第四十六話・織田家の敗北
宇佐山城のふもとまで駆け込んだ時、山の裾野には既にかがり火を焚き、旗を立てた味方の兵がいた。先頭に各務元正殿の姿もあり、力尽きた俺達は皆抱え上げられるように城まで連れてゆかれた。
疲労により動くことは出来ずとも、大きな怪我をしていなかった俺は城の柱にしがみ付くようにしながら味方の後続がやって来るのを待った。最後まで、青地茂綱殿は戻ってこなかった。部隊はほぼ壊滅し、残った僅かな兵は森勢に一時引き取られる形となった。
「面目次第もございませぬ」
出血が多く、気を失っていた森可成殿は、目が覚めて一言めにそう言った。城に戻ることが出来たのは千弱。逃げた者もいるが多くは討ち取られた。青地茂綱殿が討ち取られた事も敵の勝鬨によって知らされた。
「某のみおめおめと生き残り、九郎様も」
「叔父上はまだ分かりませぬ」
信治叔父上は鎖骨の辺りに矢を受け、槍で脇腹を突かれていた。意識はなく、呼吸も浅い。だが、それでも死んだわけではない。
「例え生き延びても、某や九郎様が指揮を執ることは出来ますまい。籠城の指揮を、帯刀様が」
「それは既に、各務殿に一任して参りました。船頭を多くしても船が山を登るばかり、名目上の大将は引き受けましたが、戦の指示は全て任せております」
答えると、荒い息を繰り返す可成殿が、うんと頷き弱弱しく笑った。
「我が朋友の倅は、名将の卵である。最早成長を見れぬ倅の分まで」
「言われずとも、高く飛んでみせまする。故に、何があってもこのような場所で死んではなりませぬ」
手を強く握った。可成殿はその手を僅かに、しかし確実に握り返し、小さく承知と答えた。
「殿」
可成殿の部屋を出ると、景連がそこにいた。ひょうけていなければ中々の男前である古左もいる。
「平気だ。俺に怪我はない。浅手には薬を塗った。明日よりは陣頭に立ち、見栄えのいい御輿をしてみせよう」
「そうではありませぬ」
「九郎叔父上か? 今から会いに」
「長則殿の事です」
「……怪我人に、余計なことは伝えずともよい」
長則が死んだ。日没後いつまで経っても戻ってこなかったことから予想はしていたが、先程浅井家から使者が来た。使者を出したのは磯野員昌殿。古渡織田家の勇者が首、某が預かっておる故戦が終れば返却致す。と、誠正しさの塊のような、正々堂々とした言伝を賜った。
「長則の働きに応え尾張に帰還後三百貫の加増を約す。嫡子松下嘉兵衛は本人の持ち分を含め、二千五百貫を与える」
書いておけと言うと、古左がさっと内容を書き留めた。正式な文は後で書く。二人にも、此度の戦においての健闘を褒め、褒美を約束し、礼を言った。
「それで、九郎叔父上は?」
「……もって、朝までと」
目を閉じ、唇を噛んだ。信興叔父上に続き、織田家一門衆が立て続けに二人も。
「会いに行くぞ」
死に目を見たいとは思わないが、せめて一族の誰かが最期の言葉を聞いてやらねば。
信治叔父上の部屋は分かり易かった。近くまで行けば、虎の唸り声のような呻きが廊下にまで聞こえて来たからだ。
「叔父上」
「来たか麒麟児!」
部屋に入ると、そこに悪鬼の如き形相の信治叔父上がいた。信治叔父上だと知っている俺ですら一歩下がってしまう。瀕死の人間とは思えない、気迫すら感じる様子だ。
「聞け! 俺はもう駄目だ」
そのような弱気なことを、とは言えなかった。毛ほども弱気ではない男が、事実として己の死を受け入れている。床は血に塗れ、叔父上の口からは文字通りの血反吐の跡がある。
「死ぬことは腹立たしいが、それ以上に腹立たしいのはこの腹を抉ったのが延暦寺の僧兵であるという事だ。彦七郎は本願寺の門徒にやられたと聞く。誠仏というものは我ら織田を嫌うらしいな」
「仏罰により雷が落ち死んだわけではございませぬ。仏教という教えを利用し私利私欲に走る愚物とこそ、我らは敵対しておるのです」
「然りよ! よく言うたぞ狐の子!」
声を荒らげた信治叔父上が、それからぐぅ、と呻き、咳き込んだかと思うと血の塊を吐き出した。
