第三十六話・敦賀侵攻
京都御所より僅かに東、鴨川の流れを遡り、二股に分かれた進行方向右手、高野川に沿って進むことで、京から越前までの道行きは始まる。
進路の方角はおおよそ北北東、徐々に細くなってゆく川の流れを見ながら、やがて右手に比叡山、左手に瓢箪崩山が見える。北に連なるのは横高山、水井山、金比羅山、大尾山等。それらの山々に囲まれた谷間を縫うように進むと、山城大原なる山間の平野部に出る。三万の大軍なれば、後軍の一部はここに一泊し、兵の大半は更に進軍を続ける。
再び山間部に入って北北東に進むことしばし、山の切れ目に沿い軍を分ける。そのまま山間を進む軍は高島七頭と呼ばれる国人衆が治める朽木谷まで進む。俺が所属する軍は東へと方向を変え、琵琶湖西岸に出る。ここまでで都合五刻余りの行軍。一日目はここで一泊した。
翌日は琵琶湖西岸をひたすらに北上する。平地なれば昨日よりも歩きやすく行軍速度も上がる。高島七頭が治める琵琶湖西岸の広い平野部へと出、七頭らの出迎えを受けた。父に服属している訳ではないが、三万の兵相手に抵抗することもない。改元の際には七頭全員が顔を出しており、公方様からもお言葉を賜っていたようだ。今回の朝倉攻めが上首尾に終わればいずれも父の家臣とならざるを得ないだろう。彼らも又、朝廷・幕府・織田いずれにも悪印象を持たれるわけにはいかぬと、生き残りに必死だ。大軍へ一晩の宿を貸し、もてなしてくれた。朽木谷へと向かった軍もここで合流、一部はそのまま北西へと進路を取り、若狭の小浜を目指す。攻撃はせず、迎撃されれば撤退する。あくまで圧力をかけることが目的だ。
「行軍に疲れてはおらぬか?」
高島郡を出、琵琶湖北岸に達した三日目、父が馬を寄せ、話しかけて来た。
「これは、殿」
馬上で頭を下げ、父よりも少し後ろに並ぶ形をとった。それを見て、父が詰まらなそうにする。父上と呼んで欲しかったのだろう。寂しがりかつ子煩悩な人であるからその気持ちも分かるのだが、それは出来ない。周囲に多くの家臣がいるのだ。公式には俺は最早息子ではない。父は認めないだろうが。
「殿の御威光により、道中小競り合いすら起こりませぬ。二晩とも屋根のある屋敷にて寝起きすることが出来ました故、体には疲れもなく、朝倉攻めに後れを取らずにすむことと存じます」
視線を合わせず、頭を下げる。父が更につまらなそうにフンと鼻を鳴らした。子供かこの人は。いや、親なのだけれど。
「……父上は、船旅を楽しまれましたか?」
仕方がないので小声でそう聞いた。途端、父の顔が緩む。
「まあまあだな。広い広いと言っても海よりも広い筈もなし、尾張と違う事は水が塩辛くないことくらいだ」
「左様で」
父は今回の戦、僅かな近習と共に船で琵琶湖を北上した。湖賊などに襲われたらどうするのかと重臣は反対したが取り合わず、最後に京を出ていながら琵琶湖北岸への到着は一番乗りだ。
「暇であったのでな、小谷の弟の所へでも遊びに行こうと思ったのだが、三左も煩い事であるし此度は止めておいた」
「それは、お戯れが過ぎるというもの」
笑って答えた。答えたものの、本当に遊びに行こうと思ったら誰の反対があっても行ってしまいそうだなと、可成殿に同情した。
「色々と動き回っているようだが、首尾は上々か?」
暫く父が話す弟妹などの話を聞きつつ馬を進めていると、唐突に話を変えられた。何のですか? と聞くほど察しが悪い俺ではない。
「上々ですと言いたいところですが、分からないと言うのが本音です」
やらねばならないと思っていたことは全て行っている。最も効果的だと思える方法を取ったつもりでもある。だが、これで間違いがないとは言い切れない。
「珍しいではないか。いつでも自分が正しい、などという顔をしている貴様が」
「そのような顔をした覚えは一度としてございませぬ。某未だ十六の若輩にて」
