第四十三話・連合軍南下
琵琶湖より西へ約半里の位置にある宇佐山。この宇佐山に父は山城を作れと命じた。求められるものは豪華さでもなく権威の象徴でもなく単純な防御力。対朝倉用の防御施設として、森可成殿は宇佐山城築城を開始した。
築城にあたり、求められた防御施設の第一は石垣であった。可成殿は高名な石工集団である穴太衆を雇い、宇佐山城の石垣作りを行った。穴太衆は延暦寺と日吉大社の門前町、或いは近江坂本辺りの出身だと言われており、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていた由緒正しき職人集団であった筈なのだが、金銭でもって石垣作りを依頼するという雇われ仕事に対し特に抵抗もなく従ってくれた。戦力ではなく技術力を売る一種の傭兵集団になっているのだと可成殿は言った。
兵六百を率いていた俺は、一旦部隊を解散した後可成殿の下へ駆けつけることとなる。俺が率いる古渡勢の中、直属兵として家臣化している兵は二百であり、それ以外の四百は今回の戦即ち金ヶ崎攻めまでの雇いという契約であったからだ。故にそれら一連の戦いが終わった今彼らに対して当初から予定していた通りに賃金を支払い、今後宇佐山城築城から来るべき朝倉家との戦いにおいて戦ってくれる兵を再度雇用する必要がある。
そのまま再度雇用を求める者、一旦帰り、家族に顔を見せてから再び戻ると言って出ていく者、金を受け取り暇乞いをする者、彼らの処理を終え減った分の人を雇い、結果として前よりも多い八百程の人数を集めて宇佐山城へ向かったのは可成殿が築城を始めて四日目の事だった。
「石垣が随分と高くございますな」
可成殿は俺が『城作りの見聞がしたい』と父に頼んだことを知っているようで、石垣積みの様子を見せてくれた。高いとも大きいとも言い難い宇佐山の頂上に、突然よじ登らなければ通過できない石の壁が現れている。
「取り囲まれればここに籠り、敵が引けば打って出て、例え数万の敵が周囲を埋め尽くしても十日、殿の本隊が戻るまで何とか敵を食い止めなければなりませぬからな。入る兵はせいぜいが四千。兵糧も又十日分が貯蔵出来れば十分、故にこのように石垣だけは高く高く致しました」
可成殿が率いる兵は約千名。俺の兵も併せて千八百、京都に常駐している遊軍で即日援軍として出せるのは約二千。合計で四千。朝倉勢は二万から三万の兵を繰り出してくるだろう。一当たりして怯ませ、固く守り手強く反撃する。耐えれば必ず父が助けに来る。そう認識している城兵であれば士気も高くなるはずだ。
「帯刀様、初めてお目にかかること叶いまして望外の喜びにございまする。某森家家臣各務清右衛門と申す者にございまする」
築城は大急ぎで行われ、俺が連れて行った八百の兵も山頂に石を運び土を掘り木を倒しと、土木工事に全員貸し出した。俺も又それらの作事の指揮を執り過ごしていたのだが、可成殿の傍に控えていた小柄で温厚そうな男に話しかけられた。各務清右衛門元正、恐らく斎藤家の家臣筋だと思い聞くと実際にそうだった。斎藤家滅亡後に森家に仕官、若い頃家中の諍いから同僚を殺し蟄居処分を受けたこともあるという。見た目は優しげであるのに意外と好戦的だ。又左殿と近いものを感じる。
「この男、若い頃は粗暴であったというにどこで目覚めたのか最近では日記、いや、自伝のようなものを書いておりましてな」
「ほほう」
可成殿が教えてくれた。理由を聞くと、蟄居処分を受けている間余りにも暇でしょうがなかったため手遊びに自分の思ったところを書き殴ったのが始まりだそうだ。又左殿の場合、蟄居どころか追放同然であったけれど、その頃余りに金がなく、爪に火を点すような苦労をした結果算術と算盤を覚えた。文と算と、志したものは違うもののやっぱり又左殿に近い。
「織田家の文章家と言えば名高きは帯刀様でございます故、一度お目にかかりたいと思っておったのでございます」