「畜生が……俺は、俺はな。連中を呪ってやることにした。死して祟りを成す。あの坊主共の山を全山焼き尽くす災いとなってやる」
地べたを這い、最早立つことすら叶わない身で、信治叔父上は堂々と言ってのけた。
「出来ぬと思うか? 俺は死んで呪いにもなれぬ木っ端武者であると思うか?」
「いえ、思いませぬ」
恐ろしさに逃げ出してしまいそうな脚を何とか踏み止まらせ、答える。この人が木っ端であるのならば世に木っ端でない武者など存在しない。
「ならば介錯せい! 糞坊主共にやられた傷が原因とあっては死んでも死に切れぬわ!」
そう言った信治叔父上は、既に着ているのか脱いでいるのか分からなくなっていた上着を放り、巻かれていた包帯を解いた。腹の傷は塞がっておらず、尚ゆるゆると血が流れている。
「貴様から貰うた大日方の刀を初めて使うが、己の身体になるとはのう。誠良い冥途の土産であるわ!」
血走った眼は最早赤黒く、流れ出す血は信治叔父上の半身を朱に染める。それでも信治叔父上は高らかに罵倒の言葉を述べた。
「何が大乗仏教か、何が鎮護国家か! 京洛を焼き、国を亡ぼすは貴様らではないか! 比叡山延暦寺が鬼門にある限り京は収まらぬ。我が兄三郎信長が! 我が織田一族が! 必ずや仏に成り代わって罰を下す! 今に見ておれ!」
言い切った直後、信治叔父上の腕が動いた。一筋のためらいもなく、僧兵にやられた傷の上に刀を突き刺す。勢いが余って、背中側に切っ先が突き出していた。
「い~い、切れ味じゃあ……」
そう言いながら、ズクズクと、刀を横に動かす。その言葉が、信治叔父上が語った最後の一言となる。正面に立っていた俺を見据え、顎を上げた。やれ。と言われたのだ。
首を切るのに向いている刀とは何か? 勿論切れ味が良いに越したことは無いが、求められるのは刀身の長さである。鳥でも魚でも牛でも豚でも、肉を切る時は刃を滑らせる。首というものには当然骨があり、肉を切って骨を断って、それからもう一度肉を切るまでを僅かに一太刀で成し遂げるのが斬首である。刀の鍔元から切っ先までを滑らせ、滑らせている間しっかりと押して力を与える。戦場で敵を突くよりも余程難しい技が求められる。
「御免!」
右足を大きく踏み出し、信治叔父上の身体の横にドンと踏み込む。鍔元を、信治叔父上の喉元の辺りに押し付けるようにして当て、右腕を強く振りながら刀を滑らせ、そして押し込む。
手に感触は殆どなかった。しかし、振り切った刀を納めるよりも先に、俺の腕にゴロリと、信治叔父上の頭が転がり落ちて来た。
「叔父上…………叔父上」
頭部を抱えながら、うわ言のように呟く。最早物言わぬ信治叔父上の顔は笑っていた。よくやった。とでも言うかのように。
「叔父上、叔父上、俺は…………叔父上」
何度も何度も、俺は叔父上と繰り返した。汚いだなどとは思わなかった。寧ろ、信治叔父上の頭を抱えるという栄誉に与れたことを嬉しくすら思っていた。
翌日から俺達は三日間の籠城戦を戦うこととなった。翌朝早朝に届けられた書簡は降伏開城を求める内容で、俺は霧雨鉄砲と大根刀では城攻めなど出来まいと使者を罵倒し、大いに怒らせてから帰した。昼前には総攻めが始まり、俺達は予め用意しておいた丸太や石などを落とし、攻め方を大いに苦しめた。
二日目、敵が宇佐山城北の道を通ろうとしているという報告を得た。北側の道とは、京都へと続く山道の事で、瓜生山と大文字山の中央を通る隘路である。そのまま京都へ出れば北白川と呼ばれる位置に出るので、大津から山科辺りを通らずに強行軍する際などに使われる。宇佐山城の西側には多少の平地もあり、ここを奪われれば宇佐山城は東西から攻撃されるという事になる。だが、隘路を移動中の敵は奇襲の的でしかない。
信治叔父上の死に報復戦の決意を固めていた俺は兵百五十を選り抜き、自ら奇襲隊を率いた。最早、俺が直接戦場に出ることを諫めようとする者もおらず、その代わりにか景連と古左は俺のそばをこれまで以上に離れようとしなくなった。
三日目、十数度の奇襲戦の後城の西側まで奪われ、後は本丸を枕に城兵悉く討ち死にと覚悟を決めた三月二十五日の事。