ケッケケ、と父が笑う。母のせいで、俺までもが稲荷の化身で神通力が使える。などと思われてしまうのは甚だ荷が重いのだ。
「ともかく、公方様周囲の方々に話は通しておりまする。我らが京を留守にしている間に余計な讒言をするような者はいない。と思うのですが」
一色藤長殿にも、三淵藤英殿にも話をした。藤長殿は尾張産の刀、大日方と小日方を見て喜んで下さった。藤英殿は話をした段階で『道理である』と納得して下さった。行軍中には和田惟政殿とも話した。武断派の惟政殿は元々父との折り合いは悪くない。決定的に織田家に対して不信を募らせている幕臣はまだいない筈だ。
「公方様を慮って足踏みをするつもりはない。しかし公方様が邪魔をしない限り排除するつもりもない。それで宜しいですね?」
「よい。足利将軍の権威はまだまだ利用価値がある。多少扱い辛くともな」
「日ノ本を征した後は? 利用価値はなくなりますが」
「その頃には利用価値もないが危険性もない。将軍直轄領とでも言ってどこかに捨扶持をくれてやる。貴様も金か物か、何か必要ならば言え、都合をつけてやる」
「ありがたい申し出ではございますが、三郎五郎義父上と村井の親父殿も同じように言って下さっておりますれば、まだ殿にお頼みすることは無き事と存じまする」
「…………そうか」
「母が子を産むとなってより、三郎五郎義父上は頻りにお前はまだなのか? 孫を見たいぞとせっついてきては何くれとなく世話を焼いて下さいます。此度京へ参った際には村井の親父殿が色々と手回しの手伝いをして下さいました。村井家とは二人の御子息と娘御とも仲良くしておりまして、京においての実家も同様にございます」
「貴様は」
心配はいらないと言っているつもりで話をしていると、言葉を遮られた。低い声だったのでどうしたことかと父を見ると、びっくりするほど機嫌が悪くなっていた。
「あの二人に対しては義父上や親父殿と呼ぶのであるな」
それだけ言って、じろりと俺を睨み付けてから去って行く父上。続けて俺を抜かして馬を進める近習達が眉を顰めて困った顔をしている。
「何と面倒な父親なのだ、あの人は」
嫉妬をするような年齢でもあるまいにと、俺は馬上で溜息を吐くのだった。
「愛息は大変ですな」
その日の夜。事の次第を話すと斉天大聖が楽しげに笑い、麦粥を啜った。
「いや、俺を可愛がっているというよりも、自分が一番でなければ気が済まないだけなんだよ、殿は」
言いながら俺も粥を啜る。そこかしこで火が焚かれ、山全体が明るい。遠くから見ている者がいれば、例えば越前の者達は、いよいよ来たかと身構えているだろう。或いは大軍に怯えているか。
「それはそうかもしれませぬが、親は大切にしなければなりませぬよ。親のお陰で、今かように旨いものを食えておるのです」
「旨い粥が食えているのは母親のお陰だよ」
俺達が今食っている麦粥は、山菜や僅かな干し肉などを加えた簡素なものだが、ここに俺が持参してきた固形物を入れると途端に旨くなる。干し椎茸や鰹節、塩や味噌などを粉末状にしてから固めたもので、母曰くこの時代で出来る最高の万能旨味調味料だとのこと。
「母親こそ最も感謝すべき親ではございませぬか。どれほど出世した男であろうとも皆母親の股から生まれたのですぞ。誰一人として木の股から生まれた者はおりませぬ」
「木下殿が言うと説得力がある」
斉天大聖は織田家の出世頭としての名が最も知られているが母親想いの息子としても相当に名高い。かか様かか様と慕って今だに自分でもいだ柿を手渡して食わせたり、肩を揉んでやったりしているらしい。
「帯刀様」
「ああ、そうだったすまない。そんなことはどうでも良いんだ。明日には朝倉領敦賀郡に到達する。先鋒を賜った我らはどうすべきかという話だ」
景連に言われ、話を戻した。琵琶湖北岸から更に北へ山を超せばもう敦賀だ。金ケ崎城は近い。
