第四十九話・束の間の安寧
元亀年間最初の年に起こった大戦は親織田勢力も反織田勢力もどちらも滅びることなく、対外的には和議、引き分けに終わった。だが、父を含めた多くの者はこれを終わりとは見ておらず、寧ろここからが戦いであると見做している者も少なからずいた。そんな中、戦後真っ先に動き、勢力図を塗り替えたのは織田でも本願寺でもなく、浅井であった。
和議成立後、浅井家は琵琶湖西岸に兵を出し、瞬く間に高島七頭が支配していた地を手中に収めた。これにより近江北岸は浅井家ただ一家の勢力が統一したこととなり、浅井家は概算で四十万石前後の大名に成長した。
電撃的なこの動きに、織田は勿論の事同盟者である朝倉ですら動揺したが、浅井家は西進後即座に公方様に対し忠誠を誓い事を納めた。天下の調停者たらんと欲する公方様からすれば、織田朝倉に対抗出来る畿内近郊の第三勢力の台頭は必ずしも望まざるものに非ず。結果浅井家の北近江支配は既成事実として受け入れられた。
最終的に、武田の駿河侵攻から始まった一連の戦いの中で勢力を倍に増やしたのは遠江を得た徳川と北近江の覇者となった浅井。駿河一国を版図に加え関東制覇に近づいたのが北条である。その北条と徳川は戦後間もなく同盟を結んだ。どうやら駿河に入った北条氏康の五男氏規と、徳川殿が旧知の仲であるらしく、両者は意外にも良い関係を築きつつある。徳川殿を攻める事は織田・北条を同時に敵に回すことと同意になり、今後武田は北条と何とか妥協点を見出しながら北関東へ兵を進めることとなる。そうなれば当然越後の上杉ともぶつかることとなる。武田にとっても茨の道が続くだろう。
織田家も勿論状況を座して眺めているのではなく積極的に動いた。まずは今回の戦いで基盤の弱さを見せつけた伊勢だ。北畠・神戸・長野工藤氏。彼らの中で反織田の動きを見せた者に対しては容赦なく改易と処断を行い、反織田派の勢力を大きく削減した。中でも長野工藤氏に対しては厳しく、信包叔父上が旧主を追い出し正式に長野工藤氏を継ぐ。更に、信行叔父上の子である津田信糺や信兼がそれぞれ茶筅と勘八の傍に付けられ、信光大叔父の息子である信成殿・信昌殿は神戸家に、信張様・信直様親子は北畠家にそれぞれ送り込まれ、伊勢支配を強めた。未だ蠢動の兆しある北畠具教・具房家臣の一門一派はいるが、これにより伊勢支配はかなり強固になり、熊野三山に奪われていた南伊勢の支配権も取り戻しつつある。
加賀一向宗は、北条氏の関東管領就任に怒る上杉謙信に攻められ、苦戦を強いられている。越前一向宗は本願寺の命令から離れ今もって火種となっており、若狭は織田派と朝倉派の対立により混沌としている状況に変化なし。恐らくこれら北陸の混乱については父上も一枚かんでいる筈だ。
これらが戦後の大まかな動きであり、政情今なお予断を許さずなのだが、そんな中、俺はというと母につれられてここ最近の成果とやらを見せられている。
「パンとピザ、焼くにおいて最も大きな違いは何だかそなたにわかるかしら?」
「そもそもパンもピザも窯で焼くものであるということを知りませんでしたので」
背中から聞こえる母の声を聞きながら、俺は大型の窯二つを見ていた。
「全く、子供の頃はあんなにパンが好きな子供だったというのに、母乳とガーリックトーストで育ったというのに」
「嘘を吐かないで下さい。俺は本日がパン初体験の日です」
「そうだったかしら」
言われつつ、頬や耳や頭部をペタペタと触って来る母。俺に背負子で背負われ、その上で色々と指図をしている。腹も大きいことであるし、輿で出かけようと言ったら『おんぶじゃなきゃ出掛けたくない!』と我儘を言い出したのでこうなっている。別に出かけないで良いのですよと言ったらじんわりと睨まれてしまったのでこうして輿の代わりをしているのだ。腹を圧迫してはいけないので母は後ろ向きに座っている。その状態で無理に俺の頭を撫でようとするものだから耳や鼻に指が入って大層こそばゆい。