「敵が引いてゆきます!」
物見の報告に城兵が沸き立つ。既に自分も死ぬものであると覚悟を決めていた俺は、安心しつつもどこか物足りないような気持ちすらしていた。
「追撃する。付いて来る者はおるか?」
言うと、俺と同じように最早命無きものと覚悟を決めていたらしい連中が雄たけびをあげた。最後にもう一度目にもの見せてくれよう。
「止められよ」
それを止めたのは坂本の戦いにおいて大将を務め、三日間生死の境をさまよいそして今朝意識を取り戻した男。
「追い打ちは大切ですが今は無意味です。この期に及んでは味方の死者を一人でも減らすべし。城内には治療が必要な者が多くおります。追撃し敵を殺すよりも、一刻も早く運び味方を救うに如かず」
一人では歩くことも出来ず、支えられながら漸く立ち上がった森可成殿は、それでも毅然としていた。
「敵が引くという事は、間もなく殿が来られるという事にござる。今無理をする必要はないと存じます」
尚も自説を述べる可成殿の言葉に押され、今まで追撃をせんと息巻いていた者達が熱を失ってゆくのが分かった。興が削がれると言うのはこういうことをいうのであろうか。俺は溜息を吐き、分かったと答えた。
「貴殿が指揮を執れるのであれば、大将は拙者ではござらぬ。ご随意になさいませ」
こうして、籠城戦は終わり、その二刻後に父は四万の兵を率いてやって来た。浅井朝倉は領国に撤退するのではなく比叡山に逃げ込み、その後両軍は対陣したまま睨み合うこととなる。
「目の色が変わったな」
味方の戦死者を数え、ある程度の処理が済んだところで父から呼び出された。比叡山を囲んで三日目の事だった。
「自分では、よく分かりませぬが」
「変わった。男は二度、そういう時がある。一度は、初めて女を抱いた時、もう一度は、人を殺した時だ」
そうですか、と、酷く暗い笑いが漏れた。恐れ入りまする、とでも言って頭を下げるべきなのであろうが、そういう気持ちにはなれなかった。
「俺にとっては、勘十郎を殺した時がそうであったな。敵対はしたが、嫌いではなかった。だが、自分の為に、自分が生きる為に絶対に殺さねばならぬ敵であった。故に殺した」
勘十郎信行。父や信包叔父上と同じ母から生まれた子だ。父と家督争いを演じ、結果としてどちらかが死なねばならなくなった。父は勝ち、信行叔父上は死んだ。辛い話だとは思う。だが、その状況と、俺の置かれた状況とは違うと思った。最初に殺したのは見知らぬ雑兵だ。最後に斬ったのは叔父の首だ。
「九郎の事は、礼を言う」
「憎きは延暦寺、呪ってやると仰せでした」
含むように、父が笑った。好きな笑い方ではなかった。
「織田家の人間らしいな。彦七郎も、一向一揆に殺されるくらいならばと自刃して果てたそうだ。殺されるくらいならば自ら死ぬ。俺には出来ぬことだ」
「父上は、誰よりも生きねばなりませぬ」
そうよな。と、父が又笑った。
「四面楚歌であるな」
頷いた。どこもかしこも苦戦してばかりだ。大和の弾正少弼様は熊野三山の後援を受けた筒井順慶に押されっぱなしであるし、阿波三好家は篠原長房がある限りそう簡単に崩れはしない。浅井は、長政殿が隠居させられ倅が当主となった。前の妻、平井定武の娘との間に生まれた万福丸と言うそうだが、これを元服させて輝政と名乗らせるらしい。当主の代わりに先々代の久政が軍を率い浅井を支える。どこかに付け入る隙が無いものかとも思うが、今のところ朝倉や三好などよりも余程結束が固い。市姉さんが無事かどうか、隠居させられた長政殿が無事かどうか、どちらも分かっていない。
「尾張でも人が死んだ」
父がそう言った時、俺は初めて、普段の父と様子が違うことに気が付いた。父は酒が嫌いで滅多に飲まない。その父が今は澄み酒を飲んでいる。酒量は多くないが、ゆっくりと舐めるように。
「彦七郎叔父上の事でしょうか?」
何となく違うという気はしたが、聞いた。父は叡山を見上げながら、呟くように言った。
「吉乃だ」
ズンと腹に響くようにその言葉が聞こえた。吉乃様が? 死んだ?