「まず天筒山を攻める一手。金ケ崎城より南東にある天筒山を落とせば金ケ崎城は見下ろせる位置、既に掌中も同然」
小袖を着せてしまえばそのまま女になってしまいそうな細面の男が言う。聞き取りやすく、歌うような声だった。
「金ケ崎城の守将は朝倉景恒。公方が朝倉義景を見限り、殿を頼りに岐阜に向かう際、その警護をした人物です。その翌月には義景の命により若狭国に侵攻、若狭武田家の当主武田元明を捕縛し一乗谷へ連行しました。若狭武田家を実質朝倉の属国とした立役者と言えます」
「流石は名門朝倉、粒が揃っとる。雑魚はおらんの」
斉天大聖が言った。今回の戦い、味方は三万の大軍であるが公家衆を前線に出すわけにはいかず、畿内勢力に対しても気を使って後詰を任せた。そうなれば当然織田家の直属兵が主力となる。その中でも斉天大聖と彦右衛門殿、叔父の塙直政殿、そして十兵衛殿は実戦指揮官としてそれぞれ二千から三千余りの兵を指揮することとなった。家老である権六殿や森可成らはその後方で控える。先鋒だけで既に一万前後、改めて大軍だと思う。
俺の兵六百は斉天大聖の隊に組み込まれた。斉天大聖自身が率いる兵は八百。観音寺城攻めでは二千を超す兵を率いた経験もあり、優秀な指揮官であるということは既に証明済みである。
「いえ藤吉郎様、雑魚にございます」
その斉天大聖に細面の男が言う。斉天大聖の傍には小一郎殿や古参の蜂須賀小六、前野長康といった面々もいるが誰も何も言わない。言えない。それくらいの大物であるからだ。
「朝倉軍に景恒への援軍の動きはございませぬ。恐らく敦賀郡を放棄し戦線が狭く防御に向いた地形である木ノ芽峠で迎え撃とうという肚にございましょう」
「はて面妖な、何故故味方の景恒殿を見捨てるような真似をするのか。朝倉とて二万を超す兵を出すことも出来よう。金ケ崎城と連携して反撃するほうが上策に思うが」
「察するに、家内の序列争いから、景恒への援護を遅らせんとする者がおります。景恒は敦賀郡の一門筆頭。当主朝倉義景はこれを信用しておらず、更に朝倉景鏡は当主義景と必ずしも関係良しからず。お家の危機よりも身内の下らぬ仲たがいを優先させる愚物に足を引っ張られては、いかなる名将と言えども雑魚に同じ」
立て板に水の弁舌を聞いて、一同が束の間黙った。そしてそれを吹き飛ばすように斉天大聖がかっかと笑い、流石は半兵衛殿と喜んだ。
「今孔明竹中半兵衛重治殿の軍略あらば此度の戦も大勝利間違いなしですな、各々方」
「して、肝心の天筒山を落とす策はいかなるものがございましょうや」
斉天大聖の言葉に皆が頷いた後、俺が質問した。天筒山の城を手筒山城と呼ぶらしい、この手筒山城にも勿論守備兵はいる。
「速戦の一手で終わらせまする。援軍がないうちに進軍を進め、三万の武威をもって進軍すればそれだけで城兵は怯えまする。大軍に策なしの言葉通り、後は一刻でも早く攻撃を仕掛ければ宜しいのです。金ケ崎城への逃げ道を一つ残して取り囲めば敵は戦わずして逃げ出すでしょう」
「簡単で宜しいですな」
口調が少々厳しくなっているのは分かったのだが、それでも嫌味な言い方になることを止められなかった。どうにもこの男の口調や態度が気に食わない。賢いのだろうが、口に登る人間に対して殆ど敬称を使わないところであるとか、愚かやら愚物やらという単語を使うのが鼻につくのだ。
「難しいことを言っても理解出来なければ意味がございません故」
舌打ちが出そうになった。竹中半兵衛重治、斎藤家滅亡後出奔、その知略を買われて浅井家に仕えたが一年で辞し、今度は父が雇った。織田家直臣ということで立場的には俺と同格なのだが、実質的には斉天大聖の与力としてここにいるらしい。実際、斉天大聖のことを主のように扱っている。だが他の者に対しては慇懃無礼を地でゆく。
「帯刀殿、可隆殿は初陣故御無理はなさらないで下され、御身に何かあれば殿や森殿に顔向けできませぬでな」