「それは勿体ないお言葉です。某と話をして何か役に立つことがあるかどうか」
「何を話したところで、結局この男の自伝の中に書かれるのみでございますぞ」
そんな風に可成殿が言ったので俺達は笑い、そうして皆で笑いながら懸命に作業を続けた。笑いあいながら、俺達はいつ北陸の情勢が定まり、朝倉が兵を向けてくるのかに注視していた。南、石山本願寺と三好の連合軍との戦いは野田福島に作られた城を攻め落とすことが出来ず長期化している。それ以外の戦線も膠着状態、或いは劣勢であるところが殆どだ。俺は森家の与力として付けられた青地茂綱殿を含めた森家の三人と、長則・景連・古左の三人を合わせて七名で夜話をする機会が増えた。
「弓でもって銃を駆逐する。これが夢物語であり天下が笑うであろうことは分かっておるのです、しかし……しかぁし!」
森家の三名は人に酒を飲ませるのが上手く、普段は摂生を心がけている景連と、そもそも酒を飲まない俺はいともたやすく酔わされてしまった。
「いやいや、その意気やよし。このような時代に生まれたのですから、例え阿呆と笑われても意地の一つも見せずば男である甲斐がないというもの」
「お分かりいただけまするか!? 流石は観音寺城で唯一意地を見せた蒲生の男に御座います、それがし貴殿らを強く、強く! 尊敬しております」
青地茂綱殿は、観音寺城落城の折千の兵を率いて唯一抵抗の構えを見せた蒲生賢秀殿の実弟である。賢秀殿の息子鶴千代は妹相の許嫁だ。只者ではないと父が気に入り娘を差し出した鶴千代だけでなく、蒲生一族は父からの信頼が篤い。その信頼に応えるかのように、賢秀殿は織田家打倒に協力せよとの六角家の誘いを断り続け、送られてきた書状は全て父に提出している。
「例えば、石垣で防がれている壁の向こうからであれば、弓は攻撃が出来、銃は攻撃が出来ない。そう考えたことがあるのですが」
「石垣というか、石の壁があった場合はそうなりますな」
景連と同じく飲まされて、ヘロヘロとした声であることを自覚しながら言うと、可成殿が言った。その通りだ。そしてそんな場所はあまりない。
「矢尻に毒を塗るは如何でしょう? 殺傷能力が上がるのでは?」
「それくらいならば既にやってきた者がおろう。それにな、鉛玉が身体に命中し取り除かずにおればそれは毒を体に仕込まれたのと大して変わらんぞ。腕が腐り切り落とすことになった者もおる」
青地茂綱殿の言葉にも、可成殿は即座に答えを返した。一行で最も多く酒を飲んでいるのは可成殿であるはずなのに全く酔う様子がない。対抗できる程度には飲んでいる長則が下らない冗談を言うと、二人で大声を出して笑う。各務元正殿はそれらの会話をジッと、そして真剣に聞いている。自伝にどう書くのか考えているのだろうか。
「余りに拘り過ぎるのも不毛でございますぞ。名家とていつかは没落し、栄えた国も滅ぶことを避けられぬものです」
ニヤニヤと笑いながら酒を飲んでいた古左が軽く景連の肩を叩く。その手を払いのけた景連が『煩いこの俗物が』と罵倒すると言われた古左は悪口を言われたというのにひゃひゃひゃと笑った。
「弓もそうですが、刀ももう時代遅れの遺物になりつつあります。間合いの長さで敵わない事。そして何より集団戦闘に向かぬことが理由です」
かなり酔わされていたこともあり、俺は以前から考えていた事を相談してみた。弓は俺の中でどこか諦めているところがある。鉄砲の弾込めをしている間に使用するであるとか、組み合わせで何とか生き残らせてやりたいと考えている。
「集団で戦うことが出来ぬ場所、白兵戦にならざるを得ない場所であれば槍に勝るかもしれませぬな」
その時、ジッと話を聞いていた各務元正殿が口を開いた。
「白兵戦にならざるを得ない場所?」
「例えば、船上ですな」