「そもそもイースト菌やら何やらがよく分かりませんでした。であったのでともかく発酵させようと思ってトライアンドエラーを繰り返しましたよ。発酵なら良いのかと、醤油や味噌を塗ってみたり、温かいところで放置してみたり、果実を使ってみたり、お金が足りなくなって古渡城の蔵を開いたり、高温で焼いてみたり、低温で焼いてみたり」
「途中ただのコソ泥がおりましたが、まあ努力に免じて目を瞑りましょう」
ただ、今後もう少し警備は厳重にする。
「そうして、一体何がどう良かったのかは分からなかったけれどパンがふっくらと焼けるようになったのですよ。さあ、どうです食べてごらんなさい?」
そう言ってから母が指を弾いた。スカッ、と擦れた音が微妙に鳴り響き、窯の前にいた職人達が鉄の棒を窯の中へと突っ込む。そうして、棒が引き出された時には、その上に四角い棒状の物が乗っかっていた。少々黄色がかった茶色をしており、出てきた瞬間良い香りがした。香ばしいとも刺激的とも言えないが、どこか炊きたての米を思わせる。これらパンというものは南蛮の人間にとっては正に米と同じ位置にある食べ物であるらしい。望郷を誘う香りとはこういうものであるのかもしれない。
「あらー、思ったよりちゃんと食パンしているわねえ」
「どうやって食べるのでしょうか?」
「あらあら、興味津々?」
我が信条は、『親の悪ふざけには一旦乗っかる』だ。一旦試し、駄目だったら否定する。
「前にやった通りにして頂戴」
母が指示を出すと、すぐに周囲の者が動き、食パンとやらを切り分けた。肉とは全く違い、ふんわりとした食パンを薄く切り出し、その上に僅かにくすんだ乳白色の練り物じみたものを塗る。
「酪というものですよ」
「酪ですか?」
「そう、面倒だからバターは酪、チーズは醍醐と呼ぶことにしたのです」
「面倒だからの意味はよく分かりませんが、どういう食べ物なのです?」
「酪は、お乳をよく振って油分だけを取り出したもの、醍醐は発酵させたものです」
「つまり油分の高い乳を塗っているのですね」
そうやって話をしていると、職人たちがさっさと酪を塗り、その上に目玉焼きと、燻製肉を乗せ、俺に渡した。ホカホカと温かく、見た目は良い。
「では、頂きます」
「はい、召し上がれ」
何のためらいもなく齧り付くと、周囲の者達がびっくりした表情を作った。このような訳の分からないものを食べるのに何故躊躇いがないのか、という事なのだろうが、俺の人生でこのような状況既に両手の指で数えきれないほどにあった。昨日の閨で既にこうなることは分かっていたのだ、今更逡巡したところで時間の無駄でしかない。
「どうです?」
「……あまり味がありませんな」
しかし、味がないという事は不味くはないという事でもある。噛んだ瞬間はサクっと音が鳴り、それからは逆にもちもちとした食感。香りは豊かであるし、味がしない分目玉焼きや燻製肉の味がよく分かる。完全に米と副菜の関係だ。手で持って食べられるという事は食パン即ち南蛮の握り飯なのだろう。
「不味くはない。南蛮の宣教師などはこれをよく食しているという。皆も、恭も、話の種に一切れ食べてみると良い」
言い、職人達に食わせてやれと指示を出した。皆おっかなびっくり口に含む。最初に少し驚いて、それからなるほどという表情を作る。
「どうでした?」
「まあ、毎日食べたいとは思いませぬ。皆もそうでしょう。米の方が日ノ本の人間の口には合いまする」
米よりもこれが食べたいと思うものはいるかと聞くと、誰もが首を横に振った。そうだろう。食べ慣れている物を旨いと思うのが人というものだ。
