第四十七話・それぞれの座る場所
戦後、論功行賞が行われた。
織田家が経験した中で間違いなく最大規模であった今回の戦役において、得られた物は何もなかった。父は戦いによって織田家が負った傷を金や物で補填し、敗北の責任は死者にとらせた。
此度の戦においても、攻城戦・撤退戦・籠城戦全ての戦場で戦功をあげた斉天大聖には板金を三十枚、太刀に扇子に茶器と、大盤振る舞いであった。金ケ崎退き口や摂津・石山での戦いで戦功があった者らに対しても同様に褒美が渡された。
逆に、死んだ者達、信興叔父上や信治叔父上、青地茂綱殿らに対しては領地の没収という一見厳しい罰が与えられた。だがこれはあくまで表面的なものであり、叔父上達の子らはまだ幼いことから、一旦はお家断絶という形にして一族ともども岐阜城に住まわせるらしい。召し上げた領地は父が直轄地としているのでいずれ子供達に返還するのだろう。
青地茂綱殿の領地没収は、没収した領地を全て兄である蒲生賢秀殿に預けるという形で行われた。茂綱殿の一人息子元珍殿は青地家の家督を相続、家臣達も誰一人放逐されることなく、表面上蒲生本家の領土となったという処置だ。名を重んじる武士としては辛い事であるかもしれないが、事情をよく言い含められていたのであろう、遺族の表情に不満の色はなかった。
最後に森可成殿はというと、立つことも出来ぬ身で武働きは出来ぬであろうと父から直々に隠居を命じられた。これも対外的には責任を取ってという事だが実質的な咎めはなく、家督も次男勝蔵が急遽相続した。父から一字を賜り今後は長可と名乗り、重臣の席に列するらしい。
これらの処置は生き残った者や家には何ら咎めはないということを示すために行なわれた事であり、少なからず敗北を重ねた諸将にとっては胸を撫で下ろすものであっただろう。
俺はと言えば、磯野員昌殿から返却された長則の首を尾張に届け、急ぎ葬儀をあげさせると共に、死者や戦傷者に対し金銭や物資を支払い、彼らの暮らしを保護した。何とか足りたがもう一度同じことが起これば古渡城の蔵に銭が置かれることは二度となくなるだろう。それらの行為は未だ講和が成される前に停戦準備と並行して行われた為、俺は一度として尾張へ帰ることは出来なかった。そして約二ヶ月が経過した五月十九日の昼。漸く停戦も戦後処理もひと段落が付いた頃、俺は村井の親父殿の屋敷にいた。
「まあ、儂に言わせれば敗北ではない。上々の戦果よ」
事の次第を話すと、村井の親父殿は茶を飲みながら呟くように言った。
「我らは寸土も得ておりませぬ。味方を多く失い、戦費も莫大。何をもって上々と言えましょうや?」
「そうおっかない顔をするな」
言葉に怒りが籠ってしまうのを抑えられない俺に、親父殿は寧ろ微笑むように笑いながら諭す。飲め、と言われ温かい茶を飲んだ。熱くはない。体温よりは高い温度で、するすると喉を下ってゆく。旨い。
「誰が敵か味方かが読めた。動かない理由が分からなかった浅井についても知れた。そして此度の停戦、あくまで和議である。降伏でもなく領土を割譲させられた訳でもない。どちらが悪いという話でもなく帝の御指図によって戦が終った。ただそれだけの事よ」
「父上は土下座をし、天下を望まぬと言わされたのですぞ」
「その言葉に如何程の効果がある?」
京都、本能寺の向かいに義父村井貞勝の邸宅は移された。公方義昭様は二条御所を京都でのお住まいとしているが、父はどこかに屋敷を建て京で住まうという事をせず、下京にある本能寺、下京と二条城の中間にある妙覚寺、或いは上京と内裏の間にある相国寺辺りを借宿とすることが多い。最も頻繁に使うのは妙覚寺であろうか。恐らく公方様との連絡が取り易いのだろう。
「土下座で死ぬ味方がおるのか? 天下は望まぬと言ったから失う領土があるか? 殿は戦いに利あらずと見たから一旦矛を収めただけである。相手に矛を納めさせて高笑いする者らと、納めた矛を握り締めながら歯を食いしばる者らと、どちらの方が次の戦で強いであろうかの」
些か納得しかねたが、しかし親父殿程の知恵者が言うのであるからそれはそうであるのかもしれない。
「心配せんでも、殿は天下を諦めなどせぬ。寺を借宿とするのがその証拠」
「寺を宿とするが、ですか?」
憮然としながら聞くと、そうともと言い返された。
「義昭公のお住まい、即ち『公方御構』は上京と下京、そして内裏のちょうど中間にある。あの場所こそ京都の主として相応しき場所であり、ここに武家の棟梁が君臨することは、即ち京を、そして畿内、ひいては日ノ本を武家が守るという意思表示に他ならぬ」
「そのようなことは分かっておりまする」