人の顔色を伺うに聡い斉天大聖が俺の不機嫌に気が付いていない筈はない。だが、なのかだから、なのか普段以上に明るい声で初陣の俺達に言った。
「心配ご無用にござる。拙者初陣なればこそ誰よりも働く所存にて」
父可成殿から五百の兵を借り受けて率いている可隆君。少し見ない間に立派な若武者といった風情になっている。槍が似合い、見るからに強そうだ。
「……我が隊六百は木下殿の下知に従います。某未熟者故、巧みな指揮をとれるとも思い申さず、此度は勉強させて頂く」
「結構ですな。己を知らず手だし口出しだけする無能な指揮官程邪魔な者はおりませぬ。帯刀殿にはそうならぬ知性がおありだ」
竹中半兵衛に言われた。煩い。貴様に従うと言った訳ではない。
「ならば軍議はこれまで、各々方まだ粥は残っております故好きに食って下され」
やはり明るい声で斉天大聖が言い、俺はさっさと粥をかきこみ、その場を離れることにした。蜂須賀小六や前野長康は二杯三杯と旨そうに食っている。竹中半兵衛は、匙で二掬い程食って終わりだった。それも気に食わない。今気が付いたが、俺は食が細い奴が嫌いなのかもしれない。
俺は一行から離れ、山間から覗く月を見ることにした。三日月で、それ程綺麗には見えなかったがそれでも月を見るのは落ち着く。
考えるのは竹中半兵衛という男、そして浅井家の事。三千貫。浅井家が竹中半兵衛重治に払っていた禄だ。浅井家の石高は多く見て十五万石、一貫が二石だとすると竹中半兵衛の石高は六千、三石なら九千だ。幾らその名が轟く今孔明だからとて、それ程の好待遇で一介の浪人を家臣として召し抱えるなどという事が本当にあり得るのであろうか。
「読めないな」
浅井家は何を思い、竹中半兵衛を雇い入れたのだろうか。そして竹中半兵衛はなぜ、それ程の好待遇を辞したのだろうか。
「何故浅井家が、ではなく、浅井家の誰が、竹中半兵衛重治を欲したのかを考えられるが宜しい」
後ろから声をかけられた。耳触りの良い声、だが今聞きたくない声だ。
「……読心の秘術でもお持ちか? 竹中殿」
「半兵衛とお呼び下さい。心など読めませぬ。先程より、某の事を不思議そうに見ておられました故、帯刀殿が何を不思議に思うのか想像したのです」
「たったそれだけで正解を言い当てるのであれば読心と変わりませぬな」
「仕方がありませぬ。人より賢いのですから」
その言に否やはないが腹は立つ。全知全能のような顔をするな。
「浅井家の誰がと申せど、浅井家に三千貫もの禄を出し人を得られる者など……」
「そう、二人おられます」
気が付いた時、計ったかのように正確な間で言われた。
「二人いるうちのお一人は織田家に親しく、もうお一人は織田家を警戒しておられることは帯刀殿もご存じの通り。この竹中半兵衛重治がどちらにお仕えし、そしてどうして出奔したのか、それを考えれば答えには近づきましょう」
「そのような回りくどいことをせずとも、今貴殿から答えを賜ればよいのではないかな?」
「半兵衛めの言葉を信用なさいますか?」
「せん」
くしゃりと、端正な顔をゆがめて竹中半兵衛が笑った。声をあげず、しかし満面の笑みだ。見目が良いだけに美しく、同時に禍々しい。
「まだお若いのです、様々に物事を考えられるが宜しい。答えが正しかろうと正しくなかろうと、考えることは無駄になりませぬ」
そう言って、竹中半兵衛は再び木下勢の一行に戻った。
「お前は本当に、諸葛孔明か? それとも、司馬仲達か?」
虚空に呟いた。返事はなかった。
この翌日、天筒山を奪う戦いにおいて、俺達は竹中半兵衛の指示通りに動き、手筒山城を奪った。初陣の俺は手柄を得、織田帯刀信正の部隊はその働きを賞賛された。手筒山城一番乗りは森可隆隊。可隆君は初陣でありながら敵の首を取り、自ら城に乗り込み、そして、逃げてゆく敵兵の流れ矢に当たり、戦死した。




