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信長の庶子  作者: 壬生一郎
帯刀編
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第五話・健康長寿問答


「佐久間信盛様は『帯刀様こそ当主に相応しい』と仰ったわけではないご様子です」


翌日の朝餉を食べている時に母から言われた。俺は雑穀米を海苔で巻いて口に入れながらそれを聞く。


「私や、兄上達に謝罪をしに来た際に『立派な長男である。弟君達も頼れる兄がいて幸せだ』というようなことは仰っておりました。きっとそなたを敵に回すことが得策でないとお思いになったのでしょうね。私にもこの通り、立派な反物を下さいましたことですし」

「そんな物より母上は紙の書物の方が欲しいでしょうに」


大ぶりのハマグリで出汁を取った御吸物を啜りながら言うと、母が失礼な、と言って俺の頭をピシャリと叩くそぶりを見せた。


「私とて女です。可愛らしい衣装でお洒落をしたいという気持ちはありますよ」

「それはそれは」


焼き味噌を米の上に乗せる。雑穀米とはいえ炊きたてご飯だ。味の濃い味噌と一緒にかき込むのはたまらなく美味しい。


「心証を良くしたかったのでしょう。方々でそなたの事を褒めていたそうですよ。ですが、私が聞いた限り奇妙丸様や茶筅丸様、勘八様と比べてそなたが勝っているという話をしたことは一度もないようです」

雑穀米の茶碗が空になったのでお代わりしようとすると、スッと立ち上がった母が茶碗を俺の手から取り、そのまま俺の手を取って頬でスリスリとした。

「いやそういうのいいですからお早く」

「ホホホホ」


楽しそうに笑って、おひつから雑穀米を取り出して盛る。坂田金時が食べそうな大盛りにしてから上に大きな梅干を一つ。シソの葉で着色した真っ赤な一粒。母の手作りだ。


「矢張り大盛りはこうでありませんと」

「大盛りにして下さいとは言っていませんけれどね」

「私は大盛りのご飯が減っていくところを見るのが好きなのです」


若い男は皆腹が減っているに違いないと考えている系の親である母はそう言ってさっさと離れてしまった。おひつも一緒に。米の返却は認めていないらしい。


「平手様や他の重臣の方々も同じようにそなたを褒めていたようです。信実様や信次様は、もしかすると本気でそなたを擁立したいと考えているやもしれませんがね」

「お二人とも周囲の見えていない老人ではないですか」


織田信実と織田信次。二人は父信長の叔父で、亡き祖父織田信秀の弟達だ。織田一族という事で尊重されてはいるものの、実力も実権も、たいして持っていない。


「父上も、家中の災いになるようなことを言う叔父くらい手早く押さえつければよろしいものを」

「殿は、あれでご家族に強く出られないところがございますからね」

そうなのだ。父は自分の兄にも弟にも背かれたことがあるが、どちらも一度は許している。今回反乱を起こした信清についても、犬山城から逃げるようなら追う必要はないと言っているらしい。


「しかしそうなると、俺の支持基盤などあってないようなものですな」

「はい。ですので調子に乗らず、横柄な態度なども取らないようにと、兄上達にはきつく言いつけておきましたよ」

梅干のあるてっぺんからバクリと雑穀米を頬張る。一瞬、口の中がしょっぱさに満たされたがすぐに大量の雑穀米が薄めてくれた。一気に山盛りの雑穀米を口に放り込み、山を攻略した。これでようやく大盛りくらいの量だ。


「それはそれで良いと思いますが。しかし、どうしていつの間にやら佐久間殿達が俺を担いで当主にという話になったのでしょう。伝言が繰り返されてそうなっただけ。ということでしょうか?」


残りの雑穀米を半分ほど取って先程溶いておいた生卵にかける。清潔な場所で育て、今朝取れたばかりの新鮮な鶏卵だ。小さいけれど、味は抜群。そんな食べ方をするだなんて、とギョッとする者は多いけれど、まだ母と二人暮らしだった頃から食べ慣れている俺としてはなぜ皆がこの食べ方をしないのかが不思議なくらいだ。旨いのに。