「分かっているのならもう一つ分かれ。であるのならば殿は京のどこに屋敷を建てれば、天下を獲らんとする意思表示をしたことになるのだ?」
問われて、考え、黙った。答えられない。というよりも、答えがない。京の中心に住まうことが天下の意思表示。そして京の中心には既に公方様がいる。住める場所が、無い。
「二条御所より、公方様を追い出すおつもりで?」
「二条御所を建てさせたのは殿であるのにか?」
苦心してひねり出した答えは言下に否定された。その通りだ。そんなつもりがあるのならば、父が二条御所に住み、公方様には適当な寺を改築してあてがえば良い。
「京都のいずれかに屋敷を構えれば、それは有事の際すぐに公方様への奉公が出来るよう設えたのだと思われる。故に殿の答えは、屋敷を構えず、寺を借宿とする。だ」
「成程」
目から鱗が落ちる思いだった。住んではならぬのならば住まぬ。単純明快だ。
「だからこそ安心せい。殿のお気持ちは聊かも萎えておらぬ。土下座し、天下は望み無しと言うたのも、敵を油断させるためのもの。使えると分かれば狐でも庶子でも使うお方だと分かっておろうが」
「我々母子の事ではないですか」
「であるからこそ、誰よりわかっておろうがと言っておる」
な? と覗かれるように顔を見られ、そうですねと頷いた。ケッケッケ、と、親父殿が父上を真似て笑い、咳き込む。笑った。久しぶりだった。
「京の都は今もって織田のもの、美濃と尾張は揺るがぬ。長島一向宗の中には石山の言う事を聞かぬ跳ね返り共がいるらしいが、長島単独で織田家を降せるはずがない。伊勢も最早織田領であるのだ。どれだけ粘れたとしても最後には力尽きるであろう」
「本願寺勢力は石山と長島、更には越前加賀の門徒が独立し、上手く連携が取れておらぬと聞きます。各個撃破することも出来なくはないでしょう」
「それよ。敵の弱きところを突き、強きとぶつかる時には公方様や帝の護符で身を守る。繰り返してゆけばやがて敵もいなくなるであろう」
確かにその通りだ。そしてその為に俺は暗躍しているのだ。劣勢の今だからこそ、公方様という手札は役立った。
「かたじけのうございます、親父殿」
ひとしきり話をした後、俺は改まって頭を下げた。ささくれ立っていた気持ちが多少和らいだ。きっと和らげようと思いこうして話をしてくれたのだろう。
「良い。孫にも等しいお前の面倒を見るのだ。楽しき事よ。成長も見られたしのう」
「成長ですか?」
「そうとも、男にはな、二度目付きが変わる時がある。一度目は初めて女子と閨を共にした時よ。そしてもう一つは」
「その話でしたら、既に父上から聞いておりますので結構です」
話を途中で遮ると、親父殿が聞こえよがしに舌打ちをした。そうしてから二人でヘラヘラと軽薄に笑う。
生き残った。地獄のような戦場で、多くの仲間を失ったが、それでも、俺は生き残ったのだ。生きている限り俺は友の分も笑える。家臣の働きに応えることも出来る。叔父の分も戦える。
「某一つ、親父殿に頼みごとがございます」
「ふむ」
居住まいを正し、頭を下げると親父殿が背筋を伸ばした。
「これより某は、公の場にて村井重勝を名乗りたいと存じます。どうかお許し頂きたく」
「……訳を、問おうか」
しばらくの沈黙の後、親父殿は良いとも駄目だとも言わず、聞いてきた。
「此度の戦で、某の生き方が見え申した。某はいずれ弟の、その子の家臣となり働きましょう。なれば、家臣は家臣らしく他家の名を名乗るべきかと」
「織田家は先代様から子が多い。嫡男以外の者が織田を名乗ることもそう珍しくはあるまい」
「他の織田一門もいずれは織田を名乗ることが出来なくなります。茶筅も勘八も既に織田姓ではありませぬ。いつまでも某が織田を名乗っておっては又いつ家督争いをけしかけんとする者が出てくるか分かったものではなく」
「確かに、ないとは言えぬな」
「元々、某も義父上も、庶長子であり当主の兄という極めて据わりの悪い立場に生まれました。今は父上の御恩情によって信を置かれておりますが、時が経てばその保証はございませぬ。織田一族の中で、父上の直系よりも尊き血筋などあってはならぬのです」
「……それは他の織田一門衆にも言えることであるが」
「はい。既に信行叔父上の子である信澄・信糺・信兼は名を津田と改めた上で弟達の家臣になっております」
二度の反乱の末に殺された信行叔父上の子達三人は、揃って勘九郎・茶筅・勘八と同年の生まれだ。それぞれが津田姓を名乗り、家臣となった以上、関係は上と下とで分かたれている。
「信光大叔父上のご一族も、信張様の御一族も、某が名を村井重勝とすれば名乗り方を多少は考えるでしょう」