船の上、そう聞いて成程確かにと思った。佐治水軍の連中は槍を抱えなどしない。手になじんだ刀を腰に差し、敵船に殴りこんで切り結ぶ。船上で槍衾など組めないし、狭い船の上では持ち運びも不便だ。最も小さな船であれば二人三人が乗ればすでにいっぱいであるのだから、刀で押し合って、敵を船から押し出せば勝ちであろう。
「成程、他にどこか、似たような状況の場所は」
「室内は如何ですかな? 城攻めでいよいよ敵の本丸へ殴り込む。となった際には刀の方が槍に勝るやも」
「いや、森様そうとは限りませぬ。細く長い廊下であれば寧ろ槍一本で敵を近づかせぬことが最も有利かと」
森可成殿と長則が続けざまに言う。どちらの言い分も一理ある。槍が絶対的に有利であるとは言い切れない。
「考えてみますと、足場が確かで、広く場所を取れる、そういう条件が揃ってこそ槍の優位が確定しているのですな」
言われて成程と思った。今の二つに当てはまらない場所を探し、我が古渡勢をそういった状況で戦う専門集団とすることが叶えば、又何か道が開けるかもしれない。
「弓に関しては、今あるものが完成品であると思わない方が良いかもしれませぬな」
「と、申しますと?」
青地茂綱殿の発言に、俺が続きを促す。
「鉄砲という武器は今も雑賀や根来が日々作り方を研究し更に射程が長く、狙いが正確になるようにと改良を続けております。弓というものも、弦に矢じりに張りにと、改良を重ねて戦場に使いやすくすることが出来れば、或いは鉄砲という勢力を押し返せるかもしれませぬ」
少なくともこのままでは駆逐される日を待つのみ、と締めたその言葉を聞いて、成程確かにと思った。頭を下げ、礼を言う。
「いや、大変参考になり申した。三人寄れば文殊の知恵と申しますが、誠その通りで」
「七人も寄ればお釈迦様に説法も出来るやもしれませぬなあ、ひゃひゃひゃ」
「いいぞ古左、今から比叡山に登って説教して来い。連中は経よりマラを扱う方が得意であるからな」
長則の下品な冗談に、俺達は大いに笑った。
その後、宇佐山城築城は順調に進み、ほぼ城郭は完成した。俺は落石や落木をもって敵を押しつぶすことは可能なのではないかと考え、石垣の上に太い丸太や大岩を縄で縛り付け、敵が近づいてきたらこれを落とすという方法を進言し、受け入れられた。かつて楠木正成公が千早城の戦いで行った方法をそのまま踏襲した形だ。そうしている間、摂津方面では大きな動きなく、織田軍は決定的な勝利を収められずにいた。大和では、かつて弾正少弼様に追い落とされた筒井順慶が息を吹き返し多聞山城を伺う構えを見せた。斉天大聖は流石なもので、観音寺城に引き込み籠城すると見せておいて、油断して出て来た六角軍を伏兵でもって撃破し、多くの首級を上げるなどしている。そして、三月十九日未明、宇佐山城の陣に二つの凶報が舞い込む。
「古木江城が長島一向宗の攻撃により陥落! 主将彦七郎様、ご自害!」
瞠目する。遂に、織田家一門衆に戦死者が出た。そして、桶狭間以降初めて、尾張に敵勢力が攻め込むという事態に陥った。
「尾張の守りはどうなる?」
伊勢長島は木曽川・長良川・揖斐川が合流した三角州にある。その三角州の向かいは既に尾張であり、向かいにある陸地の先端、尾張最初の防御壁となっているのが古木江城である。卵の殻が割られたように、これから尾張内部が一向宗に蹂躙されるという事にもなりかねない。一瞬、頭の中に古渡城が炎上する様子が浮かび上がり、慌てて首を横に振った。利久殿もいる。あの母がそう簡単にどうにかなる筈はない。そう思いながらも不安は募る。
「徳川勢三千が尾張へ進出、長島一向宗は周囲の村落を襲った後城へ籠ったとの由」
大きく溜息を吐いた。織田・今川の二家に挟まれながら独立を果たし、東海二ヶ国の主となった男。これほど頼りになる者はいない。三河統一の折には一向宗を厳しく討伐したようであるし、彼にとっても尾張が一向宗に蹂躙されることは望ましくないだろう。