「織田家が割れるように、噂を広めた者がいるのでしょう」

「と、言いますと?」


じゅるじゅると卵かけご飯を吸うようにして食べていると、母が悪戯っぽく笑った。教えてあげよっかな? どうしよっかな? みたいな表情だ。母親からされても嬉しくも何ともない。


「信清殿がそれを狙っていることは子供でも分かります」

母の回答を待つことなく自ら切り出した。子供の俺が子供でも分かるというのだから子供でも分かる道理だ。知りたいのはそれ以上の事。現在織田信清は犬山城を囲まれ二進も三進もいかない状態にある。噂が意図的に流れたという事は、犬山城外において信清に味方している何者かがいるという事。


「それについても、そなたは想像がついている筈ですよ。信清様を助けたい者、ではなくそなたを貶めたい者」

「……余り、想像したくはありませんが」

強い心当たりが一つある。けれど名前は出さないでおいた。瓜の浅漬けをつまみ、残り僅かになった雑穀米と共に口に放り込む。パリパリと良い音が鳴った。海苔と浅漬けを交互に取り、茶碗を空にすべくもうひと頑張り。


「想像したくなくとも、対応すべきことは沢山ありますよ。塙家は私が何とかしておきます。お濃様へのお手紙も、こまめに出しております。そなたはそなたのすべきことをなさい」

真面目なことを言われたので、真面目に頷く。差し当たって何をすべきか考えていると、差し当たって、と母が先に言った。

「お代わりはいかがです?」

聞こえよがしに大きなげっぷをし立ち上がると母が楽しげに笑った。


「差し当たって、吉乃様と弟達に会いに行って参ります」

「それが宜しいでしょう。濃姫様と吉乃様が後十年ご存命なら、後継を誰にするかという話など雲散霧消します。馬の皮が欲しければ用意します」

「でしたら、『昔旅の医者に聞いた医学の話』とやらを急いで書にしたためて下さい」


昨日俺が吉乃様にした話、そのうちのほぼ全てが母から教わった話だ。そして、母は昔々に習った話をそのまま俺に伝えているだけだという。腰にある骨盤と呼ばれる大きな骨のズレが身体を悪くしているという話も完全なる母からの受け売りだ。母はそういった話を俺に対しては逐一してくれるものの、自ら書に著わそうとはしてくれない。


「女子が医術などの話をしても、胡散臭い目で見られまたぞろ林のような者から馬鹿にされるだけです」

「旅の医者が纏めた医学書とすれば宜しいではないですか」

「それならば著者には原田なにがしか、或いは帯刀と入れます。手柄を旅の医者に持っていかれたくはありません」

「では、それでも宜しいですので」

「そなたの名でもって書くのであれば、そなたが書くべきです。私は聞かれたことには答えます。聞いたものを纏め書を著わすのはそなたに任せますよ」

「……母上は誠に多才ですが、最も才をあらわすのは人を丸め込む時ですね」


俺が言うと、母が大きな声で笑った。吉乃様とは違う、生命力に溢れた声だった。溜息を吐きつつ出かける。出がけにじゃこを混ぜた塩にぎりを三つばかり貰った。一つを長則に、一つを嘉兵衛に渡し古渡城を出る。腰巻きを一日着用した感想を聞くことにしよう。




「申し訳ありませぬ」

「いえ、お気になさらず」

吉乃様から頭を下げられ、俺はゆっくりと首を横に振った。


「所詮子供が作った物故、脆かったのでしょう」

「そんなことはございませぬ。こちらの扱いが悪かったのかと」

「又時間と金を溜めてお作り致します」

「あれは高価なものであったのですか?」

吉乃様の言葉に、その後ろに控えている女中達が表情を変えた。


「戦用の名馬を潰した訳ではありませんので、一貫文かそこらでしょうな。米で二俵と半分、その程度です」

「十分な値段ではないですか」

周囲に聞こえるような声で言うと、吉乃様は慌てたが後ろの女中達は顔を青ざめさせた。


「それでも、壊れてしまったのですから仕様がありません。そうでしょう?」

吉乃様に対して言いながら、その後ろに控える女中達と視線を合わせた。俺が差し上げた腰巻きが、半日使って朝起きたら壊れてしまっていたのだろう? 申し訳なさそうな表情を作るのならばわかるが、どうして『やってしまった』みたいな表情をしているのかな?