信光大叔父上は祖父信秀の弟であり、信成・信昌という子がある。信張様は清洲三奉行家の一つ藤左衛門家の当主であり、弾正忠家とは本来同格の家柄である。この時勢において信張様が父と同格などと言いだすとは思えないが、父よりも七つ年長である信張様が家中において小さくない影響力を持つことも無視はできない。
「母の実家である塙家の名を名乗るを考えもしましたが、それでは手柄を立てた時に名が交錯してしまいそうで」
「聞き捨てならぬな。それではまるで村井家の者が手柄を立てぬと言っているようではないか」
「実際に立てぬではありませぬか。親父殿が武働きにて父上のお役に立ったことが何度御座いますか?」
「儂とて若き日には槍の一つや二つ振り回しておったわ。大河内城へ攻め入った際にも一隊を率いておる」
「では、親父殿や、貞成殿・清次殿が槍働きにて武功を立てられましたか?」
俺の言葉にググッと呻き声を上げる親父殿。人には向き不向きがあるのだ。
「村井家の分家を、養子の某が立てるのだと思って頂ければ宜しいのです。京都の内治一切を司るのは親父殿の本家、某は武働きにて村井の名を高めて見せまする。良ければ二人のうちどちらかを家臣に頂きたいのですが」
「やらぬ。二人とも大事な我が助手よ。良き文官は自前で見つけよ」
取りつくしまもなく断られてしまい、首をすくめた。親父殿は腕を組んだまま俺を見て、しみじみと呟く。
「お主は、どちらかと言えば文治を得意とするものであると思っておったがのう」
「権六殿のような武勇はありませんし、木下殿のような才知に富んでいる訳ではありません。ですが、このまま父親の名に隠れて織田家の『その他』と言われるのには我慢がなりませぬ故」
「本音が出よったな。ご立派なお題目をつらつらと並べ立てよって、それが目的であろうが」
「おっと」
うまくやり込めることが出来たと思ったら、最後に詰めを誤った。
「これまでに述べたことが嘘という訳ではございませぬ。建前も本音も、どちらも重要なことにございます」
「まあ、良かろう」
暫く考えた後、親父殿が言い、そして一つ指を立てた。
「だが一つ条件がある。先程倅が欲しいと言ったな?」
「はい、下さるので?」
「やらぬ。代わりに娘をやる」
「娘? ハルをですか?」
「そうよ。お主も京で動くのであれば世話をする者が必要であろう。持って行け」
親父殿の末娘であるハルは、父や兄達と共に尾張から美濃へ、美濃から京へと引っ越し、これまでも俺が親父殿の屋敷で世話になっている際には何くれとなく世話をしてくれた娘だ。残念ながら、実父である親父殿に似てしまったせいで器量良しとは「何か無礼なことを考えているであろう?」
「いいえ全く」
愛嬌のある顔をしているが、愛想がよく誰からも好かれる。料理は上手い。これまでに親父殿が俺に振舞ってくれた料理の数々も、親父殿が収集した料理本を読んだハルが作った物だ。
「京都での側女、でございますか?」
「そうよ。ハルに何か不満か?」
「不満はありませぬがハルは某より二つも年上、そのようなことをしていたら行き遅れてしまいますぞ」
「既に行き遅れておる。あれは誰に似たのか頑固でな。気に食わぬ相手と結婚するくらいであれば生涯家族の世話をしてゆくと言い張っておる。『誰に似たのかも何も親父殿にそっくりな頑固さだ』と思っただろう」
「はい、思いました」
女子の身でありながら我が意志を貫ける者はそうそういない。俺の身近で言うと、母と、市姉さん、犬姉さん、いや結構いるな。
「某が結婚相手を見繕えば宜しいのですか?」
「何を甲斐性のない事を言うておるのだ。ハルはお主であれば構わぬと言うておるのだからとっとと抱いて、嫁に貰ってやれ」
「親父殿、某は妻を娶ったばかりですが」
「だから何だ。何も正妻を押しのけろなどと言ってはおらぬ。京都にいる間だけ飯の世話も下の世話もして貰えと言うておるのだ」
「親父殿はそれで宜しいので?」
「それで村井の家の幹が太くなり、織田家との繋がりが深くなれば御の字よ。当人含め、誰一人不幸になっている者もなし」
言われてみれば確かに。恭や母には話をしなければならないだろうが、断られはするまい。京都でよく分からぬ遊女を相手にして病気を貰うより余程良い。乳房も大きい事であるし、料理も上手であるし、気心は知れているし、乳房が大きい。よし。
「畏まりました。某一度尾張へと帰ります。状況が落ち着きましたら再び京へ上ります故、それまでに屋敷を用意して頂ければありがたく存じます」
「良いぞ、どこが良い。広い方が良いな」
「いえ、広さはそれ程いりませぬ。妙覚寺の近くを希望します。有事があった際、取り急ぎ公方様か父上にお会い出来ます故」
「分かった、見繕っておく」
元亀元年五月二十日、俺は京を発ち、尾張古渡城へと向かった。




