接布を当てる必要があるので?」

 「殿方には分かり辛いかもしれませぬが、歩くだけで揺れて擦れ、痛い時もあるのですよ」


 ふむ、と頷く。言われてもよく分からない。だが、揺れるから必要なのだと言われれば、母はまあ、必要かもしれない。ハルであれば是非とも必要なのであろう。恭には不要ということになる。本人には絶対に言わないが。


 「これを着けることで女子の生活がよりよくなるという事でしたら、作って頂いて構いませぬけれども」

 どの道女子の事はよく分からない。俺は男であるのだ。漬け物を齧る。飯を口に入れる。母はいつも炊きたてを出してくれるので嬉しい。戦場にはない喜びだ。


 「ありがとうございます。それでですね、そなたの分もあるのですが」

 「拙者の分ですか? 女子の乳房に当てるものなのでは?」

 俺に乳房はない。太っている男であれば必要かもしれないがどちらかと言えばやせ型の俺だ。


 「いえいえ、殿方には乳房こそありませぬが、筋肉がございます。これを固定し、締め付けることで強い力を出すことが出来るようになるのですよ」

 そう言って母がもう一つ布を取り出した。男用であるらしい。先程の物と違って丸みがない。


 「怪我をした際に布を巻くこともありましょう? ああやって抑えつけることは身体を補助してくれるのです。以前の骨盤矯正腰巻も然りです」

 「成程」


 布をまじまじと見て、それから母の表情も伺い、言っている言葉、その真意を読み取る。


 「確かに、褌もするとしないのとでは体の締まりといいますか、体の動きが違ってきますね」

 「そうでしょう、ですから是非」

 「拙者は使いませぬ」

 「なんでよ!!」


 滅茶苦茶叫ばれた。理由は貴女の目だ。この化け狐め。


 「母上の目が邪悪であります。そのような目をしている時の母上がすることに碌なことはございませぬ」

 「そんなことない! そんなことないわ! ちょっとだけ、ちょっとだけ着けてみて、お願いよ帯刀ちゃん」

 「そんな風に呼んでも嫌なものは嫌です。拙者はそれを使いませぬ。家臣達に対しても決して使わぬようにと言い含めておきます」


 鹿肉の最後の一切れを摘み上げ、口に入れる。茶碗を取ろうとしたら先にベシっと取り上げられ没収された。既にお代わりを何度かさせられているので今更食事抜きにされても効果はないのだが。


 「今なら誰も知らないから世にメンズブラを広めるチャンスなのよ、お願い、一度でいいからそのブラを着用して、それから戦に行って頂戴」

 「誰も知らないから、という言い回しが既に何か悪だくみをしている者のそれです。父や弟達にも文を出しておきます」


 下唇を噛み、悔しそうに俺を睨む母上。何故そんなにも悔しそうな表情を作るのか、俺には全く理解出来ないが、どうせろくでもない理由であるのに決まっているのだ。その心情を斟酌する必要とてない。


 「『天使のブラ』があるんだから『紳士のブラ』とか『軍師のブラ』があっても良いじゃないの。フロントホックを開けた時のドヤ感を男だけで独占する、そんな差別に塗れた歴史を繰り返すわけにはいかないのよ」

 「もう大体全て何を言っているのか分かりません」


 その後も、母上はよく分からない単語を多用しながら俺を説得しにかかった。しまいには兄上が母に意地悪をするわ。などと、腹をさすりながら言ってくる。そんな下らない説得に胎児を使うとはなりふり構わないにも程がある。だが俺は首を縦に振らない。我が愛すべき領民や家臣達を、母の毒牙にかけるわけにはいかないのだ。紳士のブラだか軍師のブラだか知らないが……ん?


 「母上は、男がその、ブラなるものを使用すれば嬉しいのですね?」

 「うん!」

 元気いっぱいだな。


 「一人、その軍師のブラを装着させるに相応しい男がおるのですが」

 「誰々? 母の知っている人かしら?」


 知っている人だ。以前女中達と盛り上がっているのを聞いたこともある。


 「実は拙者此度の戦において今孔明、竹中半兵衛重治殿と知遇を得ましてな。それはもう前世からの因縁があったとしか思えぬほど馬が合い、最早親友と呼ぶに誰憚ることもない仲であるのですが」


 母の目が、丸く見開かれている。禍々しいばかりの輝きが溢れ、頬が紅潮し、口の端からは今にもよだれが垂れ落ちんばかりだ。


 「竹中殿、いえ、我が友半兵衛に、母が推薦するブラを送って差し上げてはいかがでしょうか。それであれば母も嬉しく、竹中殿とて役立てて下さるでしょう」

 そして俺の心も痛むことは無い。些かもない。


 言い終えた途端、母上は俺の手をグッと掴み、『そなたを産んで良かった』と言って一筋の涙を零した。こんなことでそんな大仰なことを思わないで欲しい。


 それより後、母が竹中半兵衛にどのようなブラを送ったのかは知らないしどうでもよい。それとは別に、これより三ヶ月後、母は男女の双子を産み、河内・大和では内乱が発生し、俺は伊勢長島を攻める為再び出征する。


今回の話、作者は何を一番重要だと思って書いたんだろうか……?

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― 新着の感想 ―
[一言] そりゃあもう、真の友なる半兵衛殿を賛美する部分が最も重要と思っておりますよ。私に一寸たりとも邪気はございませぬ。
[一言] 直子様が作者様に御光臨なされたのかと。スクール水着も男女兼用が来たし、ブラジャーもあっていいと思います
[一言] わかりません…ピッカピカの〜一年生♪by志村けん・加藤茶w
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