小さくため息が漏れた。見え透いたことをする奴はどこにでもいるようだ。当主の座を奪おうとしている庶子が吉乃様に何やら得体の知れない物を渡していた。きっと悪いものに違いない。壊してしまえ。そういう風に思ったのだろう。うんざりはするけれど腹は立たない。彼女達の気持ちは分かるし、命じたのは男連中だろうから。


「本日も、奇妙丸様方はお忙しいのですか? 一目顔くらい見たかったのですが」

なるべく残念そうに聞こえるように聞いた。吉乃様は申し訳なさそうに俯き、それから女中達の方を見た。女中達は顔を伏せ、吉乃様と視線を合わせようとしない。俺としてはここで会えなくても最悪構わない。足繁く弟と義母の元へ通い、何くれとなく世話をしたがっていた。その事実があれば良い。父からの叱責を承知で俺を殺せる程肚の据わった者はいないというのは母の言だ。そうこうしているうちに犬山城が陥落すれば織田家の内憂は収まり俺に出来ることは無くなる。出来ることが無くなるとはつまり、俺を危険視する必要もなくなるという事だ。吉乃様や奇妙丸達は小牧山城へと居を移し、俺は古渡城に残る。どちらが大切にされているかは一目瞭然で、織田家の家督を争うことはなくなる。



「いけませぬな。帯刀様には疑いの目がかけられております故」



今日はこの辺りで帰り、明日は土産に魚でも持って来て食べさせよう。などと考えていると外廊下の向こう側から男の声が聞こえた。


「村井殿」


現れたのは、初老の小男だった。林の爺さんよりは年下だが禿頭であるところは同じ。板の間の上をススス、と滑るように進み、上下の動きがほぼないまま近づいてきて、縁側に腰かけている俺の正面にそのまま正座した。

「膝が痛くなりますよ」

「御心配には及びませぬ」


背筋がしゃんと伸びていて、冗談は決して通用しなそうなこの男の名を、村井貞勝と言う。近江出身の知識人で、織田家の諸政務を司る人物だ。


「それよりも帯刀様、吉乃様は織田家御嫡男の御生母様にございます、生兵法で怪しげな物を渡すことは感心致しませぬ」

「怪しげな物ではありませぬ」

淡々と諭すように、村井貞勝が俺を責めた。吉乃様が何か俺を庇うようなことを言ってくれようとしたがそれよりも先に自分で反論した。最近、禿げた爺さんとよく論争をするな。


「吉乃様は産後の肥立ちが悪く、憚りながらこのままではお命も危ないとお聞きしました故、お助けしたいと考えたのでございます」

「しかし、馬の皮を体に張り付けることとお体と、どのような関係が?」

「貼り付けるのではありませぬ、骨格を矯正するのです」

「どのように?」

言いながら、村井貞勝がスルリと取り出したのは俺が昨日手渡した骨盤矯正腰巻きだった。一体どこにしまっていたのだろうか、取り出すまで持っていることに全く気が付かなかった。


「それは、このようにですね」

「ほう、どのように?」

俺が立ち上がり使用法とその有用性について説明を始めると、村井貞勝は自分の身体に腰巻きを巻き付けながら逐一質問をしてきた。壊れたと言われた腰巻きは単に皮を縫い付けていた糸が断ち切られていただけなので、俺と村井貞勝、二人合わせて四本の手があれば扱うのは簡単だった。


「骨盤、なるものにズレがあると、どのような状態に陥るのでしょう?」

「歩くことは元より、あらゆる運動が困難になります。産後まともに歩くことが出来なかったという経験をした女性は多くございましょう。偏にこれが原因であるのです」

と、そこまで話したところで、俺は村井貞勝の後ろの様子に気が付いた。女中達が成程、という表情で頷いている。確かに、昨日吉乃様相手にしたよりも何倍も詳しく話してはいるが。


「骨盤矯正帯については理解致しましたが、しかしながら牛馬の肉を強いるのは承服いたしかねます。失礼ながら、不浄の肉を食させ、吉乃様の御体調を悪くさせようとなさっているのでは?」