「ですが、一度焼いてしまえば水も道具もいらず持ち運べるのは良いですな。戦の常備食として大いに活用できます。母上、この窯と同じものを増産できますか?」
思ったよりも芳しくない反応であったからか、少々残念そうな声を出していた母に聞く。出来ますよと言われたので、二十程作って欲しいと頼んだ。
「随分と大量ですね」
「ええ、考えるところがありまして、充分に元は取れると計算しております」
そんな風に話をし、俺達はパンの隣、ピザ窯へと移動した。ピザ窯はパン窯と異なり煙突が付いている。何でも、パンとピザを焼くのにどうしても必要な違いなのだそうだ。何度も試した上での結論であるようなので特に文句を言うことは無い。
「これは、随分と彩り豊かで」
「そうでしょう」
ふふんと鼻を鳴らし、得意げな母。俺に背負われて、見えてもいないのになぜわかるのだろうか。
「トマトが無いので難儀しましたよ。ナスやカブを使ったり、カニなどの魚介を加えたりして、ようやくこのこってり感を出せたのです。妊娠してよりどうもピザが頭から離れなかったものですから」
「母上、以前妊娠中には油の多いものは摂取し過ぎぬがよいと仰っておりませんでしたか?」
「言いましたが、それはそれこれはこれです。食べたいものを食べるのが、人間の健康には最も良いのですよ」
そうですかと答える。ピザは先程のパンを丸く平べったく伸ばし、上に様々な具材を乗せて焼いたものであるようだ。先ほど言っていた野菜や、肉、恐らくイカや貝と思われる具材も乗っている。山菜はこの辺りで取れるものを全て乗せたという感じだ。
「この白いものは何です?」
「先程申し上げたでしょう? 醍醐です」
「これが? 変わった匂いがしますね」
一言で言うと臭い。鼻を近づけて、これのお陰で、既に焼かれて木机の上に置かれたピザは異臭を放っている。醍醐を一つ、つまんで口に入れてみる。言い方は悪いが、人間の脇や股間の匂いがした。
「母上はこんなものが食べたかったので?」
「こんな物とは何ですか? 手間もお金もかかっているのですよ?」
ペタペタと撫でるように頭を叩かれた。母を背負子から降ろし、用意されていた椅子に座らせる。丸く作られたピザを八等分に切り分け、食べた。母がまず一切れ、続けて俺が一切れ、三切れ目を食べようとする者はいなかった。
「拙者は食べますが、これを好んで食べようとする者はいないのではないですか?」
「一度好きになってしまえば病みつきになる者が続出するのですけれどね?」
「そうは思えませぬが」
一口食べるごとに、醍醐の香りが口どころか内臓や鼻までいっぱいに広がる。母は先程発酵させたものと言っていた。即ち味噌や醤油だ。発酵物とは匂いが強くなるのが常であるからこれが正しいのだろうが、初めて見る物は誰もが、これは腐っているに違いないと判断するだろう。母のような変わり者以外で、こんなものを常食する連中がいるとは俄かに信じがたい。
八切れに分けたピザを、母は二切れ、俺は五切れ食べた。別に美味しいと思った訳ではない。残すのは勿体ないからだ。母が言う通り手間も金もかかっている。
「最後の一切れくらいは誰かに食べて貰いたいものですが」
「では、御客人にお渡ししましょう」
「客人にこのような物を渡したら怒られてしまいそうですが」
いっぱいになった腹をさすっていると、海の方から荷車が走って来るのが見えた。
「丁度良いです。疋田様に腕前の程を見せて頂き、お礼にピザを振舞いましょう」
「どうなっても責任はとれませんぞ」
近づいてきた荷車に対し母が手を上げると、荷を護衛していた一人の騎馬武者が馬を走らせこちらに近づいてきた。
「疋田様、お疲れ様に御座いまする。如何でございましたか?」