「以前から、具合は良くなかったようだな。俺に新しい側室や妾の世話などをしていたのはそれがあった為かもしれぬ。最後にと本人からの手紙が来て、それからすぐに、息を引き取ったと報せがあった」
何も言えず、黙っていると父が俺の方を見、深々と頭を下げた。
「お前達母子がいなければ、吉乃はもっと早くに死んでいただろう。礼を言う」
「父上」
何と言えばいいのか分からない状況には慣れてきたつもりだったがそれにしても何と言えばいいのか全くわからなかった。顔を上げた父は既に気持ちの整理がついているようで、狼狽えた俺の顔を見て笑った。
「人は死ぬ。どうしようもなくな」
実感の籠った言葉だった。俺とは違い、父は身近な人間の死を幾つも乗り越えて来たのだろう。
「講和する」
「講和?」
暫く黙ってから、父が何かを振り切るような声を出した。およそ考えていなかった言葉を聞いて、どういうことかと首を傾げる。
「これより延暦寺に対し、織田の味方をすれば寺社領を返すともう一度連絡をする。堅田門徒には連絡を取り、内応を急がせている。だが、それも上手くいきそうにはない。そうなったら、講和をする」
「どこと、誰とでございますか?」
「三好三人衆・延暦寺・石山本願寺・長島一向宗・浅井・朝倉・六角義賢・雑賀衆・筒井順慶全てだ」
「馬鹿な!」
思わず立ち上がって身を乗り出してしまった。体がわなわなと震えている。そんなことはあり得ない。
「浅井朝倉や筒井順慶辺りならまだしも、何故一向宗や延暦寺と和を結ばねばならんのです!? 奴らは叔父上方の仇ではないですか!」
「そうだな」
「今更引くと言うのであれば、織田家はなぜ坊主の専横を許さず、これを屈服させることに力を注いだのです!? 今更講和などするのであれば初めから奴らに尻尾を振っていれば良かったではないですか!?」
「そうだな」
父は反論しなかった。敵勢、最も手強きは大名ではなく石山本願寺であり一向宗である。顕如は公方様を敵とは見なしていないので、公方様が仲介に入れば和議が成立する。顕如が頷けば、反織田連合軍も個々で戦おうとはしないだろう。だから、まず本願寺顕如との講和が必要である。そのような理路整然とした言葉も恐らく述べることが出来たはずであったのに。
「一族を二人殺され、重臣である森殿も最早歩くこと叶わぬ身とされ、某も……長則を殺されて、それでも尚、和議を結ばねばならないのですか……!?」
「そうだ」
父が立ち上がり、俺の肩を掴んだ。その手に込められた力は強く、俺の肩を潰さんばかりであった。
「可愛い弟を二人殺され、親友も生涯脚を引きずるようになった。それでも、ここは講和せねばならん。例え、宇佐山城で三左が死に、お前の首級が敵軍に掲げられていたとしても、それでも俺は最後には講和せねばならんだろう。勝てぬからな。公方や帝の袖に縋り、どうか何とかして下さいと頭を下げ、この虎口を脱する以外に方法はないのだ」
涙がこぼれ、膝から崩れ落ちた。悔しさにむせび泣き、蹲るのは初めての経験だった。
「負けたのですか」
「そうだ、負けたのだ」
泣きながら問うた俺に、父は毅然と言い返した。
これより二ケ月後、父は反織田勢力と講和し、兵を引き上げた。勅命講和の席で父が言った一言は
『天下は朝倉殿が持ち給え。我は二度と望み無し』
であった。
 