流れるように話が変わった。さっきまでは成程、という表情だった女中達が今度はそうだそうだ、と俺を非難する視線を向けてくる。


「誤解にございます。吉乃様の食生活を鑑みるに、栄養が偏っておると考え、それを解決するために肉食を勧めたまでにございます。無理に牛馬の肉を食べさせようとはしておりませぬ」

「なぜ、そのようなことをお勧めなさるのです? 古来より日ノ本の人間は米を主として食事を行って参りました、今も日ノ本には多くの人が住んでおります。米を食っていれば餓死することもございませぬ。問題ないのでは?」

「問題はございます」

「どのように?」


村井貞勝の言葉は、字面だけを追えば厳しい非難のようであるが、その話しぶりは丁寧かつ真摯だった。まるで皆の前で俺の潔白を証明しようとしてくれているかのようだ。それに気が付いた俺は、村井貞勝の言葉に乗っかるように滔々と説明を続けた。


「貞勝殿は源氏物語を読まれたことは?」

「ございます」

源氏物語は平安時代に書かれた助平絵巻だ(語弊有り)。作者や粗筋など説明する必要すらあるまい。


「源氏物語において食事描写のある場面を幾つ挙げられましょうか?」

そう問うと、村井貞勝が初めて考えるそぶりを見せた。顔を上げて、袂から取り出した扇子を開き、パチリと閉じる。


「常夏の冒頭にて、殿上人あまたさぶらひて……鮎などを食していたように思います」

「左様でございます。あれだけの長編物語であるにも関わらず、その程度しか食事の描写がございません。川魚や粥やくだもの、僅かな食材の名が出るばかり、かの物語において、食事は意図的に消されております。当時、宮中においては食事そのものが卑しいものであると蔑まれていた為です。その結果、当時殿上人の平均的な寿命は驚くなかれ三十程度とございます」

明確な出典はない。そんな話を楽し気にする人物が母親にいるというだけだ。それを聞いてふむふむと頷き、肉を食うようになった人物が父親である。その腕の中でバブー、とか言っていたのが俺である。


「医食同源。いつの世にも、七十、八十の齢を重ねる者がいるというのになぜ故三十で命を失うのでございましょうや? 答えは食事にございます。食を卑しいと考えた者達は三十で死に、食を選り好みする者達は精々五十まで、肉食もし、飲酒もし、そして健脚でもあった一休宗純は八十八まで生き永らえております」

そう言い切った時に、村井貞勝が何故だかフッと一度笑った。何か知識に間違いでもあっただろうか。


「故に、肉食を推奨した、という事でございますかな?」

「然り」


それから俺は、食がどれだけ体にとって尊いものであるか、運動がどれだけ大切であるのかについて語り、故に骨盤矯正の為の腰巻きが必要であったのだという正当性を説いた。村井貞勝は折に触れて質問を俺にぶつけ、それに対しても俺は丁寧に答えた。


「成程、よく分かり申した。つまり、此度の一件は、全て帯刀様が吉乃様のお体を慮って行った事。他意はないという事にござるな」

「左様でございます」

長い説明を終えると、グウと俺の腹が鳴った。沢山話をして疲れた。俺は握り飯を取り出し、頬張る。塩味の効いたじゃこは旨い。


「ん?」


ふと見ると、又も村井貞勝が笑っていた。微笑んでいるのではない。笑わされている感じの笑顔だ。

「先程も笑っておりましたが、如何しました?」

「いえ、失礼いたしました。ただ、一休宗純の話を思い出してしまいまして」

「一休宗純の話?」

「はい、食事を卑しいと考えた平安人が三十年、食事を選り好みする我々が五十年、そうではない一休宗純が八十八年」

「左様ですがそれが?」

「いえ、米に偏ってはならぬと言って出た一休宗純の年齢が米寿であることが上手く出来ていて、頓智がきいているなと」

そう言ってから、村井貞勝はもう一度笑った。俺はこの人の笑いのツボはよく分からないなと思いながらその様子を見ていた。



村井貞勝。後に俺を養子として引き取ってくれる人物。彼と俺はこの時知遇を得た。


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