「父上は、冷静でいられるであろうか?」
「あれで、実の弟を切る果断さも持ち合わせているお方です。怒りこそすれど、落ち込んで撤退するようなことにはなりませぬ」
家族に対して情が深すぎる父の心情を慮っていると、森可成殿から言われた。確かに、それ程弱い人物ではあるまい。
ともあれ情報を共有し、他の戦場との連携を密にせんと確認し合っているところに、もう一つ凶報が届けられた。
「朝倉勢二万五千、一乗谷を出、金ヶ崎城へ集結! これに呼応し、浅井勢五千も琵琶湖北岸へ進出! 琵琶湖西岸を通り南下する構え!」
遂に来た。そういう感想であった。朝倉の出馬もそうであったし、そこに浅井が加わることも、何となく分かっていたような気がした。
「朝倉の総大将は誰だかわかるか?」
「当主義景自らとのこと!」
舌打ちが出た。面倒臭がりが今回は自ら出て来たか。本人は一乗谷から一歩も動かずということであれば敵の士気も多少は下がっただろうに。
「浅井は? 長政殿か?」
「いえ、名代として前当主久政が兵を率いているとの由」
「浅井久政が?」
かつて一度だけ対面したあの老獪な人物の姿が頭をよぎる。隠居の身とはいえど、影響力は強く心身そして頭脳にも衰えは無いように思えた。だが、織田か朝倉か、これだけ日和見をしてから態度を決めたにしては中途半端だ。朝倉が当主を出してきているのに何故浅井が名代を派遣するのか。両国の関係からして逆は許されるだろうが浅井がして良いことではない。
「兵力は五千と言ったな」
「ははっ」
兵力だけで言えば全力を出したと言って良い。一万石で兵力三百とすれば、二十万石で六千、十五万石で四千五百だ。いずれにせよ、片手間で用意出来る数ではない。
当主が出陣しないことと五千と言う戦力を絞り出したこと。これが俺にはどうにもちぐはぐな事であるように思えた。父は動きが読めぬと言った。俺は今も読めない。動きがというより、腹が読めない。金ヶ崎から撤退する織田家を襲わなかった理由、今になって織田家に敵対する理由、浅井長政、浅井久政、織田派、朝倉派、日和見、延暦寺。
「……そうか」
そうして、様々な事柄を頭の中で組み合わせてゆくと、ある時パッと、光が宿るように一つの答えが出た。
「可成殿、父上に報せを」
「報せ、ですか? 朝倉家浅井家の動きは早晩殿にも届くと存じますが」
「そうではございません。浅井家のことで、一つ分かったことがあるのです」
ふむ、と首を傾げつつ、それでも可成殿は筆と硯、そして紙をすぐに用意してくれた。そこに、必要な事柄だけを書きつける。それ程長い文章にはならない。父の理解力ならばすぐに合点がいくはずだ。
「これは……そうか、確かにそれであれば、いや、それでなければおかしい」
俺の書く文章を読みながら、可成殿も又納得してくれた。文は墨が渇くとすぐに持ち運ばれ、今日中には父へと届けられるだろう。
「これまでの浅井の不可解な動き、いや、不可解に動かなかったことの理由がこれではっきりしましたな」
「はい。元々浅井家は朝倉派の久政、織田派の長政、と親子での対立があった様子。織田か朝倉か、その答えが出ぬまま織田朝倉の対決が始まってしまった。両勢力は綱引きを続け、そしてそのせいで動きが止まった。ですが決着が着いた。石山本願寺の挙兵、雑賀衆の参戦、朝倉の若狭侵攻、それらが皆、朝倉派の動きを助けた」
「即ち現状、浅井家の大将は久政という事になりますな」
「そうです。そしてそうである以上、今長政殿は良くて隠居、悪くて首を打たれておりましょう」
そしてそれは、市姉さんの安全も担保できないという事だ。
翌日、浅井朝倉軍は合流し高島七頭を一蹴。その後比叡山や堅田門徒達も浅井朝倉連合軍に合流する構えを見せ、三月二十日、俺達は琵琶湖西岸にて連合軍との初戦を迎える。