騎馬武者、疋田景兼に話しかけると、彼は小さく頷き、『良きかと』と、短く返事をした。
彼、疋田景兼は、剣術指南をしてくれる人物がいないかと方々に声をかけていた俺が見つけた待望の人物で、師はかの有名な上泉信綱殿である。剣聖と呼ばれ、剣豪将軍足利義輝公に剣を教えたことでも知られる。その上泉信綱殿が創始した新陰流の免状を貰った免許皆伝者である疋田景兼殿。彼は新陰疋田流の剣を極めんと諸国を旅している。剣術とは言うが槍に薙刀にと、武芸百般に優れたる者だ。俺が尾張に戻ったら呼び寄せて一つご教授を願おうと思っていたのだが、それよりも先んじて母が知遇を得ていた。
「ただ今、南蛮の珍しい料理を作っておりましたの、もしよろしければ、一つお召し上がりになって下さいませぬか?」
母の言葉に、疋田殿が『ありがたく』と小さな声で答えた。目が細く、寡黙で口数が少ない。母とは全く人としての質が異なるが、見たところ随分と仲が良い。
「不思議な食べ物です。口に合わないかもしれませぬので、不味かったらすぐに吐き出して下さい」
まずいという理由で切りかかられでもしたら敵わぬと思い先に一言言っておく。仮にも当代で有数の武芸者がそんな短慮を起こしはしないだろうが、有名な武芸者であるからこそ無駄に誇り高い可能性もある。
「これは……」
ピザを手に取ると、疋田殿の動きが止まった。間違いなく、醍醐に目を奪われている。発される異臭の主がこの白い塊だと気が付いたのだろう。
暫く、疋田殿は固まったままピザを、いや、醍醐を見詰めていた。そして、ある時意を決したように細い目をクワワッ、と見開き醍醐だけをつまみ、口に入れた。
「おっと」
「良き食べっぷりでございます」
大丈夫かと疑う俺と、醍醐を食べて貰えて嬉しい母。疋田殿は顎を小さく動かし、何度も何度も醍醐を噛みしめ、そして、やがて頷いた。
「この……白きものを、もう少し」
「まあまあ」
「本気ですか?」
まさかこれが好きなのか? こんなに生臭いものが?
「すぐにご用意いたしますよ」
言って、母が身振り手振りで指示を出すと、醍醐の塊を持ってきた若い男がおろし金でその醍醐をすりおろし、ピザの上を真っ白にした。
「これで宜しゅうございますか?」
「忝く」
そうして、疋田殿はピザを食べた。それはもう一口一口を味わい、噛みしめるようにしっかりと食べた。辺りにはピザの、いや醍醐の異臭が漂い顔をしかめる者数多であったが、既に自分もそれを食べてしまった俺と母は気にせず、疋田殿の食事ぶりを観察していた。
「そのようなもので宜しければ毎日食べさせて差し上げます」
食べ終わった疋田殿に母が言う。疋田殿は再びクワワッと目を見開いた。嬉しいのだろうか。
「さてさて、でしたら今度は剣の腕前をお見せ頂いて宜しくて?」
食事を終えた疋田殿の手を濡れた布で拭きながらニッコリと笑う母。俺は母に拭かれている手を見ていた。幾つものマメが重なりあって、一枚の分厚い皮布のようになっている。
「あれが、ハツですか」
疋田殿が食事をしている間に、荷車からは荷物、猪並の大きさを持つ巨大な魚が下ろされ、解体する為に設えられた机の上にドンと寝かせられていた。
「余り旨いと聞いたことはありませんが。でかいばかりで、カツオの方が良かったのでは?」
ハツとは古くは『日本書紀』『万葉集』にもその名が出て来る巨大な魚だ。大きければ馬ほどの重さにもなる。だが、味について良い記載は見たことがない。鶴のような高級品ですら食べてみて口に合わなければ見向きもしない母が、なぜわざわざ手間をかけて取り寄せたのか。
「私も、昔食べてみた時に美味しくなくて驚きました。けれど分かったのですよ、処理の仕方がよくなかったのだと。マグロ、いえ、ハツは一本釣りにして、直ちに締めて氷で冷やす。さすれば身も焼けず、本来の味を楽しむことが出来ます」
「氷などどこにあったのです?」
最早雪解けもし、日中は外で昼寝が出来る程度には温かい。もしや『氷の息吹』などというような妖術を使えるのであろうか。
「三河には背の高い山が沢山ございます。茶臼山などは尾張からそう遠くもなく、頂上にはまだまだ雪がございますよ」
「あの魚一匹冷やすためにわざわざ山登りをさせたのですか?」
「ええ、三河様にお頼みして、高かったのですよ」
呆れた。何と贅沢な話だ。
「三河様が金銭を得れば、武田との戦いを優位に進められます。それは即ち織田の為。決してただただ無駄な贅沢をしたわけではないのです」
流石に怒るべきだろうかと悩んでいると、俺の表情を察したのか先回りして言われた。明らかに後付けの言い訳だが。
「……まあ、母上はご自身で金銭を稼ぎもしますからな」
妊娠し、これからが大切な時期である母を叱ってもしようがないと、今回は諦めることにした。織田家の為に、当主信長の子を産むのだ。丈夫な子が産まれると思えばそこまで法外な値段ではあるまい。荷車に近づく。犬よりは確実にでかい。十五貫(約56.25キロ)程度はあるだろうか。
「漸く準備が整いました。剣豪に捌いて頂ければ、さぞかし見事に肉も切れましょう」
「わざわざ剣豪を招いてやることですか?」
「古渡産の刀の切れ味を試すのですよ。そなたも、疋田様程のお方のお墨付きがあれば嬉しいでしょう?」
「嬉しいですが、試し切りがハツの肉というのでは御墨としては少々生臭いですな」
思った通りの事を言っていると、うるさいと怒られてしまった。まあ文句を言ったところで母はやりたいようにやるのだ、見守らせてもらおう。
母指示のもと、疋田殿は細身で刃渡りの長い太刀を使ってハツを解体した。『腹を裂いて下さいませ』とか『エラに刃を』とか『そうして三枚おろしに御座います』とか言われながら寡黙に頷き、黙々とハツを捌く疋田殿の腕前は成程確かに素晴らしいのだが、これは剣豪として凄いのか、調理師として凄いのか、俺にはよく分からなかった。
ともあれ、疋田殿の手によって幾つかの塊に分けられたハツ肉は、そのまま母の指示によって女中達が持って行き、更に小さく切られた。赤身の大きな塊はそのままゆでて、菜種油と塩を加え『ツナ』にするとのことだ。頬の肉はそのまま焼き、頭はぶつ切りにして味噌汁の出汁として使い、健康に良い目玉も食すのだという。赤ではなくほんのり桜色に色づいたトロの部分と、赤身を醤油とおろし生姜に浸したヅケの部分は、母が手づから米と一緒に握り、食った。この日食べた物の中で、否、俺が今までに食べた物の中で一番を争うほどに旨かった。
「これは、堪らないですな、疋田殿」
驚きをもってそう言うと、疋田殿も大きく頷いた。熟れ寿司や押し寿司ではなく、手で握って寿司を作るという発想もこの日知った。
「酢飯と魚の切り身を一緒に握るだけです。阿呆でも出来ることですよ。下手に伝統料理としてしまうと、修業が必要だとか一子相伝だとか意味の分からないことを言い出す輩が出てきてしまいますから、誰でも作れる家庭料理として広めてしまいましょう」
要は魚が新鮮でさえあれば良いのだと、母は次々に寿司を握った。母は阿呆でも出来ると言ったものの、自分でやってみると意外と奥が深い気がした。俺は飯を多く握り過ぎてしまい、切り身と比べて丁度良い量を握れなかった。疋田殿も、強く握り過ぎてしまったせいか硬い握り飯のようになってしまい、何度か母に手本を見せてもらっていた。
「直子様とは、一体何者で在らせられるか?」
この日一日母の成果を見て回り、城に帰る道中疋田殿から聞かれた。そうか、こんなに凄い剣豪もそう思うのかとしみじみしながらも、俺はその質問に答える術を持たなかった。
 




